2008年10月号
メディア批評
メディア批評
?辛口?コメントを裏から支える気骨と度胸出演・執筆者を体を張って護るマスコミ人
佐高 信
経済評論家
69 OCTOBER 2008
もう一〇年以上前のことになるのか、『夕刊
フジ』のコラムに「イニシャルにすると、奇し
くも同じO
オー
さんとなる二人が、私にとって忘
れがたい人である」と書いたことがある。
一人は、当時、某テレビのプロデューサーだ った。
その後、現場を離れて局長職に就いたが、 この人が私をある人気番組のコメンテーターに した。
少々過激でも、経済問題でズバリ言う人は いないのかと、ワシントン特派員から帰った ばかりのその人が部員に尋ね、私の名が挙げ られたらしい。
住友銀行(現三井住友銀行)にまつわるイ トマン事件では、私は、 「イトマンは住友銀行のタンツボと言われて います」 とコメントしたが、反発の声も相当あった という。
証券スキャンダルで発覚した損失補填問題 では、スタジオに「MCF」や「MH」など、 それを受けた団体や個人の一覧表が掲げられ ていた。
キャスターに促されて、私は、 「MCFのCがOならMOF、つまり大蔵省 になる。
また、MHがたとえば三塚博だった ら大変ですね」 と発言した。
これが三塚派(清和会、現町村派)の面々 の怒りを買ったのである。
そのころまだ一年 生議員だった安倍晋三が選挙区から猛抗議の 電話をかけてきた、と後で聞いた。
普通なら、これで私には頼まなくなるはず だが、その人は私を出しつづけた。
「よく言ってくれた」という反応も少なくな かったからだろう。
そちらを大事にし、自ら の出世など考えないのがその人だった。
それ以後も、私のコメントはいろいろ波紋 を呼んだらしい。
リアクションもかなりのもの だったらしいが、その人はそれを私に一切伝 えず、ハネつけたり頭を下げてやりすごした りしたという。
そのことを私はあとで彼の部 下から聞いた。
彼の後任に彼のような勇気と度胸はなく、 彼が去って最初の回の時、私は 「気をつけてコメントしてくださいね」 と言われたので、ほとんど発言しなかった。
気になって見ていたらしい前任のその人に 「サタカさん、どうしたの?」 と尋ねられ、私は事情を話した。
そしてま もなく、私の出る機会はなくなった。
?辛口?などといわれて私が冒険しているよ うに見えるとすれば、自分の出世などを考え ずに、危険を覚悟して私を出演させる人がい るからである。
むしろ、彼が冒険しているのだ。
この「某テレビのプロデューサー」だった人 が、奇しくも私の郷里の山形のYTS(山形 テレビ)の社長となった岡正和である。
「ある 人気番組」とはテレビ朝日の「ニュースステ ーション」で、キャスターは久米宏だった。
岡とは、プロデューサーでなくなってから、 共通の友人のエッセイスト、吉永みち子と一 緒に会い、親交を深めた。
残念ながら、YT Sの社長となってからは会う機会がなかったが、 先日、久しぶりに電話で話した。
YTSの番組で、酒田の平田牧場会長、新 田嘉一と対談することになり、「よろしく」 と言ってきたのである。
岡社長のYTSだ から引き受けたという面もあったので、是非、 今度、酒田で会おうという話になった。
もう一人の「Oさん」は『週刊東洋経済』 の編集長だった大西良雄。
私がカネボウ会長 の伊藤淳二を批判して『週刊現代』の連載を ストップさせられた時、カネボウは『東洋経済』 のコラムもやめさせるよう圧力をかけたのだが、 大西はそれを断固ハネのけたのである。
共に 部下からの信頼の厚い二人は、上の覚えはめ でたくなく、それぞれ、本社の社長にはなら なかった。
これが、いまのメディアの現状な のだろう。
?辛口?コメントを裏から支える気骨と度胸 出演・執筆者を体を張って護るマスコミ人
一人は、当時、某テレビのプロデューサーだ った。
その後、現場を離れて局長職に就いたが、 この人が私をある人気番組のコメンテーターに した。
少々過激でも、経済問題でズバリ言う人は いないのかと、ワシントン特派員から帰った ばかりのその人が部員に尋ね、私の名が挙げ られたらしい。
住友銀行(現三井住友銀行)にまつわるイ トマン事件では、私は、 「イトマンは住友銀行のタンツボと言われて います」 とコメントしたが、反発の声も相当あった という。
証券スキャンダルで発覚した損失補填問題 では、スタジオに「MCF」や「MH」など、 それを受けた団体や個人の一覧表が掲げられ ていた。
キャスターに促されて、私は、 「MCFのCがOならMOF、つまり大蔵省 になる。
また、MHがたとえば三塚博だった ら大変ですね」 と発言した。
これが三塚派(清和会、現町村派)の面々 の怒りを買ったのである。
そのころまだ一年 生議員だった安倍晋三が選挙区から猛抗議の 電話をかけてきた、と後で聞いた。
普通なら、これで私には頼まなくなるはず だが、その人は私を出しつづけた。
「よく言ってくれた」という反応も少なくな かったからだろう。
そちらを大事にし、自ら の出世など考えないのがその人だった。
それ以後も、私のコメントはいろいろ波紋 を呼んだらしい。
リアクションもかなりのもの だったらしいが、その人はそれを私に一切伝 えず、ハネつけたり頭を下げてやりすごした りしたという。
そのことを私はあとで彼の部 下から聞いた。
彼の後任に彼のような勇気と度胸はなく、 彼が去って最初の回の時、私は 「気をつけてコメントしてくださいね」 と言われたので、ほとんど発言しなかった。
気になって見ていたらしい前任のその人に 「サタカさん、どうしたの?」 と尋ねられ、私は事情を話した。
そしてま もなく、私の出る機会はなくなった。
?辛口?などといわれて私が冒険しているよ うに見えるとすれば、自分の出世などを考え ずに、危険を覚悟して私を出演させる人がい るからである。
むしろ、彼が冒険しているのだ。
この「某テレビのプロデューサー」だった人 が、奇しくも私の郷里の山形のYTS(山形 テレビ)の社長となった岡正和である。
「ある 人気番組」とはテレビ朝日の「ニュースステ ーション」で、キャスターは久米宏だった。
岡とは、プロデューサーでなくなってから、 共通の友人のエッセイスト、吉永みち子と一 緒に会い、親交を深めた。
残念ながら、YT Sの社長となってからは会う機会がなかったが、 先日、久しぶりに電話で話した。
YTSの番組で、酒田の平田牧場会長、新 田嘉一と対談することになり、「よろしく」 と言ってきたのである。
岡社長のYTSだ から引き受けたという面もあったので、是非、 今度、酒田で会おうという話になった。
もう一人の「Oさん」は『週刊東洋経済』 の編集長だった大西良雄。
私がカネボウ会長 の伊藤淳二を批判して『週刊現代』の連載を ストップさせられた時、カネボウは『東洋経済』 のコラムもやめさせるよう圧力をかけたのだが、 大西はそれを断固ハネのけたのである。
共に 部下からの信頼の厚い二人は、上の覚えはめ でたくなく、それぞれ、本社の社長にはなら なかった。
これが、いまのメディアの現状な のだろう。
?辛口?コメントを裏から支える気骨と度胸 出演・執筆者を体を張って護るマスコミ人
