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奥村宏 経済評論家
第20回 判断力のない政治家
JANUARY 2004 56
日本は戦後、アメリカの言いなりになることで経済成長を遂げた。 その代償
として日本の政治家は判断力を失った。 「政・官・財の三位一体構造」が、そ
れに拍車をかけた。 アメリカ追随政策はとっくに破綻している。 しかし日本の
政治家には新しいビジョンが描けない。
小泉首相の判断力
日本の政治家に判断力があるのか?
今回の自衛隊のイラク派遣問題についての小泉首相の発
言を聞いて、このような疑念を持たざるを得ない。
二〇〇三年十一月二五日の衆議院予算委員会で民主党の
菅代表の質問に対して小泉首相は次のように発言している。
「対米協力、国際協調、日本の国益を考え、イラクに民主的
な安定政権をつくることが必要だ。 その際、資金協力だけ
ではすまない。 できる限り人的貢献もしたい」
その小泉首相はかつてこうも言った。
「イラクで大量破壊兵器が見つかっていないと言うが、フ
セインも見つかっていない。 フセインが見つかっていないか
らといって、フセインは存在しなかったといえますか」と。
このような奇妙な発言によって、日本のアメリカ協力、そ
して自衛隊のイラク派遣を合理化しようとしているのである。
フセイン大統領が大量破壊兵器を隠しているという理由
でアメリカはイラクを攻撃した。 そしてイラクを占領してみ
たが、大量破壊兵器は見つからなかった。 これではイラク攻
撃の理由がインチキだったということになる。 誰が考えても
わかるこの常識が小泉首相にはない。
フランスのシラク大統領やドイツのシュレーダー首相はア
メリカのイラク攻撃に反対したが、日本の小泉首相は大量
破壊兵器があろうとなかろうとアメリカの攻撃を支持する。
そしてイラクにどんな危険があろうと自衛隊を派遣する、と
いうのである。
要するにアメリカの言うままに日本は行動するということ
で、対米協力のためには何でもするということである。
「親のいう通りにするのが孝行だ」と教えられた子供がい
つまでたっても自分で判断することができない。 さしずめ小
泉首相はこのような孝行息子である。 アメリカという親のい
うままになる。
吉田茂の打算
戦後の日本の総理大臣は一貫して対米協力、というより
アメリカ追随の方針をとってきた。 小泉首相もそれを受け継
いでいるのであるが、こういう方針でいけば自分で判断する
必要はない。 すべてアメリカ政府の言いなりになっていれば
よい。
このようなアメリカ追随政策をはっきりと打ち立てたのは
吉田茂であった。 戦前は外交官であった吉田茂は、首相に
なるとともに、占領軍に協力したのはもちろん、そうするこ
とによって日本の復興、そして経済成長を可能にした。
そこで吉田茂は優れた政治家であったという伝説が生ま
れ、最近でも吉田茂賛美の声が聞かれる。 しかし彼が行っ
た政策は、アメリカ一辺倒の政策をとることが日本のプラスになるという打算から出たものであった。
これが果たして政治家としての正しい判断だったといえる
だろうか。
占領軍に対して協力するというのは多くの植民地で行わ
れたことだし、日本が占領した中国や東南アジア諸国でもそ
ういう政権があった。 これを中国では「買弁」といったが、
まさにこの「買弁」政策を日本の政治家は行ってきたのであ
る。 それを対米協力という名前で合理化してきただけのこと
であるが、これが果たして政治家の判断力といえるだろうか。
判断という以上、自分の頭で考えなければならない。 そし
ていろいろな条件を考え、またこれまでの歴史を参考にして
将来、日本にとってそれがどのような意味をもつのか、とい
うことを考えながら判断していく。
これが政治家の判断だが、はじめからアメリカの言うまま
にする。 理由はあとからつければよい、というのでは判断と
はいえない。
誤った政治家の判断によって日本は戦争をしたが、戦争
に負けたあと、それに懲りたのか。 政治家は判断しなくなっ
57 JANUARY 2004
政・官・財の三位一体構造
日本の経済成長を許容するというのがアメリカの政策で
あったが、それはアメリカ企業の市場拡大という利益のため
であった。
ところがその日本がアメリカ企業にとって脅威となった。
それが一九七〇年ごろから問題になってきた貿易摩擦であ
ったが、やがて八〇年代になるとそれが大きな政治問題にな
った。 一九八九年からの日米構造問題協議がまさにそれだ
が、アメリカは日本企業に対して正面から攻撃してきた。
そこで日本の対米政策をどうするか、という根本問題が起
こってきたのだが、このとき日本の政治家はどう判断したか。
ひとつの選択としては、日本が中国や韓国などと協力し
て東北アジア共同体を作ってアメリカやヨーロッパに対抗するという方向があった。 おそらく判断力のある政治家ならそ
ういう方向を選んだであろう。
しかし日本の政治家にはそういう判断力は失われてしまっ
ていた。 戦後、一貫してアメリカ一辺倒の政策をとってきた
ために政治家に判断力が失われてしまっていたのである。
政治家に判断力がなくなったもう一つの理由として、「政・
官・財の三位一体」構造がある。 そこでは政治家は官僚や
財界人に依存し、官僚は政治家や財界に従属し、財界は政
治家や官僚を利用する、という関係ができていた。
そこでは「三者三すくみ」で、それぞれが他に依存してお
り、自分で自立して判断することができない。 判断を他人に
頼るという構造がそれぞれの判断力を失わせてしまっている
のである。
しかしこのような構造にもヒビが入り、「政・官・財の三
位一体構造」も崩れ始めている。 にもかかわらずそれに代わ
る構造が見えてこない。 それというのも政治家に判断がなく、
自分たちで新しいビジョンを作ることができないからである。
日本はこういう困った状況にある。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 主な著書に「企業買収」「会
社本位主義は崩れるか」などがある。
た。 その結果が現在の自衛隊イラク派遣まで一貫している
のである。
アメリカの政策
なぜこのようなことになったのだろうか。
アメリカの占領政策は日本やドイツなどの占領政策とは
違っていた。 それは被占領国を搾取するのではなく、経済成
長をさせることでアメリカ商品の市場を拡大しようとするも
のであった。
これは大恐慌のあとのルーズベルト大統領によるニューデ
ィール政策の方針を受け継いだもので、市場を拡大すること
こそがアメリカ資本主義の目的になったのである。
こうしてアメリカは日本を経済成長させることで自分たち
の市場を拡大したのだが、その結果、日本経済は高度成長
をし、自民党政権によって一党支配体制が確立した。 自民
党にとってまさに「アメリカさまさま」であった。
このようなアメリカの政策を読みとって、うまくそれに順
応したという点で吉田茂の功績はあったといえるかもしれな
い。 しかし、その結果、日本の政治家には判断力がなくなっ
てしまったのである。
もっとも、なかにはこのようなやり方に反抗しようとした
政治家もいる。 それはアメリカの方針に反して、ソ連と国交
回復交渉をした鳩山一郎であった。 しかしこの鳩山内閣は
財界の反対によって短命でつぶされてしまった。
田中角栄もアメリカの方針にタテをつこうとしたが、その
ためロッキード事件によって追放されたのだといわれる。
このようにアメリカ一辺倒の政策に異を唱える政治家も
いたが、それはつぶされてしまった。 というのもアメリカの
政策に追随した方が日本にとってトクであるという世論がで
きており、それを可能にしたのがアメリカの政策であったか
らである。
しかし、そういう状況は八〇年代ごろから変わってきた。
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