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SEPTEMBER 2002 28
ビジョンなき再編の罠
自社で抱えた重装備の物流センターはSCMの制約条件に
なってしまう。 市場は常に変化する。 アウトソーシングを徹
底することで、最適なビジネスモデルを常に実現する環境を
作ることができる。
バブル崩壊の傷跡
東京駅からJR京葉線で約三〇分。 新興住宅地らし
く整然とデザインされた駅前ターミナルから専用の路
線バスに乗り、八分ほど走るとその建物がある。 アパ
レルの名門、レナウンが九二年に稼働した大型物流拠
点、「レナウン習志野インテリジェント・ジャンクショ
ン」(習志野IJ)である。
施設は、東京湾の最深部に突き出すように造成され
た埋め立て地の一画に建っている。 都心から約三〇キ
ロ、首都高湾岸線の習志野ICから約二キロと、物流
拠点としての立地条件は悪くない。 周辺にはビールメ
ーカーや商社などの大型物流拠点が立ち並んでいる。
この辺りはバブル期に首都圏用の広大な土地を求める
企業の巨額投資が相次いだ場所でもある。
「アクアスキュータム」や「シンプルライフ」などの有
名ブランドを五〇近く抱えるレナウンは、ファッショ
ン性の高いアパレル企業として九〇年代半ばまで業界
最大手の座に君臨していた。 売上高がピークだったバ
ブル期には、東日本をカバーするためだけに都内三カ
所に大型の営業倉庫を確保。 さらに、そこに入りきら
ない商品を近隣十数カ所の営業倉庫に分散しなければ
ならないほどの物量を抱えていた。
将来的な物量の伸びを信じて疑わなかったレナウン
は、八九年に大胆な物流拠点の再編に踏み切った。 十
数カ所あった東日本の拠点を一気に一カ所に集約する
ため、一六六億円を投じて千葉県習志野市に八万平方
メートルの土地を購入。 建物と設備に一二三億円を費
やして習志野IJの建設を決めた。 情報システムや福
利厚生施設なども含む総投資額は四〇〇億円余り。 物
流拠点への投資としては日本最大級の案件だった。
八階建ての習志野IJの建築面積は約一万五〇〇
〇平方メートル。 延べ床面積は一〇万九〇〇〇平方メ
ートルにも上る。 当時の経営トップが自ら設計の陣頭
指揮をとったという施設内には、東京湾を一望できる
瀟洒なレストランや、トレーニングジムなども設置。 物
流センターの持っていた暗いイメージを変える試みと
して、広く世間の注目を集めた。
当時、人手不足が深刻化していたことを反映して、
庫内作業の省力化も徹底的に進めた。 情報システムと
マテハン機器の統合に約二年間を費やし、独自のハン
ガー搬送システムを完成させた。 施設内の天井に網の
目のように張り巡らしたレールに、スキー場のリフト
のような形状をしたハンガー台車(特殊な形状のカゴ
車)を吊している。 このハンガー台車を始めとする搬
送ユニットには全てバーコードを印字。 これを天井の
レールの随所に設置したスキャナーで読み、人手を介
さずに施設内を移動させている。
施設が完成した当時、小売業の間では多頻度小口化
への要求が高まっていた。 レナウンはこれに対応する
切り札として習志野IJに大きな期待を寄せた。 スペ
ースや設備に余裕を持たせることで、将来的に増える
であろう物量をさばくメドもつけた。 だが皮肉なこと
に、九二年に本格格稼して以降、現在に至るまで習志
野IJはフル稼働したことはない。
レナウンの業績は、過去一〇年の間に極端な下降線
をたどっている。 八九年十二月期に二三六一億円あっ
た連結売上高は、九〇年代の後半に急減。 直近の二〇
〇二年二月期には一一八五億円と最盛期の半分の水準
まで落ちこんでいる。 当然、施設稼働時に想定してい
た物量も半分程度に減ってしまった。
それでもマテハン設備の賃借料として毎年、三億円
近くのコストが発生する。 施設を維持するための他の
固定費負担も高止まりしている。 レナウン・生産物流
レポート
29 SEPTEMBER 2002
力の源泉であり、顧客への安定供給を保証するものと
して認識されていた。 地価が上昇することで含み益と
いう?おまけ〞までついた。 ところが、右肩上がりの成
長が終わったことで、かつての常識は一変してしまった。
サプライチェーンの主導権は川下にシフト。 メーカ
ーに都合の良かった押し込み式の販売は通用しなくな
った。 資産価値は下落し、過剰な物流インフラは経営
の足をひっぱる不良資産に姿を変えた。 その一方、物
流アウトソーシングが進化したことで、荷主が自ら物
流を手がけなくても、安定供給に支障をきたすような
事態は考えられなくなっている。
荷主企業が物流拠点に投資する理由はなくなった。
とりわけ変化し続ける流通チャネルへの対応を常に迫
られるメーカーにとって、アウトソーシングで物流ネ
ットワークの柔軟性を確保することは、もはや定石に
なっている。 現に乳酸菌飲料大手のカルピスは、三〇
年以上前にこうした方針を掲げて、物流効率化の成果
を確実に手にしてきた。 アウトソーシングの威力
カルピスは一九七二年に日本通運に物流を全面的に
アウトソーシングして以来、工場に隣接する倉庫以外
の物流拠点には一切、投資していない。 このとき物流
拠点の管理コストを変動費化したことは、その後、同
社が流通チャネルの変化に対応していく上で大きな意
味を持つことになった。
カルピスの販売チャネルは、過去には卸ルートと、
酒販店や果物屋などの小売店ルートの二つが主力だっ
た。 工場から小売店に直送するケースも少なくなかっ
たため、ピーク時には全国各地に一〇〇カ所以上の在
庫拠点を構えていた。 この配送ネットワークを一九七
二年に日通の全国オンラインシステムを使って効率化
特集
本部の山下秀光ロジスティクス部長は「習志野IJが
本当に役に立たないのかどうかには、まだ検討の余地
が残っている」と言うが、同社の経営に豪華すぎる物
流拠点が重荷になっていることは誰の目にも明らかだ。
悪化し続ける業績を盛り返そうと、レナウンは九〇
年代末からリストラを繰り返してきた。 二〇〇〇年に
は大阪に持っていた自前の物流拠点を売却し、西日本
の物流業務を全面的にアウトソーシングした。 習志野
IJに所属する物流部門でも、ピーク時に二〇〇人い
た社員をすでに五九人まで減らした。
ただし、習志野IJそのものの処理は一筋縄ではい
かない。 売却しようにも施設周辺の地価はピーク時の
三分の一程度まで下落している。 企業の在庫削減が進
み倉庫スペースがだぶついている現状では、そもそも
買い手を見つけること自体が難しい。 しかも独自のマ
テハンで埋め尽くされた施設は汎用性に欠ける。 強引
に手放せば巨額の損失計上が避けられない。
かといって習志野IJを保有し続けるためには、施
設の稼働効率を高めて固定費負担を軽減することが不
可欠になる。 自社の物量拡大が見込めない以上、場所
貸しや、他社の物流を取り込むことで施設の稼働率を
高めるしかない。 しかし、物流事業化の経験も物流子
会社も持たない同社が、急速に外販を拡大できるほど
の競争力を持っているとは考えにくい。
現状を維持するにしても、施設売却によって物流ア
ウトソーシングに踏み切るにしても、レナウンの物流
部門にはイバラの道が待ち受けている。 巨額の投資を
して自前の拠点を持ってしまったことが、物流管理を
根底から歪めてしまった。
もっともこれまで日本では、物流拠点を資産として
保有するという判断は決して珍しいものではなかった。
とくにメーカーにとって重装備の物流インフラは、販売
「西日本のアウトソーシングで
は物流コストを大幅に削減で
きた」とレナウンの山下秀光
ロジスティクス部長
天井を網の目のように走るレールに、
ハンガー台車を吊して商品を移動
主力販売チャネルの百貨店は値札つ
けひとつにも千差万別の作業が必要
施設内ではレナウンの社員以外に数
百人が流通加工などに携わっている
物量が減っているとはいえ、庫内に
は早くも秋冬モノの商品在庫が並ぶ
SEPTEMBER 2002 30
したことから、両社の緊密な付き合いが始まった。 そ
の後、一部の業務を物流子会社のカルピス物流サービ
スに取り込みはしたが、協力物流業者として一対一で
日通と付き合うという基本姿勢は変えていない。
この関係下でカルピスは、物流拠点の再編を進めて
きた。 まず九五年に、錯綜していた物流ネットワーク
を徹底的に整理し、工場倉庫二カ所と全国三一カ所の
DC(在庫拠点)からなる輸送体制を構築した。 拠点
数が多いために膨れあがった在庫を圧縮する狙いがあ
った。 「ピーク時に二〇日分くらいあった在庫を、一
週間分くらいに削減しようとした」と営業ロジスティ
ックスセンターの片山賢治部長は振り返る。
しかし、狙ったほどの成果は得られなかった。 集約
したとはいえ三一カ所の各拠点にほぼフルラインで製
品在庫を置いていたため、在庫の偏在や、拠点間の横
持ちが相変わらず頻発した。 そこで一年後に、改めて
外部のコンサルタントを交えた物流改善プロジェクト
に取り組んだ。 シミュレーションの結果、翌日配送と
いうサービスレベルを維持しながらでも拠点を半減で
きることが分かると早速、同社は九七年に三一カ所あ
ったDCを、一気に一九カ所まで減らした。
その後は国内三工場に隣接する工場倉庫に設備投資
をすることで出荷能力を高め、工場からの直送化を推
進しながらDCを減らしてきた。 すでに現状の直送化
比率は五五%まで高まり、在庫拠点の数も八カ所まで
減った。 最終的には札幌と沖縄の二拠点だけしか残さ
ないというのが同社の描く青写真だ。 量販チェーンの
センター納品が増え、小売店の販売シェアが減り続け
るなかでは理に適った方針といえる。
拠点集約は、物流コストの削減にも確実に寄与して
いる。 「九一年に九・二%だった売上高物流費比率が、
昨年は七・〇%まで下がった」と片山部長は胸を張る。
物流部門が管理すべき流通在庫も大幅に減った。 仮に
同社のDCが自社物件だったら、これほど急速な拠点
集約は実現できなかったはずだ。
地価下落で賃貸契約期間が短縮
物流拠点の運営を積極的にアウトソーシングし、こ
れによって物流ネットワークの柔軟性を確保しようと
する傾向は、近年になって急成長した産業ほど著しい。
九〇年代を通じて売上規模を倍増させたコンピュータ
大手の富士通も「物流センターとして自社物件を保有
することなど考えられない」という。
富士通のパーソナルビジネス本部でコンピュータや
通信機器の物流管理を担う渡辺寛物流企画部統括部
長は「かつて当社の物流拠点はかなり長期のリース契
約を結んでいた。 だが最近五、六年の間に契約した物
件の契約期間は長くても三年。 例えば三カ月前に申し
出れば解約できるといった条件になっている」という。
地価の下落が土地所有者と利用者の力関係を逆転させ、
利用者側に有利な契約を可能にしている。
汎用機の分野からスタートした富士通にとって、か
つて物流はそれほど重視する必要のない業務だった。 大
型コンピュータはあくまでテクノロジーが勝負であり、
良いものさえ作れば売れた。 このため九〇年代前半ま
で富士通の物流ネットワークは、配送リードタイムが長
く、輸送網も錯綜した、かなり非効率なものだった。
ところが八〇年代に一大ブームを巻き起こしたワー
プロや、九〇年代のパソコンのような個人向けビジネ
スに本格参入したことで、物流に対する認識を変えざ
るをえなくなった。 物流サービスの違いによって顧客
から選別され、リードタイムが長いことによる在庫リ
スクが顕在化したためだ。
九四年頃にパソコン事業に本腰を入れ、業界ナンバ
カルピス・営業ロジスティッ
クスセンターの片山賢治部長
は「物流コストは変動費にし
ておく方が得策」と言い切る
カルピスの物流ネットワークの変遷
再編前の状況
1972年
1978年
1995年
1997年
1999年
2000年
2001年
2002年
将来ビジョン
全国に100カ所以上のDC(在庫拠点)
日本通運に物流を全面アウトソーシング
一部の物流業務を物流子会社に取り込み
工場倉庫2カ所と全国31DC体制に再編
全国31カ所のDCを19カ所に集約
工場倉庫3カ所と全国14DC体制に再編
全国10DC体制に集約
全国9DC体制に集約
全国8DC体制に集約
工場倉庫3カ所と2DC体制(札幌・沖縄)
31 SEPTEMBER 2002
ーワンのNECを猛追し始めたことが物流を抜本的に
再構築する契機になった。 パソコンの競争はワープロ
とは比較にならないほど激しく、流通在庫が陳腐化す
る速度も早い。 大型コンピュータを運ぶ目的で作った
富士通のそれまでの物流ネットワークでは、コストも
リードタイムも到底、対応しきれなかった。
九七年に物流ネットワークの抜本的な再編に着手し
た。 まずパソコンの物流を、従来の汎用機向けの物流
ネットワークから分離。 キッティング作業(パソコン
本体と周辺機器のセッティングなど)を工場内に取り
込むことで、サプライチェーン上の滞留ポイントを減
らした。 さらにエリア別に持っていた在庫拠点をすべ
て工場倉庫に統合し、流通在庫を減らすことに全力を
傾けた。 全国に一九カ所あった配送拠点も集約を繰り
返し、すでに現状では六カ所しか残っていない。
問われる流通ビジョン
こうして物流ネットワークを再構築する一方で、富
士通は需給調整の手法も見直した。 従来は月次だった
オペレーションを週次に改め、流通在庫の陳腐化によ
る値下げ圧力の大きい個人向け市場については、販社
の営業マンが毎週月曜日に販売店ごとの販売動向を聞
き取り調査することで実売データの把握に努めている。
集めた情報はパソコンの需給調整を一手に担うサプ
ライチェーン統括部に集約し、週単位で生産計画に反
映する。 富士通の板東陽一サプライチェーン統括部長
は「販売店での売れ行きは部品の値下がりなどに敏感
に反応する。 こうした情報を、いち早く察知できるか
どうかが今後、パソコンメーカーの死命を制すること
になる」と指摘する。
一連の取り組みの結果、富士通のパソコン事業にお
ける物流コストは、九七年と比較すると劇的に減った。
パソコン一台を運ぶのに必要なコストは、企業向けが
四割以上減り、個人向けは半減した。 悩みのタネだっ
た流通在庫も二〇〇二年には前年比で六割以上圧縮で
きた。 パソコン事業全体としては、九七年比で年間三
〇億円程度の物流コスト削減を果たしている。 まさに、
華々しい成果といえるだろう。
ただし同社のサプライチェーンを競合他社と比較し
た時には、また別の評価をせざるを得ない。 現在、パ
ソコン市場におけるシェアを急速に伸ばしているソニ
ーは、ちょうど富士通が物流の見直しに本腰を入れた
九七年にパソコン事業に参入した。 ソニーは同事業を
始める前提として、販売店からPOSデータをもらう
ことを売買契約の条件に据えた。 個人向けパソコンの
流通在庫を管理するには、店頭の実売データを小売店
と共有することが欠かせないと考えたためだ。 結果と
してソニーは、わずか五年間で個人向けパソコンの分
野のトップ企業に踊り出た(本誌四二ページ参照)。
富士通とソニーは、同じように理詰めで物流効率化を進めてきた。 それだけに物流ネットワークそのもの
には大きな差はない。 にもかかわらず両社の勢いは、
個人向けのパソコン市場を見る限り明らかに違う。 実
は二社の拠点政策には大きな相違点がある。 富士通が
過去の非効率な物流ネットワークを出発点として効率
化を進めてきたのに対して、ソニーは最初にあるべき
ビジョンを描き、ゼロベースで新たなサプライチェー
ンを構築した。 ソニーが既存の物流インフラとの整合
性を考えたのは次の段階の話だった。
物流費のコストダウンではなく、ビジネスモデルの
優位性を軸に、物流拠点政策を検討すべき時代が訪れ
ている。 固定化した施設を持たず、可能な限りアウト
ソーシングを進めておくことで、ビジョンは現実に移
すことができる。
特集
富士通・パーソナルビジネス
本部の板東陽一サプライチェ
ーン統括部長「個人向けパソ
コンでは販売店の厳しい要求
に応えられるメーカーだけが
生き残る」と言う
「ノンアセット型の富士通ロジ
スティクスも含めて物流拠点
に自ら投資することはない」
と富士通・プラットフォーム
事業推進本部の渡辺寛物流企
画部統括部長
富士通のパソコンの物流体制の返還
企業向け
個人向け
企業向け
個人向け
企業向け
個人向け
企業向け
個人向け
企業向け
個人向け
企業向け
個人向け
ノートPC
デスクトップ
ノートPC
デスクトップ
ノートPC
デスクトップ
《97年以前》
《99年》
《現在》
工場 キッティング 集約拠点 デポ/配送ターミナル 顧客
島根
笠島
福島
大和
京浜
川崎物流
センター
ターミナル
19カ所
デポ 5カ所
工場 キッティング デポ/配送ターミナル 顧客
島根
福島
7カ所
工場 デポ/配送ターミナル 顧客
島根
福島
6カ所
京浜
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