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佐高信
経済評論家
65 MARCH 2006
小泉純一郎が、堀江貴文を自民党が応援し
たことの責任を問われて、メディアもまた持
ち上げたではないか、と見当違いの責任逃れ
を言っている。 確かにメディアにもその傾向
はあった。 しかし、それと小泉の責任はそれ
こそ「別問題」である。 メディアが堀江以上
に小泉を礼賛したことによって、小泉は天井
知らずに増長してしまった。
支持者は似てくるのか、いま、田原総一朗
が同じようにメディアの責任を言っている。
メディアの中で自分が一番持ち上げたことを
棚に上げてである。
今度私は『田原総一朗よ驕るなかれ』(毎日
新聞社)という時評集を出したが、支離滅裂
の田原には、即刻、退場してほしい。 田原は
どうして自らにレッドカードを出さないの
か?
二月一〇日号の『週刊朝日』のコラムでは、
「やみくもな『堀江叩き』は危険だ」と題して、
自分勝手なことを言っている。 堀江叩きが田
原叩きになることを恐れてだろう。 もってま
わった田原の堀江擁護を引く。
「堀江は行儀の悪い男であった。 既存の財界、
経営者たちは、ほとんど例外なく彼に拒否反
応を示した。
だが、ベンチャー企業で成功するには、従
来の経済界の常識のスキを突くことが必須の
条件である。 従来の考え方、ビジネスのパタ
ーンを踏襲したのでは、既存の企業にかなうはずがない。 異端の発想、方式が必要になる。
だから、既存の経営者たちからは嫌がられる。
その意味で、堀江は見事なほど異端児であった」
たとえば「価格破壊」のダイエー、中内
、
あるいは「宅急便」によって運送業界に風穴
を開けた小倉昌男などには、理念があった。
しかし、「カネで人の心は買える」という堀江
にはそれはカケラもない。 中内や小倉は「見
事なほど異端者であった」かもしれないが、
堀江にはその名はふさわしくないのである。
そんな堀江を叩くなという田原にも理念はな
いのだろう。 これまでも田原はほめるべきで
ない経営者をほめてきた。 その眼力のなさは
証明済みなのである。
一九九〇年に出した『企業維新』(PHP研
究所
)で田原は、当時、野村證券社長だった
田淵義久にインタビューし、田淵の、
「とにかく、かつてないドラスティックな変
革の時代で、思い切って古い上着を脱ぎ、意
識変革をしないと時代に取り残されてしまう。
従来の金太郎飴的な発想とモノカルチャーを
捨てなきゃ生き残れない。 そのためには、野
村證券という旗艦に、グループの各社がぶら
下がっているのではなく、さまざまの、強烈
な、そして時代にフィットしたカルチャーを
持つ企業、超一流のブティックが集まり、有
機的に結びついて、自由自在にインテグレー
トされ、それが全体として?ザ・野村〞とな
っている。 そういうかたち以外にはないのじ
ゃないかな」
という発言を承けて、「田淵は、はるかな未
来を眺めるように天井を睨んでいった」と結
んでいる。
それからまもなく、田淵は、野村證券が暴
力団の稲川会の前会長に損失補填をしていた
等のスキャンダルが発覚し、辞任せざるをえ
なくなった。 別の意味で「天井を睨」まなけ
ればならなくなったのである。 田原は「異端者」ではなく、時の有力者、
権力者に擦り寄って、それを礼賛する。 それ
で私は前掲書で田原を「チョーチン屋総一朗」
と命名した。 しかし、小泉=竹中路線の申し
子であるホリエモンを礼賛したのは田原だけ
ではない。 メディアのほとんどが同じ過ちを
犯した。
私は「翼賛メディアの象徴」として田原を
斬ったのであり、田原以上にひどい長谷川慶
太郎や竹村健一をいまだに登場させているマ
スコミはその愚を早く悟って反省すべきだろ
う。 共犯者の罪もまた重いのである。
ホリエモンを礼賛したメディアと小泉純一郎
翼賛メディアを象徴する田原総一朗の驕り
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