ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2001年4号
特集
日本の3PL市場 ダンピング十年戦争の結末

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2001 18 売掛運賃の債券化で年末乗り切る フットワークの経営危機説は関係者 の間では昨年末から囁かれていた。
一 時は「社員給与の遅配が発生しているらしい」(大手特積み事業者幹部)と いう噂が広まった。
しかし、この噂は 事実に反していたようだ。
フットワー クエクスプレス労働組合の益田利幸中 央執行委員長は「月例給与の遅配は全 くなかった。
年末一時金が十二月と一 月の二回に分配支給されたことが、業 界内では『遅配が発生している』と間 違って解釈されたのではないか」と説 明する。
三月一日、三重定期貨物自動車が津 地方裁判所伊勢支部に自己破産を申し 立てた。
負債総額は約七五億円だった。
同社は一九二九年創業の老舗特積み業 者で、三重県を中心に東海道を結ぶ定 期幹線輸送のネットワークをもってい た。
近年は「脱・特積み」を宣言し、 小売業向け物流サービスなど3PLに 近い事業を強化してきた。
しかし、特 積み部門の不振はカバーしきれず、つ いに力尽きた。
既存の業務は同じ中部 地区でしのぎを削ってきた近鉄物流に 全て譲渡され、「三重定期」の名は市 場から完全に姿を消す。
そのわずか三日後、今度はフットワ ークエクスプレスとグループ会社二社 が大阪地裁に民事再生法の適用を申請 した。
負債額はフットワークエクスプ レスが一四〇七億円、子会社のフット ワークエクスプレス北海道が七四億円、 関連会社で大証二部上場のフットワー クインターナショナルが二三七億円。
三社合計の負債総額は一七一八億円と いう物流史上最大の倒産劇だった。
フットワークエクスプレスの債権者 は約一一〇〇社。
その大半が幹線輸送 や配達を担当してきた下請けの中小ト ラック事業者だ。
民事再生手続きを申 請した四日以前の債権が弁済禁止の保 全処分によって回収不能になったため、 翌五日には早くも連鎖倒産に追い込ま れた事業者も少なくなかった。
同社はかつて西濃運輸、福山通運と ともに?路線御三家〞とも呼ばれ、戦 後のトラック運送業界で常にリーダー 的役割を果たしてきた。
その凋落を目 の当たりにし、業界関係者はかつてな い衝撃を受けている。
フットワークエ クスプレスと提携関係にあり、大橋社 長との個人的な付き合いも深い第一貨 物の武藤幸規社長は「(今回のフット ワークの事態は)他人事ではない。
ダ ンピング競争がこのまま続けば、第三、 第四の倒産劇が必ず起こる」と危機感 を募らせている。
ダンピング十年戦争の結末 老舗物流企業の凋落が始まった。
三月一日、中部地区を基盤とする特別 積み合わせ(路線)事業者、三重定期貨物自動車が自己破産に追い込まれ た。
そのわずか三日後、今度は?路線御三家〞の一角を占める名門、フッ トワークエクスプレスが民事再生法の適用を申請した。
負債総額一七一八 億円。
日本物流史上最大の倒産劇だった。
中心的プレーヤーがひとつ、ま たひとつと消えていく市場では、皮肉にも運賃値上げの機運が高まっている。
第1部 300 250 200 150 100 50 0 150 140 120 100 80 60 40 20 0 (日) 3/4 民事再生法申請 139 138 140 138 128 13 17 12 32 198 3 株数(千) 4,262 株価(円) 出来高(千) 株価(円) 2/26 (月) 27 (火) 28 (水) 3/1 (木) 2 (金) 3/6 (火) ●民事再生法申請の直前に不自然な株取引が見られた フットワークインターナショナルの株価と出来高の推移 19 APRIL 2001 当時、まだ三〇代という若さだった にもかかわらず、宅配便「フットワー ク」や産地直送便「うまいもの便」、さ らには国際宅配便「フットワーク・ ザ・ワールド便」の事業化に成功。
ま た、日本運送の専務時代から同社の経 営刷新委員長としてリストラを断行す るなど徐々に頭角を現していた。
そん な渡氏に対して、グループ内での期待 感が高まり、世代交代もスムーズに実 現した。
八四年八月にスタートし、途中から 自らが指揮官となって進めた「経営刷 新計画」は順調に推移。
不採算路線の 見直しのほか、希望退職者制度の導入 などを進め、業績の回復を図った。
また、宅配事業では「打倒・ヤマト 運輸」の姿勢を鮮明にした。
「成熟期 に入った宅配便市場でヤマトと肩を並 べるためには自ら荷物の需要を創造し ていかなければならない」という戦略 で、「うまいもの便」事業を一層強化。
八六年には米国通販業者と提携して日 本での独占販売権を獲得するなど?需 要創造〞に努めた。
当時の様子を知る、ある物流企業の 三代目幹部は「それまでのように荷物 をもらうのではなく、物流業者が自分 で創り出すという大橋社長の発想は画 期的だった。
物流業界の次代のリーダ ーになるのはこの人だと誰もが思って いたはずだ」と振り返る。
実際、フッ とはいえ、フットワークの資金繰り が昨年末には相当に窮していたことは 確かだ。
実際、決算期とも重なる昨年 十二月末の支払い時点で、同社の経営 危機が表面化するのではないかと見る 向きは少なくなかった。
しかし、同社はそれを乗り切った。
「荷主企業に対する売掛金を債券化し て金融機関から資金調達して急場をし のいだ」と、同社の経営事情に詳しい 金融筋は解説する。
聞き慣れない資金 調達手段だが、要するに荷主から支払 われる予定の運賃(決済前の運賃)を 担保に資金を借り入れたわけだ。
フットワークが保有するターミナル などの土地は既に金融機関が担保とし て完全に抑えている。
さらに、大橋社 長は金融機関からの借入れ債務九九一 億円を個人保証しており、新たな資金 調達は完全に手詰まりの状態だった。
売掛運賃の債券化は「これ以上借り入 れる手立てのない物流企業がとる最後 の手段」(金融筋)だった。
こうして、一度目の危機はかろうじ て乗り切ったものの、すぐに資金は底 をつき、二度目の危機がやってくるの は必至だった。
大橋社長は三月の年度 末に再び資金繰りに窮するのを見越し て、年明けの一月、二月と業界大手や 外資などを回り、支援企業探しに奔走 した。
が、有力なスポンサーは結局、 現れなかった。
金融機関への元利金返 済の停止、税金の支払い繰り延べによ って、二月末は辛うじて乗り越えたが、 そこまでが限界だった。
三月四日、民事再生法適用を申請。
その四日後の八日に神戸市で開かれた 債権者説明会で、大橋渡社長は「金融 機関や同業者などと交渉を続けてきた が、スポンサーは見つからなかった。
大証二部に上場しているフットワーク インターナショナルの株式の出来高が 二日に急騰するなど取引状況に変化が 見られたため、インサイダー情報が市 場に漏れていると判断し、弁護士と相 談して申請することを決めた」と民事 再生手続き開始までの経緯を説明した (右ページ図参照)。
日本運送とフットワークの足跡 フットワークエクスプレスの前身で ある日本運送は創業者の故・大橋實次 (じつじ)氏の陣頭指揮の下、一九五 一年に関東と関西の二大消費地をトラ ック輸送で直結する日本初の定期路線 運行を開始した。
以来、高度経済成長 の波に乗って、名古屋、広島、福岡と主要都市をカバーする路線免許を相次 いで取得。
トラック輸送の全国ネット ワークを作り上げた。
實次氏は企業間物流、今でいうB to B物流のパイオニア的存在といえる。
西濃運輸の創業者、故・田口利八氏と 並ぶ?路線王〞として、長らく物流業 界に君臨した。
トラック事業者団体で ある全日本トラック協会の副会長を二 六年務めた後、田口利八氏の後継とし て一九八二年には会長に就任。
米寿を 迎えるまでの三年間会長職を務め、物 流業界の発展に大きく貢献した。
その實次氏の実子である渡氏は七〇 年に日本運送に入社。
八一年に宅配便 と産地直送便を販売する商社として全 日本流通を設立し、初代社長に就任し た。
その後、八四年に全日本流通はフ ットワークに商号変更。
この年、フッ トワークの会長に就任すると同時に、 日本運送社長の椅子を譲り受けた。
1938 1941 東播運輸 大橋實次氏が兵庫県加東郡で創業 播州貨物自動車 東播運輸を中心に加古川自動車運送、 多可自動車運送、土山自動車運送、 美襄自動車を合併 1990 フットワークエクスプレス 1950 日本運送 1951 神戸〜東京間で直通長距離 路線運行を開始 1984 大橋渡氏が社長就任 1987 創業者・實次氏が死去 1981 全日本流通 日本運送など運輸会社7社で設立 社長は大橋渡氏 宅配便「フットワーク」、産地直送便 「うまいもの便」を事業化 1984 フットワーク 大橋渡氏は日本運送社長就任に伴い、 会長に 1986 大証二部上場 1990 フットワークインターナショナル 商号変更 商号変更 商号変更 商号変更 フットワークエクスプレス(日本運送)は路線御三家の称号にふさわしい発展を遂げてきた フットワークグループの歴史 APRIL 2001 20 クスプレス新労組支部の組合員宅に切 断された鶏の首などを送り付ける事件 が発生し、逮捕者が出る騒ぎとなった。
しかし、長年引きずってきた労使問 題もここ数年は小康状態が続いていた。
会社側との対立姿勢を剥きだしにして きた一部の労組についても、一本化の 方向で調整が進められていたという。
しかし、今となっては往時のイメージ が改善されないまま、支援者候補の脳 裏に焼き付いている。
頼みの金融機関の対応も冷ややかだ。
フットワークの収益力を考えると、一 般債権の九〇%以上が放棄されなけれ ば、再建計画は前に進まない。
にもか かわらず、金融機関は債権放棄に対し て現状では、首を縦に振ろうとはして いない。
福森弁護士も「金融機関が簡 単に債権放棄するとは考えられない。
民事再生法の適用を申請したとはいえ、 厳しい状況に変わりはない」と認める。
前述した通り、フットワークグループ三社の負債総額は一七一八億円、債 権者は約一一〇〇社に上る。
そして、 債権者の大半は中小トラック業者。
こ のままフットワークの再建のメドがた たなければ、これら下請け中小業者の うちかなりの数が連鎖倒産に追い込ま れると予測される。
本誌でも引き続き フットワークとその周辺の動きはウォ ッチし、随時誌面で報告していく予定 だ。
トワークの業績は大橋社長が打ち出し た新機軸が奏功し、右肩上がりで伸び ていき、八六年には大証二部上場も果 たした。
次第に大橋社長は業界を担うニュー リーダーとして周囲から目されるよう になっていた。
九五年には自ら旗振り 役となって、特積み事業者の任意団体、 日本路線トラック連盟を発足。
初代会 長として、特積み業界のバイイングパ ワーを強化する目的のタイヤ共同購入 事業、トラックの交通事故防止策の一 環である高速道路上での安全共同パト ロール事業などを立ち上げた。
積極的な海外投資が裏目に しかし、フットワークグループ、そ して大橋社長の快進撃は長くは続かな かった。
創業者の實次氏が「日本一の 会社にしたい」として名付けた日本運 送の看板を「フットワークエクスプレ ス」に変えた九〇年を境に、経営の歯 車が狂ってくる。
この年からフットワークグループは 積極的な海外進出を打ち出していった。
ドイツの物流企業ハリー・ハマハー・ グループを約一〇〇億円で買収。
本業 以外の海外投資にも積極的で、九〇年 にはドイツ・ベルリン市の名門ホテル 「シュタイゲンベルガー」を取得。
さら にオーストラリアでは賃貸ビルを購入。
韓国の鮮魚輸入会社を手に入れるなど 派手な投資を続けた。
CI(企業イメージ)戦略の一環と して、英国のF1チームを買収(八九 年)し、九〇年からレースにも参戦。
赤と白のフットワークカラーのマシン で、日本人ドライバー鈴木亜久里がハ ンドルを握ったチームのメーンスポン サーとして、九四年に撤退するまで年 間に二〇〜三〇億円を注ぎ込んだ。
ところが、こうした海外投資が裏目 に出た。
企業買収等で二五〇億円、F 1スポンサー料で一五〇億円の計四〇 〇億円にも上る海外投資資金は、主に 銀行からの借入金で賄っていた。
「当 時は含み益もあっただろうが、バブル 崩壊でその多くが焦げついた」(申立 代理人の福森亮二弁護士)。
その結果、 借入金の返済や巨額の金利負担に追わ れることになった。
労働組合の益田委員長は「足腰の弱 い時期の無理な海外投資が痛手となっ た。
特にF1チーム支援は大橋社長の 道楽にすぎず、納得できない投資だっ た」と振り返る(囲み記事参照)。
スポンサー探しは難航 現在も同社は裁判所の監督下で営業 を継続している。
当初は信用不安から 取扱物量が一気に落ち込むのではない かと予想されていたが、申請前の八 五%を維持しているという。
その一方 で、大橋社長を含めた経営陣は再建に 向けたスポンサー探しに奔走している。
しかし、申請後の交渉は難航しているようだ。
福森弁護士は「(連絡運輸で協力する 第一貨物と「うまいもの便」を支援す るアートコーポレーションの二社のほか に)外資系企業二社と国内企業二社が 支援を前向きに検討している」と強調 する。
しかし三月一六日現在、正式に 支援を名乗り出た企業は一社もない。
む しろ、入ってくるのは「検討したが、支 援を見送った」という情報ばかりだ。
同社の抱える複雑な労使問題が支援 者にとっては二の足を踏ませる一つの 要因になっている。
日本運送の時代か ら同社には労使紛争が絶えなかった。
九三年には会社側の合理化に反対する ストライキを指導した組合幹部が出勤 停止処分を受けたことをきっかけに労 使間の対立が先鋭化、刑事事件にまで 発展した経緯がある。
また、九七年に は当時の労務課長らが反体制側の全日 本運輸一般労働組合・フットワークエ “創造物流”を掲げたフットワーク エクスプレスの大橋渡社長 21 APRIL 2001 運賃値上げの機運高まる 三重定期、フットワークと続いた物 流企業の大型倒産は、今後数年の間に 起こる業界再編劇の始まりに過ぎない。
今回、本誌が取材した業界関係者のほ とんどがそう見ている。
既に第二、第 三のフットワークとなり兼ねない企業 として、具体的な社名もいくつか挙が っている。
「年度末を乗り切れそうに ない企業が数社ある」と金融機関や信 用調査会社も調査に本腰を入れ始めた。
一方、市場では皮肉にも今回の倒産 劇をきっかけに運賃値上げの機運が高 まりつつある。
長年続いた運賃水準の 下落を反転させるには絶好の機会と、 早くも荷主企業との交渉に臨む物流企 業が出始めている。
ある部品メーカー の物流担当者は「三月に数社から運賃 値上げの打診があった」と打ち明ける。
三月末に一斉値上げに動くことで協 定を結ぼうという業者間の談合の噂も 聞こえてくる。
これまで何度もそうし た動きはあったが、必ず造反者が出て、 底の知れないダンピング競争に明け暮 れるのが常だった。
その繰り返しで過 去一〇年の間に物流業者はそれまでの 蓄えの大部分を吐き出してしまった。
もはや後はない。
先延ばしにしてき た物流市場の構造改革は今年から来年 にかけて否応なく進む。
大きな転換期 が訪れている。
私が会社側から第一報を受けたのは三日朝 でした。
その日、私はたまたま九州の自宅に 戻っていたのですが、朝早く本社から電話が あり、「全国の支店長や子会社の社長を集めて 緊急経営会議を開く」と連絡を受けました。
「ついにこの日が来たか」と直感しました。
す ぐに身支度して大阪に飛びました。
会議は午後三時に始まったのですが、隣に 座っていた支店長から「どうやら近日中に民 事再生法手続きを申し立てるらしい」と聞か されました。
しかし、正直なところ、それを 聞いてもまったく驚かなかった。
遅かれ早か れこういう事態に陥ると心のどこかで思って いたからです。
大橋社長には会議の途中、午 後四時三〇分に呼び出されました。
そこで「明 日、民事再生手続きを申し立てるが、その後 も営業を継続するので今まで通り協力して欲 しい」との要請を受けました。
労働組合は三年前から計三回の月例給与の カット、そして一時金の五〇%ダウン提示や 分配(一括ではなく、二回に分けて支払う) にも泣く泣く応じてきました。
債権者説明会 で親会社の賃金が高すぎるのではないか、と いう指摘がありましたが、そんなことはない んです。
既に親会社で働く社員の賃金は子会 社と同じ水準にまで落ちています。
それでも 会社の業績には回復の兆しが見られなかった。
これは明らかに経営陣の責任です。
大橋社長 は再建のメドがたち次第、辞任することを表 明していますが、それは当然の決断だと思っ ています。
会社がこのような事態に陥った要因はいく つかありますが、その一つにF1チームのス ポンサー料として巨額の資金を投じたことが 挙げられます。
だいたい一五〇億円くらい注 ぎ込んだと聞いています。
F1チーム支援の 話が社内で持ち上がった当時、労働組合は断 固としてこの案件には反対しました。
赤と白 のフットワークマークを背負ったスポーツカ ーがサーキットをぐるぐる走ると、年間三八 億円の広告効果があると説得されましたが、そ んな試算は当てにならないと判断したからで す。
常に先頭を走るチームのスポンサーなら ともかく、当社が支援したチームははっきり 言って弱かった。
実際、テレビに映る機会は ほとんどありませんでした。
F1は明らかに大橋社長の道楽です。
道楽 以外の何ものでもない。
どういう経緯でスポ ンサーになることが決まったのかは定かでは ありませんが、あの件だけはいまだに腑に落 ちない。
そして、社長のわがままを通した当 時の役員たちに対しても憤りをぬぐえません。
バブル期に無理な海外展開を行ったことも 槍玉にあげられています。
当社はドイツの運 送会社の買収や海外拠点の新設などに約二五 〇億円を投じました。
国内のネットワークづ くりもままならない時期の無理な海外投資だ った、と非難されていますが、私はこの戦略 だけは今でも間違っていなかったと思ってい ます。
バブルが崩壊したことで、結果的に損 失を計上し、多額の負債を背負うことになり ましたが、もしあのまま好景気が続いていた ら、今頃はフェデックスやUPSのようなグ ローバル物流企業と肩を並べるまでに成長し ていたかもしれない。
タイミングが悪かった。
私個人としては、会社を窮地に追い込んだ のは大橋社長の側近たち、つまり取締役クラ スが「イエスマン」ばかりで、社長の暴走を 止められなかったことが一番の要因だったと 考えています。
社長に反対意見を進言する幹 部が全くいなかったわけではありません。
し かし、骨のある人ほど、ことごとく排除され フットワークエクスプレス労働組合 益田利幸 中央執行委員長 「無能な役員がオーナーの暴走を許した」 《直撃インタビュー》 てきました。
子会社に飛 ばされた人、 泣く泣く退 社した人を たくさん見 て い ま す 。
残ったのは 社長の息が 掛かった人 ばかり。
オ ーナー企業 にありがちなワンマン組織であったことこそ が諸悪の根源でした。
先代の大橋實次社長は現場を本当に大事に してくれる経営者でした。
東京や福岡に出張 する際は新幹線や飛行機ではなく、わざわざ 車を使って移動し、車窓から身を乗り出して すれ違うトラックのドライバーに「安全運転 で頑張れよ」と声を掛けてくれたり、サービ スエリアで眠気防止にガムを配ってくれるよ うな人でした。
そして、二代目の大橋渡社長 も先代と同じくらい現場を大切にしてくれま した。
しかし、残念なのは昔に比べ現場の声 が社長に届きにくくなってしまったことです。
臭いものには蓋をする。
余計なことは社長に 耳には入れない。
いつの間にか、そんな組織 になってしまったような気がします。
当社は四日以降も通常通り営業を続けてい ます。
本来ならば、意気消沈するところです が、逆に現場の団結力は増しています。
六日 には全日本運輸産業労働組合連合会(運輸労 連)に今回の事態を報告すると同時に、「当社 の得意先が草刈り場にならないよう関係各社 にご配慮頂きたい」と申し入れました。
幸い、 お得意様は「これからもフットワークにお願 いするから、頑張れよ」と温かい声を掛けて 下さる。
これ以上、お客様の期待を裏切りた くない。
そのためにも一日も早くスポンサー 企業が決まってくれることを願ってやみませ ん。
(談) 労組はF1チーム支援に断固反対したが‥‥

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