2005年1月号
ケース
ケース
ユニー――物流センター
JANUARY 2005 26組織図から消えた物流部門中部地区を中心に店舗展開を進める大手小売りチ ン ユニ の物流改革が急速に進んでいる 数年前には想像もできなか た変化だ 二〇〇〇年頃のユニ は 一番大切なのは売場 売りの本質は一に販売力 二に店づくり 三 四がなくて物流は一〇番目 と言い切るほど物流を 軽視 していた 社内には物流部門すら存在していなか た ユニ がこのような方針をと ていたのには理由があ た 同社は九四年二月期に 七六年の株式上場以来はじめて 最終損失九五億円という赤字に陥 た 赤字転落の直接的な原因はバブル期から引きず ていた不採算事業の整理だ たが 当時のユニ は本業でも苦戦していた 九四年二月期の単体売上高は五七七〇億円だ たが 本業の実力を示す営業利益はわずか五〇億円 売上高営業利益率は〇・八七%と危機的な水準にまで低下していた この状況から脱却するため 九三年に就任した家田美智雄元社長は 名古屋駅前にあ た本社を物流センタ の敷地内に移転するなど大胆なリストラを推進 その後 全国的に注目されることになるユニ のロ コスト経営の基礎を作 た このときユニ の業績は 小売業の原点に帰る ことを合い言葉とするリストラによ て急回復した 減収に悩むダイエ や西友軽視し続けてきた物流に改めて注力一括物流を導入し自社拠点も新設リストラの一環として99年に事実上、物流部門を廃止した。
だが2003年以降は物流の見直しを猛烈に推進。
店舗直納が基本で取引先に任せきりだった物流を全面的に見直してグロサリー分野に一括物流を導入した。
さらに自ら42億円を投じた大型物流センターも稼働している。
ユニー――物流センター27 JANUARY 2005などを尻目に 九五年以降は五期連続で増収増益 単体・経常利益ベ ス を達成 イト ヨ カ堂やイオンなどの全国チ ンに比べると地味な存在ながらも 一躍 勝ち組に名を連ねたかにみえた も とも 原点に帰る といえば聞こえはいいが この当時のユニ の取り組みは 現代の小売業経営の潮流に背を向けた 先祖帰り ともいうべきものだ た 米ウ ルマ トをはじめとする世界の大手小売業は 九〇年代に物流や情報システムを駆使した効率化に邁進した 日本でもコンビニエンスストアの成功に刺激されるかのように 専門店チ ンや一部の総合量販店 GMS が商品調達のためのサプライチ ンの効率化に取り組んでいた そうすることで 従来は卸やメ カ に一方的に依存していた商品調達業務を 小売業が自らコントロ ルし 店舗オペレ シ ンの効率化や商品原価の低減を図ろうという狙いからだ そこでは小売業は店頭販売にだけ精を出していればいいという過去の常識は もはや通用しなくな ていた ところが 経営危機を原点回帰によ て克服したユニ は その成功体験を捨てられず 九〇年代を通じてこの路線を貫いた ユニ の地盤である中京地域が全国規模の流通戦争の狭間にな ていたことも幸いして ひたすら我が道を進むことが可能だ たのである なかでも象徴的なできごとが 本社に隣接していた自社施設 稲沢物流センタ を閉鎖したことだろう 加工食品や生鮮品などについては従来からベンダ による店舗直納だ た しかし ユニ 自身が海外から直輸入する衣料品については どこかで商品在庫を保管する必要がある そのために稲沢物流センタ があ た ところが これを九九年に完全に閉鎖し 社外の営業倉庫にシフトすることを決めてしま た 同センタ の運営は庫内作業まですべてをユニ の社員が手掛けていた 一〇〇人を超す社員が物流の現場業務に携わ ていたが センタ 閉鎖を機に 新たに契約する外部倉庫に駐在する数人を残してほとんどが配置転換された ユニ の組織図から 物流に関するセクシ ンは完全に消滅した 稲沢物流センタ の閉鎖と 物流部門の事実上の廃止によ て 商品の管理業務は商品管理部へと移管されることにな た 商品政策の一環として 物流管理まで行うという位置づけにな たわけだ しかし この体制もそう長くは続かなか た 一括物流のために物流部を再設置ユニ グル プは GMSからス パ マ ケ ト コンビニまでを幅広く手掛ける総合小売業者だ 売上高と経常利益をみれば連結・単体とも九〇年代後半にはそれなりに伸びていた だが ユニ 単体の決算だけを見て かつ本業の実力をあらわす営業利益に着目すると すでに九〇年代末にはかなり苦しい状況に陥 ていたことが分かる 九七年二月期以降は営業利益が明らかに伸び悩んでいる そして二〇〇〇年からは売上高の伸びも頭打ちとなり 営業利益率は急降下してしま た 二〇〇一年二月期の営業利11月 3月 2月 6月 8月 10月 1994年 1999年 2003年 〃 〃 〃 リストラの一環として稲沢の物流センターの敷地内に新社屋を建設し、名古屋駅前にあった本社を引っ越し。
本社横の「稲沢物流センター」を閉鎖し、外部倉庫の利用にシフトした。
このとき社内の物流部門を事実上、廃止。
「稲沢物流センター」の閉鎖以来、社内に存在していなかった“物流部”を4年ぶりに設置。
中京地区における加工食品に一括物流を導入。
伊藤忠食品とトーカンにセンター業務を委託。
輸入衣料品などを管理するため、自ら土地・建物に42億円を投じて「ユニー弥富物流センター」を稼働。
日用雑貨品の分野でも一括物流を導入。
静岡、北陸までカバーすることを念頭に伊藤伊(現あらた)に業務を委託。
図1 物流に関連するユニーの近年の取り組み 40,000 35,000 30,000 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0 ’95 ’96 ’97 ’98 ’99 ’00 ’01 ’02 ’03 ’04図2 国内小売り大手4社の業績推移 イオン ヨーカ堂 売上高:億円 ダイエー ユニー 2益率は〇・五九%にまで落ち込み 最悪期を下回るほどにな ていた 図3 この状況に危機感を抱いた経営陣は 二〇〇一年の秋に 小売りは店頭販売だけや ていればいい という方針を転換 それまでとは異なる視点から業務の効率化に取り組む姿勢を打ち出した 改めて販売管理費を抑制する可能性を探りはじめ 店舗オペレ シ ンの生産性を高める狙いで遅ればせながら 一括物流 を検討することにな た も とも 当時のユニ には正式な物流部門はない このため当初は情報システム部門がリ ドしながら 店舗オペレ シ ンの課題を抽出した システム部門の担当者が店舗で現場調査を行 た結果 一日に百数十台もの車両が店舗に商品を運び入れることによる問題点が改めて浮き彫りにな た 店舗の現場では受品担当者が荷受作業に追われて走り回 ていた 商品が検収場にどんどん溜ま ても 商品を売り場に並べることもできない 当事のユニ の考え方では 納品のための物流は 車両に商品を満載しコストが少しでも安くなることに重きを置いていた 厳密な管理はせず おおよその店着時間だけを決めた後は納品業者に任せていた この頃のオペレ シ ンは すべてにおいて 標準化 とかけ離れたものだ た 発注は店舗ごとにばらばらで 取引先への発注方法も電話からフ クスまで何でもあり 加工食品の分野だけはオンライン発注を導入済だ たが これは例外的な業務に過ぎなか た まずはこうしたオペレ シ ンのあり方を見直す必要があ た そこで商品企画部に所属していた中堅社員の腰和則氏 現物流部マネジ に白羽の矢が立てられた 加工食品の分野で一括物流を導入し それによ て店舗オペレ シ ンの効率化を図ることを経営陣の肝いりで指示されたのである 期限付きでの一括物流の実現を求められた腰氏は早速 仕組みづくりに着手した そして取引先卸の協力を得ながら物流効率化を進めようとしたところ やはりユニ の社内にも正式な物流業務の窓口が必要なのではという話が持ち上が てきた 結局 改めて物流部を設置することにな た 店長をや ていた伊野克司氏が物流部長として本社に戻され 加工食品の分野で一括物流の導入を進めていた腰氏と 日用雑貨品の分野で同様の勉強会に取り組んでいた加古明之氏が加わ た 彼らを含めてた た四人のスタ トながら 二〇〇三年二月にユニ の社内に物流部が復活した ダブル帳合い のまま物流を集約改めて物流部を設置した狙いは 必ずしも一括物流の対外的な窓口を設けるためだけではなか た より切実な課題として ユニ が小売業を取り巻く環境の変化に対応するため 物流面からも世間並みにならなければならなくな たという背景があ た お取引様と一緒に体質を改善し 共存共栄を図 ていくうえで ユニ の 名古屋モンロ 主義 が通用しなくな ていたという時代の流れがあ た お取引様にと て名古屋だけが少し重い商売環境にな てしまうという状況を避けるためにも やり方を変えざJANUARY 2005 28売上高 営業利益 売上高営業利益率 9,000 8,000 7,000 6,000 5,000 4,000 3,000 2,000 1,000 02。
5 2。
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5 0 図3 過去10年間のユニーの単体ベースの業績 売上高 億円 営業利益 千万円 売上高営業利益率 % ’95 ’96 ’97 ’98 ’99 ’00 ’01 ’02 ’03 ’04 2「名古屋モンロー主義が通用しなくなった」と営業本部の伊野克司物流部長29 JANUARY 2005るを得なか た と営業本部の伊野物流部長は述懐する も とも再び設置されたユニ の物流部は あくまでも本社内の企画部門とい た位置づけに過ぎない 主な物流部員の経歴からも伺えるように ほとんど白紙の状態からのスタ トである 一括物流を導入しようにも ユニ 側のノウハウは皆無だ た このため 他の小売りチ ンとの取引で一括物流の経験を持つ卸と二人三脚で取り組むことが当初からの規定路線とな た ユニ の商流に対する考え方には 昔から一種独特な面がある 帳合い ある商品をどの卸から仕入れるかという契約 の集約や変更に極端に消極的で 取引先卸の口座数は実働しているだけでも二〇〇〇を超える 今回 最初に着手した中京地区での加工食品 常温帯 の一括物流でも あくまでも商流と物流は切り離し 帳合いには触れないことを前提としながらスタ トした そのうえで加工食品の取引卸二〇社の中から売上上位企業に声をかけて 一括物流センタ の運営を任せるパ トナ を選ぶコンペを開催した その結果 加食分野で全国最大の取引先である伊藤忠食品と 中京地区で最大の取引規模を持つト カンの二社を選んだのだが このとき伊藤忠食品の持つノウハウに着目したことは言うまでもない ユニ はその後 伊藤忠食品の助けも借りながら 二〇〇三年六月に中京地区の二カ所に在庫型の一括物流センタ を稼働した 店舗への納品物流をセンタ に集約し センタ に商品を持ち込む取引先は ユニ にセンタ 使用料を支払うようにな た この使用料のなかからユニ は伊藤忠食品とト カンに センタ 運営の業務委託費を支払うという枠組みである 商流に触れないことが前提だ たため 非効率を承知で ダブル帳合い を採用した商品すらあ た これは 同じ商品の扱いについて ある店舗からの発注はA卸の扱いとし ある店舗からの発注はB卸の扱いにする つまり同じ商品でありながら センタ 内にA卸とB卸の二通りの在庫を置いてもらう 物流部の腰マネジ というものだ 管理が煩雑になり 生産性が落ちるのを承知で あえてこういう複雑さを残した もちろんユニ としては将来的にダブル帳合いは解消していきたい考えだが 既存の取引関係を大事にしたい とする商品部の意向がある限り簡単ではなさそうだ 単に非効率なだけの話にも思えるが こうした配慮が一括物流の導入をスム ズに進めた面もあ た ユニ の一括物流の中心は在庫型 DC だ そうすることでカテゴリ 仕分けを実現し 店舗オペレ シ ンを改善するという いわば本丸ともいうべき部分である だがユニ の専用センタ とはいえ 施設内に在庫している商品の所有権はまだ取引先にある センタ を出荷するときに はじめてユニ に所有権が移転する 通常 こうした小売りの専用センタ に自社在庫をおくことを 多くの卸は嫌う 在庫が分散してしまい業務効率が落ちるためだ しかし 商流に踏み込まないことを前提としていたユニ の取り組みでは 取引卸には センタ に自社在庫を置くことで商流が安泰になるという安心感もあ たようだ 実際 それまで通り専用センタ での在庫管理をお願いすることへの反発はなか た と腰マネジ は振り返る 日雑分野にも一括物流を導入加工食品の分野と並行して 日用雑貨品の分野でも一括物流の準備が進められた 実は担当者レベルの動きではこちらの方が先行しており すでに二〇〇〇年の段階から ユニ の商品部と 日雑分野の主力卸である伊藤伊 現あらた との間で勉強会がスタ トしていた しかし この取り組みはあくまでも勉強会に過ぎず 加食のように経営陣から明確に期限を設定されていたわけではなか た 当時 「まったくノウハウのないところからスタートした」と物流部の腰和則マネジャーJANUARY 2005 30物流管理まで任されていた商品部による自主的なものだ それが二〇〇一年秋以降の経営方針の転換と合致して陽の目をみることにな た 基本的な考え方は 日雑分野の一括物流も加食と同じで 取引卸の協力を最大限に活用して在庫型のセンタ を作ろうとした ユニ のこの分野の最大ベンダ である伊藤伊には 専用センタ による一括物流の経験がなか たが そこは勉強会の成り行きもあ てパ トナ は伊藤伊に決ま た 日雑分野には 加食に比べて物量がまとまりにくいという特徴がある このため加食では中京地区だけで二カ所の一括物流センタ を立ち上げたが 日雑ではそうはいかなか た この点を物流部の加古マネジ は エリアを越えて全地区対応型でやるためにはどうしたらいいのかを 勉強会の段階からず と考えてきた と説明する センタ 使用料を決めるにあた ても加食とは異なる難しさがあ た 日雑分野には花王というガリバ 企業がいて 花王販社を使 て店舗納品までを自ら手掛けている そして花王販社は 小売りの要請といえども 言い値 で使用料を支払 てくれるような会社ではない 加食分野以上にシビアな効率化が欠かせなか た 実際 日雑分野では帳合いの整理にまで踏み込んだ 将来的にカバ エリアを拡大してい たときに 帳合いが従来のままでは物流が機能しなくな てしまう恐れがある これを避けるためにも 既存の取引額を念頭に置きながら帳合いの整理をする必要があ た と加古マネジ 取引卸から徴収するセンタ 使用料についても 商品群ごとにメリハリをつけるなどの工夫を施した 発注方法も見直し 店舗ごとに電話やフ クスでばらばらと注文していたのをオンラインによる予約発注に切り替えた こうした工夫を重ねて 加食に遅れること四カ月後の二〇〇三年一〇月に 伊藤伊が運営するユニ 専用センタ が稼働した 同センタ の年間取扱金額は すでに現状では通過型と在庫型を合わせて約一八〇億円に達している 将来的には 増築によ て二〇〇億円を処理できるように能力を高め 北陸エリアもカバ していく考えだ 四二億円を投じた物流拠点の新設ユニ は 加食と日雑に一括物流を導入するにあた て 施設についても全面的に卸を活用している 中京地区の二つの加食センタ については いずれも卸が持つ既存施設を流用した 日雑センタ はこのために新設したが これも伊藤伊が作 た ところが ほぼ同じタイミングの二〇〇三年八月にユニ は 直輸入の衣料品などを扱う物流センタ を自ら四二億円 土地・建物 を投じて稼働している 九九年に閉鎖した稲沢物流センタ を復活させた格好だ これも近年の同社の物流に対する方針の変化を示す 象徴的なできごとといえる 約五年前に稲沢物流センタ を閉鎖して以降 ユニ が直輸入する衣料品の物流管理はかなり混乱していた ベンダ に店舗直納してもらえばいい商品と違 て 衣料品は海外での買い付け以降はユニ の在庫として管理する必要がある これを商品管理部が手掛けるのには いかんせん無理があ た 管理不在のまま在庫が膨らんでいき 一時は外部倉庫の数が一四カ所にまで増えてしま た しかも物量が年間でピ クになる一〇月前後に場当たり的に倉庫スペ スを確保したため 本社から車で二時間以上に位置する倉庫まで使 ていた ある日 監査部の担当者がこの倉庫を見にい たところ 埃まみれにな た商品や 三年前の商品が大量に出てくるという有り様だ た こうした経緯から 何とか在庫拠点を集約しようという話が持ち上が た 物件を当た たところ 格好の土地が見つか たこともあ て自社施設の建築に踏み切ることにな た だが商品部の人たちに物流センタ を立「センターフィーを決める時は多くの事例を調べた」と物流部の加古明之マネジャー31 JANUARY 2005ち上げるノウハウはない 新センタ の立ち上げ業務は当時 外部倉庫の現場で在庫管理を担 ていた木村卓道氏 現ユニ 弥富物流センタ 所長 のもとへと持ち込まれた 物流部門の生き残りが見せた意地木村所長は ユニ に入社してからすでに三〇年近い社歴を持つ 入社して三年半は店舗にいたが 以降の二四年間は物流一筋で過ごしてきた 稲沢物流センタ の取り壊しにも携わり その後は同社の物流部門の 生き残り として黙々と現場運営を支えてきた それがユニ が新たな自社物流センタ を建設するにあた て いきなり敷地面積三万六〇〇〇平方メ トルの土地の図面を渡されて施設設計を手掛けることにな た 早速 木村所長は 自分と同様に物流一筋に二〇数年を過ごしてきた仲間二人とともに マテハンメ カ の助けを借りながら新センタ の構想を練り上げた まずセンタ 内の商品レイアウトを決め モノの流れを思い浮かべながらマテハンの構成などを決めた その後も 作業効率を上げるために入荷バ スの高さを微調整したり 物量オ バ で入荷作業がパンクしたときの緊急避難ル トを設けるなど ベテラン物流マンならではの細かい配慮を随所に施してい た 結局 ユニ の実務と建設会社やマテハンメ カ を橋渡しできるのは僕らしかいない 最近にな て会社は 店舗のために物流を効率化しようと言 ているが 僕らは物流に携わるようにな てからず とそう考えてきた 店舗の人手は不足しがちだ 彼らを楽にさせてあげるのが このセンタ の役目だと思 ている 木村所長 こうして二〇〇三年八月 ユニ の弥富物流センタ が稼働した 延べ床面積が五万平方メ トル弱の大型拠点で 敷地内には買い物カゴの洗浄設備や 店舗で発生する資源をリサイクルする施設も併設されている まだ検討中の課題も少なくないが 作業精度や処理能力についてはほぼ期待通りの成果を得ることができた この施設ができる以前に一四カ所に分散していた在庫拠点は 計画通り二カ所に減 た 弥富センタ の内部の運営は 直輸入商品の国際輸送を委託している三井倉庫に委ねた 配送業務の担当は佐川急便だ いずれも以前から取引先で その孫請け業者にはかつて取引のあ た地場の物流業者が数多く入 ている そうしたこともあ てコスト削減という意味ではまだ課題を残しているが 拠点集約と新体制へのシフトは無事に終えた 卸の能力がし かりしている加食や日雑の物流と違 て 自ら物流を管理する弥富センタ の業務を軌道に乗せるのはず と難しい こうした部門で最終的にモノを言うのは 現場力 だ 近年のユニ は紆余曲折を経て物流を重視するように変わ てきた しかし 小売業にと て急速に重要度が高ま ている物流でライバルと差別化できるかどうかは 今後 実力を身につけた物流マンを育成できるかどうかにかか ている 岡山宏之 ユニーの弥富物流センターセンター内に冬物衣料を在庫ばらまき式のピッキング間口一時待機しカテゴリー仕分け全24シュートある高速仕分機小物向けのベルト式ソーターバース高に独自の工夫を施した
だが2003年以降は物流の見直しを猛烈に推進。
店舗直納が基本で取引先に任せきりだった物流を全面的に見直してグロサリー分野に一括物流を導入した。
さらに自ら42億円を投じた大型物流センターも稼働している。
ユニー――物流センター27 JANUARY 2005などを尻目に 九五年以降は五期連続で増収増益 単体・経常利益ベ ス を達成 イト ヨ カ堂やイオンなどの全国チ ンに比べると地味な存在ながらも 一躍 勝ち組に名を連ねたかにみえた も とも 原点に帰る といえば聞こえはいいが この当時のユニ の取り組みは 現代の小売業経営の潮流に背を向けた 先祖帰り ともいうべきものだ た 米ウ ルマ トをはじめとする世界の大手小売業は 九〇年代に物流や情報システムを駆使した効率化に邁進した 日本でもコンビニエンスストアの成功に刺激されるかのように 専門店チ ンや一部の総合量販店 GMS が商品調達のためのサプライチ ンの効率化に取り組んでいた そうすることで 従来は卸やメ カ に一方的に依存していた商品調達業務を 小売業が自らコントロ ルし 店舗オペレ シ ンの効率化や商品原価の低減を図ろうという狙いからだ そこでは小売業は店頭販売にだけ精を出していればいいという過去の常識は もはや通用しなくな ていた ところが 経営危機を原点回帰によ て克服したユニ は その成功体験を捨てられず 九〇年代を通じてこの路線を貫いた ユニ の地盤である中京地域が全国規模の流通戦争の狭間にな ていたことも幸いして ひたすら我が道を進むことが可能だ たのである なかでも象徴的なできごとが 本社に隣接していた自社施設 稲沢物流センタ を閉鎖したことだろう 加工食品や生鮮品などについては従来からベンダ による店舗直納だ た しかし ユニ 自身が海外から直輸入する衣料品については どこかで商品在庫を保管する必要がある そのために稲沢物流センタ があ た ところが これを九九年に完全に閉鎖し 社外の営業倉庫にシフトすることを決めてしま た 同センタ の運営は庫内作業まですべてをユニ の社員が手掛けていた 一〇〇人を超す社員が物流の現場業務に携わ ていたが センタ 閉鎖を機に 新たに契約する外部倉庫に駐在する数人を残してほとんどが配置転換された ユニ の組織図から 物流に関するセクシ ンは完全に消滅した 稲沢物流センタ の閉鎖と 物流部門の事実上の廃止によ て 商品の管理業務は商品管理部へと移管されることにな た 商品政策の一環として 物流管理まで行うという位置づけにな たわけだ しかし この体制もそう長くは続かなか た 一括物流のために物流部を再設置ユニ グル プは GMSからス パ マ ケ ト コンビニまでを幅広く手掛ける総合小売業者だ 売上高と経常利益をみれば連結・単体とも九〇年代後半にはそれなりに伸びていた だが ユニ 単体の決算だけを見て かつ本業の実力をあらわす営業利益に着目すると すでに九〇年代末にはかなり苦しい状況に陥 ていたことが分かる 九七年二月期以降は営業利益が明らかに伸び悩んでいる そして二〇〇〇年からは売上高の伸びも頭打ちとなり 営業利益率は急降下してしま た 二〇〇一年二月期の営業利11月 3月 2月 6月 8月 10月 1994年 1999年 2003年 〃 〃 〃 リストラの一環として稲沢の物流センターの敷地内に新社屋を建設し、名古屋駅前にあった本社を引っ越し。
本社横の「稲沢物流センター」を閉鎖し、外部倉庫の利用にシフトした。
このとき社内の物流部門を事実上、廃止。
「稲沢物流センター」の閉鎖以来、社内に存在していなかった“物流部”を4年ぶりに設置。
中京地区における加工食品に一括物流を導入。
伊藤忠食品とトーカンにセンター業務を委託。
輸入衣料品などを管理するため、自ら土地・建物に42億円を投じて「ユニー弥富物流センター」を稼働。
日用雑貨品の分野でも一括物流を導入。
静岡、北陸までカバーすることを念頭に伊藤伊(現あらた)に業務を委託。
図1 物流に関連するユニーの近年の取り組み 40,000 35,000 30,000 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0 ’95 ’96 ’97 ’98 ’99 ’00 ’01 ’02 ’03 ’04図2 国内小売り大手4社の業績推移 イオン ヨーカ堂 売上高:億円 ダイエー ユニー 2益率は〇・五九%にまで落ち込み 最悪期を下回るほどにな ていた 図3 この状況に危機感を抱いた経営陣は 二〇〇一年の秋に 小売りは店頭販売だけや ていればいい という方針を転換 それまでとは異なる視点から業務の効率化に取り組む姿勢を打ち出した 改めて販売管理費を抑制する可能性を探りはじめ 店舗オペレ シ ンの生産性を高める狙いで遅ればせながら 一括物流 を検討することにな た も とも 当時のユニ には正式な物流部門はない このため当初は情報システム部門がリ ドしながら 店舗オペレ シ ンの課題を抽出した システム部門の担当者が店舗で現場調査を行 た結果 一日に百数十台もの車両が店舗に商品を運び入れることによる問題点が改めて浮き彫りにな た 店舗の現場では受品担当者が荷受作業に追われて走り回 ていた 商品が検収場にどんどん溜ま ても 商品を売り場に並べることもできない 当事のユニ の考え方では 納品のための物流は 車両に商品を満載しコストが少しでも安くなることに重きを置いていた 厳密な管理はせず おおよその店着時間だけを決めた後は納品業者に任せていた この頃のオペレ シ ンは すべてにおいて 標準化 とかけ離れたものだ た 発注は店舗ごとにばらばらで 取引先への発注方法も電話からフ クスまで何でもあり 加工食品の分野だけはオンライン発注を導入済だ たが これは例外的な業務に過ぎなか た まずはこうしたオペレ シ ンのあり方を見直す必要があ た そこで商品企画部に所属していた中堅社員の腰和則氏 現物流部マネジ に白羽の矢が立てられた 加工食品の分野で一括物流を導入し それによ て店舗オペレ シ ンの効率化を図ることを経営陣の肝いりで指示されたのである 期限付きでの一括物流の実現を求められた腰氏は早速 仕組みづくりに着手した そして取引先卸の協力を得ながら物流効率化を進めようとしたところ やはりユニ の社内にも正式な物流業務の窓口が必要なのではという話が持ち上が てきた 結局 改めて物流部を設置することにな た 店長をや ていた伊野克司氏が物流部長として本社に戻され 加工食品の分野で一括物流の導入を進めていた腰氏と 日用雑貨品の分野で同様の勉強会に取り組んでいた加古明之氏が加わ た 彼らを含めてた た四人のスタ トながら 二〇〇三年二月にユニ の社内に物流部が復活した ダブル帳合い のまま物流を集約改めて物流部を設置した狙いは 必ずしも一括物流の対外的な窓口を設けるためだけではなか た より切実な課題として ユニ が小売業を取り巻く環境の変化に対応するため 物流面からも世間並みにならなければならなくな たという背景があ た お取引様と一緒に体質を改善し 共存共栄を図 ていくうえで ユニ の 名古屋モンロ 主義 が通用しなくな ていたという時代の流れがあ た お取引様にと て名古屋だけが少し重い商売環境にな てしまうという状況を避けるためにも やり方を変えざJANUARY 2005 28売上高 営業利益 売上高営業利益率 9,000 8,000 7,000 6,000 5,000 4,000 3,000 2,000 1,000 02。
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5 0 図3 過去10年間のユニーの単体ベースの業績 売上高 億円 営業利益 千万円 売上高営業利益率 % ’95 ’96 ’97 ’98 ’99 ’00 ’01 ’02 ’03 ’04 2「名古屋モンロー主義が通用しなくなった」と営業本部の伊野克司物流部長29 JANUARY 2005るを得なか た と営業本部の伊野物流部長は述懐する も とも再び設置されたユニ の物流部は あくまでも本社内の企画部門とい た位置づけに過ぎない 主な物流部員の経歴からも伺えるように ほとんど白紙の状態からのスタ トである 一括物流を導入しようにも ユニ 側のノウハウは皆無だ た このため 他の小売りチ ンとの取引で一括物流の経験を持つ卸と二人三脚で取り組むことが当初からの規定路線とな た ユニ の商流に対する考え方には 昔から一種独特な面がある 帳合い ある商品をどの卸から仕入れるかという契約 の集約や変更に極端に消極的で 取引先卸の口座数は実働しているだけでも二〇〇〇を超える 今回 最初に着手した中京地区での加工食品 常温帯 の一括物流でも あくまでも商流と物流は切り離し 帳合いには触れないことを前提としながらスタ トした そのうえで加工食品の取引卸二〇社の中から売上上位企業に声をかけて 一括物流センタ の運営を任せるパ トナ を選ぶコンペを開催した その結果 加食分野で全国最大の取引先である伊藤忠食品と 中京地区で最大の取引規模を持つト カンの二社を選んだのだが このとき伊藤忠食品の持つノウハウに着目したことは言うまでもない ユニ はその後 伊藤忠食品の助けも借りながら 二〇〇三年六月に中京地区の二カ所に在庫型の一括物流センタ を稼働した 店舗への納品物流をセンタ に集約し センタ に商品を持ち込む取引先は ユニ にセンタ 使用料を支払うようにな た この使用料のなかからユニ は伊藤忠食品とト カンに センタ 運営の業務委託費を支払うという枠組みである 商流に触れないことが前提だ たため 非効率を承知で ダブル帳合い を採用した商品すらあ た これは 同じ商品の扱いについて ある店舗からの発注はA卸の扱いとし ある店舗からの発注はB卸の扱いにする つまり同じ商品でありながら センタ 内にA卸とB卸の二通りの在庫を置いてもらう 物流部の腰マネジ というものだ 管理が煩雑になり 生産性が落ちるのを承知で あえてこういう複雑さを残した もちろんユニ としては将来的にダブル帳合いは解消していきたい考えだが 既存の取引関係を大事にしたい とする商品部の意向がある限り簡単ではなさそうだ 単に非効率なだけの話にも思えるが こうした配慮が一括物流の導入をスム ズに進めた面もあ た ユニ の一括物流の中心は在庫型 DC だ そうすることでカテゴリ 仕分けを実現し 店舗オペレ シ ンを改善するという いわば本丸ともいうべき部分である だがユニ の専用センタ とはいえ 施設内に在庫している商品の所有権はまだ取引先にある センタ を出荷するときに はじめてユニ に所有権が移転する 通常 こうした小売りの専用センタ に自社在庫をおくことを 多くの卸は嫌う 在庫が分散してしまい業務効率が落ちるためだ しかし 商流に踏み込まないことを前提としていたユニ の取り組みでは 取引卸には センタ に自社在庫を置くことで商流が安泰になるという安心感もあ たようだ 実際 それまで通り専用センタ での在庫管理をお願いすることへの反発はなか た と腰マネジ は振り返る 日雑分野にも一括物流を導入加工食品の分野と並行して 日用雑貨品の分野でも一括物流の準備が進められた 実は担当者レベルの動きではこちらの方が先行しており すでに二〇〇〇年の段階から ユニ の商品部と 日雑分野の主力卸である伊藤伊 現あらた との間で勉強会がスタ トしていた しかし この取り組みはあくまでも勉強会に過ぎず 加食のように経営陣から明確に期限を設定されていたわけではなか た 当時 「まったくノウハウのないところからスタートした」と物流部の腰和則マネジャーJANUARY 2005 30物流管理まで任されていた商品部による自主的なものだ それが二〇〇一年秋以降の経営方針の転換と合致して陽の目をみることにな た 基本的な考え方は 日雑分野の一括物流も加食と同じで 取引卸の協力を最大限に活用して在庫型のセンタ を作ろうとした ユニ のこの分野の最大ベンダ である伊藤伊には 専用センタ による一括物流の経験がなか たが そこは勉強会の成り行きもあ てパ トナ は伊藤伊に決ま た 日雑分野には 加食に比べて物量がまとまりにくいという特徴がある このため加食では中京地区だけで二カ所の一括物流センタ を立ち上げたが 日雑ではそうはいかなか た この点を物流部の加古マネジ は エリアを越えて全地区対応型でやるためにはどうしたらいいのかを 勉強会の段階からず と考えてきた と説明する センタ 使用料を決めるにあた ても加食とは異なる難しさがあ た 日雑分野には花王というガリバ 企業がいて 花王販社を使 て店舗納品までを自ら手掛けている そして花王販社は 小売りの要請といえども 言い値 で使用料を支払 てくれるような会社ではない 加食分野以上にシビアな効率化が欠かせなか た 実際 日雑分野では帳合いの整理にまで踏み込んだ 将来的にカバ エリアを拡大してい たときに 帳合いが従来のままでは物流が機能しなくな てしまう恐れがある これを避けるためにも 既存の取引額を念頭に置きながら帳合いの整理をする必要があ た と加古マネジ 取引卸から徴収するセンタ 使用料についても 商品群ごとにメリハリをつけるなどの工夫を施した 発注方法も見直し 店舗ごとに電話やフ クスでばらばらと注文していたのをオンラインによる予約発注に切り替えた こうした工夫を重ねて 加食に遅れること四カ月後の二〇〇三年一〇月に 伊藤伊が運営するユニ 専用センタ が稼働した 同センタ の年間取扱金額は すでに現状では通過型と在庫型を合わせて約一八〇億円に達している 将来的には 増築によ て二〇〇億円を処理できるように能力を高め 北陸エリアもカバ していく考えだ 四二億円を投じた物流拠点の新設ユニ は 加食と日雑に一括物流を導入するにあた て 施設についても全面的に卸を活用している 中京地区の二つの加食センタ については いずれも卸が持つ既存施設を流用した 日雑センタ はこのために新設したが これも伊藤伊が作 た ところが ほぼ同じタイミングの二〇〇三年八月にユニ は 直輸入の衣料品などを扱う物流センタ を自ら四二億円 土地・建物 を投じて稼働している 九九年に閉鎖した稲沢物流センタ を復活させた格好だ これも近年の同社の物流に対する方針の変化を示す 象徴的なできごとといえる 約五年前に稲沢物流センタ を閉鎖して以降 ユニ が直輸入する衣料品の物流管理はかなり混乱していた ベンダ に店舗直納してもらえばいい商品と違 て 衣料品は海外での買い付け以降はユニ の在庫として管理する必要がある これを商品管理部が手掛けるのには いかんせん無理があ た 管理不在のまま在庫が膨らんでいき 一時は外部倉庫の数が一四カ所にまで増えてしま た しかも物量が年間でピ クになる一〇月前後に場当たり的に倉庫スペ スを確保したため 本社から車で二時間以上に位置する倉庫まで使 ていた ある日 監査部の担当者がこの倉庫を見にい たところ 埃まみれにな た商品や 三年前の商品が大量に出てくるという有り様だ た こうした経緯から 何とか在庫拠点を集約しようという話が持ち上が た 物件を当た たところ 格好の土地が見つか たこともあ て自社施設の建築に踏み切ることにな た だが商品部の人たちに物流センタ を立「センターフィーを決める時は多くの事例を調べた」と物流部の加古明之マネジャー31 JANUARY 2005ち上げるノウハウはない 新センタ の立ち上げ業務は当時 外部倉庫の現場で在庫管理を担 ていた木村卓道氏 現ユニ 弥富物流センタ 所長 のもとへと持ち込まれた 物流部門の生き残りが見せた意地木村所長は ユニ に入社してからすでに三〇年近い社歴を持つ 入社して三年半は店舗にいたが 以降の二四年間は物流一筋で過ごしてきた 稲沢物流センタ の取り壊しにも携わり その後は同社の物流部門の 生き残り として黙々と現場運営を支えてきた それがユニ が新たな自社物流センタ を建設するにあた て いきなり敷地面積三万六〇〇〇平方メ トルの土地の図面を渡されて施設設計を手掛けることにな た 早速 木村所長は 自分と同様に物流一筋に二〇数年を過ごしてきた仲間二人とともに マテハンメ カ の助けを借りながら新センタ の構想を練り上げた まずセンタ 内の商品レイアウトを決め モノの流れを思い浮かべながらマテハンの構成などを決めた その後も 作業効率を上げるために入荷バ スの高さを微調整したり 物量オ バ で入荷作業がパンクしたときの緊急避難ル トを設けるなど ベテラン物流マンならではの細かい配慮を随所に施してい た 結局 ユニ の実務と建設会社やマテハンメ カ を橋渡しできるのは僕らしかいない 最近にな て会社は 店舗のために物流を効率化しようと言 ているが 僕らは物流に携わるようにな てからず とそう考えてきた 店舗の人手は不足しがちだ 彼らを楽にさせてあげるのが このセンタ の役目だと思 ている 木村所長 こうして二〇〇三年八月 ユニ の弥富物流センタ が稼働した 延べ床面積が五万平方メ トル弱の大型拠点で 敷地内には買い物カゴの洗浄設備や 店舗で発生する資源をリサイクルする施設も併設されている まだ検討中の課題も少なくないが 作業精度や処理能力についてはほぼ期待通りの成果を得ることができた この施設ができる以前に一四カ所に分散していた在庫拠点は 計画通り二カ所に減 た 弥富センタ の内部の運営は 直輸入商品の国際輸送を委託している三井倉庫に委ねた 配送業務の担当は佐川急便だ いずれも以前から取引先で その孫請け業者にはかつて取引のあ た地場の物流業者が数多く入 ている そうしたこともあ てコスト削減という意味ではまだ課題を残しているが 拠点集約と新体制へのシフトは無事に終えた 卸の能力がし かりしている加食や日雑の物流と違 て 自ら物流を管理する弥富センタ の業務を軌道に乗せるのはず と難しい こうした部門で最終的にモノを言うのは 現場力 だ 近年のユニ は紆余曲折を経て物流を重視するように変わ てきた しかし 小売業にと て急速に重要度が高ま ている物流でライバルと差別化できるかどうかは 今後 実力を身につけた物流マンを育成できるかどうかにかか ている 岡山宏之 ユニーの弥富物流センターセンター内に冬物衣料を在庫ばらまき式のピッキング間口一時待機しカテゴリー仕分け全24シュートある高速仕分機小物向けのベルト式ソーターバース高に独自の工夫を施した
