2008年3月号
物流格差社会

経営破綻したPCサクセス誤出荷頻発でクレーム殺到

MARCH 2008  36 パーツだけではなく、家電やDVDソフトにま で手を広げ、「monox」というパソコン周辺 機器のPBまで立ち上げてヒットさせた。
私が 在籍していた当時、PCサクセスは秋葉原に二 店舗のPCパーツショップを営業していて、ネ ット通販だけではなく店のほうもなかなか盛況 だった。
 私が辞めてから一年三カ月後の〇七年二月、 PCサクセスは経営破綻した。
報道によると、 資金繰りに行き詰まった末の破産だという。
設 立からわずか八年。
一時は株式の上場話で盛 り上がっていたが、一転して破産してしまった。
残念に思う一方で、ある意味当然の成り行きだ ったようにも思う。
 PCサクセスで働く前は、派遣で倉庫作業を していた。
海外旅行に行くための資金を貯めた かったからだ。
働き始めた当初は、残業もあり、 それなりに稼ぐことができた。
しかし、仕事 の効率が上がると残業は次第になくなり、最 後には定時前でも仕事が切り上げられるように なった。
時給計算の給料は減り、生活するのも 厳しくなった。
派遣会社に不満を言っても「み んなそうですから我慢してください」と、表 面上は丁寧だったが、軽く聞き流された。
もう 少ししっかり稼げる仕事を探していた。
 そんな時たまたまインターネットカフェでみ つけたのが、PCサクセスの求人情報だった。
メールで応募すると、数日後に面接の案内が返 信された。
面接は取締役が行った。
カーキっぽ いパンツにブラウンのシャツという、とてもラ フな服装だった。
ここではみな私服で働いてい て、どんな服装でもかまわないそうだ。
若い サポートの責任者にいたってはボンデージファ ッションをまとい、クビには黒い首輪をぶら下 げていた。
その格好には驚いた。
 創業者である社長は、その頃ほとんど会社 に顔を出すことはなく、この取締役が実質的に 会社の責任者だった。
私の面接を担当したこの 取締役は後に社長になった。
面接では、ろくに 質問らしい質問もなく、その場で採用が決まっ 経営破綻したPCサクセス 誤出荷頻発でクレーム殺到 第1 回 格  差   社  会 ●中村文丈● フリーターが見た ネット通販の裏側  海外旅行に出るためにまとまった資金が必 要になったフリーターが、PCサクセスでアル バイトを始めた。
価格比較サイトでの徹底した 低価格戦略で一世を風靡したPCパーツのネッ ト通販会社だ。
一時は上場を視野に入れるも、 二〇〇七年二月に経営破綻。
その物流現場で は誤出荷や納期の遅れなど、ユーザーからのク レームが絶えなかった。
物流部に配属された著 者が自らの体験をレポートする。
PCサクセス物流部でバイト開始  私は秋葉原にあったPCサクセスという会社 の物流部で、二〇〇四年の六月から〇五年の 十一月までの一年半、アルバイトをした。
PC サクセスはPCパーツの小さな店舗から始まり、 価格比較サイトなどでの徹底した低価格戦略で 急成長したネット通販会社だ。
一九九九年の設 立後、わずか六年で売上高は二〇〇億円を超 えるまでに成長した。
扱う商品も増え、PC 物 流 新連載 た。
私が「商品はロケーションで管理している んでしょうか?」と尋ねると、取締役はきょと んとした表情を浮かべ、なぜか「気に入った」 といって、物流部の担当者を紹介してくれた。
面接時間はわずか二、三分。
あまりの呆気な さに、私のほうが心配になってしまった。
履歴 書上、みるべき経歴は何もない。
海外にしょっ ちゅう出かけるバックパッカーで、三〇歳を過 ぎてもぶらぶらしていて、派遣作業者として倉 庫で働いていただけだ。
誰でも雇うのかとひっ かかったが、落とされる者もいるようだった。
 面接を通過し、あっさりと採用が決まった理 由は働き始めてすぐにわかった。
ロケーション という物流用語を使ったからだった。
当時のサ クセスには物流のシステムはなく、アナログ的 に出荷作業を行っていた。
物流のフローができ ていなかった。
誤出荷・納期遅れを「買い物」で穴埋め  面接から一週間後、PCサクセスでの初仕事 となった。
私は四階の会議室に通された。
私と 同じように、この日からサクセスで働くという 二人の若い男がいた。
少し太めで不自然なくら いに整った髪型、いかにも秋葉原の街がよく似 合う風貌の二人だった。
 私は物流部に、二人はサポート部署に配属さ れた。
二人のPCパーツの知識は相当深そうだ った。
「メモリーニゴロじゃあ少なすぎるから増 設したけど、まだ重くて全然だめだね。
マザー 自体変えて、イチハチヨンピンのメモリーにし ようかと思っているんだ」。
彼らの話は外国語 でも聞いているようで、少し心細くなった。
こ こでついていけるか、場違 いではないか。
いくら二人 がサポート部署で、私が物流 部だといっても知識の差が大 きすぎる。
ここは彼らのよ うなPCマニアが働く会社の ような気がして、メーカー製 PCしか使ったことがない 私は居心地の悪さを感じた。
 PCサクセスは、地下鉄末 広町駅から二分という便利 な場所にあった。
入居してい たビルの二階と四階がPC サクセスのフロアだった。
二 階がPCパーツを扱う店舗で、そのバックヤー ドとフロアの一部を使って出荷作業が行われた。
また、仕入れと電話通販部の机も並び、電話 で応対する声が常に響いていた。
四階では主に 経理やウェブデザインなど黙々とこなすデスク ワークが行われていた。
常に喧噪状態の二階と 比べると、静かで張り詰めた空気が流れていた。
 インターネットからの注文は増え続けていた。
〇三年に一〇〇億円だった売上高は〇四年に は一五〇億円、〇五年は二〇〇億円と二年で 二倍に伸びた。
だが、商品管理の方法はまだ 規模の小さなネット通販会社のままだった。
店 舗販売している商品をインターネットでも併売 するというスキームから抜け出せておらず、通 販に適した商品管理の仕組みができていなかっ た。
 私はある程度物流について知っていたつもり だが、ここでは以前の経験は何の役にも立たな かった。
システムのないアナログな出荷体制で、 注文が来ると店に行って商品を探す。
店になけ ればはじめて仕入れ先に発注し、入荷したら商 品を引き当てて出荷する。
何よりも要求される のは商品知識だった。
商品名と型番だけで商 品が思い浮かぶくらいの知識が求められた。
 働き始めた頃は、PCパーツの雑誌を何冊も 読んだ。
あまりに専門的でそれではよくわか らず、サポート部署で働いているスタッフを何 度もつかまえて講義してもらった。
 商品は客ごとに管理していた。
商品が揃わ ない注文は不足分が入荷してくるまで棚で保留 店 舗 PCサクセス2階の見取り図 棚、HDD、CPU、 メモリなど 棚、客単位用 商品保管棚 PC 入出荷スペース 梱包スペース 仕入部デスク 管理部門デスク 電話通販部デスク 物流部 格  差   社  会 物 流 37  MARCH 2008 MARCH 2008  38 アルバイトでも終電帰宅は当たり前  このような荒れた状況に対処するため、会 社は精神論で乗り切ろうとした。
「明るい気持 ちがあってノリがよければ解決できる」という 考えだった。
物流部のスタッフにも、常に「い らっしゃいませ」と挨拶するよう通達してきた。
店で商品を探している時なら当然だが、バック ヤードで作業をしていても声をだせという。
検 品など集中しなければいけない時だと、間違 いが起きかねない。
「こんなことやったって何 の解決策にもならない」と吉田さんは呆れた。
 吉田さんは私と同じ物流部で働く、三〇代の 男性アルバイトだ。
人当たりもよく、上層部か らも信頼され、いつ正社員になってもおかしく なかったが、「絶対社員になんかならない」と 公言していた。
「いい仕事を見つけたらとっと と辞める」。
仕事は丁寧にやるが、会社とは距 離を置いていた。
 吉田さんは、注意された時だけ「いらっしゃ いませ」と声を出した。
「挨拶なんか必要ない よ。
店内にいるわけじゃないんだから。
何か言 われたらちゃんとやってますって言っておけば いいんだ」。
あとは通達を無視していた。
 物流部のスタッフは、リーダーの中川さんを のぞいて全員がアルバイトだった。
サクセスで は、正社員になりたくてもなれないという状 況ではなく、むしろ社員になることを拒む人 が多かった。
会社には定時という考え方がなか ったようで、アルバイトでも終電で帰ることが 当たり前だった。
私もほとんど毎日終電だった。
アルバイトには徹夜作業までは強要されなかっ たが、社員は徹夜を強いられる上、残業手当 がつかなかった。
給料は正社員よりも残業代の 出るアルバイトのほうが多かった。
それでいて 正社員は、会社からの要求が厳しくなり、責 任ばかりが重くなる。
ある者は、説得されて 社員になることを受け入れたが、社員になった その日に逃げ出した。
 物流部でも新たにアルバイトだった中国人の 陳さんが正社員になったが、正社員になったと たん徹夜で働くようになった。
「この会社で正 社員になったら殺されちゃうよな」と吉田さん は会社にうんざりしながら働いていた。
会社の 空気はすさんでいて、人の入れ替わりが激しか った。
入った人がすぐに辞めていき、また、会 社もすぐに人を解雇した。
初日に一緒だったサ ポート部署の二人も、一カ月ほどでいなくなっ た。
「ミニ基幹システム」の導入  〇五年に入ってからしばらくして、サクセ スに物流システム導入の話が持ち上がった。
若 い大学院生の女性がプロジェクトの担当者にな り、部署間を走り回って導入のためのヒアリン グや説明会を頻繁に行った。
「ミニ基幹システ ム」と名付けられたシステムは、自社開発でま だ基本的な機能だけだった。
ロケーションもつ けられなかったし、検品は型番を目で見て確認 しなければならなかった。
それでもサクセスで になる。
保留になった商品は、客ごとにまと められ、客の名前の書かれた紙が貼られた。
入 荷した商品は検品が終わるとフロアに広げられ、 保留となっているリストを見ながら引き当てる。
リストに書かれた商品名と型番だけを頼りに、 どこにあるかも、また在庫があるかどうかもわ からない商品をスタッフが探し回る。
それで三 〇万を超えるアイテム数の商品を扱い、出荷し ていた。
毎日が宝探しをしている気分だった。
 物流部には梱包専門のスタッフも含めて二〇 人ほどいたが、とてもそれだけの人数で追いつ く仕事ではなかった。
出荷作業のために毎朝 約一時間、他部署から四、五〇人の従業員が 二階に集まって一斉に作業に当たった。
 出荷作業は毎日乱れていた。
検品ミス、入 力ミス、記入ミスなどがあちこちで起こり、誤 出荷が頻発していた。
客からの苦情メールや電 話が殺到し、インターネット掲示板の「2ちゃ んねる」でもよく非難されていた。
クレームを 処理する部署では体を壊したり、精神的に病む ものが何人も出ていた。
クレーム係だけで追い つかない場合は、会社総出で苦情を受けるこ ともあった。
 拙劣な物流を埋め合わせる方法に「買い物」 という仕事があった。
誤出荷や納期遅れなどの 理由により、商品がないけれども緊急出荷が 必要な時、秋葉原のパーツ店や電気店を回って その商品を購入し注文に応える。
私も買い物を 担当したことがあるが、ひどい時には毎日一 〇〇万円単位で買い物をしたこともあった。
格  差   社  会 物 流 39  MARCH 2008 は初めてのシステムらしいシステムで、うまく いけば格段に効率が上がることは間違いなか った。
将来的にはミニ基幹システムを核にして、 社内をすべて覆う本格的なシステムを作り上げ るという展望もあった。
   この頃、現場の環境は少しよくなっていた。
ビルの三階に入っていた会社が移転したことで、 三階もサクセスのフロアとなった。
二階から四 階まで続けて使えることで、二階にあった電話 通販部と仕入れ部は三階に移動し、二階は店 舗をのぞくすべてのスペースが物流部のスペー スとして使えるようになった。
同じ時期に大手 家電量販店勤務という経歴をもつスタッフが何 人も社員として採用され、ビデオレコーダーや 電子レンジなど家電製品も本格的に扱うように なった。
PCパーツに比べかさばる家電製品が 床に積み上げられるようになったが、場所が広 くなった分作業は進めやすくなった。
ミニ基幹システムが導入されれば業務フロー が変わる。
在庫は店舗用と通販用に分けられ、 入荷した時点で区別される。
通販用の在庫はシ ステム画面を見れば確認できるようになり、あ るかないかわからない商品を店舗で探す手間が 省けるようになる。
もう一つ、このシステムの 大きな機能は、引き当てはシステム上で行われ、 客の注文した商品がすべて揃うまで棚でプール しておける点だった。
全部揃った時点で初めて リストが出る。
現場業務としては、リストが出 たらそれを普通にピッキングすればよい。
 ミニ基幹システム導入前に詰めておかなけれ ばならないことは、商品の管理方法だった。
在 庫の管理が客単位から商品単位に変わる。
ま だ発展途上のシステムで、技術的にロケーショ ンはつけられず、ロケーションなしで商品の保 管場所がわかるように格納しなければならな い。
仕入れ先ごとに商品をまとめるのか、商 品をカテゴリー分けして並べるかなど、方法を 決めておく必要があった。
何度もスタッフが集 められ、プロジェクトに対する意見や提案を求 められた。
物流部リーダーの中川さんは、何も 言わず私たちの意見に耳を傾けた。
まだ三十 歳前後の若さだったが、穏和で忍耐強い人だっ た。
中川さんから怒られたことは一度もなかっ た。
現場が混乱している時でも、文句も言わ ず一人で朝まで会社に残って仕事を片付けてい た。
そんな中川さんにみな甘えていた。
システム導入目前にリーダー失踪  ミニ基幹システム導入一カ月くらい前から、 システム運用に対するミーティングが開かれる ようになったが、導入日が近づくに従って、中 川さんの口からプロジェクトの話題が出なくな った。
少し気にはなったが、任せておけば大丈 夫だろうと安心していた。
 システム導入を一週間後に控えて、中川さん は体調を崩し会社を休んだ。
そしてそのまま欠 勤が続いた。
 この時、物流部のもう一人の正社員、中国 人の陳さんはのんきに構えていた。
陳さんは誠 実な人柄で、誰からも愛されていた。
仕事も 正確でミスもほとんどなかった。
物流部のサブ リーダーとして、率先してプロジェクトに当た るべきなのだが、その陳さんもまた中川さんに 頼りきっていた。
中川さんから具体的な実行案 が出てくるのをただ待っている様子だった。
し かしシステム導入までもう時間はなく、リーダ ー不在を想定した対策が必要になっていた。
そ れでも陳さんからは「中川さんが‥‥」とい う反応しか返ってこなかった。
こういう局面で の陳さんは少し頼りなかった。
 ミニ基幹システム導入三日前、私は中川さん は帰って来ない可能性が高いのではと陳さんに 迫った。
ようやく陳さんは危機感を覚えたのか、 急に狼狽し始めた。
中川さんとは連絡が取れな くなっていた。
 結局中川さんは、そのまま会社を辞めた。
一 人で抱え込んで耐え切れなくなったのだろう。
もう少しサポートできていればと悔やんだ。
 プロジェクトのスタートを目前に責任者がい なくなってしまうことなど誰も予想していなか ったため、社内中が騒然となった。
会社は急場 しのぎに、物流になじみの薄い他部署の管理職 を送り込んで来た。
吉田さんは、「こんな状態 で始めるのかよ。
ろくに準備ができてないじゃ ないか」と会社のいい加減さに呆れていた。
業 務フローはまだ何も決まっていないに等しかっ た。
現場の状況を考えればシステム導入は延期 だ。
しかし、ミニ基幹システムはスケジュール 通りに導入された。
(登場人物は全て仮名)   格  差   社  会 物 流

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