2011年5月号
特集
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第1部 その時あの人はどう動いたか被災した故郷で学んだ有事の物流青山ロジスティクス総合研究所 代表 刈屋大輔
MAY 2011 28
瓦礫の山に途方に暮れる
今回の東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩
手県宮古市は、私の生まれ故郷である。
三月十一 日の地震発生当日、東京都心部で帰宅難民となっ た私は、待機していたオフィスのテレビで繰り返し 流れる、巨大な黒波が懐かしい街並みを飲み込ん でいく様子を放心状態で眺めていた。
海岸沿いに 住む親類に何度電話をかけてもつながらない。
過 去に津波を経験している祖父や父から、その破壊 力の凄まじさを何度も聞かされてきただけに、正 直なところ、多くの尊い命を失う最悪の事態を覚 悟したというのが本音だ。
詳細は割愛するが、様々な奇跡が重なり、親戚 たちは皆、無事だった。
しかしながら、父の実家 の建物は、食品スーパーの店舗として機能してい た一階部分がすべて流された。
そして震災発生か らおよそ二週間。
ようやく東京からの移動交通手 段を確保できた私は、親戚や知人の安否確認、父 の実家の復旧作 業のサポート、 さらには、被災 者に非常に近し い立場でありな がら不謹慎な行 動かもしれない が、「被災地のロ ジスティクスの 実情」をリサー チする目的で、 現地入りを果た した。
初日。
宮古市 の気温は氷点下、 小雪がチラチラと 舞う真冬のような 気候だった。
現地 に到着した私は、 防寒性の高い作 業着に安全靴と いう出で立ちで、 早速、復旧作業に 取り掛かった。
実 家の店舗内や店 舗周辺に流れ着い た瓦礫や汚泥、砂 などをスコップで すくい上げて土木 用一輪車に載せ 道路手前まで運 ぶ。
この単純作業 をひたすら繰り返 す。
木片やガラス 片、コンクリ片な ど多種多様な破損物が混ざり合う瓦礫はとにかく 重い。
慣れない力仕事に足腰をふらつかせながら、 目の前にある瓦礫の塊を少しずつ減らしていく作 業に追われた。
国道や県道、市道といった公道に流れ着いた瓦 礫は、震災直後に全国各地から投入された自衛隊 員たちがマンパワーや重機を用いて、あっという間 に片付けていったという。
ただし、正確に表現す れば、片付けたというよりも“寄せた”だけ。
道 路を元の綺麗な状態に戻すのは後回しにして、取 被災した親族の手助けで瓦礫の撤去などの作業に従事しな がら、物流の現状を調査すべく現地を歩いてまわった。
マス メディアでは学識経験者たちが「被災地のロジスティクス」 に焦点を当て批評や提言を行っている。
しかし、どれも机上 論に過ぎないことを実感した。
被災した故郷で学んだ有事の物流 青山ロジスティクス総合研究所 代表 刈屋大輔 実家の店舗前に流れ着いた大量の瓦礫。
JR貨物の5トン コンテナは入り口手前で止まった 行方不明者の捜索を続ける自衛隊員。
4月12日現在、宮古市の死者は400人、行方不明者は682 人に上る 第1 部 その時あの人はどう動いたか 特 集 3・11どうなる物流 29 MAY 2011 り急ぎ自動車の通行の妨げとなる瓦礫を左右に動 かしておくための応急措置だ。
道路の両端に山積みされた瓦礫は、宮古市から の要請を受けた地場や近隣エリアの建設・土木会 社が回収する。
作業スタッフが小型の重機で瓦礫 をすくい上げてダンプカーに積み込んだ後、市が一 時避難的に埠頭内などに用意した仮置き場まで運 んでいく。
ただし、建設・土木会社も多くが被災し、被害 の範囲が市内の広範に渡っているため、重機やダ ンプカーの数が圧倒的に不足している。
現場では 瓦礫を満載したダンプカーが仮置き場から戻ってく るまで重機による作業を一時中断せざるを得ない。
その繰り返しのため、道路両端に積み上げられた 瓦礫の撤去作業が完了するのは距離にして一日当 たり五〇〜一〇〇メートル程度にすぎない。
各被災地で大量に排出される瓦礫を今後どのよ うに処理していくか、大きな課題となっている。
環 境省の発表によれば、宮城、岩手、福島三県の建 物から発生した瓦礫量は計二五〇〇万トン。
この うち岩手県は六〇〇万トンと推計される。
この数 値には車や船などは含まれていないため、実際に はさらに量が多くなる見通しだ。
宮古市の瓦礫の量も尋常ではない。
市内三カ所 に用意した仮置き場は、公道に寄せられた瓦礫を 集めてきただけで、すでに満杯の状態となってい る。
これから回収作業が本格化する家屋の撤去分 まではカバーしきれないため、新たな仮置き場の 確保を余儀なくされるという。
非常事態下でも家電リサイクル? 宮古市に限らず、今回、被災地においては、環境 省が?収集→?仮置き場で一時保管→?可燃物、 不燃物、資源物への分別→?中間処理→?最終処 分──というフローで瓦礫を処理するよう基本方針 を示している。
これは通常の廃棄物処理とほぼ変 わらない“静脈物流”のルールだ。
私は、このルールが未曾有の有事の際にも適用 されることを知り、「処理が完了するまで、いった い何年掛かるのだろう」と途方に暮れ、慣れない 肉体労働によって蓄積された疲労感とのダブルパン チで立ちくらみを起こしそうになった。
宮古市の土木関係者によれば、「処理施設のキャ パの問題もある。
作業が順調に推移しても完了す るまでには三〜五年掛かる」ことが確実視されて いる。
環境汚染防止の観点からすれば、震災によ テレビで繰り返し流れた黒波が越えた堤防 宮古大橋に突き刺さった船舶 市内の瓦礫を埠頭内の集積場に運ぶトラック 堤防に近いエリアは壊滅的な被害を受けた 漁船が流れ着いた宮古市中心地 日増しに大きくなっていく瓦礫の山 MAY 2011 30 るが、納品物はカゴ車 にいれてもらえると、 住人たちの作業負担 は大幅に軽減される。
また、このスタイルな ら避難所におけるト ラックの荷降ろし時 間を短縮できるため、 避難所の巡回(ルート 配送)スピードも飛躍 的に向上するはずだ。
宮古市の場合、国 や県をはじめ全国各 地の自治体や民間企 業などから運び込まれ る救援物資を、原則 としていったん「新 里トレーニングセンタ ー」に集約する。
こ こでカテゴリー別に仕分けた後に一時保管し、市内 約六〇カ所(その数は徐々に減少している)の避 難所に順次、配送していく仕組みだ。
「新里トレーニングセンター」での荷受け・仕分 け・ピッキングといった“庫内オペレーション”業 務は、自衛隊員や市職員、ボランティアなどがマン パワーで処理し、避難所までの配送業務は、市内 のエリア別に、自衛隊、市、民間の物流会社(ヤマ ト運輸ほか)が担当する。
どの避難所に何をどれ だけ送り込むか、いわゆる出荷のアイテムと量は、 各避難所に配置された市職員や世話役(ボランテ ィア等)が記入する「要望書」を基に決定してい るという。
き続きスコップ&一輪車での土木作業で、スタート は午前一〇時。
早起きした私は、午前七時から約 三時間をかけて、宮古市の被害状況を自身の眼で 確認すべく市内各所を巡回することにした。
移動 手段は徒歩。
市内では車にガソリンを充填するのに 「スタンドで六時間以上待つのが当たり前」と聞い ていたためだ。
最初に訪問したのは、市内のある避難所。
ピー ク時には二〇〇人超の被災者が身を寄せていたが、 すでに震災から二週間以上が経過し、被災を免れ た親類や知人の宅への移動を済ませた被災者も多 く、訪問時には七〇人前後となっていた。
この避 難所における救援物資の供給状況などを説明して くれたのは、自宅建物が全壊してしまったという 七〇歳前後の無職の男性だ。
「震災直後に口にできたのは、自宅やお店などに 残っていた水に浸かっていない食品や飲料。
これ をみんなで分け合って空腹をしのいでいた。
県や 市から救援物資が届き始めたのは三日後くらいか らで、民間企業などから届いたのは、一週間を過 ぎたあたりからだった。
届くのが遅い? うーん、 みんな一生懸命やってくれているのだから、贅沢 なことは言えないよ。
最近では救援物資が豊富に なってきて、ほら、飲料水なんて、こんなに余っ ている状態だよ」 しばらく話を聞いていると、この避難所に救援 物資が届いた。
トラックに積まれた食料品や飲料品 の荷降ろし作業は避難所の住人たちが協力して行 う。
建物への運び込みは、いわゆるバケツリレー方 式だ。
このような状況下で贅沢なことは言えない が、配送トラックは車両後部に昇降機がついている 「パワーゲート車」にし、さらに積載効率は悪くな る瓦礫という特殊要因的なゴミといえども、例外 を認めず、本来のルールに従って地道に処理を進め ていくしかないのだろう。
スコップ作業の生産性が明らかに落ちてきたこ とを自覚し始めた午後三時を少し回った頃だった。
市が手配してくれた重機&ダンプカーの部隊がよう やく父の実家の前にやってきた。
部隊による作業 で山積み状態だった瓦礫は段々と消えていき、遂 には歩道部分が顔を出した。
完全復旧まではまだ まだ長い道のりだが、独特の異臭を放つ瓦礫の山 が目の前から消えて無くなるだけで精神的に楽に なった。
ところが、市から派遣された重機&ダンプカーの 部隊が、瓦礫とともに厄介な存在となっている水 を被ってしまった家電製品の回収作業を忘れてい る。
そのまま撤収しようとしているところを呼び 止めると、ダンプカーのドライバーからは、意外と いうか、平時ならば驚きもしない当たり前の答え が返ってきた。
「家電製品はリサイクル対象なので瓦礫と一緒に は回収できません。
明日以降、別の部隊が引き取 りにくるので、しばらくそのままの状態にしてお いてください」──。
この震災では、日本人の冷 静な行動や忍耐強さが諸外国から高く評価されて いるが、その所以が何となくわかったような気が した。
と同時に、「このような状況下でも被災者か らリサイクル料を徴収するのだろうか」といった素 朴な疑問が頭に浮かんだ。
最前線から遠い救援物資の供給拠点 二日目は下水道の側溝に詰まった瓦礫や汚泥の 撤去作業を予定していた。
仕事の内容は前日に引 宮古市の姉妹都市である青森県黒石市からの救援物資は 「新里トレーニングセンター」に搬入された 出典:黒石市ホームページ 特 集 3・11どうなる物流 31 MAY 2011 乖離が起こり、避難所において救援物資の過不足 が生じる結果となる。
米軍海兵隊が選んだ物流拠点 実際、宮古市では「救援物資の供給がスタート した当初は、各避難所への配分が上手くいかなか った。
この数で足りると思ってオーダーを出して も、翌日、物資が届く頃には避難者の数が増えて いて、全員に行き渡らないということもあった」 (生活課)という。
需給のバランスが取れるように なったのは、携帯電話が復旧して情報のやり取り を頻繁に行えるようになってからだった。
市内の大半が津波によって壊滅的な被害を受け、 人手はもちろん、トラックの数も不足するなど混乱 が続く中、「救援物資のサプライチェーンを円滑に 機能させよ」と期待するのは酷な話かもしれない。
しかしながら、もし仮にマザーセンター的な機能を 果たす拠点がもう少し各避難所から近い場所に設 置されていれば、オーダーを柔軟に変更できただ ろう。
たとえ物資の不足が生じたとしても、その 日のうちに再配送を実施したり、避難所サイドが 自ら不足分を“取りに行く”物流を展開すること も可能になったはずだ。
「新里トレーニングセンター」の所在地は今でこ そ宮古市だが、二〇〇五年の市町村合併までは下 閉伊郡新里村であった。
宮古市は同年に、今回の 震災で壊滅的な被害を受けた田老町(高さ一〇メ ートルの堤防を有し「津波防災の町」で知られる) を組み込むなど、ここ数年、市町村合併を繰り返 してきた経緯がある(二〇一〇年には川井村を編 入)。
それによって市の両端(東西)の距離、すな わち宮古市の“守備範囲”は七〇キロメートル程度 が復旧しておらず、「何がどれだけ必要なのか」と いった救援物資に関する情報のやり取りは紙ベー スによる手渡し、口頭での伝言などアナログな手 法で処理しなければならない。
当然、情報伝達の 回数も制限される。
そのような環境下では、マザ ーセンターとデポに相当する避難所との距離が短い ほうが、互いに正確な情報をやり取りできる。
避難所に身を寄せる被災者の数が日々刻々と変 化し、さらに救援物資に対するニーズも質的・量 的に変化していく中で、情報伝達の回数が少ない と、避難所の発注担当者は、オーダーのアクセルと ブレーキが上手く掛けられない。
例えば、翌日分 の救援物資の発注は、当日納品時に配送ドライバ ーに発注書を手渡しするといったルールになると、 臨機応変に注文の変更が行えないため、実需との 私は、救援物資のマザーセンター機能を果たす拠 点として「新里トレーニングセンター」が選定され たと聞き、率直に言って「ちょっと遠いな」とい う印象を持った。
「新里トレーニングセンター」が位 置するのは、同じ宮古市内でも山間部。
今回とり わけ大きな被害を受け、避難所も集中している沿 岸エリアからは距離にして一五キロメートル以上、 盛岡〜宮古を結ぶ国道一〇六号を自動車で走行す ると、時間にして片道三〇分以上掛かるケースも ある。
震災時、とりわけ震災発生からまだ日が浅い段 階では、固定電話や携帯電話などの通信インフラ 宮古市 ★ 新里トレーニング センター Google マップより 宮古市役所 避難所 宮古市役所の庁舎は2階部分まで 水に浸かった 宮古市は避難所が集中するエリアから離れた場所に救援物資の集積拠点を設置した MAY 2011 32 特 集 3・11どうなる物流 化が進んでいるが、近くには被災していない高校 や中学校などがあり、物資の入出荷作業で活躍し てくれそうな若者たち(ボランティア)を調達しや すいという利点もある。
この勝手に描いたロジスティクス戦略があながち 的外れではないと自信を深めたのは、東北沖に海 軍揚陸艦「エセックス」を展開させた米国海兵隊 が、宮古市向けの救援物資を積んだヘリコプターの 着陸ポイントとして小山田地区を選択していたか らだ。
米軍はここから各避難所に救援物資を供給 した。
地元の人からは「あのエリアにたまたまヘリの離 発着に便利な広い空き地があっただけ」と指摘さ れたが、いや違う。
ロジスティクス先進国の米国、 しかも米軍には、小山田地区に降り立つ確固たる 理由が存在していたはずだ。
そんなことを考えながら、二日目も日暮れまで 瓦礫の撤去作業に追われた。
父の実家の前には、 同じく津波の被害に遭った近所のドラッグストアか ら瓦礫とともに多種多様な商品が流れ着いている。
「水に浸かっていない湿布薬や栄養ドリンクは落ち ていないだろうか」──徒歩約三時間の市内巡回 と肉体労働で足腰の疲れは早くもピークに達してい た。
ったようだ。
かなりローカルな話になってしまうが、私が宮 古市のCLO(ロジスティクス最高責任者)だった ら、市の中心部から程近い小山田地区にある「宮 古市民総合体育館(シーアリーナ)」にマザーセン ターを置いたに違いない。
小山田地区は今回の震 災でほとんど被害を受けていないうえに、津波で 壊滅的な被害を受けた海沿いのエリアへの交通アク セスが非常に良い。
小山田地区の住民はやや高齢 にまで広がった。
市町村合併前の旧・宮古市であったら、行政管 轄下ではない「新里トレーニングセンター」は選択 肢から外れたはずだ。
今回、宮古市においてマザ ーセンター〜避難所間の補給線が延びてしまったの は、市町村合併の弊害と言えるかも知れない。
ち なみに、宮古市が「新里トレーニングセンター」を 物流基地に決めたのは震災後だったという。
有事 を想定したロジスティクスはデザインされていなか (かりや・だいすけ) 一九七三年生ま れ。
青山学院大学大学院経営学研究 科博士前期課程修了(経営学修士)。
物流業界紙「輸送経済」記者、月刊誌 「流通設計」副編集長、月刊誌「ロジ スティクス・ビジネス(LOGI─B IZ)」の編集記者、副編集長などを 経て、二〇〇八年四月に青山ロジステ ィクス総合研究所(ALI)を設立。
出典:米海軍第7艦隊ホームページ 宮古市の小山田地区に救 援物資を積んだヘリコプ ターを着陸させた米軍海 兵隊。
地元民たちはヘリ が市内上空を行き来する 様子を見てようやく安心 したという
三月十一 日の地震発生当日、東京都心部で帰宅難民となっ た私は、待機していたオフィスのテレビで繰り返し 流れる、巨大な黒波が懐かしい街並みを飲み込ん でいく様子を放心状態で眺めていた。
海岸沿いに 住む親類に何度電話をかけてもつながらない。
過 去に津波を経験している祖父や父から、その破壊 力の凄まじさを何度も聞かされてきただけに、正 直なところ、多くの尊い命を失う最悪の事態を覚 悟したというのが本音だ。
詳細は割愛するが、様々な奇跡が重なり、親戚 たちは皆、無事だった。
しかしながら、父の実家 の建物は、食品スーパーの店舗として機能してい た一階部分がすべて流された。
そして震災発生か らおよそ二週間。
ようやく東京からの移動交通手 段を確保できた私は、親戚や知人の安否確認、父 の実家の復旧作 業のサポート、 さらには、被災 者に非常に近し い立場でありな がら不謹慎な行 動かもしれない が、「被災地のロ ジスティクスの 実情」をリサー チする目的で、 現地入りを果た した。
初日。
宮古市 の気温は氷点下、 小雪がチラチラと 舞う真冬のような 気候だった。
現地 に到着した私は、 防寒性の高い作 業着に安全靴と いう出で立ちで、 早速、復旧作業に 取り掛かった。
実 家の店舗内や店 舗周辺に流れ着い た瓦礫や汚泥、砂 などをスコップで すくい上げて土木 用一輪車に載せ 道路手前まで運 ぶ。
この単純作業 をひたすら繰り返 す。
木片やガラス 片、コンクリ片な ど多種多様な破損物が混ざり合う瓦礫はとにかく 重い。
慣れない力仕事に足腰をふらつかせながら、 目の前にある瓦礫の塊を少しずつ減らしていく作 業に追われた。
国道や県道、市道といった公道に流れ着いた瓦 礫は、震災直後に全国各地から投入された自衛隊 員たちがマンパワーや重機を用いて、あっという間 に片付けていったという。
ただし、正確に表現す れば、片付けたというよりも“寄せた”だけ。
道 路を元の綺麗な状態に戻すのは後回しにして、取 被災した親族の手助けで瓦礫の撤去などの作業に従事しな がら、物流の現状を調査すべく現地を歩いてまわった。
マス メディアでは学識経験者たちが「被災地のロジスティクス」 に焦点を当て批評や提言を行っている。
しかし、どれも机上 論に過ぎないことを実感した。
被災した故郷で学んだ有事の物流 青山ロジスティクス総合研究所 代表 刈屋大輔 実家の店舗前に流れ着いた大量の瓦礫。
JR貨物の5トン コンテナは入り口手前で止まった 行方不明者の捜索を続ける自衛隊員。
4月12日現在、宮古市の死者は400人、行方不明者は682 人に上る 第1 部 その時あの人はどう動いたか 特 集 3・11どうなる物流 29 MAY 2011 り急ぎ自動車の通行の妨げとなる瓦礫を左右に動 かしておくための応急措置だ。
道路の両端に山積みされた瓦礫は、宮古市から の要請を受けた地場や近隣エリアの建設・土木会 社が回収する。
作業スタッフが小型の重機で瓦礫 をすくい上げてダンプカーに積み込んだ後、市が一 時避難的に埠頭内などに用意した仮置き場まで運 んでいく。
ただし、建設・土木会社も多くが被災し、被害 の範囲が市内の広範に渡っているため、重機やダ ンプカーの数が圧倒的に不足している。
現場では 瓦礫を満載したダンプカーが仮置き場から戻ってく るまで重機による作業を一時中断せざるを得ない。
その繰り返しのため、道路両端に積み上げられた 瓦礫の撤去作業が完了するのは距離にして一日当 たり五〇〜一〇〇メートル程度にすぎない。
各被災地で大量に排出される瓦礫を今後どのよ うに処理していくか、大きな課題となっている。
環 境省の発表によれば、宮城、岩手、福島三県の建 物から発生した瓦礫量は計二五〇〇万トン。
この うち岩手県は六〇〇万トンと推計される。
この数 値には車や船などは含まれていないため、実際に はさらに量が多くなる見通しだ。
宮古市の瓦礫の量も尋常ではない。
市内三カ所 に用意した仮置き場は、公道に寄せられた瓦礫を 集めてきただけで、すでに満杯の状態となってい る。
これから回収作業が本格化する家屋の撤去分 まではカバーしきれないため、新たな仮置き場の 確保を余儀なくされるという。
非常事態下でも家電リサイクル? 宮古市に限らず、今回、被災地においては、環境 省が?収集→?仮置き場で一時保管→?可燃物、 不燃物、資源物への分別→?中間処理→?最終処 分──というフローで瓦礫を処理するよう基本方針 を示している。
これは通常の廃棄物処理とほぼ変 わらない“静脈物流”のルールだ。
私は、このルールが未曾有の有事の際にも適用 されることを知り、「処理が完了するまで、いった い何年掛かるのだろう」と途方に暮れ、慣れない 肉体労働によって蓄積された疲労感とのダブルパン チで立ちくらみを起こしそうになった。
宮古市の土木関係者によれば、「処理施設のキャ パの問題もある。
作業が順調に推移しても完了す るまでには三〜五年掛かる」ことが確実視されて いる。
環境汚染防止の観点からすれば、震災によ テレビで繰り返し流れた黒波が越えた堤防 宮古大橋に突き刺さった船舶 市内の瓦礫を埠頭内の集積場に運ぶトラック 堤防に近いエリアは壊滅的な被害を受けた 漁船が流れ着いた宮古市中心地 日増しに大きくなっていく瓦礫の山 MAY 2011 30 るが、納品物はカゴ車 にいれてもらえると、 住人たちの作業負担 は大幅に軽減される。
また、このスタイルな ら避難所におけるト ラックの荷降ろし時 間を短縮できるため、 避難所の巡回(ルート 配送)スピードも飛躍 的に向上するはずだ。
宮古市の場合、国 や県をはじめ全国各 地の自治体や民間企 業などから運び込まれ る救援物資を、原則 としていったん「新 里トレーニングセンタ ー」に集約する。
こ こでカテゴリー別に仕分けた後に一時保管し、市内 約六〇カ所(その数は徐々に減少している)の避 難所に順次、配送していく仕組みだ。
「新里トレーニングセンター」での荷受け・仕分 け・ピッキングといった“庫内オペレーション”業 務は、自衛隊員や市職員、ボランティアなどがマン パワーで処理し、避難所までの配送業務は、市内 のエリア別に、自衛隊、市、民間の物流会社(ヤマ ト運輸ほか)が担当する。
どの避難所に何をどれ だけ送り込むか、いわゆる出荷のアイテムと量は、 各避難所に配置された市職員や世話役(ボランテ ィア等)が記入する「要望書」を基に決定してい るという。
き続きスコップ&一輪車での土木作業で、スタート は午前一〇時。
早起きした私は、午前七時から約 三時間をかけて、宮古市の被害状況を自身の眼で 確認すべく市内各所を巡回することにした。
移動 手段は徒歩。
市内では車にガソリンを充填するのに 「スタンドで六時間以上待つのが当たり前」と聞い ていたためだ。
最初に訪問したのは、市内のある避難所。
ピー ク時には二〇〇人超の被災者が身を寄せていたが、 すでに震災から二週間以上が経過し、被災を免れ た親類や知人の宅への移動を済ませた被災者も多 く、訪問時には七〇人前後となっていた。
この避 難所における救援物資の供給状況などを説明して くれたのは、自宅建物が全壊してしまったという 七〇歳前後の無職の男性だ。
「震災直後に口にできたのは、自宅やお店などに 残っていた水に浸かっていない食品や飲料。
これ をみんなで分け合って空腹をしのいでいた。
県や 市から救援物資が届き始めたのは三日後くらいか らで、民間企業などから届いたのは、一週間を過 ぎたあたりからだった。
届くのが遅い? うーん、 みんな一生懸命やってくれているのだから、贅沢 なことは言えないよ。
最近では救援物資が豊富に なってきて、ほら、飲料水なんて、こんなに余っ ている状態だよ」 しばらく話を聞いていると、この避難所に救援 物資が届いた。
トラックに積まれた食料品や飲料品 の荷降ろし作業は避難所の住人たちが協力して行 う。
建物への運び込みは、いわゆるバケツリレー方 式だ。
このような状況下で贅沢なことは言えない が、配送トラックは車両後部に昇降機がついている 「パワーゲート車」にし、さらに積載効率は悪くな る瓦礫という特殊要因的なゴミといえども、例外 を認めず、本来のルールに従って地道に処理を進め ていくしかないのだろう。
スコップ作業の生産性が明らかに落ちてきたこ とを自覚し始めた午後三時を少し回った頃だった。
市が手配してくれた重機&ダンプカーの部隊がよう やく父の実家の前にやってきた。
部隊による作業 で山積み状態だった瓦礫は段々と消えていき、遂 には歩道部分が顔を出した。
完全復旧まではまだ まだ長い道のりだが、独特の異臭を放つ瓦礫の山 が目の前から消えて無くなるだけで精神的に楽に なった。
ところが、市から派遣された重機&ダンプカーの 部隊が、瓦礫とともに厄介な存在となっている水 を被ってしまった家電製品の回収作業を忘れてい る。
そのまま撤収しようとしているところを呼び 止めると、ダンプカーのドライバーからは、意外と いうか、平時ならば驚きもしない当たり前の答え が返ってきた。
「家電製品はリサイクル対象なので瓦礫と一緒に は回収できません。
明日以降、別の部隊が引き取 りにくるので、しばらくそのままの状態にしてお いてください」──。
この震災では、日本人の冷 静な行動や忍耐強さが諸外国から高く評価されて いるが、その所以が何となくわかったような気が した。
と同時に、「このような状況下でも被災者か らリサイクル料を徴収するのだろうか」といった素 朴な疑問が頭に浮かんだ。
最前線から遠い救援物資の供給拠点 二日目は下水道の側溝に詰まった瓦礫や汚泥の 撤去作業を予定していた。
仕事の内容は前日に引 宮古市の姉妹都市である青森県黒石市からの救援物資は 「新里トレーニングセンター」に搬入された 出典:黒石市ホームページ 特 集 3・11どうなる物流 31 MAY 2011 乖離が起こり、避難所において救援物資の過不足 が生じる結果となる。
米軍海兵隊が選んだ物流拠点 実際、宮古市では「救援物資の供給がスタート した当初は、各避難所への配分が上手くいかなか った。
この数で足りると思ってオーダーを出して も、翌日、物資が届く頃には避難者の数が増えて いて、全員に行き渡らないということもあった」 (生活課)という。
需給のバランスが取れるように なったのは、携帯電話が復旧して情報のやり取り を頻繁に行えるようになってからだった。
市内の大半が津波によって壊滅的な被害を受け、 人手はもちろん、トラックの数も不足するなど混乱 が続く中、「救援物資のサプライチェーンを円滑に 機能させよ」と期待するのは酷な話かもしれない。
しかしながら、もし仮にマザーセンター的な機能を 果たす拠点がもう少し各避難所から近い場所に設 置されていれば、オーダーを柔軟に変更できただ ろう。
たとえ物資の不足が生じたとしても、その 日のうちに再配送を実施したり、避難所サイドが 自ら不足分を“取りに行く”物流を展開すること も可能になったはずだ。
「新里トレーニングセンター」の所在地は今でこ そ宮古市だが、二〇〇五年の市町村合併までは下 閉伊郡新里村であった。
宮古市は同年に、今回の 震災で壊滅的な被害を受けた田老町(高さ一〇メ ートルの堤防を有し「津波防災の町」で知られる) を組み込むなど、ここ数年、市町村合併を繰り返 してきた経緯がある(二〇一〇年には川井村を編 入)。
それによって市の両端(東西)の距離、すな わち宮古市の“守備範囲”は七〇キロメートル程度 が復旧しておらず、「何がどれだけ必要なのか」と いった救援物資に関する情報のやり取りは紙ベー スによる手渡し、口頭での伝言などアナログな手 法で処理しなければならない。
当然、情報伝達の 回数も制限される。
そのような環境下では、マザ ーセンターとデポに相当する避難所との距離が短い ほうが、互いに正確な情報をやり取りできる。
避難所に身を寄せる被災者の数が日々刻々と変 化し、さらに救援物資に対するニーズも質的・量 的に変化していく中で、情報伝達の回数が少ない と、避難所の発注担当者は、オーダーのアクセルと ブレーキが上手く掛けられない。
例えば、翌日分 の救援物資の発注は、当日納品時に配送ドライバ ーに発注書を手渡しするといったルールになると、 臨機応変に注文の変更が行えないため、実需との 私は、救援物資のマザーセンター機能を果たす拠 点として「新里トレーニングセンター」が選定され たと聞き、率直に言って「ちょっと遠いな」とい う印象を持った。
「新里トレーニングセンター」が位 置するのは、同じ宮古市内でも山間部。
今回とり わけ大きな被害を受け、避難所も集中している沿 岸エリアからは距離にして一五キロメートル以上、 盛岡〜宮古を結ぶ国道一〇六号を自動車で走行す ると、時間にして片道三〇分以上掛かるケースも ある。
震災時、とりわけ震災発生からまだ日が浅い段 階では、固定電話や携帯電話などの通信インフラ 宮古市 ★ 新里トレーニング センター Google マップより 宮古市役所 避難所 宮古市役所の庁舎は2階部分まで 水に浸かった 宮古市は避難所が集中するエリアから離れた場所に救援物資の集積拠点を設置した MAY 2011 32 特 集 3・11どうなる物流 化が進んでいるが、近くには被災していない高校 や中学校などがあり、物資の入出荷作業で活躍し てくれそうな若者たち(ボランティア)を調達しや すいという利点もある。
この勝手に描いたロジスティクス戦略があながち 的外れではないと自信を深めたのは、東北沖に海 軍揚陸艦「エセックス」を展開させた米国海兵隊 が、宮古市向けの救援物資を積んだヘリコプターの 着陸ポイントとして小山田地区を選択していたか らだ。
米軍はここから各避難所に救援物資を供給 した。
地元の人からは「あのエリアにたまたまヘリの離 発着に便利な広い空き地があっただけ」と指摘さ れたが、いや違う。
ロジスティクス先進国の米国、 しかも米軍には、小山田地区に降り立つ確固たる 理由が存在していたはずだ。
そんなことを考えながら、二日目も日暮れまで 瓦礫の撤去作業に追われた。
父の実家の前には、 同じく津波の被害に遭った近所のドラッグストアか ら瓦礫とともに多種多様な商品が流れ着いている。
「水に浸かっていない湿布薬や栄養ドリンクは落ち ていないだろうか」──徒歩約三時間の市内巡回 と肉体労働で足腰の疲れは早くもピークに達してい た。
ったようだ。
かなりローカルな話になってしまうが、私が宮 古市のCLO(ロジスティクス最高責任者)だった ら、市の中心部から程近い小山田地区にある「宮 古市民総合体育館(シーアリーナ)」にマザーセン ターを置いたに違いない。
小山田地区は今回の震 災でほとんど被害を受けていないうえに、津波で 壊滅的な被害を受けた海沿いのエリアへの交通アク セスが非常に良い。
小山田地区の住民はやや高齢 にまで広がった。
市町村合併前の旧・宮古市であったら、行政管 轄下ではない「新里トレーニングセンター」は選択 肢から外れたはずだ。
今回、宮古市においてマザ ーセンター〜避難所間の補給線が延びてしまったの は、市町村合併の弊害と言えるかも知れない。
ち なみに、宮古市が「新里トレーニングセンター」を 物流基地に決めたのは震災後だったという。
有事 を想定したロジスティクスはデザインされていなか (かりや・だいすけ) 一九七三年生ま れ。
青山学院大学大学院経営学研究 科博士前期課程修了(経営学修士)。
物流業界紙「輸送経済」記者、月刊誌 「流通設計」副編集長、月刊誌「ロジ スティクス・ビジネス(LOGI─B IZ)」の編集記者、副編集長などを 経て、二〇〇八年四月に青山ロジステ ィクス総合研究所(ALI)を設立。
出典:米海軍第7艦隊ホームページ 宮古市の小山田地区に救 援物資を積んだヘリコプ ターを着陸させた米軍海 兵隊。
地元民たちはヘリ が市内上空を行き来する 様子を見てようやく安心 したという
