2009年2月号
判断学
判断学
世界大恐慌の教訓
奥村宏 経済評論家
第81回世界大恐慌の教訓
FEBRUARY 2009 80
『世界金融恐慌』
いま書店に行くと、サブプライム危機に関する本がたくさ
ん並べられている。
人びとの関心がそこに集中しているのだが、 株価の暴落から失業者の増大、そして世界的な景気の悪化 が社会不安を引き起こしており、それは一九二九年の世界 大恐慌以来のことだといわれている。
私が「サブプライム危機についての本を書いてくれ」と頼 まれたのは昨年の一〇月だったが、その際、私は「このサ ブプライム危機をどう判断するかは、私のこれまでの研究成 果をためされるものだ」と考え、すぐにそれに応じて執筆 にかかった。
その成果が昨年十二月に七つ森書館から出た『世界金融 恐慌』という本である。
サブプライム危機に関して書かれ た多くの本がこれについての解説か、あるいはあまり根拠 のない景気予測であるのに対して、私が書こうとしたのは、 これを一九二九年の世界大恐慌や一九八七年の?ブラック・ マンデイ?、さらに一九九〇年代の日本のバブル崩壊などと 比較しながら、これがなにを意味するのか、ということを 歴史的、そして理論的に明らかにすることであった。
一九二九年の世界大恐慌について書かれた本はたくさん あり、これに関する本が店頭に並べられている。
J・K・ ガルブレイスの『大暴落1929』(日経BP社)をはじめ、 林敏彦著『大恐慌のアメリカ』(岩波新書)や秋元英一著『世 界大恐慌』(講談社選書メチエ)などのほか、吉富勝著『ア メリカの大恐慌』(日本評論社)などもある。
吉富のこの本は一九六五年に出たもので、当時、私も熱 心にこの本を読んだものだが、それから四〇年以上たった今、 再刊されている。
このほかC・P・キンドルバーガーやP・テミンの本など の翻訳も出ているが、サブプライム危機によって改めて人び との関心がこれらの本に向けられている。
一九二九年恐慌との比較 私も前記の本を書くために、これらの本を読み直すとともに、 本を執筆したあとも書斎から昔読んだ本を引っ張り出して 再読し、さらにこれに関する新刊書も読んでいる。
新刊書といえば、NTT出版からアミティ・シュレーズの 『アメリカ大恐慌』という本が上下二冊で出ているので、早 速手に入れてこの本を読み、「エコノミスト」誌に書評を書 いた。
ただ、正直言ってこの本を読んで失望した。
それという のも著者はミルトン・フリードマン流の新自由主義に立って、 F・ルーズベルト大統領のニューディール政策が民間企業に 介入したことが大恐慌を長引かせた、と主張しているからだ。
このような偏った見方で一九二九年恐慌を解明することが できるだろうか。
この本は物語風に大恐慌の歴史を書いているのだが、物 語風といえばF・L・アレンの『オンリー・イエスタデイ』 や『シンス・イエスタデイ』の翻訳がいずれもちくま文庫か ら出ており、この方がずっと面白い。
また、かつてハヤカワ 文庫からI・レイトン編の『アスピリン・エイジ』が上中下 の三冊に分かれて出ていたが、これもドキュメンタリーとし て面白い。
これらの本を読み直していくうちに、一九二九年から 一九三〇年代にかけてのアメリカがいまのアメリカにいかに よく似ているか、ということを改めて認識させられる。
株価暴落、銀行倒産、自動車の売行き不振、失業者の増大、 これらはいずれも一九二九年から三〇年代にかけてアメリ カで大問題になっていたのだが、いままた同じようなこと が起こっている。
もちろん当時とは経済の構造が異なっているが、どの点 が似ており、どの点が異なっているか、ということを考え ながら読んでいく必要がある。
資本主義の歴史には常に覇権国家の存在があった。
1929 年の大恐慌は、覇権 がイギリスからアメリカへと移行するリーダー不在の不安定な時期に発生した。
そ のアメリカが失墜した今、我々は覇権国家のない資本主義という、かつて経験し たことのない事態を迎えようとしている。
81 FEBRUARY 2009 覇権国家のない時代 C・P・キンドルバーガーの『大恐慌下の世界、一九二九 ──一九三九』(東京大学出版会)は、国際金融学者とし て有名な著者が一九二九年大恐慌について書いた本である。
この本では世界経済の中心がイギリスからアメリカへ移行 する過渡期に起こったのが一九二九年大恐慌であったとし ている。
第一次大戦まで世界経済をリードしてきたのはイ ギリスであったが、第一次大戦後、それがアメリカに移行し ていく。
しかし、アメリカの支配体制がまだ確立していな い段階で大恐慌が起こった。
イギリスには世界経済をリードしていく力がなくなってい るが、アメリカはまだそれに代わる覇権国家にはなっていない。
そこで世界経済をリードする者がいなくなり、関税引き上 げ競争をすることで混乱した。
これが大恐慌を引き起こし たのだとキンドルバーガーは言うのである。
では現在はどうか。
これまで世界経済をリードしてきた アメリカは一大債務国になり、ドルの力は衰え、世界経済 をリードする力はなくなってしまっている。
それがイラク戦 争などによってさらに深刻化しているのだが、そういう段 階でサブプライム危機が起こった。
ところがこのアメリカに代わって世界経済をリードする覇 権国家は不在である。
この点ではまさに一九二九年の段階 と同じということができる。
問題は、一九二九年大恐慌の あと、第二次大戦でアメリカが覇権国家となったのだが、現 在はそれに代わるものがいない、というところにある。
ア メリカに代わって、中国か、それともインドか、あるいは日 本か、と聞かれても誰もそうだという人はいないだろう。
そこでこれからは「覇権国家のない時代になる」という 見方があるが、これまでの資本主義の歴史では覇権国家の ない時代はなかった。
ではどうなるのか? いま人類はそ ういう難問の前に立たされているのである。
アメリカの産業構造に問題 吉富勝氏の『アメリカの大恐慌』は著者が三〇歳代の時 に書かれた本である。
その後、この著者は経済企画庁の役 人になり、官庁エコノミストとして有名になった。
そのため か、大恐慌の研究はその後しなくなったようだが、この本 は今読んでも役に立つ。
そこでは一九二〇年代のアメリカ経済をリードしたのは自 動車や電機などの耐久消費財産業であるとしており、それ が頭打ちになったことがやがて大恐慌につながっていった としている。
今回のサブプライム危機でもGM、フォード、クライスラ ーの自動車ビッグスリーが経営危機に陥って、これを政府が 救済するかどうか、ということが大問題になっている。
一九二九年の大恐慌が単に株価の暴落だけから起こった のであれば、やがて株価が底入れすれば経済全体も回復す るだろうが、そうはいかなかった。
というのはアメリカの経 済構造、そして産業構造に問題があったからである。
今回のサブプライム危機でも、それが住宅金融の破綻から 株価暴落へとつながったが、それだけならやがて回復する とみられていた。
ところがこれが自動車の売行き不振へと つながり、ビッグスリーが経営危機に陥り、失業者が街にあ ふれるようになった。
それはもはや?サブプライム危機?の 段階を越え?金融恐慌?へと発展し、しかもそれがヨーロ ッパからアジア、さらにはロシアや中国にまで波及しており、 それはまさに?世界金融恐慌?の様相を呈している。
そこでP・サミュエルソンやP・クルーグマンなど有名な 経済学者が口を揃えて「これは一九二九年の大恐慌以来の ことだ」と言っているのだが、アメリカの経済構造、そし て産業構造に問題があるということを、一九二九年大恐慌 と現在とを比較しながら考えていくということが必要では ないか、と吉富氏の本を読みながら痛感させられた。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『世界金融恐慌』(七 つ森書館)。
人びとの関心がそこに集中しているのだが、 株価の暴落から失業者の増大、そして世界的な景気の悪化 が社会不安を引き起こしており、それは一九二九年の世界 大恐慌以来のことだといわれている。
私が「サブプライム危機についての本を書いてくれ」と頼 まれたのは昨年の一〇月だったが、その際、私は「このサ ブプライム危機をどう判断するかは、私のこれまでの研究成 果をためされるものだ」と考え、すぐにそれに応じて執筆 にかかった。
その成果が昨年十二月に七つ森書館から出た『世界金融 恐慌』という本である。
サブプライム危機に関して書かれ た多くの本がこれについての解説か、あるいはあまり根拠 のない景気予測であるのに対して、私が書こうとしたのは、 これを一九二九年の世界大恐慌や一九八七年の?ブラック・ マンデイ?、さらに一九九〇年代の日本のバブル崩壊などと 比較しながら、これがなにを意味するのか、ということを 歴史的、そして理論的に明らかにすることであった。
一九二九年の世界大恐慌について書かれた本はたくさん あり、これに関する本が店頭に並べられている。
J・K・ ガルブレイスの『大暴落1929』(日経BP社)をはじめ、 林敏彦著『大恐慌のアメリカ』(岩波新書)や秋元英一著『世 界大恐慌』(講談社選書メチエ)などのほか、吉富勝著『ア メリカの大恐慌』(日本評論社)などもある。
吉富のこの本は一九六五年に出たもので、当時、私も熱 心にこの本を読んだものだが、それから四〇年以上たった今、 再刊されている。
このほかC・P・キンドルバーガーやP・テミンの本など の翻訳も出ているが、サブプライム危機によって改めて人び との関心がこれらの本に向けられている。
一九二九年恐慌との比較 私も前記の本を書くために、これらの本を読み直すとともに、 本を執筆したあとも書斎から昔読んだ本を引っ張り出して 再読し、さらにこれに関する新刊書も読んでいる。
新刊書といえば、NTT出版からアミティ・シュレーズの 『アメリカ大恐慌』という本が上下二冊で出ているので、早 速手に入れてこの本を読み、「エコノミスト」誌に書評を書 いた。
ただ、正直言ってこの本を読んで失望した。
それという のも著者はミルトン・フリードマン流の新自由主義に立って、 F・ルーズベルト大統領のニューディール政策が民間企業に 介入したことが大恐慌を長引かせた、と主張しているからだ。
このような偏った見方で一九二九年恐慌を解明することが できるだろうか。
この本は物語風に大恐慌の歴史を書いているのだが、物 語風といえばF・L・アレンの『オンリー・イエスタデイ』 や『シンス・イエスタデイ』の翻訳がいずれもちくま文庫か ら出ており、この方がずっと面白い。
また、かつてハヤカワ 文庫からI・レイトン編の『アスピリン・エイジ』が上中下 の三冊に分かれて出ていたが、これもドキュメンタリーとし て面白い。
これらの本を読み直していくうちに、一九二九年から 一九三〇年代にかけてのアメリカがいまのアメリカにいかに よく似ているか、ということを改めて認識させられる。
株価暴落、銀行倒産、自動車の売行き不振、失業者の増大、 これらはいずれも一九二九年から三〇年代にかけてアメリ カで大問題になっていたのだが、いままた同じようなこと が起こっている。
もちろん当時とは経済の構造が異なっているが、どの点 が似ており、どの点が異なっているか、ということを考え ながら読んでいく必要がある。
資本主義の歴史には常に覇権国家の存在があった。
1929 年の大恐慌は、覇権 がイギリスからアメリカへと移行するリーダー不在の不安定な時期に発生した。
そ のアメリカが失墜した今、我々は覇権国家のない資本主義という、かつて経験し たことのない事態を迎えようとしている。
81 FEBRUARY 2009 覇権国家のない時代 C・P・キンドルバーガーの『大恐慌下の世界、一九二九 ──一九三九』(東京大学出版会)は、国際金融学者とし て有名な著者が一九二九年大恐慌について書いた本である。
この本では世界経済の中心がイギリスからアメリカへ移行 する過渡期に起こったのが一九二九年大恐慌であったとし ている。
第一次大戦まで世界経済をリードしてきたのはイ ギリスであったが、第一次大戦後、それがアメリカに移行し ていく。
しかし、アメリカの支配体制がまだ確立していな い段階で大恐慌が起こった。
イギリスには世界経済をリードしていく力がなくなってい るが、アメリカはまだそれに代わる覇権国家にはなっていない。
そこで世界経済をリードする者がいなくなり、関税引き上 げ競争をすることで混乱した。
これが大恐慌を引き起こし たのだとキンドルバーガーは言うのである。
では現在はどうか。
これまで世界経済をリードしてきた アメリカは一大債務国になり、ドルの力は衰え、世界経済 をリードする力はなくなってしまっている。
それがイラク戦 争などによってさらに深刻化しているのだが、そういう段 階でサブプライム危機が起こった。
ところがこのアメリカに代わって世界経済をリードする覇 権国家は不在である。
この点ではまさに一九二九年の段階 と同じということができる。
問題は、一九二九年大恐慌の あと、第二次大戦でアメリカが覇権国家となったのだが、現 在はそれに代わるものがいない、というところにある。
ア メリカに代わって、中国か、それともインドか、あるいは日 本か、と聞かれても誰もそうだという人はいないだろう。
そこでこれからは「覇権国家のない時代になる」という 見方があるが、これまでの資本主義の歴史では覇権国家の ない時代はなかった。
ではどうなるのか? いま人類はそ ういう難問の前に立たされているのである。
アメリカの産業構造に問題 吉富勝氏の『アメリカの大恐慌』は著者が三〇歳代の時 に書かれた本である。
その後、この著者は経済企画庁の役 人になり、官庁エコノミストとして有名になった。
そのため か、大恐慌の研究はその後しなくなったようだが、この本 は今読んでも役に立つ。
そこでは一九二〇年代のアメリカ経済をリードしたのは自 動車や電機などの耐久消費財産業であるとしており、それ が頭打ちになったことがやがて大恐慌につながっていった としている。
今回のサブプライム危機でもGM、フォード、クライスラ ーの自動車ビッグスリーが経営危機に陥って、これを政府が 救済するかどうか、ということが大問題になっている。
一九二九年の大恐慌が単に株価の暴落だけから起こった のであれば、やがて株価が底入れすれば経済全体も回復す るだろうが、そうはいかなかった。
というのはアメリカの経 済構造、そして産業構造に問題があったからである。
今回のサブプライム危機でも、それが住宅金融の破綻から 株価暴落へとつながったが、それだけならやがて回復する とみられていた。
ところがこれが自動車の売行き不振へと つながり、ビッグスリーが経営危機に陥り、失業者が街にあ ふれるようになった。
それはもはや?サブプライム危機?の 段階を越え?金融恐慌?へと発展し、しかもそれがヨーロ ッパからアジア、さらにはロシアや中国にまで波及しており、 それはまさに?世界金融恐慌?の様相を呈している。
そこでP・サミュエルソンやP・クルーグマンなど有名な 経済学者が口を揃えて「これは一九二九年の大恐慌以来の ことだ」と言っているのだが、アメリカの経済構造、そし て産業構造に問題があるということを、一九二九年大恐慌 と現在とを比較しながら考えていくということが必要では ないか、と吉富氏の本を読みながら痛感させられた。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『世界金融恐慌』(七 つ森書館)。
