2020年7月号
特集
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【SCM】感染症対策の混迷から得られる教訓 サプライチェーン解剖 特別編集版
感染症対策とSCMとの類似
日本における新型コロナウィルス(COVID─19)の感染拡大は、クルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス号」の横浜港入港によって、対岸の火事が突然国内に飛び火するかたちで始まり、ほどなく市中に拡大した。
その後、緩やかな自粛要請から緊急事態宣言の発令、感染者数の減少を経て、5月末に緊急事態宣言は解除された。
日本における人口当たりの死者数は今のところ欧米諸国の1/100以下である。
その結果だけを見れば日本政府の感染対策は大成功といえる。
しかし、政治リーダーへの評価は厳しい。
一方、初動に失敗して爆発的に感染が広がった海外で、元首や首長のリーダーシップが称賛されるという現象が起きている。
なぜこれほどまでに感染対策は混迷を極めているのであろうか。
一つにはさまざまなステークホルダーが関わり、その目的あるいはKPIがそれぞれに異なっていることが挙げられる。
感染症のステークホルダーには、国や都道府県の政治家、感染症の専門家、現場の医療スタッフ、患者やその家族、ときには遺族、さらには評論家やTVに登場する自称専門家、そして大多数のわれわれ一般人までが含まれる。
これらステークホルダーは、感染者数の最小化、死亡者数の最小化、経済的打撃の最小化、他の疾病のための医療体制の維持、視聴率、自身への感染リスク最小化など、それぞれ異なる目的を持っている。
そして、COVID─19は未知のウィルスであるために、入国規制、PCR検査の拡充、ロックダウン、接触機会の削減、マスクや手洗いといった対策に、どれだけ効果があるのか分からない。
事象の発生や、対策を打ってから結果が現れるまでに時間を要するという厄介な性質も持っている。
そもそもCOVID─19は封じ込める(撲滅する)ことは可能なのか、共生していくしかないのか。
鎖国政策をとるべきなのか。
最終ゴールは自然免疫の獲得なのか。
それを判断する確たる根拠は現時点では存在しない。
それでもリーダーは方針を打ち出す必要がある。
しかし、わが国においては、どのような仮定に基づいて何をするのか、明確なメッセージに乏しかった。
著名人の死亡をマスコミがことさらセンセーショナルに扱って国民の不安を煽ったり、海外の取り組みをいたずらに称賛する報道が相次いだのも、明確な方針の欠如がその一因であったかもしれない。
そして結局のところ何が功を奏したのか分からないまま感染は収束に向かっている。
緊急事態宣言の解除に際しても、当初設定された解除の目安(直近1週間の新たな感染者数が10万人当たり、0・5人程度以下)は蔑ろにされた。
目安とは果たして何だったのか。
そもそも今回の感染症対策で政府や自治体は何を目指したのか。
社会活動の自粛という対策のコストは、その成果に見合うものだったのか。
何が成果を測る尺度なのか、いまだに分からないままである。
この一連の騒動はSCMにおける諸課題を想起させる。
SCMにおいても営業、製造、物流などさまざまなステークホルダーが自分の立場から意見を主張し、それぞれに異なる関心事とKPIが交錯する。
需要の変化や対策の実施などの影響は、時間の遅れを伴なって表面化するため意思決定は容易でない。
明確な尺度を持たないために、特定の製品や顧客の欠品がことさらに強調される。
欠品の抑制と在庫水準の低減のどちらをどれだけ優先するのか、経営者から方針が示されないまま、現場はエクセルなどの原始的なツールを駆使して奮闘する。
結果的に欠品率が低く抑えられても、過剰在庫や高コストが最終業績を引っ張る。
以下、本稿では、今回の感染症対策において表面化した諸課題を客観視することで、SCMにおける課題解決の手掛かりを探るものとする。
1.共通目標の設定 まず必要なのはさまざまなステークホルダーからなる共同体の、全体としての目標を設定することだ。
その時に〝欠品(死者)ゼロ〟のような現実味のない理想論を掲げるのではなく、実現可能な目標数値と、それに伴い一定の確率で必ず発生するリスクについて合わせて明示することが重要だ。
2.リソース分析と対策の検討 その上で、対策の妥当性を検討するのに不可欠なのがリソース分析だ。
過去にSARSを経験し、PCR検査体制が充実しているアジア諸国においては、そのリソースを活用してCOVID─19の感染者を早期に発見することが有効であった。
しかし、わが国はPCR検査体制と人口当たりのICU(集中治療室)の数が不足しており、一方でCTスキャンの台数が相対的に余裕があったことから、CTスキャンによるスクリーニングを経て、必要な患者だけにPCR検査を実施することでICUの逼迫を防ぐことが、合理的であった。
つまり感染症対策の適切なアプローチは、その国が保有するリソースによってそれぞれで違ってくる。
SCMにおいてもまた、自社リソースの相対的余裕を与件として対策を設計することが重要だ。
他社(他国)の取り組みは参考にはなっても、それ以上ではないのである。
3.手段の目的化に注意 このようなプロセスを経て決定された対策も、それを周知するに当たっては「活動の8割自粛」といった分かりやすいスローガンに単純化される。
それ自体は非難されるべきことではないが、ともするとスローガン自体が目的化してしまう恐れがある点には留意が必要だ。
活動の自粛はその目的が飛沫感染リスクの低減であるから、感染者の大半が病院や介護施設で発生しているような状況では意味をなさない。
同様にたとえば、欠品の防止は収益(あるいはキャッシュフロー)を最大化する一手段の一つにすぎない。
状況によっては意図的な(計画的な)欠品が目的に供することもある。
4.シミュレーションモデルに基づく意思決定 このように感染症やSCMといった複雑な系統の意思決定にはシミューレーションモデルが有効だ。
シミュレーションモデルとは実世界の事象を構成する様々な要素を、ある目的をもって選択、捨象することで単純化して、その影響関係を再現するものだ。
当初設定したモデルは当然ながら精度が低い。
そのモデルから得られた知見を基に策定した戦略を、実世界に適応して実績データを収集し、そのデータを基にモデルを評価し、そして修正する。
このサイクルを重ねることでモデルの精度を高めていく。
それが組織のノウハウとなり財産となる。
今回の「活動の8割自粛」や緊急事態宣言解除の決定でも、当然ながらシミュレーションモデルがあったはずだ。
しかし、その詳細や評価は公表されていない。
そのことがまた意思決定に対する疑念を生む一因となっている。
ステークホルダーの相互理解と協調には、シミュレーションモデルを共有し、ブラッシュアップしていくことが不可欠なのだ。
5.判断基準の事前共有 感染症の状況と同様に、SCMのフェーズは刻々と変化する。
シミュレーションモデルによって、フェーズの移行基準とフェーズにあわせた対応策、それに伴うリスク(犠牲)を事前に検討して示すことが可能になる。
「その時に総合的に判断する」といった、ネガティブな意味で日本的な、行き当たりばったりの意思決定はすなわち、事前にものごとを十分にシミュレートしていない証拠である。
6.リーダーによる発信と信頼構築 意思決定とその発信を担うリーダーは、シミュレーションモデルの構築自体は専門家に任せるにしても、そのプロセスを理解する必要がある。
感染症対策とは畢竟、死亡者数の抑制と経済活動の維持というトレーオフを判断するものであるから、リーダー以外に意思決定はなしえない。
SCMすなわち、営業、製造、物流などのトレードオフの仲裁もまた同様である。
目標とその意思決定プロセスに共感を得ることができれば、たとえ犠牲を払ったとしてもステークホルダーからの信頼を失うことはないであろう。
しかし、共感がなければ、仮に結果が良かったとしても信頼を獲得することはできない。
これが今回の騒動で得られた最大の教訓ではないだろうか。
その後、緩やかな自粛要請から緊急事態宣言の発令、感染者数の減少を経て、5月末に緊急事態宣言は解除された。
日本における人口当たりの死者数は今のところ欧米諸国の1/100以下である。
その結果だけを見れば日本政府の感染対策は大成功といえる。
しかし、政治リーダーへの評価は厳しい。
一方、初動に失敗して爆発的に感染が広がった海外で、元首や首長のリーダーシップが称賛されるという現象が起きている。
なぜこれほどまでに感染対策は混迷を極めているのであろうか。
一つにはさまざまなステークホルダーが関わり、その目的あるいはKPIがそれぞれに異なっていることが挙げられる。
感染症のステークホルダーには、国や都道府県の政治家、感染症の専門家、現場の医療スタッフ、患者やその家族、ときには遺族、さらには評論家やTVに登場する自称専門家、そして大多数のわれわれ一般人までが含まれる。
これらステークホルダーは、感染者数の最小化、死亡者数の最小化、経済的打撃の最小化、他の疾病のための医療体制の維持、視聴率、自身への感染リスク最小化など、それぞれ異なる目的を持っている。
そして、COVID─19は未知のウィルスであるために、入国規制、PCR検査の拡充、ロックダウン、接触機会の削減、マスクや手洗いといった対策に、どれだけ効果があるのか分からない。
事象の発生や、対策を打ってから結果が現れるまでに時間を要するという厄介な性質も持っている。
そもそもCOVID─19は封じ込める(撲滅する)ことは可能なのか、共生していくしかないのか。
鎖国政策をとるべきなのか。
最終ゴールは自然免疫の獲得なのか。
それを判断する確たる根拠は現時点では存在しない。
それでもリーダーは方針を打ち出す必要がある。
しかし、わが国においては、どのような仮定に基づいて何をするのか、明確なメッセージに乏しかった。
著名人の死亡をマスコミがことさらセンセーショナルに扱って国民の不安を煽ったり、海外の取り組みをいたずらに称賛する報道が相次いだのも、明確な方針の欠如がその一因であったかもしれない。
そして結局のところ何が功を奏したのか分からないまま感染は収束に向かっている。
緊急事態宣言の解除に際しても、当初設定された解除の目安(直近1週間の新たな感染者数が10万人当たり、0・5人程度以下)は蔑ろにされた。
目安とは果たして何だったのか。
そもそも今回の感染症対策で政府や自治体は何を目指したのか。
社会活動の自粛という対策のコストは、その成果に見合うものだったのか。
何が成果を測る尺度なのか、いまだに分からないままである。
この一連の騒動はSCMにおける諸課題を想起させる。
SCMにおいても営業、製造、物流などさまざまなステークホルダーが自分の立場から意見を主張し、それぞれに異なる関心事とKPIが交錯する。
需要の変化や対策の実施などの影響は、時間の遅れを伴なって表面化するため意思決定は容易でない。
明確な尺度を持たないために、特定の製品や顧客の欠品がことさらに強調される。
欠品の抑制と在庫水準の低減のどちらをどれだけ優先するのか、経営者から方針が示されないまま、現場はエクセルなどの原始的なツールを駆使して奮闘する。
結果的に欠品率が低く抑えられても、過剰在庫や高コストが最終業績を引っ張る。
以下、本稿では、今回の感染症対策において表面化した諸課題を客観視することで、SCMにおける課題解決の手掛かりを探るものとする。
1.共通目標の設定 まず必要なのはさまざまなステークホルダーからなる共同体の、全体としての目標を設定することだ。
その時に〝欠品(死者)ゼロ〟のような現実味のない理想論を掲げるのではなく、実現可能な目標数値と、それに伴い一定の確率で必ず発生するリスクについて合わせて明示することが重要だ。
2.リソース分析と対策の検討 その上で、対策の妥当性を検討するのに不可欠なのがリソース分析だ。
過去にSARSを経験し、PCR検査体制が充実しているアジア諸国においては、そのリソースを活用してCOVID─19の感染者を早期に発見することが有効であった。
しかし、わが国はPCR検査体制と人口当たりのICU(集中治療室)の数が不足しており、一方でCTスキャンの台数が相対的に余裕があったことから、CTスキャンによるスクリーニングを経て、必要な患者だけにPCR検査を実施することでICUの逼迫を防ぐことが、合理的であった。
つまり感染症対策の適切なアプローチは、その国が保有するリソースによってそれぞれで違ってくる。
SCMにおいてもまた、自社リソースの相対的余裕を与件として対策を設計することが重要だ。
他社(他国)の取り組みは参考にはなっても、それ以上ではないのである。
3.手段の目的化に注意 このようなプロセスを経て決定された対策も、それを周知するに当たっては「活動の8割自粛」といった分かりやすいスローガンに単純化される。
それ自体は非難されるべきことではないが、ともするとスローガン自体が目的化してしまう恐れがある点には留意が必要だ。
活動の自粛はその目的が飛沫感染リスクの低減であるから、感染者の大半が病院や介護施設で発生しているような状況では意味をなさない。
同様にたとえば、欠品の防止は収益(あるいはキャッシュフロー)を最大化する一手段の一つにすぎない。
状況によっては意図的な(計画的な)欠品が目的に供することもある。
4.シミュレーションモデルに基づく意思決定 このように感染症やSCMといった複雑な系統の意思決定にはシミューレーションモデルが有効だ。
シミュレーションモデルとは実世界の事象を構成する様々な要素を、ある目的をもって選択、捨象することで単純化して、その影響関係を再現するものだ。
当初設定したモデルは当然ながら精度が低い。
そのモデルから得られた知見を基に策定した戦略を、実世界に適応して実績データを収集し、そのデータを基にモデルを評価し、そして修正する。
このサイクルを重ねることでモデルの精度を高めていく。
それが組織のノウハウとなり財産となる。
今回の「活動の8割自粛」や緊急事態宣言解除の決定でも、当然ながらシミュレーションモデルがあったはずだ。
しかし、その詳細や評価は公表されていない。
そのことがまた意思決定に対する疑念を生む一因となっている。
ステークホルダーの相互理解と協調には、シミュレーションモデルを共有し、ブラッシュアップしていくことが不可欠なのだ。
5.判断基準の事前共有 感染症の状況と同様に、SCMのフェーズは刻々と変化する。
シミュレーションモデルによって、フェーズの移行基準とフェーズにあわせた対応策、それに伴うリスク(犠牲)を事前に検討して示すことが可能になる。
「その時に総合的に判断する」といった、ネガティブな意味で日本的な、行き当たりばったりの意思決定はすなわち、事前にものごとを十分にシミュレートしていない証拠である。
6.リーダーによる発信と信頼構築 意思決定とその発信を担うリーダーは、シミュレーションモデルの構築自体は専門家に任せるにしても、そのプロセスを理解する必要がある。
感染症対策とは畢竟、死亡者数の抑制と経済活動の維持というトレーオフを判断するものであるから、リーダー以外に意思決定はなしえない。
SCMすなわち、営業、製造、物流などのトレードオフの仲裁もまた同様である。
目標とその意思決定プロセスに共感を得ることができれば、たとえ犠牲を払ったとしてもステークホルダーからの信頼を失うことはないであろう。
しかし、共感がなければ、仮に結果が良かったとしても信頼を獲得することはできない。
これが今回の騒動で得られた最大の教訓ではないだろうか。
