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屈託のない人間が苦手な大先生
女性たちの前ではてんで形無し
「ほー、すごいな、この会社は」
大先生の嬉しそうな声が、銀座の事務所に響く。
コンサルティングを請け負っている大手消費財メ
ーカーの件で、?美人弟子〞が分析した在庫実態
表を見ているのだ。 予想していた以上にひどい結
果を楽しんでいる。 二人の弟子が、興味深そうに
大先生の机に寄ってきた。
「なかなかですよね、その結果は」
分析した美人弟子も楽しそうだ。 そこに弟子た
ちより年長の庶務担当の?女史〞がお茶を持って
来た。 女史は事務所の要ともいうべき存在だ。 弟
子たちの信頼も厚い。
「まあ、ちょっと喫い過ぎですよ、先生」
机にお茶を置きながら灰皿を見た女史が、大先
生をにらむ。 知らん振りを決め込んでいるが、さ
すがの大先生も思ったことをそのまま言葉にする
女史が苦手だ。
大体、大先生は屈託のない人間に弱い。 むしろ
屈折しているぐらいの人間を好む。 「そういうやつ
は鍛え甲斐があるからな」などと大先生はわけの
わからないことを言っているが、鍛え甲斐ではな
く、いじめ甲斐だろうと弟子たちは思っている。
女史の屈託のない指摘が続く。
「楽しいからって、そんなにたばこを喫ってはい
けませんよ」
「師匠は楽しいとき、たばこが増えるんですか」
迂闊な質問をした?体力弟子〞が大先生ににら
まれる。 そんなことは意に介さず女史が答える。
「そうなんです。 楽しいときはもちろん、不機嫌な
ときも、暇なときも、原稿書いているときも、た
ばこが増えるんです」
女史の言葉を受けて、今度は美人弟子がちゃ
ちゃを入れる。 美人弟子は確信犯だけに始末が悪
い。
「昼寝しているときと、ご飯食べているとき以外は
いつでもってことですね」
大先生が美人弟子をにらむが、美人弟子はにこ
っと笑って動じない。 しかめ面をしている大先生
を、三人が楽しそうに見ている。
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《前回までのあらすじ》
本連載の主人公でコンサルタントの“大先生”は、ある大手消費財メーカ
ーの物流部の相談にのっている。 クライアントは「物流コストを3割減らせ」
という社長の指示に戸惑ってコンサルに助力を求めたのだが、大先生にとっ
ては難しい削減目標ではなかった。 問題は、業務に取り組む物流部員たちの
考え方にあった。 彼らのやってきたことが、どれほど的外れだったかを理解
させるため、大先生は物流の実態を“数字”で明らかにしようとした。 2人い
る女性アシスタントのうち在庫分析に強い“美人弟子”を送り込んで、3カ
所の物流センターを対象に1カ月間の出荷量調査をやらせたのである。
湯浅和夫 日通総合研究所 常務取締役
湯浅和夫の
《第八回》
59 NOVEMBER 2002
「よし、検討会をやるか」
分が悪くなった大先生が大きな声を出す。 大先
生と弟子たちによる在庫検討会が、こうして始ま
った。
あまりの分析結果に物流部長が切れた
「いった何なんだ、この在庫は‥‥」
同じ頃、クライアント側でも物流部長以下五人
のメンバーが集まり、在庫分析の結果表をもとに検討会を行っていた。 美人弟子の指導を受けなが
ら若手課員が中心になって分析した資料で、大先
生たちが見ていたのと同じものである。
表示されている数字は単純なものだ。 左端に在
庫アイテムが並び、その横に先月末時点の在庫量、
先月の一日当り平均出荷量、在庫量を平均出荷量
で割った出荷対応日数、という三つの数字が表示
されている。
大先生は楽しんでいたが、当然のことながら、こ
ちらはそんな雰囲気ではない。 課員たちに質問を
する部長の声も、どこか心許ない。
「ここに出ている出荷対応日数というのは、いわゆ
る在庫日数と見ていいんだな‥‥」
若手課員が屈託なく答える。 大先生が苦手にし
ている課員だ。
「まあ、そうです。 ただし、調査した先月の出荷一
日当り平均出荷量でみた日数です」
「そうすると、平均出荷量が変わると、日数も変
わるわけだな」
「当然です」
若手課員が、当たり前だという顔で屈託なく言
NOVEMBER 2002 60
い放つ。 部長がみけんにしわを寄せて数字を見て
いる。 数字について質問したいのだが、答えが恐
くて聞けないといった心情のようだ。 見透かした
ように、若手課員が説明する。
「その表は、日数の多い順に並べてあります。 一〇
〇〇日分を超えるアイテムがいくつかありますが、
例外と言っていいと思います」
他人事のような説明に部長の顔がこわばる。 意
に介さず若手課員が続ける。
「一番少ないのはゼロ日に近い状態です」
楽しんでいるかのような若手課員の説明に、つ
いに部長の堪忍袋の緒が切れた。
「ゼロ日だったら欠品になってしまうじゃない
か! 補充の発注はされているのか? いつ入る
んだっ」
本来、部長が心配するようなことではない。 こ
の場の検討では的を外した質問でもある。 にもか
かわらず部長は、頭に浮かんだ疑念を押しとどめ
ておくことができなかった。
いつもは温厚な部長が声を荒げたので、若手課
員は黙り込んでしまった。 その場を取り繕おうと、
課長がいい加減なことを言う。
「大丈夫だと思います。 発注システムがありますか
ら‥‥」
ここに大先生がいたら大変である。 「一〇〇〇日
分もの在庫を注文する発注システムというのはど
んなものか説明してもらおうか」と嬉しそうに聞
かれるに違いない。 部長も同じことを思ったが、こ
の場をおさめようという課長の配慮を思って、口
に出すのをやめてしまった。 このような無用の配
慮がこの会社のマネジメントをだめにしているの
だが、まだ分かっていないようだ。
ちょっと間を置いてから部長が、ひとり言のよ
うにつぶやく。
「しかし、ひどいもんだな、この在庫は。 まった
く無管理状態だ。 無秩序そのものだ‥‥」
分析した若手課員が、怪訝そうに部長を見てい
る。 この課員は、数字は言われたとおり出すが、それが意味することには関心がないようだ。 次の表
をめくって、部長が声を上げた。
「なんだぁ、これは‥‥」
在庫アイテムが並んでいるのは、先の表と同じ
だが、数字は「一日生産ロット」という欄にしか
入っていない。 部長の問いに若手課員があっさり
と答える。
「前回、この調査のご指導に来られた後に先生か
ら電話がありまして、一日当り生産ロットも調べ
るように言われたので、工場に連絡して教えても
らいました」
「なぜ、この数字しか入ってないんだ。 分析はしな
いのか」
部長の声のトーンがまた高まる。 課長が、まず
いなと感じてフォローしようとしたが、その前に
若手課員が答えてしまった。
「はい、これを調べろと言われただけで、どう分
析するのかは指示されてませんので‥‥」
部長の手が怒りで震えている。 声も興奮気味だ。
「企画課というのは、いったい何のためにあるんだ。
指示されたことしかできないのか? 先生が調べ
ろとおっしゃった数字には意味があるに決まって
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いる。 在庫分析にこの『生産ロット』という数字
が使えそうだと、すぐにわかるだろう。 なぜ、それ
をもとに、いろいろ分析してみようと思わないん
だ!」
あまりの部長の剣幕に、みんな息をのんだ。 課
長が自分の指導が足らなかったと謝ったが、今度
は部長も引き下がらない。
「課長の指導の問題ではない。 個々人の意識の問
題だ。 この前、先生から数字で物流を語れとご指
導を受けたが、こんな絶好のデータを前にしてそ
れを実践しようとしない君たちは何なんだ」
しばしの沈黙の後、部長が続ける。 声は平静に
なったが、まだ怒気は治まっていない。
「どのアイテムでもいいから、在庫量を一日生産ロ
ットで割ってみて」
若手社員が「いまパソコンを」と言って、取り
に行こうとするのを部長が遮る。
「電卓でいい、電卓で。 全部の計算なんか後です
ればいい。 どんな数字が出るのかを確認するのが
先だ」
課長が率先して計算を始めた。 一アイテムずつ
報告する。
「一番上のアイテムは、三八という結果が出まし
た。 次のが四六です」
「三八日分、四六日分の生産日数にあたる在庫
ってことだ。 うちは月次生産じゃなかったのか」
みんな黙って頷いている。 部長が次の指示を出
す。
「一日生産ロットを一日当り出荷量で割ってごら
ん‥‥」
こうして部長主導の手探りの分析が続けられた。
それまでの和気あいあいとした社風ならぬ部風と
は、まったく違う世界が現出した。 「それでいい、
それで」という大先生の満足顔が見えるようだ。
にやっと笑いながら大先生が言った
「目が覚めなければコンサルは中断だ」
一方、大先生の事務所では、美人弟子が在庫分
析結果のポイントを簡単に説明し、答えを出した。 「市場への出荷動向を見ながら必要量だけを作る、
動かすという発想がまったくなかったということ
です。 発想がありませんから管理など行われてい
ません。 管理不在ですから管理技術も当然ありま
せん」
体力弟子が、しきりと頷く。 それを見ながら美
人弟子が続ける。
「今ごろ、向こうでも検討していると思います
が、部長はショックを受けてるでしょうね。 この
数字を見れば、まともな人なら言葉を失うと思い
ます」
大先生がにやっと笑いながら、弟子たちに指示
を出す。
「この分析結果について向こうとの検討会はやら
ない。 検討することなど何もない。 この数字が何
をすればいいかを雄弁に物語っている。 これで彼
らが目を覚ませば、それでいい。 目を覚ましたら、
管理技術の導入に取り掛かる。 これでも目が覚め
なかったら、コンサルは中断だ。 そんな連中にあ
あしろこうしろと押し付けても、どうせ定着する
わけがない。 まあ、しばらく放っておけ」
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幸いクライアント側では、?目を覚ました部長〞
を中心に検討会が続けられていた。 課員たちがわ
いわい数字を計算し、一喜一憂しているのを部長
が制止した。
「もういい‥‥いったい何なんだ、この在庫実態は。
輸送効率だ、保管効率だなんて言ってる場合じゃ
ないぞ。 そんな効率をいくら上げても意味がない。
そんなのはどうでもいいから、この在庫をなんと
かしなければ‥‥」
課長がすぐに同意を示したが、課長の言葉など
聞いていないかのように、部長が続ける。
「もう物流拠点の集約だとか作業の効率化などは
考えなくていい。 お客にちゃんと届いているのだ
から、物流センターはいまのままでいい。 これか
らは、市場の動きに合わせて在庫を移動させるた
めにどうするかだけを検討する。 いいね」
部長の毅然とした指示に誰もがすぐに頷く。 ど
うやら部長は開眼したようだ。 大先生の期待どお
り目を覚ました。 みんなの顔をぼやっと見ながら
部長がつぶやいた。
「物流をやらないためのマネジメントか‥‥。 よう
やく、その意味を実感できたよ」
課長が頷きながら、大先生との検討会に話題を
移す。 どのような準備をすればいいか、美人弟子
に聞こうということになった。 誰が電話するか逡
巡している間に、データ分析を担当した屈託のな
い若手課員が会議室を走り出ていった。 そのフッ
トワークのよさに誰も声が出なかった。 いやな予
感を全員が憶えた。 ただ幸か不幸か、大先生と弟
子たちは出掛けていて不在だった。
その電話は女史が受けた。 みんな不在だと聞い
ても若手課員は電話を切らなかった。 なんと大先
生と弟子たちが在庫分析結果について検討してい
たかどうかを聞き出し、女史に率直な質問をした。
「私どもの在庫実態について、先生は何か言って
ましたか」
女史が、皮肉っぽく答える。
「楽しそうに、すっごい会社だなっておっしゃっ
てました」
女史は「おっしゃってました」というところに
力を込めた。 若手課員は、そんなことには気づか
ず、屈託のなさを発揮する。
「へー、そうですか。 誉めてましたか。 思ったよ
りいい結果だったのかなぁ」
「あのー、先生は、めったに誉めることなどなさ
らない方だと思いますが‥‥」
「そうですか、それなら余計すごい‥‥」
屈託のなさでは、さすがの女史も若手課員には
かなわない。 女史は大きなため息をついて電話を
切った。 大先生のしかめ面が女史の脳裏に浮かん
だ。
(次号に続く)
*本連載はフィクションです
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大
学院修士課程修了。 同年、日通総合研究所
入社。 現在、同社常務取締役。 著書に『手
にとるようにIT物流がわかる本』(かん
き出版)、『Eビジネス時代のロジスティク
ス戦略』(日刊工業新聞社)、『物流マネジ
メント革命』(ビジネス社)ほか多数。
PROFILE
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