2012年3月号
現場改善

第110回 中堅運送会社の営業力強化と後継者選び

75  MARCH 2012 四割近く売り上げが減少  G社は単独の年間売り上げが約三〇億円、関 連会社三社を含めたグループ売り上げが約四五 億円という中堅運送会社である。
福岡に本社を 置き、一時は広島、大阪、名古屋、東京にまで 営業所を展開していた。
売り上げもピーク時に は単独で四五億円に達していたのだが、リーマ ンショック後に大きく減少。
営業所も現在は本 社と東京が残っているだけである。
 G社の創業社長であるN氏は強烈なワンマン 経営者で、八〇歳を超える今もグループを牽引 し続けている。
著者とは一六年ぶりの再会であ った。
どうすればG社を今よりも強くできるの か、社外の視点から他社の事例も交えてアドバ イスして欲しいとのことであった。
またN社長 は次の経営者を選ぶために、候補となる経営幹 部を見極める必要にも迫られていた。
 面談は三〇〜四〇分ほどであったが、その席 で我々日本ロジファクトリー(NLF)が正式 にG社グループのコンサルティングに入ることが 決まった。
 我々はまず経営幹部へのヒアリングや車両の 横乗り調査、各種の社内会議への参加などを通 して、Gグループの実態把握に努めた。
予想通 り、G社にはワンマン経営特有の傾向が見られ た。
皆がN社長の顔色をうかがう、上向き組織 であった。
ただし、意外な一面もあった。
経営 幹部たちのアクの強さである。
ワンマン会社の 幹部といえば、大人しい?イエスマン?ばかり というのが常であるがそうではなかった。
これ はN社長の人材の好みによるもので、やんちゃ な人物が年齢を問わず好きなのである。
 もう一つ驚かされたのは、はるか昔の運送 会社のスタイルを今も踏襲していることであっ た。
運送会社の経営とはトラックを購入して定 期(常傭)の仕事をもらう、できれば長距離幹 線輸送を請け負うのが最上だという考えで、倉 庫設備も所有していたが3PLという言葉など もちろん知らないし、小口配送や共同配送、パ ート・アルバイトを活用したセンター運営など で利益を上げる昨今の物流会社とは全く違う世 界で商売を続けてきたのであった。
 営業活動も、N社長の人脈頼みであった。
営 業担当者として常務を含めて五人を配置してい たが、純粋に自力で受注までこぎ着けたと言え る案件は、ほぼ皆無という有様であった。
スーツ を着た?ヒナ鳥?たちに、N社長という?親鳥? 事例で学ぶ 現場改善 日本ロジファクトリー 青木正一 代表  古いスタイルの運送業のまま、創業社長のワンマン経営で 半世紀を生き抜いてきた。
しかし、さすがの社長も、引退 の時期が近付いている。
社長個人の力に頼らない組織的な 営業力を会社として獲得し、また後継者へのバトンタッチを 進めていく必要があった。
中堅運送会社の営業力強化と後継者選び 第110 回 あおき・しょういち  1964年生まれ。
京都産業 大学経済学部卒業。
大手運 送業者のセールスドライバー を経て、89年に船井総合研 究所入社。
物流開発チーム・ トラックチームチーフを務め る。
96年、独立。
日本ロジファ クトリーを設立し代表に就任。
現在に至る。
主な著書に『経 営のテコ入れは物流改善から』 明日香出版社、『物流のしく み』(同文館出版)などがある。
HP:http://www.nlf.co.jp/ e-mail:info@nlf.co.jp PROFILE MARCH 2012  76 がせっせと仕事を運び続けてきたわけである。
 しかし、そうやってせっかく新規の口座を開 いても、荷主とどのようなコミュニケーション をとれば良いのか、営業マンたちが理解してい ないため、既存荷主を深耕することができない。
すぐに仕事が切れてしまうということが頻繁に 起きていた。
 それでも今までは何とかやってこられたわけ だが、リーマンショックにはさすがに耐えられ なかった。
売り上げはピーク時から四〇%近く 下落した。
広く浅くのお付き合いが見事に崩壊 したのであった。
 この頃からN社長は外部からの人材登用を積 極的に行うようになった。
狙いはもちろん売り 上げの獲得である。
分野は問わずに、肩書きに 「長」のつく比較的年輩者を探した。
「あそこに ○○という人物がいる」と聞くとN社長が自ら 足を運んでヘッドハンティングを行った。
G社 長のパワフルな説得に何人もの「長」が口説き 落とされた。
N社長が目を付けたのは、人材で はなく人脈であった。
「長」がその業界で築い た人脈を辿って営業をかけるのである。
この変 則的な手法が結果的には功を奏した。
いくつか 新規案件を受託し、リーマンショックを生き延 びることができたのであった。
 しかし、そんなやり方をずっと続けていける わけでもない。
組織として営業力を強化するに は、N社長に長年かわいがられてきた個性の強 い幹部たちの意識を変える必要があった。
彼等 の大きな声と大きな態度、そして頑固な考え方 に、我々NLFはずいぶんと手こずった。
 NLFを通して荷主や物流子会社を顧客とし てG社に紹介もした。
しかし、その対応がまず い。
見積書は書けるが提案書が作れない。
その 前にパソコンを操作できない。
なんとか案件を 受託できてもチャンスをムダにしてしまう。
依 頼主は初回の仕事でその会社の実力を推し量る。
そのことを十分に理解していないため、車を探 しきれなかったり、ドライバーが音を上げてし まったり。
初回の仕事がうまくいっても、その 後にフォローも訪問もしない。
 それでも取り組みを進めるうちに中堅社員の 一部には少しずつ意識の変化が見られるように なってきた。
一筋の光は見えてきたのだが、す ぐに成果を期待できるわけではなかった。
そん な状態にあるG社の営業力をどうすれば強化で きるのか。
我々の結論は、営業マンのスキルに 依存しない商品づくりであった。
「DM営業」作戦が成功  G社グループの輸配送インフラの特徴、それ に緊急時のリスクヘッジ方法を考慮して、地元 の福岡と東京で「中距離・中ロット輸送サービ ス」の商品化を打ち出した。
路線会社のサービ スと地場のルート配送の隙間を狙ったニッチ商 品である。
 そしてダイレクトメール(DM)を使って、サ ービス内容を告知することにした。
DM営業と いうと読者のなかには苦い経験を持つ人もいる かもしれない。
というのも、筆者の経験則から 言うと、物流業界におけるDM営業は首都圏で は効果はあっても、顧客層の限られた地方の新 規開拓には向かないからだ。
 それでもやり方はある。
G社の場合にはDM のターゲットを新規荷主ではなく既存荷主のう ち取引が薄くなっているか、あるいは取引が切 れてしまった「過去客」に定めた。
また告知は 一回だけではなく、三カ月後に二回目、さらに その三カ月後に三回目と最低でも三回は継続す ることにした。
 そしてDM配布先に追っかけで電話営業を 行った。
その時に、DMの内容とは違う荷主の 要望を聞くことがある。
それに対してNOと言 わない対応と組み立てを行うことが重要である。
実際、我々が過去にDM営業を行った案件でも、 結果として受託できた仕事の大半はDMで告知 したサービス以外の業務であった。
 DM営業の効果は予想以上であった。
レスポ ンスの大半は既存顧客ではなく、?過去客?で あった。
G社は長年、広く浅くのお付き合いを 行ってきたために、過去客の名刺は山ほどあっ た。
これが今回はプラスに働いた。
 しかし、せっかく見込み客から引き合いが集 まったのに、肝心の営業部隊が提案書どころか、 見積書を提出するのに一カ月近くもかかってい る。
荷主の問い合わせに対するレスポンスの賞 味期間はせいぜい七日〜一〇日である。
統計を とっているわけではないが、この期間を超えて しまうと受注率は著しく低下する。
レスポンス の遅い相手をすぐに顧客は見限る。
他社に取ら れしまうのも当たり前で、そうでなくても一カ 月も経過すれば、状況自体が変わってしまうこ とが往々にして起きる。
77  MARCH 2012  我々NLFはここで、さらに強制指導を行っ た。
さしあたって、すぐに提案が必要と思われ る案件はNLFで提案書の作成を代行し、その 他は、見積書、提案書に関わらず全ての問い合 わせに対して一〇日以内に対応するように周知 徹底したのである。
 早朝から出勤して傭車を探す者、徹夜で原価 計算を行う者など、営業担当者は大わらわであ った。
しかし、その甲斐あって順調に受託は進 み売り上げは増えていった。
DMという古典的 な手法ではあるが、これによってG社の営業は 大きく変わったのであった。
 N社長と我々には営業力強化のほかに、もう 一つ頭の痛い課題があった。
次期社長の人選で ある。
N社長には三人の息子がいた。
三人共、 いったんは物流関連会社に勤め、いわゆる他人 の釜のメシを食わせた後に家業に戻りG社もし くはグループ会社に在籍している。
 そのうち長男は父親であるN社長の側に常に 同行し、社長室長兼秘書のような立場にある。
次男は活発な性格で、N社長とも度々意見がぶ つかることもあって、現在はG社本体から出て、 関連会社の社長をしている。
三男はG社本体の 営業を行っている。
おとなしく、やさしい性格 で、自己主張もほとんどない。
 三人も息子がいて、三人ともG社グループで 働いているのだから、そのうち一人を後継者 に決め、帝王学を学ばせれば良さそうなものだ。
しかし、N社長曰く「息子に継がせるつもりは ない。
自分でどうしても継ぎたいというヤツが 出てくれば考える」と、三人をまったく放置し ていた。
社長であると同時に、三人の父親でも あるN社長には、自分で後継者を指名すること に対して躊躇があるように感じられた。
 そこで筆者は三人の息子のうち、最も後継者 に近いと判断した次男とじっくり話をすること にした。
すると本人は「これだけの商いがある し、継いでも良いとは考えているが、社長(父 親)が何と言うかですね」という。
 そのことを後日、N社長に伝えたが、「そう か」と一言コメントしただけであった。
しかし、 それからしばらく経って、N社長は動いた。
次 男をG社の役付取締役に据えて、Gグループ全 体の経営会議に参加させたのだ。
その会議で問 題は起こった。
新任幹部の次男と、古参幹部で あり、N社長とも血縁関係にあるS役員との大 喧嘩が始まったのだ。
年下である次男に対して、 S役員が経営論を講釈した。
その?上から目線? が気にくわなかったのだろう。
次男は「資金繰 りもできない役員にえらそうに言われたくない」 と反論。
数十分もの間、罵倒が続いた。
 この後、次男とS役員は顔も合わせなくなっ た。
どっちもどっちであった。
次男はもちろん、 次期社長候補の一人でもあったS役員もまた、 トップとしては不適格であることは誰の目にも 明らかだった。
 他にもG社には生え抜きの専務がいた。
N 社長を「動」とすれば、Y専務は「静」。
創業 間もない頃からN社長と二人三脚で走ってきた。
Y専務個人の経営に対する考え方は、必ずし もN社長と同じではなかった。
それでも愛社精 神に欠けるとか、反抗分子になることはなかっ た。
N社長の想いを社内に落とし込もうとする が、なかなか自分の能力では果たせない無力さ を感じながら、N社長の強いリーダーシップに 引っ張られ、ここまで付いてきた。
 常にトップの方針と現場との板挟みに置かれ てきたわけだが、それを表に出すことのない寡 黙な番頭役であった。
G社長の息子への繋ぎ役 としては相応しく、実際、社内外から次期社長 と目されていた。
ないものねだりの後継者選び  しかし、N社長は納得しなかった。
Y専務を 「G社グループのことを最も知る人物であるのは 確かだが、リーダーシップがない」と不適格の 烙印を押してしまった。
全ての権限を持ち、ま たそれに見合うだけの仕事をしてきたN社長は、 幹部に任せられない一面を持っているようだっ た。
部下の力を信じられないのである。
そのこ とが社内に重い閉塞感をもたらしていた。
 後継者選びは経営トップの最重要課題の一つ である。
能力に関係なく子供に継がせる社長も いれば、自分と同じタイプの経営者を探す社長 もいる。
その時代に合った人材にバトンタッチ するのは確かに一つの手ではあるが、中堅以下 の企業では相応しい人材が見当たらないことも 多い。
とりわけワンマン経営が長く続いてきた 会社は、幹部の実力がなかなか見えないものだ。
トップの目からも見えているわけではない。
こ のままではG社の後継者選びは、ないものねだ りになってしまう。
N社長自身が変わらなけれ ばならないのである。

月刊ロジスティクス・ビジネス

購読のお申し込みはこちらから