2010年2月号
現場改善
現場改善
第85回 リーマンショックがくれた贈り物
83 FEBRUARY 2010
事例で学ぶ
現場改善
日本ロジファクトリー
青木正一 代表
第85 回
予想だにしなかった突然の業績悪化に見舞われて、多くの経
営者が茫然自失となっている。
自分の脇の甘さと自惚れを思い 知らされ、眠れない夜を重ねている。
しかし、未曾有の不況 も悪いことばかりではない。
試練に直面したことで目を覚まし、 一回り大きな経営者になって帰ってくればいい。
リーマンショックがくれた贈り物 銀行の甘言に踊らされて 中堅アパレルメーカーM社のA社長。
現在、 四五歳。
アパレル雑貨の専門分野では豊かな 経験と知識を持ち、ブームやトレンドを読む 動物的直感にも長けている。
若い頃は大手アパレルメーカーで揉まれ、そ の後、修行のために欧州に留学。
一五年ほど 前にM社を興した。
会社設立直後から業績は 順調で、アジアに現地法人を置くほどまでに 成長した。
筆者がA社長に出会ったのはおよそ三年前 のことである。
物流のフローを見直したいと いうことで、当時のM社の貿易担当者から 我々日本ロジファクトリー(NLF)に連絡 が入り、後日、筆者が同社を訪問することに なった。
初対面のA社長から筆者が受けた印象は、 ?危なそうなヒト?というものであった。
強面 の風貌もそうであったが、経営に対する考え 方や物事の決め方が、いわゆる?いけいけど んどん?で、いずれどこかで躓きそうに思え た。
今後も長く続く会社とは思えなかったの である。
相談の内容としては、具体的に話を詰めて いったところ、物流のフローよりも既存の協 力物流会社の対応力に問題があるという結論 に至った。
そこで後日、M社に新しい物流会 社を紹介することで同案件を終えたのであっ た。
そのA社長から先日、私の携帯電話に久し ぶりに連絡が入った。
珍しい人物からの連絡 であり、さては何か問題でも起きたかと、す ぐさま対応に出た。
するとA社長は「おかげ さまで紹介してもらった物流会社には売上増 大にもきっちり対応してもらっています」と 丁寧に礼を述べたのに続き、久しぶりに会わ ないかという。
紹介した物流会社が評価され、クライアン トからお礼の連絡をもらうということは、筆 者のような商売であれば良くあることのよう に読者は思われるかも知れないが、実はほと んどない。
荷主にとって物流は上手くいって 当たり前、筆者に連絡があるのは問題が起き た時ばかりというのが実情だ。
ましてや筆者の知るA社長は、コンサルタ ントにわざわざ礼をするようなタイプではな く、むしろ「物流が良くなったのも俺の実力 FEBRUARY 2010 84 だ」と考えるクチである。
狐につままれたよ うであった。
その数日後、A社長との面談にM社を訪れ た。
オフィスは前回訪問した場所から、一等 地の立派なビルに移っていた。
数年ぶりに会うA社長の風貌は相変わらず の強面だったが、物腰は以前と比べてずいぶ んと柔らかくなっていた。
我々NLFの紹介 した物流会社がM社の売上拡大に大きく貢献 していること、さらにはM社の製品が最近 では中国市場でも受け入れられるようになり、 現地法人を増員するためについ先日、就職説 明会を実施したことなどを楽しそうに話して くれた。
そろそろ面談も終りかと感じていた頃に、A 社長は突然切り出した。
「いや、この三年間 は本当に大変で、色々とありました」という。
順調に売り上げを伸ばしているのに、何が大 変だったのかと筆者は問い質した。
すると次のような事情があったことを話し てくれた。
ある銀行がM社の成長を見て、その将来性 を見越して五億円をポンと融資した。
M社の 当面の資金繰りとしては一億円強もあれば十 分だった。
それだけに五億円もの大金を手に したA社長は、その使いみちに戸惑ってしま った。
とりあえず、前述のような立派なオフィス に引っ越し、さしあたって必要もない新規採 用を行い、さらには有名デザイナーに大金を 払ってブランドロゴの作成などを依頼した。
そ れでも使いきれなかった融資額の大半は、不 動産投資に充てた。
リーマンショックが起きたのは、それから 四カ月後のことだった。
購入した土地は一気 に半値に下がった。
これによって、A社長い わく「一回会社が潰れました」。
身の丈を超えた借入金が、大きな心労とな ってA社長に襲いかかった。
眠りが浅い。
夜 中の三時に目が覚める。
何をするでもなく外 に出て、二四時間営業のファーストフード店で 時間を潰す。
様々なことが頭を駈け巡り、や がて朝を迎える。
そんな夜が何日も続いたと いう。
それまで事業は順調に来ていた。
それが本 業とは無関係の不動産投資によって危機に陥 った。
今までの努力や積み上げてきたものが 無になってしまう。
「完全にビジョンを見失い ました」とA社長は言う。
「自分は経営者に向いていないのではない か」「もう、この業界で生き残れないのでは ないか」──激しい自己嫌悪に陥った。
不眠の日々は三カ月近く続いた。
やむをえ ず睡眠導入剤の力を借りることにした。
それ によって精神状態と体力は少しずつではあっ たが回復していった。
しかし、危機が遠ざか ることはなかった。
しかし、そんなある日、転機は突然に訪れ た。
A社長は今までの自分のキャリアや大手 メーカーでの実績を棚卸ししてみた。
そこに は経営者として優秀とは言えないかもしれな いが、決して人に劣っているわけでもない自 分がいた。
「俺はやはりこの業界で生きていくしかな い。
まずは、やり残していることをやってし まおう」と、A社長に持ち前のガッツと行動 力が甦った。
それと同時に、A社長の強運も戻ってきた。
中国から大口の引き合いが舞い込んだ。
今期 の決算でM社は経常利益率一〇%を達成する 勢いだ。
さらに来期は売上高の倍増を見込ん でいる。
リーマンショックに端を発したピンチを通 じて、A社長は本業に集中すること、ストレ スのない経営を貫くことに目覚めた。
そして、 明確なビジョンがあれば怖いものはないとい うことを学んだという。
投資用に購入した土地には、まだ買い手が つかず、雑草が生えたままの状態になってい る。
それでも借入金は半分の二・五億円まで 圧縮した。
財務の改善や社内体制の整備はこ れからだが、若手社員たちが元気に働いてい る。
何よりA社長自身が生まれ変わり、元気 が戻っていることを筆者は実感したのであっ た。
礼儀知らずだった創業社長の変身 もう一人、紹介しよう。
物流会社S社のB 社長である。
若干一八歳でS社を設立し、今 年で創業四五年になる。
B社長と出会ったのは今から十三年前、筆 者がNLFを立ち上げて間もない頃だった。
知 人の紹介でS社を訪れ、営業活動に関するコ 85 FEBRUARY 2010 ンサルティングの相談を受けた。
B社長は典型的な物流会社の創業者タイプ で、アクが強く、エネルギッシュで頭の回転 が速い。
酒焼けなのか怒鳴りすぎのせいか、 声がやけにしわがれている。
A社長と同様に、 やはり?危ない?感じの社長であった。
実はS社は、我々NLFにとっては?ブラ ックリスト入り?の、いわくつきの会社であ った。
先の十三年前の相談時のこと、正式な コンサルティング契約を結び、後日初回の指 導日になってドタキャンに見舞われた。
その後、連絡も取れなかった。
S社に理由 を尋ねる電話を入れても居留守を使われてし まう。
結局、何が起こったのかも分からない まま縁が切れた。
そんな会社と深く付き合っ ても嫌な思いをするだけだと、我々は憤懣を 抑えるしかなかった。
そのS社から最近、改めて連絡が入った。
しかもNLFのスタッフから渡されたメモに は、B社長の名前が書かれていた。
疑心暗鬼 で連絡を折り返した。
十三年前とは別人のようなB社長の対応で あった。
しわがれ声は相変わらずだが、口調 は丁寧であり、また改めて我々に連絡をとっ た理由も詳しく明確に説明してくれた。
提案 営業のサポートを依頼したいという主旨であ った。
一〇日後にS社を訪問した。
行きがてら十 三年前のことが頭に浮かんだ。
ドタキャンさ れた帰り道、混乱した状態でバスに乗り、悔 しさのあまり目的の停留所で降り損なって終 点まで行ってしまったことを思い出した。
本社の住所は当時のままであった。
しかし、 私を出迎えてくれたB社長はすでに初老にな り、以前に感じた?危なさ?はすっかり影を 潜めていた。
具体的な相談に入る前にB社長 は、久しぶりの再会までの出来事をいろいろ と話してくれた。
この一〇年あまりの間にS社は大きく成長 していた。
売上高はかつての三倍になり、営 業所は五カ所、関連会社は三社に増えていた。
成長のペース自体は他社でも見られるレベル だが、その伸び方が珍しかった。
右肩上がり に徐々に成長カーブを描くというのではなく、 三年に一度の間隔で売上高が階段状に伸びて いた。
まず、ある会社を吸収合併したことで、売 上高が三〇%増加した。
その後も節目節目で 大型案件を受注していた。
?ここ一番?とい う大勝負で確実に案件を取っていたのであっ た。
今回、我々NLFに提案営業のサポート を要請したのも、再び?ここ一番?を迎えた からであった。
他にもB社長は、息子が自分の会社を手伝 うようになったこと、孫が出来たこと、そし て今回の不況が創業からの四五年間の中で一 番厳しかったことなどを話してくれた。
B社長いわく、「今までの商売のやり方が間 違っていたことに気付いた」、「身の丈にあっ た経営が一番大事だ」、「息子に跡を継がせる つもりはないが、自分が現役を退いた後の経 営を考えていなかった」など。
かつてのB社 長からは想像もつかない謙虚な言葉が続いた。
今回の相談の主旨である提案営業のサポー トに対する筆者の話に対しても、一つひとつ 頷いたり、手帳にメモを取ったり、熱心に耳 を傾けてくれた。
そして今回の案件だけでな く、今後は様々な面で我々NLFにサポート して欲しいという。
話を聞いていて筆者はB 社長を信頼することができた。
もうドタキャ ンの恐れもないだろう。
このような再会から提案営業のプロジェク トは進行し、当初目論んでいた受託対象範囲 の七割にとどまったものの、無事受注に漕ぎ 付けようとしている。
リーマンショックは筆者の身近にいる経営 者たちにも大変な影響を及ぼしている。
ただ し、その影響は大きく二極化しているように 感じる。
頭から冷や水を浴びせられたような 気がしているのは、どの経営者も同じだろう。
しかし、それによって目を覚まし、経営のシ フトチェンジやモデルチェンジにひたむきに取 り組み、より強くなった経営者や会社も少な くないのである。
あおき・しょういち 1964年生まれ。
京都産 業大学経済学部卒業。
大手 運送業者のセールスドライ バーを経て、89 年に船井 総合研究所入社。
物流開発 チーム・トラックチームチー フを務める。
96年、独立。
日本ロジファクトリーを設 立し代表に就任。
現在に至る。
HP:http://www.nlf.co.jp/ e-mail:info@nlf.co.jp
自分の脇の甘さと自惚れを思い 知らされ、眠れない夜を重ねている。
しかし、未曾有の不況 も悪いことばかりではない。
試練に直面したことで目を覚まし、 一回り大きな経営者になって帰ってくればいい。
リーマンショックがくれた贈り物 銀行の甘言に踊らされて 中堅アパレルメーカーM社のA社長。
現在、 四五歳。
アパレル雑貨の専門分野では豊かな 経験と知識を持ち、ブームやトレンドを読む 動物的直感にも長けている。
若い頃は大手アパレルメーカーで揉まれ、そ の後、修行のために欧州に留学。
一五年ほど 前にM社を興した。
会社設立直後から業績は 順調で、アジアに現地法人を置くほどまでに 成長した。
筆者がA社長に出会ったのはおよそ三年前 のことである。
物流のフローを見直したいと いうことで、当時のM社の貿易担当者から 我々日本ロジファクトリー(NLF)に連絡 が入り、後日、筆者が同社を訪問することに なった。
初対面のA社長から筆者が受けた印象は、 ?危なそうなヒト?というものであった。
強面 の風貌もそうであったが、経営に対する考え 方や物事の決め方が、いわゆる?いけいけど んどん?で、いずれどこかで躓きそうに思え た。
今後も長く続く会社とは思えなかったの である。
相談の内容としては、具体的に話を詰めて いったところ、物流のフローよりも既存の協 力物流会社の対応力に問題があるという結論 に至った。
そこで後日、M社に新しい物流会 社を紹介することで同案件を終えたのであっ た。
そのA社長から先日、私の携帯電話に久し ぶりに連絡が入った。
珍しい人物からの連絡 であり、さては何か問題でも起きたかと、す ぐさま対応に出た。
するとA社長は「おかげ さまで紹介してもらった物流会社には売上増 大にもきっちり対応してもらっています」と 丁寧に礼を述べたのに続き、久しぶりに会わ ないかという。
紹介した物流会社が評価され、クライアン トからお礼の連絡をもらうということは、筆 者のような商売であれば良くあることのよう に読者は思われるかも知れないが、実はほと んどない。
荷主にとって物流は上手くいって 当たり前、筆者に連絡があるのは問題が起き た時ばかりというのが実情だ。
ましてや筆者の知るA社長は、コンサルタ ントにわざわざ礼をするようなタイプではな く、むしろ「物流が良くなったのも俺の実力 FEBRUARY 2010 84 だ」と考えるクチである。
狐につままれたよ うであった。
その数日後、A社長との面談にM社を訪れ た。
オフィスは前回訪問した場所から、一等 地の立派なビルに移っていた。
数年ぶりに会うA社長の風貌は相変わらず の強面だったが、物腰は以前と比べてずいぶ んと柔らかくなっていた。
我々NLFの紹介 した物流会社がM社の売上拡大に大きく貢献 していること、さらにはM社の製品が最近 では中国市場でも受け入れられるようになり、 現地法人を増員するためについ先日、就職説 明会を実施したことなどを楽しそうに話して くれた。
そろそろ面談も終りかと感じていた頃に、A 社長は突然切り出した。
「いや、この三年間 は本当に大変で、色々とありました」という。
順調に売り上げを伸ばしているのに、何が大 変だったのかと筆者は問い質した。
すると次のような事情があったことを話し てくれた。
ある銀行がM社の成長を見て、その将来性 を見越して五億円をポンと融資した。
M社の 当面の資金繰りとしては一億円強もあれば十 分だった。
それだけに五億円もの大金を手に したA社長は、その使いみちに戸惑ってしま った。
とりあえず、前述のような立派なオフィス に引っ越し、さしあたって必要もない新規採 用を行い、さらには有名デザイナーに大金を 払ってブランドロゴの作成などを依頼した。
そ れでも使いきれなかった融資額の大半は、不 動産投資に充てた。
リーマンショックが起きたのは、それから 四カ月後のことだった。
購入した土地は一気 に半値に下がった。
これによって、A社長い わく「一回会社が潰れました」。
身の丈を超えた借入金が、大きな心労とな ってA社長に襲いかかった。
眠りが浅い。
夜 中の三時に目が覚める。
何をするでもなく外 に出て、二四時間営業のファーストフード店で 時間を潰す。
様々なことが頭を駈け巡り、や がて朝を迎える。
そんな夜が何日も続いたと いう。
それまで事業は順調に来ていた。
それが本 業とは無関係の不動産投資によって危機に陥 った。
今までの努力や積み上げてきたものが 無になってしまう。
「完全にビジョンを見失い ました」とA社長は言う。
「自分は経営者に向いていないのではない か」「もう、この業界で生き残れないのでは ないか」──激しい自己嫌悪に陥った。
不眠の日々は三カ月近く続いた。
やむをえ ず睡眠導入剤の力を借りることにした。
それ によって精神状態と体力は少しずつではあっ たが回復していった。
しかし、危機が遠ざか ることはなかった。
しかし、そんなある日、転機は突然に訪れ た。
A社長は今までの自分のキャリアや大手 メーカーでの実績を棚卸ししてみた。
そこに は経営者として優秀とは言えないかもしれな いが、決して人に劣っているわけでもない自 分がいた。
「俺はやはりこの業界で生きていくしかな い。
まずは、やり残していることをやってし まおう」と、A社長に持ち前のガッツと行動 力が甦った。
それと同時に、A社長の強運も戻ってきた。
中国から大口の引き合いが舞い込んだ。
今期 の決算でM社は経常利益率一〇%を達成する 勢いだ。
さらに来期は売上高の倍増を見込ん でいる。
リーマンショックに端を発したピンチを通 じて、A社長は本業に集中すること、ストレ スのない経営を貫くことに目覚めた。
そして、 明確なビジョンがあれば怖いものはないとい うことを学んだという。
投資用に購入した土地には、まだ買い手が つかず、雑草が生えたままの状態になってい る。
それでも借入金は半分の二・五億円まで 圧縮した。
財務の改善や社内体制の整備はこ れからだが、若手社員たちが元気に働いてい る。
何よりA社長自身が生まれ変わり、元気 が戻っていることを筆者は実感したのであっ た。
礼儀知らずだった創業社長の変身 もう一人、紹介しよう。
物流会社S社のB 社長である。
若干一八歳でS社を設立し、今 年で創業四五年になる。
B社長と出会ったのは今から十三年前、筆 者がNLFを立ち上げて間もない頃だった。
知 人の紹介でS社を訪れ、営業活動に関するコ 85 FEBRUARY 2010 ンサルティングの相談を受けた。
B社長は典型的な物流会社の創業者タイプ で、アクが強く、エネルギッシュで頭の回転 が速い。
酒焼けなのか怒鳴りすぎのせいか、 声がやけにしわがれている。
A社長と同様に、 やはり?危ない?感じの社長であった。
実はS社は、我々NLFにとっては?ブラ ックリスト入り?の、いわくつきの会社であ った。
先の十三年前の相談時のこと、正式な コンサルティング契約を結び、後日初回の指 導日になってドタキャンに見舞われた。
その後、連絡も取れなかった。
S社に理由 を尋ねる電話を入れても居留守を使われてし まう。
結局、何が起こったのかも分からない まま縁が切れた。
そんな会社と深く付き合っ ても嫌な思いをするだけだと、我々は憤懣を 抑えるしかなかった。
そのS社から最近、改めて連絡が入った。
しかもNLFのスタッフから渡されたメモに は、B社長の名前が書かれていた。
疑心暗鬼 で連絡を折り返した。
十三年前とは別人のようなB社長の対応で あった。
しわがれ声は相変わらずだが、口調 は丁寧であり、また改めて我々に連絡をとっ た理由も詳しく明確に説明してくれた。
提案 営業のサポートを依頼したいという主旨であ った。
一〇日後にS社を訪問した。
行きがてら十 三年前のことが頭に浮かんだ。
ドタキャンさ れた帰り道、混乱した状態でバスに乗り、悔 しさのあまり目的の停留所で降り損なって終 点まで行ってしまったことを思い出した。
本社の住所は当時のままであった。
しかし、 私を出迎えてくれたB社長はすでに初老にな り、以前に感じた?危なさ?はすっかり影を 潜めていた。
具体的な相談に入る前にB社長 は、久しぶりの再会までの出来事をいろいろ と話してくれた。
この一〇年あまりの間にS社は大きく成長 していた。
売上高はかつての三倍になり、営 業所は五カ所、関連会社は三社に増えていた。
成長のペース自体は他社でも見られるレベル だが、その伸び方が珍しかった。
右肩上がり に徐々に成長カーブを描くというのではなく、 三年に一度の間隔で売上高が階段状に伸びて いた。
まず、ある会社を吸収合併したことで、売 上高が三〇%増加した。
その後も節目節目で 大型案件を受注していた。
?ここ一番?とい う大勝負で確実に案件を取っていたのであっ た。
今回、我々NLFに提案営業のサポート を要請したのも、再び?ここ一番?を迎えた からであった。
他にもB社長は、息子が自分の会社を手伝 うようになったこと、孫が出来たこと、そし て今回の不況が創業からの四五年間の中で一 番厳しかったことなどを話してくれた。
B社長いわく、「今までの商売のやり方が間 違っていたことに気付いた」、「身の丈にあっ た経営が一番大事だ」、「息子に跡を継がせる つもりはないが、自分が現役を退いた後の経 営を考えていなかった」など。
かつてのB社 長からは想像もつかない謙虚な言葉が続いた。
今回の相談の主旨である提案営業のサポー トに対する筆者の話に対しても、一つひとつ 頷いたり、手帳にメモを取ったり、熱心に耳 を傾けてくれた。
そして今回の案件だけでな く、今後は様々な面で我々NLFにサポート して欲しいという。
話を聞いていて筆者はB 社長を信頼することができた。
もうドタキャ ンの恐れもないだろう。
このような再会から提案営業のプロジェク トは進行し、当初目論んでいた受託対象範囲 の七割にとどまったものの、無事受注に漕ぎ 付けようとしている。
リーマンショックは筆者の身近にいる経営 者たちにも大変な影響を及ぼしている。
ただ し、その影響は大きく二極化しているように 感じる。
頭から冷や水を浴びせられたような 気がしているのは、どの経営者も同じだろう。
しかし、それによって目を覚まし、経営のシ フトチェンジやモデルチェンジにひたむきに取 り組み、より強くなった経営者や会社も少な くないのである。
あおき・しょういち 1964年生まれ。
京都産 業大学経済学部卒業。
大手 運送業者のセールスドライ バーを経て、89 年に船井 総合研究所入社。
物流開発 チーム・トラックチームチー フを務める。
96年、独立。
日本ロジファクトリーを設 立し代表に就任。
現在に至る。
HP:http://www.nlf.co.jp/ e-mail:info@nlf.co.jp
