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奥村宏 経済評論家
第6回 法人の犯罪と税金
奥村宏 経済評論家
第6回 NOVEMBER 2002 56
会社の犯罪と経営者の犯罪
雪印食品や日本ハムの牛肉偽装事件から発展して三井物
産や東京電力の不正事件へと拡大し、企業犯罪が毎日の新
聞を賑わしている。
一九六〇年代の後半から七〇年代はじめにかけて公害や欠
陥車問題などで企業批判が盛り上がったことがあるが、今回
もそれに匹敵する、あるいはそれを上回る企業批判が起こっ
ている。
これに対し、アメリカではエンロンやワールドコムの事件
から大企業の経営者に対する批判が強くなっている。 これら
の大企業で会計不正を行った経営者の責任が追及されるとと
もに、ストック・オプションやインサイダー取引で大儲けを
した経営者に対する非難の声が強くなっている。
アメリカでは、このような事件は「ホワイトカラーの犯罪」
として問題にされており、それにかかわった経営者の個人責
任が追及され、ブッシュ大統領はそういう悪徳経営者を禁固
二〇年の厳罰に処すという方針を打ち出している。
このように日本では企業犯罪として捉えられているのに対
しアメリカでは経営者の犯罪と考えられている。 その違いは
いったいどこからくるのだろうか。
企業犯罪というけれども、正確にはこれは法人の犯罪とい
うことができる。 雪印食品や日本ハムの事件はもちろん、三
井物産や東京電力の事件も、それは担当者の責任ではなく法
人としての会社の責任である。 そこで問われているのは法人
としての会社の責任である。
ここまでは誰にでも分かることなのだが、では法人とは何
か。 法人が犯罪を犯すことができるのか。 そして法人を刑法
で罰して、禁固刑にすることができるのか。 あるいは死刑に
することができるのか。
こうなると、問題はそう簡単ではなくなる。 そこで法人と
はいったい何か、ということが問題になる。
企業犯罪の責任は経営者個人にある。 アメリカではそう捉えられている。 一方、日本で
は個人ではなく、法人である会社の責任が問われる。 しかし、法人を牢屋に放り込むこと
はできない。 日本の刑法も法人には犯罪能力がないという考え方に立っている。 そして、現
実には会社による犯罪が日夜、横行している。
法人とは何か
小泉内閣の経済財政諮問会議の議員である本間正明大阪
大学教授は法人税を減税せよと主張しているのだが、ある雑
誌で次のように発言している。
「個人を増税して、法人を減税しているという見方は間違
いです。 法人を個人と比較するのは非常に時代遅れの考え方
で、法人というのは擬制であって、つまり最終的に財とか、
サービスを需要する主体ではないわけです」(「週刊東洋経
済」二〇〇二年九月二八日号)。
これは、法人はすべてそれを構成する個人のものであり、
法人の利益はすべて株主である個人のものである、従って税
金は個人株主が負担し、法人は負担しなくてよい、という考
え方である。
これに対し政府の税制調査会の会長である石弘光氏は「法
人とは何か」という問いに対して、「誰も明確に規定できな
い」と正直に言う(石弘光『税金の論理』講談社現代新書、
一〇四頁以下)。
本間氏も石氏もともに財政学者だが、法人についての考え
方はかなり違うようだ。 本間氏のような考え方は素朴な法人
擬制説だが、新古典派経済学ではこのような素朴な法人擬制
説に立っている。
といっても、法人とは何か、ということを深く突っ込んで
考えた結果ではなく、石氏の言うように、法人とは何か、と
いうような議論は「神は実在するか、否か」というのと同じ
神学論争だから、そんな難しい議論はやめて政策的に税金を
どうするか、という見地から捉えていこうというものである。
ということは、法人とは何か、ということが分からないま
ま、法人税をとりあえず何%にするか、という議論をしてい
るのである。
そんな馬鹿な話があるか、と読者は思われるかもしれない
が、学者の議論なんてそんなものである。
57 NOVEMBER 2002
会社は株主のものか
本間氏の言うように、法人としての会社の利益はすべて株
主である個人のものだ、としよう。 そこでは法人税は源泉所
得税と同じで、最終的には個人が会社から受け取る配当金に
課税すればよいということになる。 そもそも法人は課税され
るべき対象ではない。 これが法人擬制説で、シャウプ税制以
後、日本の税法もそういう考え方に立っている。
これは会社はすべて株主のものだという前提に立っている
のだが、では日本の会社ではそれはどうなるのか。
日本の上場会社の株式の半分以上を所有しているのは法人
で、個人は二割強しか持っていない。 残りは国内および外国
の機関投資家や政府などの所有である。
よく知られているように、日本では法人が株式を相互に持
ち合っている。 かりにA社とB社が株式を持ち合っていると
したら、A社の利益は株主であるB社のものであり、B社の
利益もA社のものである。 そうなると法人擬制説ではA社、
B社がともに事業活動で利益をあげても、どちらも税金を払
わなくてよいということになる。
そして上場会社全体で個人持株比率は二割強だから、もし
上場会社全体の利益が株主である個人のものだとしたら、二
割強の株式しか持っていない個人が、法人があげた全部の利
益について税金を払わなければならないということになる。
そう考えると法人擬制説に立った現在の日本の税法は全く
不合理なものになる。 それというのも、株式会社の株主はす
べて個人であるという前提に立っているからである。
このことを全く無視して本間氏のような素朴な法人擬制説
に立った議論が横行している。 こんな不合理な考え方に立っ
てわれわれの税金が取られていると思うと腹が立ってくる。
アンダーセンの責任
最初に問題にした企業犯罪は法人の犯罪ということだが、
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 主な著書に「企業買収」「会
社本位主義は崩れるか」などがある。
一方、税法の考え方では法人は擬制であって実在しない。 こ
の考え方でいけば法人が犯罪を犯すということはありえない、
ということになる。
事実、日本の刑法もこのような考え方に立っており、法人
には犯罪能力はないとしている。 例えばチッソは水俣病で多
くの人を殺したが、チッソという法人は死刑にもなっていな
いし、禁固刑にもなっていない。
ところが日本で現実に起こっていることは法人である企業
が大きな力を持ち、会社として犯罪を犯している。
こういう問題意識から私は「法人資本主義」ということを
主張し、それについてこれまで数多くの本を書いてきた。 そ
して法人資本主義の持っている矛盾がさまざまな形であらわ
れていると指摘したのだが、一九九〇年代になってバブル経
済が崩壊するとともに法人資本主義の矛盾が一挙に爆発した。
アメリカのように会社の犯罪をあくまでもホワイトカラー
の犯罪とし、経営者の責任を追及するのは個人資本主義に立
った考え方からである。
しかしそのアメリカでもエンロンやワールドコムの事件を
みると、これを単に経営者個人の責任というだけでは済まな
くなっている。
これは現にアーサーアンダーセンの処罰という形であらわ
れている。 エンロンの不正会計にかかわった会計事務所のア
ンダーセンはエンロン関係の資料を廃棄したというので法人
としての責任を問われ、その結果、会計事務所としてのアン
ダーセンは廃業することになった。 これは経営者の犯罪では
なく、法人としてのアンダーセンの犯罪だとされたからであ
る。
そしてエンロンもワールドコムも、会社は倒産し事実上、
法人としての責任を問われたことになる。
ところが、日本では三井物産にせよ東京電力にせよ、倒産
するどころか法人としての責任を問われていない。 これはい
ったいどうしたことか。
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