2001年3月号
キーマン
キーマン
「私の仕事、私の情報源」
――情報源を教えてください。
私はもともとパイオニアで生産 管理システムの構築を手掛けてい ました。
当時はMRPが出始めた 頃ですが、そこでIBMとか富士 通などのエンジニアの方々と出会 い、その頃の人脈は二十年来つな がっています。
これらの人がその まま今日も、SCMのキーマンと して活躍されている。
だからこそERPやSCMの動 きについても、いち早くキャッチ できました。
こうした人脈は海外 も含めて年々拡がっていますから、 これは大きい。
実際、いま大手I TベンダーでERPとかSCMを 手掛けている人達の経歴を辿ると どこかでクロスしている例が非常 に多いんです。
――SCMという言葉を意識した のは、いつ頃ですか。
言葉として意識したのは九六年 頃でしょうか。
もっとも制約理論 のような話こそ後で知りましたが、 私自身ずっとSCMのようなこと を手掛けてきたんです。
SCPソ フトのようなものを作ったり、ワ ークステーション上で最適化の計 算をしたりね。
ですからi2が出 てきたときにも、何を目的とする ものなのかすぐ分かりました。
も ともと、そういうソフトが無くて 困っていましたから。
――現在のようなSCMの盛り上 がりを予測していましたか。
米国のSCCに参加した仲間か ら話を聞いて「あっ、新しい流れ がくるな」と直感的に思いました。
ですから啓蒙していこうという意 識もありました。
まあ結果的に時 代とうまくマッチしたということ でしょう。
ちょうど日本企業は変 わるための手がかりを探していま した。
キーワードとしては「IT 活用」がまずあった。
個別最適か ら全体最適という考え方もそうで す。
こうした概念をきちんと表現 した用語がSCMだったんです。
――欧米のノウハウを日本に導入 するに当たっての問題点は。
データの取り方が違うとか、そ もそも意志決定の手順が違うから できないとかね。
そもそも日本企 業は、業務のモデル化をやってき ませんでした。
各人の自律的な対 応に任せてきた。
これが強味であ ると同時に、個別最適に陥りやす いシステムでもあったんです。
――物流との出会いはいつですか。
初めて物流を意識するようにな ったのは一九六三年です。
仕事として物流に取り組むようになった のは七〇年、JILSの前進のひ とつである日本物流管理協議会を 立ち上げたときです。
当時、私は日本包装協会に所属 して包装の合理化に取り組んでい ました。
包装というのは物流の第 一歩です。
しかし、包装だけみて いては、適正包装なのか、過剰包 装なのかすらチェックできない。
物流のプロセスをきちんと見ない と検証できないわけです。
逆にユ ニットロードとかパレチゼーショ ンに取り組むにしても、包装の単 位がその最低単位になる。
結局、 もっと体系的に物流を見る必要が あると考えるようになったんです。
そんなときに包装や輸送といっ た物流のサブシステムを総合的に 検討するため、各分野の関係者を 集めて大きなフォーラムを開こう という企画が持ち上がった。
それ が物的流通全国会議です。
その時 に議長をお願いしたのが早稲田大学の宇野政雄先生です。
林周二先 生なども参加してもらいました。
――やはり米国の動きは参考にさ れましたか。
そうですね。
その頃、アメリカ ではミシガン州立大学のエドワー ド・スマイケー教授がリーダーと なって今のCLM(Council of Logistics Management )、当時は NCPDM(National Council of Physical Distribution Management ) という名前だったんですが、活動 を始めていました。
ただし、アメ リカの団体の組み立て方は日本と は違って、個人会員制なんですね。
要するに個人のステイタスを高め、 キャリアを積む目的で団体に参加 します。
自分のために研鑽をし、 発表をし、情報をとるわけです。
――日本とはかなり環境が違いま 創刊準備号40 「SCMの源流からつき合ってきた」 日本ビジネスクリエイト 福島美明 社長 ――社内でのノウハウの共有はど うしているんですか。
二十数年前からのナレッジを蓄 積したマニュアルがあります。
例 えば、組み立て型の家電メーカー については、パイオニア時代も含 めて私が五、六社は携わってきま した。
また自動車産業についても、 専門に追いかけ続けてきた人間が います。
こうした蓄積を、社内で の知識共有のツールとして、また 顧客へのセールスツールとしても 使っています。
分野によって強味 と弱みはありますが、現場の知識 と経験量が違います。
日本企業の 実情に合ったコンサルティングが できると自負しています。
「物流マンのキャリアプランを考える」 日本ロジスティクスシステム協会 稲束原樹 専務理事 すね。
面白い話があります。
我々が物 的流通全国会議の準備をしていた ときに、ちょうどNCPDM(現C LM)のスマイケー教授が来日し たんです。
そこで我々は彼をミー ティングに招いて、米国のNCP DMのような活動を日本でも始め たいと相談しました。
すると「ぜ ひやれ。
日本でもNCPDMのよ うに個人会員中心で組織すべきだ」 という。
そこで私達は、個人会員 主体のスタイルで立ち上げて、一 年半ぐらいやってみたんです。
しかし、日本ではダメでした。
三〇〜四〇人ぐらいしか参加者が 集まらない。
一般企業からの参加 者がほとんど出てこない。
当時は 物流への理解が少なかったという こともありますが、個人が自分でお金を払ってまで勉強するという マインドが無かったんですね。
そ れで、我々もこのままでは運動自 体がダメになってしまうと思い、 法人会員主体の現在の制度に切り 替えたんです。
残念ながら、いま だに日本では自分のキャリアに対 する意識が薄いのではないかと思 います。
――株式を上場した今でも現場に 張り付いているそうですね。
現場の何もかもを理解していな いと本当の意味での効率化は提供 できない。
現場を知らずして、頭 だけではうまくいきません。
物流 マンは学者とは違います。
楽をし てマージンをとろうとしても長続 きしない。
例えば省力化でも、機 械の使い方や人の管理の仕方がわ からなければ投資をしても全く意 味はない。
物流コストの大部分は人件費で す。
人件費は高い。
世間ではIT 化がどうだこうだといっているけ ど、一番大切なのは人の管理。
こ こがコストダウンの基本です。
人 の使い方次第で物流事業は赤字に も黒字にも変わる。
それが物流の プロの仕事です。
――物流のプロを、どうやって育 てますか。
当社では、物流の経験者は要ら ない、という方針をとっています。
物流の経験のある人ほど、過去の やり方を踏襲しようとする。
よく 配車にはプロが必要だと言われて いますが、そんなことはありませ ん。
毎日やれば、誰でもできるよ うになります。
物流はかたちのな いものだけれども、体得はしやす い。
身体で覚えられる。
経験者よりもむしろ物流の経験 のない人のほうが、今まで思いつ かなかったような発想やアイデア が生まれるのでいい。
発想こそが 物流の源であるという考え方です。
その意味では、物流ほど奥の深い ものはない。
サービスは既製品に なったら、他社と差別化できない。
そのためには常にルールを変える ことが大事です。
同時に物流の仕事は誰にでもで きるようにしなければならない。
そ うしないと、その担当者が病気で 休むと会社がつぶれてしまいます。
結局、当社にとって優秀な物流マ ンとは部下を育てることができる 人。
育てられない人、部下が途中 で辞めていくような人はいくら専 門知識があっても評価しません。
――物流ビジネスの醍醐味は。
何より市場が大きい。
いろいろ な調査で日本の物流経費の総額が 十数兆円などと算出されています が、実際はそんなものではない。
どんな産業よりも物流市場は大き い。
そう考えると最大手の日本通 つもりです。
一人の社員が何件も の案件を抱えないように、3PL 部隊の数も増やしてきたんです。
3PLは改善提案からオペレー ション開始に至るまで、数カ月、 複雑な案件だと一年以上かかるこ ともあります。
案件は多いが、収 入がなかなかついてこない時期も ありました。
最近になってようや く蒔いた種が実を結んできたとい ったところでしょうか。
――3PLのパイオニアとして、 失敗も多く経験されたのではない でしょうか。
失敗から学ぶ教訓も少なくあり ません。
例えば、ある顧客のケー スでは、年間、月、週の物量や作業量の変動を計算しないで、ピー クに合わせて現場に人を配置して しまったため、採算ベースに載ら なかったこともありました。
綿密 にデータ分析を行うことが3PL 成功の秘訣であると学びましたね。
また、提案書を出したものの、 ノウハウだけを取られて、結局受 注には結びつかなかったという例 もありました。
残念なことですが、 経験を積むことで分野別に3P Lの雛形を用意できると前向き に考えることにしています。
こう した雛形の蓄積が当社のノウハ ウになります。
最近では、改善の コンサルティングだけを依頼され ることもあり、それにも応じてい ます。
――現場教育にも力を注いでいま すね。
千葉県松戸市に福利厚生施設と して体育館を持っていたのですが、 それを改造して「物流技術開発セ ンタ」を開設しました。
銀行のA TM(現金自動預払機)や自動販 売機など重量物の積卸し、搬入、 据え付け作業のノウハウを身につ けるための施設です。
新入社員に は必ずセンターで研修を受けさせ ています。
こうした重量物の作業 は常に危険と背中合わせです。
例 えば、ATMが横倒しになったら、 どれだけ危険なのか、実際に横倒 しにして肌で感じさせることが、 LT(ロジスティクス・テクノロ ジー)のレベルを高めることにつ ながります。
物流の仕組みをシステマティッ クに考える机上論も大切です。
し かし、それ以上に現場のオペレー ションのノウハウが物流の仕事で は重要です。
営業部隊が描いたシ ナリオがうまく機能しなければ、 いずれ必ず顧客から見放されてし まうはずです。
41 創刊準備号 「自由な発想こそ物流の源」 ハマキョウレックス 大須賀正孝 社長 ――3PL事業が好調ですね。
親会社やグループ会社以外の仕 事、つまり外販に力を注いできた 結果ですかね。
当社では3PLの 案件が持ち上がると、必ず営業部 隊と情報システム部隊をセットに してお客様のもとに派遣するなど 「サービスの質」にこだわってきた 物流キーマン 「私の仕事、私の情報源」 運といえどもシェアは知れていま す。
新しい会社が一番をとる可能 性がまだまだ残されている。
私の 夢は日本で一番の物流業者になる ことなんです。
「事例の蓄積がやがて実を結ぶ」 日立物流 福士英二 社長
私はもともとパイオニアで生産 管理システムの構築を手掛けてい ました。
当時はMRPが出始めた 頃ですが、そこでIBMとか富士 通などのエンジニアの方々と出会 い、その頃の人脈は二十年来つな がっています。
これらの人がその まま今日も、SCMのキーマンと して活躍されている。
だからこそERPやSCMの動 きについても、いち早くキャッチ できました。
こうした人脈は海外 も含めて年々拡がっていますから、 これは大きい。
実際、いま大手I TベンダーでERPとかSCMを 手掛けている人達の経歴を辿ると どこかでクロスしている例が非常 に多いんです。
――SCMという言葉を意識した のは、いつ頃ですか。
言葉として意識したのは九六年 頃でしょうか。
もっとも制約理論 のような話こそ後で知りましたが、 私自身ずっとSCMのようなこと を手掛けてきたんです。
SCPソ フトのようなものを作ったり、ワ ークステーション上で最適化の計 算をしたりね。
ですからi2が出 てきたときにも、何を目的とする ものなのかすぐ分かりました。
も ともと、そういうソフトが無くて 困っていましたから。
――現在のようなSCMの盛り上 がりを予測していましたか。
米国のSCCに参加した仲間か ら話を聞いて「あっ、新しい流れ がくるな」と直感的に思いました。
ですから啓蒙していこうという意 識もありました。
まあ結果的に時 代とうまくマッチしたということ でしょう。
ちょうど日本企業は変 わるための手がかりを探していま した。
キーワードとしては「IT 活用」がまずあった。
個別最適か ら全体最適という考え方もそうで す。
こうした概念をきちんと表現 した用語がSCMだったんです。
――欧米のノウハウを日本に導入 するに当たっての問題点は。
データの取り方が違うとか、そ もそも意志決定の手順が違うから できないとかね。
そもそも日本企 業は、業務のモデル化をやってき ませんでした。
各人の自律的な対 応に任せてきた。
これが強味であ ると同時に、個別最適に陥りやす いシステムでもあったんです。
――物流との出会いはいつですか。
初めて物流を意識するようにな ったのは一九六三年です。
仕事として物流に取り組むようになった のは七〇年、JILSの前進のひ とつである日本物流管理協議会を 立ち上げたときです。
当時、私は日本包装協会に所属 して包装の合理化に取り組んでい ました。
包装というのは物流の第 一歩です。
しかし、包装だけみて いては、適正包装なのか、過剰包 装なのかすらチェックできない。
物流のプロセスをきちんと見ない と検証できないわけです。
逆にユ ニットロードとかパレチゼーショ ンに取り組むにしても、包装の単 位がその最低単位になる。
結局、 もっと体系的に物流を見る必要が あると考えるようになったんです。
そんなときに包装や輸送といっ た物流のサブシステムを総合的に 検討するため、各分野の関係者を 集めて大きなフォーラムを開こう という企画が持ち上がった。
それ が物的流通全国会議です。
その時 に議長をお願いしたのが早稲田大学の宇野政雄先生です。
林周二先 生なども参加してもらいました。
――やはり米国の動きは参考にさ れましたか。
そうですね。
その頃、アメリカ ではミシガン州立大学のエドワー ド・スマイケー教授がリーダーと なって今のCLM(Council of Logistics Management )、当時は NCPDM(National Council of Physical Distribution Management ) という名前だったんですが、活動 を始めていました。
ただし、アメ リカの団体の組み立て方は日本と は違って、個人会員制なんですね。
要するに個人のステイタスを高め、 キャリアを積む目的で団体に参加 します。
自分のために研鑽をし、 発表をし、情報をとるわけです。
――日本とはかなり環境が違いま 創刊準備号40 「SCMの源流からつき合ってきた」 日本ビジネスクリエイト 福島美明 社長 ――社内でのノウハウの共有はど うしているんですか。
二十数年前からのナレッジを蓄 積したマニュアルがあります。
例 えば、組み立て型の家電メーカー については、パイオニア時代も含 めて私が五、六社は携わってきま した。
また自動車産業についても、 専門に追いかけ続けてきた人間が います。
こうした蓄積を、社内で の知識共有のツールとして、また 顧客へのセールスツールとしても 使っています。
分野によって強味 と弱みはありますが、現場の知識 と経験量が違います。
日本企業の 実情に合ったコンサルティングが できると自負しています。
「物流マンのキャリアプランを考える」 日本ロジスティクスシステム協会 稲束原樹 専務理事 すね。
面白い話があります。
我々が物 的流通全国会議の準備をしていた ときに、ちょうどNCPDM(現C LM)のスマイケー教授が来日し たんです。
そこで我々は彼をミー ティングに招いて、米国のNCP DMのような活動を日本でも始め たいと相談しました。
すると「ぜ ひやれ。
日本でもNCPDMのよ うに個人会員中心で組織すべきだ」 という。
そこで私達は、個人会員 主体のスタイルで立ち上げて、一 年半ぐらいやってみたんです。
しかし、日本ではダメでした。
三〇〜四〇人ぐらいしか参加者が 集まらない。
一般企業からの参加 者がほとんど出てこない。
当時は 物流への理解が少なかったという こともありますが、個人が自分でお金を払ってまで勉強するという マインドが無かったんですね。
そ れで、我々もこのままでは運動自 体がダメになってしまうと思い、 法人会員主体の現在の制度に切り 替えたんです。
残念ながら、いま だに日本では自分のキャリアに対 する意識が薄いのではないかと思 います。
――株式を上場した今でも現場に 張り付いているそうですね。
現場の何もかもを理解していな いと本当の意味での効率化は提供 できない。
現場を知らずして、頭 だけではうまくいきません。
物流 マンは学者とは違います。
楽をし てマージンをとろうとしても長続 きしない。
例えば省力化でも、機 械の使い方や人の管理の仕方がわ からなければ投資をしても全く意 味はない。
物流コストの大部分は人件費で す。
人件費は高い。
世間ではIT 化がどうだこうだといっているけ ど、一番大切なのは人の管理。
こ こがコストダウンの基本です。
人 の使い方次第で物流事業は赤字に も黒字にも変わる。
それが物流の プロの仕事です。
――物流のプロを、どうやって育 てますか。
当社では、物流の経験者は要ら ない、という方針をとっています。
物流の経験のある人ほど、過去の やり方を踏襲しようとする。
よく 配車にはプロが必要だと言われて いますが、そんなことはありませ ん。
毎日やれば、誰でもできるよ うになります。
物流はかたちのな いものだけれども、体得はしやす い。
身体で覚えられる。
経験者よりもむしろ物流の経験 のない人のほうが、今まで思いつ かなかったような発想やアイデア が生まれるのでいい。
発想こそが 物流の源であるという考え方です。
その意味では、物流ほど奥の深い ものはない。
サービスは既製品に なったら、他社と差別化できない。
そのためには常にルールを変える ことが大事です。
同時に物流の仕事は誰にでもで きるようにしなければならない。
そ うしないと、その担当者が病気で 休むと会社がつぶれてしまいます。
結局、当社にとって優秀な物流マ ンとは部下を育てることができる 人。
育てられない人、部下が途中 で辞めていくような人はいくら専 門知識があっても評価しません。
――物流ビジネスの醍醐味は。
何より市場が大きい。
いろいろ な調査で日本の物流経費の総額が 十数兆円などと算出されています が、実際はそんなものではない。
どんな産業よりも物流市場は大き い。
そう考えると最大手の日本通 つもりです。
一人の社員が何件も の案件を抱えないように、3PL 部隊の数も増やしてきたんです。
3PLは改善提案からオペレー ション開始に至るまで、数カ月、 複雑な案件だと一年以上かかるこ ともあります。
案件は多いが、収 入がなかなかついてこない時期も ありました。
最近になってようや く蒔いた種が実を結んできたとい ったところでしょうか。
――3PLのパイオニアとして、 失敗も多く経験されたのではない でしょうか。
失敗から学ぶ教訓も少なくあり ません。
例えば、ある顧客のケー スでは、年間、月、週の物量や作業量の変動を計算しないで、ピー クに合わせて現場に人を配置して しまったため、採算ベースに載ら なかったこともありました。
綿密 にデータ分析を行うことが3PL 成功の秘訣であると学びましたね。
また、提案書を出したものの、 ノウハウだけを取られて、結局受 注には結びつかなかったという例 もありました。
残念なことですが、 経験を積むことで分野別に3P Lの雛形を用意できると前向き に考えることにしています。
こう した雛形の蓄積が当社のノウハ ウになります。
最近では、改善の コンサルティングだけを依頼され ることもあり、それにも応じてい ます。
――現場教育にも力を注いでいま すね。
千葉県松戸市に福利厚生施設と して体育館を持っていたのですが、 それを改造して「物流技術開発セ ンタ」を開設しました。
銀行のA TM(現金自動預払機)や自動販 売機など重量物の積卸し、搬入、 据え付け作業のノウハウを身につ けるための施設です。
新入社員に は必ずセンターで研修を受けさせ ています。
こうした重量物の作業 は常に危険と背中合わせです。
例 えば、ATMが横倒しになったら、 どれだけ危険なのか、実際に横倒 しにして肌で感じさせることが、 LT(ロジスティクス・テクノロ ジー)のレベルを高めることにつ ながります。
物流の仕組みをシステマティッ クに考える机上論も大切です。
し かし、それ以上に現場のオペレー ションのノウハウが物流の仕事で は重要です。
営業部隊が描いたシ ナリオがうまく機能しなければ、 いずれ必ず顧客から見放されてし まうはずです。
41 創刊準備号 「自由な発想こそ物流の源」 ハマキョウレックス 大須賀正孝 社長 ――3PL事業が好調ですね。
親会社やグループ会社以外の仕 事、つまり外販に力を注いできた 結果ですかね。
当社では3PLの 案件が持ち上がると、必ず営業部 隊と情報システム部隊をセットに してお客様のもとに派遣するなど 「サービスの質」にこだわってきた 物流キーマン 「私の仕事、私の情報源」 運といえどもシェアは知れていま す。
新しい会社が一番をとる可能 性がまだまだ残されている。
私の 夢は日本で一番の物流業者になる ことなんです。
「事例の蓄積がやがて実を結ぶ」 日立物流 福士英二 社長
