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五年前に初のCIOが誕生失敗を糧に戦略を再構築
「やりたいと思っていたことには、ほ
とんど着手できた。 物流分野につい
てはもう少し深めていく必要があるが、
海運会社としてのITの品揃えは世
界的にも遜色ないレベルになったと
思う」。 二〇〇二年に日本郵船では事
実上初となるCIO(チーフ・イン
フォメーション・オフィサー=最高
情報責任者)に就任し、今年四月か
ら子会社MTIの社長に転出した安
永豊氏は、そう述懐する。
安永氏がCIOを務めた五年間で
日本郵船の情報システムは劇的に進
歩した。 主力の定期船(コンテナ船)
事業の基幹システムの刷新にメドを
つけ、全社の会計システムにはER
Pを導入。 手計算が当たり前だった
不定期船(バルク・エネルギー輸送)
のオペレーションでもIT活用を本
格化した。 総額一九〇億円を投じた
基幹系システムの刷新は、定期船のシステム導入こそ遅れぎみだが、ほぼ
計画通りだ。
日本郵船は創業一二〇年余りを誇
る世界有数の海運業者であり、連結
売上高が約二兆円という国内最大の
物流企業だ。 しかし、これまで社内
のITに対する意識は低かった。 そ
もそも海運事業そのものが、定期で
運用するコンテナ船の管理を除けば、
高度なITを必要としてこなかった
面がある。 会計などの管理部門では
それなりにITを活用してきたが、い
まだにコンピュータに頼らずに対応し
ている業務も少なくない。
同社のIT部門は、八〇年代の半
ばに全社的なシステムの再構築プロ
ジェクトを手掛けて頓挫した苦い経
験をもつ。 計画は立てたものの当時
の技術レベルでは実現が難しく、一
部を開発したところでプロジェクトは
中止に追いこまれてしまった。 このこ
とが八八年に本社の「情報システム
部」を分社化し、NYKシステム総
研という情報子会社を設立する一因
になった。
この分社化で本社に残ったスタッ
フは六人程度。 本来であれば彼らが
日本郵船のIT戦略を担っていくは
ずだった。 だが現実には、開発の進
捗や既存資産の管理などで手一杯に
なってしまった。
システム開発が現場ニーズと乖離
することを危惧した同社は、定期船
部門で事業レベルのITを担当して
いた部署を、九六年に本社のIT部門に統合。 社内の意識は徐々に変化
してきた。 しかし、その後もまったく
経験のない人材がIT部門のトップ
に就くなどチグハグな状態は続いた。
結果として、安永氏がCIOに就任
した二〇〇二年四月の時点で、日本
郵船には全社的なIT戦略と呼べる
ものが皆無の状態だった。
当時、業務部門からIT戦略グル
ープに移って間もなかった江黒孝夫
約190億円を投じてシステム刷新
改革課題の視覚化で合意を促す
第2回
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日本郵船
IT戦略グループ長がCIOを務め、事業別・地域別にバラバラだった
情報システムを統合した。 「システム鳥瞰図」を使って全社の状況を
視覚化。 経営陣や事業部の合意を取り付けた。 定期船の基幹システ
ムをライバル企業から購入するなど、柔軟な対応によって開発期間の
短縮と投資金額の抑制を図った。
今年3月末までCIOを務めて
いた安永豊MTI社長
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グループ長代理は、印象的な体験を
した。 IT分野で業務経験の長い社
員たちに「日本郵船のIT戦略とは
何ですか?」と尋ねたところ、しばし
の沈黙のあとで唯一戻ってきた答え
は、「ない」というものだった。
IT戦略の考え方から整理しなけ
ればという話になり、外部コンサルタ
ントの力も借りながら作業を進める
ことになった。 その結果を二〇〇二
年秋に開かれた会議の席で経営陣に
報告した。 ところが当時の草刈隆郎
社長(現会長)から浴びせられたの
は、「北海道の原野に高速道路を作る
つもりじゃないだろうな」という辛辣
な言葉だった。
ITダイレクターズ委員会が
改革の突破口として機能
経営者の指摘に反論できなかった。
報告した内容は、絵としては立派で
も、具体的な事業活動に落とし込ん
だものとは言えなかった。 改めてIT
戦略グループによる模索が続くなか
で、一つのアイデアが浮上してきた。
事業部門からITのニーズを吸い上
げて、これを具体的な戦略にまとめ
る仕掛けとして、「ITダイレクター
ズ委員会」という組織を新設すると
いうものだった。
幸いこのアイデアは経営陣に認め
られ、二〇〇三年一月に同委員会が
発足。 日本郵船のITガバナンスは
ようやく機能しはじめた。 IT戦略
グループと、ユーザーである事業部、
さらに開発を管理する子会社のNY
Kシステム総研が、CIOを中心に
三位一体でITの高度化に取り組む
という体制だ。 これを側面から支え
るITダイレクターズ委員会は、そ
の後の改革を推進する原動力となっ
ていった(
図1)。
同委員会は各事業部門の責任者か
らなる。 事務局を務めるのは、IT
戦略グループの社員と外部ベンダー
の五人程度だ。 まず彼らが事業部門
への調査を行い、そのうえで取り上
げるべきIT施策を関係者に提示す
る。 CIOを中心とする関係者がこ
れを検討し、社内のコンセンサスを
得たうえで実際のIT改革を行う、と
いう流れができあがった。
煩雑にすら思える手続きを踏むこ
とにした理由は、IT戦略グループが直接、それぞれの事業部門と対話
するだけでは、全社的なIT戦略を
練ることが難しかったからだ。 自分た
ちの業務をITで効率化できるので
あれば事業部は何でもやりたがる。 そ
れが必ずしも全社的なIT戦略と合
致するとは限らない。 これをIT戦
略グループがまとめるのは容易ではな
かった。
委員会の事務局は、まずは経営戦
略を正しく理解することからスタート
した。 そのうえで各事業部との折衝
に入った。 その際にも「いきなりIT
について聞こうとはしなかった。 最初
は事業の目標や、責任者が何をした
いと思っているのかを徹底的にヒアリ
ングした。 どんなシステムが必要なの
かを説明できない人でも、事業戦略
については話せると考えた」(安永氏)
事業戦略を理解したうえで、はじ
めて必要なITについて話し合った。
ITダイレクターズ委員会にとって、
こうしたステップを踏む意味は大きか
った。 IT投資の重要度や効果は事
業分野ごとに異なる。 経営戦略や事
業戦略を正しく理解していなければ、
その優先順位を判断することもでき
なかったはずだ。
もっとも、ヒアリングされる事業部
にしてみれば戸惑ったに違いない。 実
際、委員会の事務局で中心的な役割
を担ってきた江黒氏は、「私が事業部
の立場だったら反発していたと思う。
でも、逆にそういう人間がITダイ
レクターズ委員会のほうに来てしまっ
たから」と笑う。 CIOをはじめとす
る要所に適材を配置したことも、日
本郵船がIT統治を確立できた要因
の一つだった。
テーマに優先順位をつけて
「システム鳥瞰図」で視覚化
一般に物流企業のITツールは、複
数の業務や展開エリアをまたいで共
通化したほうが得策だ。 顧客の立場
で考えれば分かる。 日本郵船サイド
の事業区分や、世界を日本・米国・
欧州の三極体制で管理していること
など、顧客にとっては何の意味も持
たない。 ところが従来の日本郵船の
仕組みには、顧客ごとに情報を一元
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に関するB/Lでも、日本とアメリ
カでは異なる証券を発行していた。 時
代に合わなくなっているのは明らかだ
った。
安永氏がIT戦略グループ長に就
任する以前、米国に駐在していたと
きから、こうした問題は顕在化して
いた。 米国内で定期船事業のCIO
を務めていた安永氏は、グローバルな
電子商取引システムの構築を経験し
ている。 その際、日米欧の三つの異
なるデータベースをつなぐのに非常に
苦労した。 顧客から見える部分こそ
グローバルなシステムを装ったものの、
その下で個別のシステムが三つ動い
ていることの限界を誰よりも痛感し
た。
このため安永氏は、米国にいたと
きから、グローバルでしかも顧客ごと
に情報を管理できるシステムの必要
性を本社に進言しつづけていた。 こ
れが東京本社の定期船部門にも認め
られて、二〇〇一年から「エンター
プライズモデル」と呼ぶプロジェクト
が発足した。 そして、この動きは、二
〇〇二年に安永氏が東京本社のCI
Oに就任したことによって一気に加
速することになった。
関係者による世界規模の会議が繰
り返され、徹底的に問題を洗い出す
作業が行われた。 そこから十一項目
の改革テーマがまとめられ、必要な
ITインフラの機能が整理された(
図
2
)。 定期船の基幹システムを顧客・
地域・業務ごとに統合し、一元的に
管理できるものに刷新するという方
向性が定まった。
一方、不定期船部門のIT改革は
一筋縄ではいかなかった。 IT投資
のコストパフォーマンスを高めるには、
事業ごとの重複投資を避けて、機能単位で考えていく必要がある。 しか
し社内は事業部ごとに動く意識が強
く、とくに不定期船はITの必要性
を切実には感じていかなった。
ここでもITダイレクターズ委員
会が突破口になった。 委員会での活
動を通じて、すでに進行していた定
期船のIT改革を目の当たりにした
不定期船の事業責任者が、話に乗っ
てきてくれたのである。
特に有効に機能したのが「システ
ムマップ鳥瞰図」と呼ぶ一枚の書類
だった(
図3)。 横軸に日本郵船の事
業部門や地域を配し、縦軸にITツ
ールの機能を配置したマトリクス状
の図だ。 ITに詳しくない人間でも、
これを見れば同社の現状が一目で分
かる。 図中を色分けすることによって、
新規開発中の案件や、構想段階とい
った区分も明示され、当面の優先順
位も理解できる。
この書類は事業部の認識を高める
のに役立ったばかりか、経営陣に現
状を説明するうえでも効果的だった。
改革する前後の状況を視覚的に比較
できるし、遅れている分野も分かる。
現在では、このシステム鳥瞰図を毎年更新していくことがIT戦略グル
ープの恒例行事となっている。 IT
統治のノウハウの一つだ。
投資効率と導入期間短縮狙い
ライバルのシステムを購入
こうして絞り込まれた改革テーマ
は、二〇〇四年から三カ年の中期I
T計画としてまとめられた。 約一九
〇億円を投じて、主に三つのシステ
管理できるデータベースがどこにもな
かった。
一応「顧客コード」はあったが、単
にB/L(船荷証券)情報をくくる
だけの仕掛けにすぎず、顧客ごとに
商談の履歴や契約管理を行うことは
できなかった。 しかも三極のシステム
が別々だったため、B/Lの形態も
エリアごとに三種類あり、同じ契約
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ムを構築することが決まった。 投資
のおおまかな内訳は、?定期船の基
幹システム「OSCAR」の刷新に
一二〇億円、?不定期船への「BE/
TOP」の導入に二〇億円、?ER
Pを活用した会計システム「SAK
URA」に五〇億円だ。
日本郵船のシステム開発は、まず
本社のIT戦略グループが大枠を提
示し、情報子会社のNYKシステム
総研が元請けとなって外部ベンダー
とともに作業を進めるという役割分
担になっている。 不定期船事業で導
入を決めた基幹システム「BE/T
OP」はかなりの部分を独自開発し
たが、それ以外については既存のパッ
ケージをフル活用することにした。
八〇年代から使い続けていた会計
システムは、決算の早期化や国際会
計基準に対応するために、SAPの
R/3を全面導入して刷新した。 す
でに米国ではJDエドワーズ製のE
RPを使っていたが、どういうデータ
が必要なのかさえ明確にしておけば、
異なるベンダーの製品でも問題はな
いと判断した。
特筆すべきは、定期船の基幹シス
テムの開発手法だ。 前掲した十一の
改革テーマを網羅することが条件だ
ったのだが、そのためにライバルの船
会社が開発して使っていた米国製の
仕組みをパッケージとして購入した。
「一般に販売されているものではなか
った。 だが私たちがデザインした『エ
ンタープライズモデル』と寸分たがわ
ぬ構造だったため、交渉して売って
もらった」と安永氏。 ゼロから開発
すれば六年以上かかるが、それを使
えば二年半に短縮できることが最大
の魅力だった。
企業アライアンスの組み換えが日
常茶飯事の海運業界といえども、世
界市場で真っ向から競合しているラ
イバル企業のシステムを購入するとい
うのは、売るほうも、買うほうも、思
い切ったことをしたという印象が強い。
だが日本郵船としては、「システムで
差をつけるつもりはない。 そこに蓄積
されるデータを使って、どのような判
断を下すかで差がつく。 むしろ開発
期間を短縮することで、時間を買い
たいというのが営業部門の判断だっ
た」という。
上記の三つのシステム以外に、物
流事業分野では情報を可視化するシ
ステムを開発した。 ただ、これは抜本
的にITを改革したものではない。 日
本郵船にとって物流事業は、ようや
く近年になって本腰を入れた業務だ。
買収や合併を通じて規模を拡大して
きただけに、世界中で雑多なシステ
ムが動いている。 システム鳥瞰図を
作った段階では、全世界で倉庫管理
システムが四四種類、輸送管理シス
テムが三八種類あったという。
連結ベースでみると、傘下に郵船航空サービスなどを持つ物流事業の
規模は、すでに四二〇〇億円と日本
でも有数のレベルにある。 だがIT
戦略グループとしては、物流システム
への本格的な投資は時期尚早と判断
している。 それでも「昨今は顧客に
情報を見せるシステムを持っていなけ
ればコンペに入札することもできな
い」(江黒氏)ため、上記のシステム
を開発した。 いずれはWMSの標準
化などを進めたい考えだが、当面は
顧客から見える情報だけ統合できれ
ばいいと割り切った。
連結経営からグループ経営へ
シェアードサービスにも着手
現状では、連結ベースのIT戦略
を日本郵船が主導していくつもりは
ない。 「『連結システム』と『グループ
経営システム』は違うと思う。 単に
決算のために数字を連結するだけで
なく、グループ会社の経営の中身に
まで入ってこそグループ経営だ。 当
社はまだ、そのレベルには至っていな
い」と安永氏は説明する。
それでも将来的にグループとして
のIT戦略が重要になっていくのは
必至と考えている。 すでにこれを睨
んだ動きもスタートしている。 IT
SSC(ITシェアード・サービス
センター)という仮想組織で、複数
のグループ会社が手掛けているコン
テナの修繕作業などを横断的に管理
しようという試みがそうだ。 ITの
基本機能を共通化することで、標準
化とコスト削減を実現しようという
わけだ。
日本郵船のITへの年間投資は近
年単体売上高の一・二〜一・五%で
推移している。 いま進行中のプロジ
ェクトが一段落すれば少し落ち着く
はずだが、今後も毎年一・二%程度
の投資は続けていく方針だという。 物流分野のIT改革が、具体化す
るのも時間の問題だろう。 すでに日
本郵船は、大手自動車メーカーの中
国国内の物流を請け負うなど実績を
重ねている。 3PLなどの有力物流
業者と日常的にITの機能を競いあ
う日は、そう遠くないはずだ。
(
フリージャーナリスト・岡山宏之)
IT戦略グループの江黒孝夫グ
ループ長代理
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