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美人弟子の指導が始まった
「物流が数字で見えてますか?」
クライアントの物流部員たちは、大先生の物流
センター視察の後、まるで仕事に身が入らなくな
ってしまった。 センター視察に参加したメンバー
全員が茫然自失の日々を過ごしている。 部長と課
長に至っては、交代で休みを取る始末だった。
前回の指導の傷が癒えたと思われる頃合いを見
計らって、?美人弟子〞がクライアントに電話を入
れた。 在庫についてのデータを整理したいので相
談に伺いたい、という内容である。 電話を受けた
課長の声がうわずった。
「えっ、いつ頃、おいでになりますか‥‥」
「私一人で参りますので、そちらのご都合のよいと
きで結構です」
いつものように大先生と一緒ではなく美人弟子
一人と聞いて、課長の声に弾みが加わった。
「あっ、お一人ですか、そうですか。 それでは、
明日とか明後日でいかがでしょう」
翌日、美人弟子が一人でクライアントの本社に
出掛けていった。 受付で待っていた物流企画課の
課員に案内されて会議室に入ると、部長以下全員
が立って出迎えた。 それでいい。 女だと思って侮
るとひどい目にあう。 なんたって大先生の弟子な
のだから。
ちなみに、美人弟子は在庫管理についてのプロ
である。 大先生から徹底的に鍛え上げられている。
いまや彼女は、わが国で在庫管理の本質を知り抜
いている数少ない一人というのが大先生の評価で
ある。
「先日の物流センター視察では、いろいろとお世話
になりありがとうございました」
席につく前、美人弟子がセンター視察のお礼を
言った。 思わず、その場の全員に苦い思いがよみ
がえる。
「いえ、とんでもありません。 どうぞ、どうぞ」
なぜか部長があせったように椅子をすすめる。 全
員が着席するのを待って、思い切って課長が切り
出した。
「先般の、あのようなご指導受ける会社というのは
あまりないのでしょうか」
OCTOBER 2002 64
《前回までのあらすじ》
本連載の主人公でコンサルタントの“大先生”は、ある大手消費財
メーカーの物流部の相談にのっている。 「コンサルは教育だ」が持論の
大先生は、一方的に問題の解決策を教えるような真似はしない。 間違
いの本質を徹底的に考えさせたうえで、クライアントが自ら問題解決に
取り組むように仕向ける。 前回までの検討会を通じてまんまと乗せられ
た物流部員たちは、「私たちは何もやってこなかった」と反省しはじめ
た。 途中参加のため、この雰囲気に戸惑っていた物流センターの責任者
も、大先生の質問攻めに遭って完膚なきまでにやりこめられてしまった。
湯浅和夫 日通総合研究所 常務取締役
湯浅和夫の
《第七回》
65 OCTOBER 2002
一般的にみて自分たちの会社は、そんなにひど
い状態なのか――。 それを確認したいという全員
の思いをこう表現した。
「いいえ、御社だけ特別というわけではありません。
私の知る限り、先生の指導は、いつでもどこでも
あんな感じです」
ほっとしたような感じでみんなが頷くと、それ
を切り裂くように美人弟子が続けた。
「拝見するところ、みなさん、お元気そうですから、
まだいい方だと思います。 急に胃をこわして入院
してしまう方もいらっしゃいますから‥‥」
全員から笑いが起こるが、笑い声は引きつって
いる。
「さて‥‥」
美人弟子の一言で、全員に緊張が走る。
「みなさま方はご自分たちの物流を数字で語るこ
とができますか?」
突然の、しかも予期せぬ、そして大先生ゆずり
の質問に全員が答えに窮してしまった。 美人弟子
がもう一度質問をする。
「物流を数字で語れと言われたら、どうお答えにな
りますか。 どんな数字でも結構です。 量でも大き
さでもコストでも‥‥数字で物流を説明して下さ
い」
「‥‥」
自社の物流を数字でどこまで語れるか。 これで、
その会社の管理レベルが決まるというのは大先生
の主張である。 数字で物流を語れと言われて、そ
の意味がわからないなんていうのは論外。 そうい
う物流部の存在が物流をだめにしている、という
のが大先生の日頃の口癖でもある。
「数字でどこまで物流を説明できるかが、物流の
管理レベルを端的に示します。 数字で説明できな
いということは管理不在と言っていいと思います」
そう言うと、美人弟子は黙って全員を見回した。
にこやかだし言葉は丁寧だが、口調は大先生に似
ている‥‥。 そんなことを思いながら、課長はな
んて答えようか必死に考えていた。
「恥ずかしながら持っておりません」部長が小さな声で答える
しばしの沈黙の後、思い切ったように、課長が
答えた。 思い切るのはいつも課長だ。
「物流センターが何カ所とか、使っているトラック
が何台、作業者が何人といった数字でいいのでし
ょうか」
こんな質問を大先生にすれば一喝されるだけだ
が、美人弟子は穏やかに答える。
「はい、それも物流を語る数字の一つです」
美人弟子の答えに「なーんだ」という空気が流
れる。 危ない、危ない。 美人弟子は「数字の一つ
です」と言っているではないか。 そんなことにはお
構いなしに、年長の課員が、それならここにあり
ますと言ってファイルを開いた。 すかさず、美人
弟子が聞く。
「その数字は、もちろん最新の数字ですよね」
「‥‥」
「三年前、五年前の数字と比較して説明できます
か」
年長の課員は首を振って黙ってしまった。 間髪
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入れずに、美人弟子の指導が始まった。
「物流センターやトラックの台数など、いまの物流
の静的な状態を説明する数字も確かに大事です。
でも物流部としては、それが自分たちの取り組み
によってどう変化してきたかという動的な状態を
説明することも必要なのではないでしょうか。 う
ちの先生がいつも言ってますように、物流を小さ
くすることが物流部の仕事です。 みなさんには自
分たちの仕事の成果を、数字で説明するという意
識を強く持つことが求められていると思いますが、
いかがですか」
部長はじめ全員が頷き、美人弟子が続ける。
「ところで物流を語る数字というのは、それ以外に
もありますよね‥‥。 どんなものがありますか」
「先程おっしゃられましたが、コストなどは重要な
数字だと思います」
腰の軽い、いやフットワークのいい若手課員が、
めずらしく率先して答えた。 内容は美人弟子の言
葉の復唱に過ぎないが、この参加意識は評価して
いい。 もっとも、美人弟子はそんな答えでは納得
しない。
「コストで物流を語る場合、具体的にどんなコス
トを使って、どう説明しますか」
「‥‥」
黙り込んでしまった若手課員に代わって、部長
が慎重に言葉を選ぶように答え始めた。
「コストを使って物流を語る場合、物流コストの
総額か、あるいはその売上高比率がどう推移して
いるかということが総合評価指標としては重要だ
と思います。 そして、それ以上に物流コストにつ
いての責任関係を明確化することが大切なのでは
ないでしょうか‥‥」
部員全員が感心したように頷いている。 美人弟
子も、先を促すようににこやかに頷く。 部長が自
信を持った感じで続ける。
「物流を語るときには、現実にどのような物流が行
われているのか、また、それがどう推移してきた
のかということも必要ですが、それらはあくまで結果に過ぎません。 物流を管理するという立場で
考えますと、その物流がどのような要因で発生し
たのかという責任区分を明確にするための数字デ
ータが欠かせないと思います。 その意味で、責任
を明示できるコストデータも必要だと思います」
さすがは部長だ。 大したもんだ。 部員たちから
賞賛の眼差しが注がれる。 しかし、美人弟子の一
言が、みんなを現実に引き戻した。
「おっしゃる通りです。 みなさまはそのようなコ
ストデータをすでにお持ちだと理解してよろしい
でしょうか」
ちょっと間を置いて、部長が小さな声で答える。
「恥ずかしながら、持っておりません‥‥」
そうでしょうねと頷きながら、美人弟子が明る
く受け止める。
「コストデータの意味についてはよくご認識されて
いるようですから、よろしいと思います。 後は、そ
のようなコストをつかめばいいだけですから」
すかさず課長が確認のための質問をする。
「そのようなコストをつかむためには、例のAB
Cと呼ばれる原価計算の導入が必要になるんです
よね」
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「はい、そうです。 ABCについてはご存知です
か?」
そう言いながら、美人弟子が全員の顔を見る。
課員たちは首を傾げているが、部長と課長は軽く
頷く。 でも、いまひとつ自信がなさそうだ。 みん
なの反応を受けて、美人弟子がコストについての
話しを引き取る。
「ABC、つまりアクティビティ・ベースド・コス
ティングについては改めて導入支援をいたします
ので、そのときにまた議論したいと思います。 と
ころで、数字で物流を語ると言った場合、まだ他
にも重要な数字がありますね」
仮説なくして検証するべからず
原点から発想することが重要
この問い掛けに、今度は課長が即答した。 昨日の電話では、たしか在庫データの取り方について
相談すると言ってたはずだ。
「在庫データですね。 この前、物流センターに先生
が来られたときにも恥ずかしい思いをしましたが、
そのような在庫データはうちでは取っていません」
先手を打って、課長が白状した。 もちろん美人
弟子にしてみれば、在庫データがないのは先刻承
知だ。 だからこそ出掛けてきたのである。 美人弟
子が課長に向かって質問する。
「在庫データというのは何のために取るのですか」
在庫データを取っていないことを正直に白状し
たことで自分の役目は終わったと安心していた課
長は、突然の質問に慌てた。 大先生の講演や物流
センターでの話しなどを思い出しながら、何とか
答えを探そうとする。
「本来は必要のない在庫が、どれくらい物流セン
ターにあるかを明らかにするためではないでしょう
か‥‥」
美人弟子が即座に否定する。
「答えとして正解とは言えませんね。 正解は、市場
が必要とする在庫しか動かさないためです。 ここ
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で言う市場が必要とする在庫以外の在庫が、いま
課長がおっしゃった本来必要のない在庫というこ
とになります。 同じように聞こえるかもしれませ
んが、目的と、結果として明らかになることとは
明確に区分して考えることが大切だと思います」
さすが大先生の弟子だ。 発想の原点を大事にし
ている。 課長が神妙に頷く。 美人弟子がさらに質
問する。
「さて、それでは、市場が必要とする在庫を明らか
にするためには、どのようなデータを取ればよろし
いですか」
こういうデータを取りなさいとは決して言わな
い。 相手が納得しなければ何もならないからであ
る。 「コンサルは教育である」という大先生の持論
を美人弟子も実践している。 名誉挽回とばかりに、
課長が口火を切る。
「各地の物流センターの在庫アイテム別の出荷量
データが基礎数値になると思います」
大先生の講演を思い出したようだ。 美人弟子が
頷くのを見てさらに続ける。 課長が乗ってきた。 足
を踏み外さなければいいが‥‥。
「アイテム別の出荷量を何日分か取って、一日当
りの平均出荷量を出します。 それを現状の在庫量
と比べればいいのでは‥‥」
なんか最後は自信なさげだ。 すぐに美人弟子に
突っ込まれる。
「一日当り平均出荷量と、現状在庫の何とを比
べるのですか」
「はあ‥‥」
答えが出てこない。 やっぱり足を踏み外してし
まった。 部長が助け舟を出す。
「市場が必要としない在庫を見つけるのではなく、
市場が必要とする在庫を見つけるんだろ」
「あ、そうでした‥‥。 まず最初に物流センターに
在庫を何日分持つという枠を決める必要がありま
した‥‥」
そのまま美人弟子が議論を誘導する。
「たとえば一〇日分という枠を決めると、何が見
えてきますか」
「はい、市場が必要とする一〇日分の在庫と、現
状の在庫の過不足がわかります」
課長の答えに部長がちょっと首を傾げたが、こ
こは美人弟子が引き取った。
「わかりました。 これ以上の検討は実際の数字が
出てからにしましょう。 それでは次の検討会まで
に、物流センターからの出荷量を調べておいてい
ただけますでしょうか」
打ち合わせの結果、全国の物流センターのうち
三カ所を選び、一カ月間にわたって出荷量調査を
行うことを決めて、今回のコンサルティングはお
開きになった。
(次号に続く)
*本連載はフィクションです
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大
学院修士課程修了。 同年、日通総合研究所
入社。 現在、同社常務取締役。 著書に『手
にとるようにIT物流がわかる本』(かん
き出版)、『Eビジネス時代のロジスティク
ス戦略』(日刊工業新聞社)、『物流マネジ
メント革命』(ビジネス社)ほか多数。
PROFILE
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