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いった程度の認識だった。
そもそも私にとっては、このとき
情報システム部の課長として渡米し
ていたこと自体が妙な巡り合わせの
結果だった。 私は一九六六年に大阪
外語大を卒業し、米ゼネラルフーヅ
の日本法人に入社した。 配属先は志
望通りの人事部。 その頃のゼネラル
フーヅは米国でこそ一流企業だった
が、日本ではまだ知名度が低く、年
商四〇億円程度の小さな存在でしか
なかった。 私は、この会社を日本で
も一流企業にしたいと思った。 その
ために欠かせないのは人材で、これ
を育てる人事部こそが?会社作り〞
に一番近いと考えていた。
結局、人事部には十二年間所属す
ることになるのだが、ここで私は多
くの貴重な経験を積むことができた。
優秀な学生を確保するために、各地
DECEMBER 2002 46
グローバル食品メーカーの日米合弁
会社に在籍する川島孝夫氏は、米国
流のロジスティクスをいちはやく日本
に導入した先駆者として知られている。
本連載では、筆者の実体験に基づい
て日米のロジスティクス事情の違いや、
アングロサクソン流のモノの考え方、
さらには転換期を迎えている日本の食
品流通などを縦横無尽に語ってもら
う。 明日のCLO(チーフ・ロジステ
ィクス・オフィサー)を目指す物流マ
ン、必読のコーナーです。
「ロジスティクスって何?」
私が?ロジスティクス〞という言
葉に初めて接したのは、今から二四
年前のことだ。 味の素ゼネラルフー
ヅ(AGF)の担当者として、米ゼ
ネラルフーヅ社が主催した情報シス
テムの研修に参加していたときに聞
いたのが最初だった。 業務でITを
使おうとすれば、モノの移動につい
ても考えざるを得ない。 そうした文
脈の中でロジスティクスという言葉
も出てきたのだと記憶している。
ところが当時の私にはロジスティ
クスがどのような機能なのか、説明
を聞いてもまるで理解できなかった。
その頃、すでにゼネラルフーヅの米
国本社には「ロジスティクス本部」
という部署があり、数百人が所属し
ていた。 これだけ大きなセクション
でありながら、そこでの業務内容は
日本では類のないものだった。 たま
たま彼らが営業本部と同じ建物に入
居していたため、私は営業の一部門
なのかなと勝手に解釈してしまった。
情報システムとはたいして関係なさ
そうだから、「まあ、ええやろ」と
の高校や大学を一人で訪ねて会社説
明会を開く。 就業規則などの諸制度
を整備する。 当時は今でいう経営企
画室のような機能も人事部のなかに
あったため、経営計画の策定にも携
わった。
とくに七三年にゼネラルフーヅの
日本法人に味の素が出資し、折半出
資の合弁会社、味の素ゼネラルフー
ヅ(AGF)が発足したときは、社
内の諸制度を一から見直す必要があ
った。 私が会社の視点で物事を考え
られるようにもなったのは、こうし
た人事部時代の経験によるところが
大きい。 それだけに人事部で充実し
た日々を送っていた私は、他部門に
異動したいとは考えていなかった。
それが冒頭にも書いた通り、七八
年に突然、私は米国での情報システ
ム研修に参加することになった。 理
味の素ゼネラルフーヅ
常勤監査役
川島孝夫
「ゼロから学んだ本場のロジスティクス」
《第1回》
新連載
47 DECEMBER 2002
由はシンプルだった。 米ゼネラルフ
ーヅのCIO(情報システム管理責
任者)が、日本でも情報システムを
効率化して米国流のスタンダードに
変えるように指示してきたとき、A
GFの社内にはこれを担える人材が
いなかったのである。
既存の担当者が無能だったわけで
はない。 従来、富士通のコンピュー
ターを使ってやっていた業務を、い
きなりすべてIBMに切り替えろと
いうような話だったため、それまで
に培った知識や経験が使えなくなっ
てしまったのだ。 また、彼らにとっ
ては手塩にかけて作り上げてきたシ
ステムを否定される話だけに、自ら
刷新するのが難しいという面もあっ
た。 そこで当時、人事課長をしてい
た私に白羽の矢が立った。
日頃からAGFの情報システムに
ついて「こんなの無駄遣いだ」と大
口を叩いていたのと、外大出身で一
応は英語ができるという理由が大き
かったようだ。 当時の上司だった人
事部長に「お前が行け」と言われた
ときには少なからず迷ったが、これ
も会社作りの一環と割り切って腹を
くくった。 そして人事課長から、情
報システム部の課長に異動したうえ
で、約一年間の研修のために渡米す
ることになった。
親会社から届いた最後通告
そうした経緯で渡米した私にとっ
て、情報システム研修の途中で出会
った?ロジスティクス〞を深く追究
する余裕などなかった。 それ以前か
ら、個人的にコンピューターの勉強
をかじっていたとはいえ、業務で使
うとなると私のITスキルはほぼ白
紙の状態。 研修中は情報システムの
知識を吸収するだけで精一杯だった。
実際、学生時代など比べものになら
ないほど猛烈に勉強した。 あまりに
もシンドイため、さっさと逃げ帰っ
て石油会社にでも転職しようかと真
剣に考えたくらいだった。
ただし、今になって振り返ってみ
ると、このとき情報システムの研修
に参加したことが、私の人生の一大
転機になっている。 身をもって学ん
だ当時最先端の情報システムの考え
方や、米国流の合理主義は、その後
の私の仕事のやり方に多大な影響を
及ぼすことになる。
米国で苦労しただけに、帰国して
からの私は脇目もふらずに情報シス
テムの再構築に取り組んだ。 既存の
システム要員を総入れ替えして、米
国流のスタンダードをAGFに導入
する仕事に没頭した。 もっとも当時
の情報システムは、対外的なネット
ワークがどうのという時代ではない。 まだ社内の管理システムをどう効率
化するかというレベルに過ぎなかっ
た。 ようやく受発注の効率化を考え
るようになったのは、八三年に日本
チェーンストア協会の提案を受けて
以降の話である。
結局、米国研修から戻って以降の
六年余りを、私は情報システム一
本やりで過ごした。 ところが、人
生というのは分からないものだ。
今度はひょんなことから、私はロジ
スティクスを担当する羽目になって
しまう。
米ゼネラルフーヅは、八五年に世
界最大のたばこメーカー、フィリッ
プモリス社に買収された。 このとき
彼らは世界レベルでロジスティクス
の最適化を図った。 世界各地でバラ
バラに管理されていたロジスティク
スを、最も進んでいる米国流に標準
化することで効率化し、利益を増や
そうという狙いだった。 そのために
世界中のゼネラルフーヅ・グループ
各社に対して、ロジスティクスを導
入するための米国研修への参加を呼
び掛けた。
すでに当時、AGFの社内にも物
流部や生産管理部はあった。 物流効
1966年に新卒で米ゼネラルフーヅの日本法人に入
社して以来、ほぼコーヒー一筋で歩んできた
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率化のためのプロジェクトにも取り
組んでいた。 ところが在庫は一向に
減らず、コストも削減できずにいた。
そんなときに?ロジスティクス・シ
ステム〞を導入するための研修への
参加要請が米国から届いた。 ご丁寧
に要請文には、「AGFとして物流
効率化の努力をしているのは理解で
きる。 だが基本的にロジスティクス
という視点を持たずにやっている限
り、いくらやってもスペンディン
グ・マネー(金のムダ)だ」と決め
つける文書が沿えてあった。
だが当時のAGFには、かつての
私がそうだったように、ロジスティ
クスの本当の意味を理解できる人間
は一人もいなかった。 もちろん米国
から届いた文書には説明書きもあっ
たのだが、我々には何か縁遠い話の
ように思えた。 それで誰が研修に参
加すべきかを決めあぐねていたとき、
当時のAGFの社長が「?ロジステ
ィクス・システム〞と言うぐらいだ
から情報システムの話だろう」と言
い出した。
この一言で、情報システム部の副
部長だった私の研修への参加が確定
した。 今でもハッキリと憶えている
が、このとき私が渡米すると決まっ
た理由は本当にそれだけのものだっ
た。
こうして私は八五年七月から再び
ゼネラルフーヅの米国本社に滞在し、
ロジスティクスの研修を受けた。 今
度の滞在期間は約四カ月間。 最初の
三週間で基礎知識を学び、それから
米ゼネラルフーヅ流のロジスティク
スの導入ステップについて、実践的
かつ細かいノウハウを徹底的に叩き
込まれることになった。
CLOは流通の変化を見誤るな
この研修に参加した結果、日本に
帰国してからの私は否応なくロジス
ティクスを担当することになった。
だが正直に白状すると、実は研修を
受けた後も、私はロジスティクスの
何たるかをきちんと理解できずにい
た。 それどころか心の中では、AG
Fへの導入は無理なのではないかと
さえ考えていた。
そんな私がロジスティクスの凄さ
を心底、確信し始めたのは、それか
ら三年ほど経ってからのことだ。 思
えばロジスティクスという言葉を初
めて耳にしてから、理解するまでに
一〇年間かかった計算になる。 それ
だけ当時の日本人の常識では捉えが
たい概念だった。
つまり米国研修から帰国した当初
の私は、単に教えられたロジスティ
クスの導入ステップを一つひとつマ
ニュアル通りにこなしていったに過
ぎない。 それでも効果はてきめんだ
った。 とくに組織が整いつつあった
三年目くらいからは、毎年のように
目覚ましい成果をあげることができ
た。 それ以前の在庫が多すぎたこと
もあったが、八七年からの五年間で
AGFの在庫は六割以上も減った。
ゼネラルフーヅ流のロジスティクス
の正しさが、見事に証明された格好
だった。
このときAGFで具体的に何をし
たかについては、本連載のなかで次
回以降じっくりと紹介していきたい。
少し古い話にはなるが、「物流管理」
と「ロジスティクス」の根本的な違
いを理解するうえで絶好の材料にな
るはずだ。
ところで、米ゼネラルフーヅの親
会社であるフィリップモリスは、八
八年に乳製品大手のクラフトも買収
した。 そして翌八九年には、傘下で
同じ食品事業を手掛けるゼネラルフ
ーヅとクラフトの経営を統合。 この
世界中から25人の情報システム担当者を集めて催された会議の一場面が、
米ゼネラルフーヅの社内報「Candid」(84年5月4日発行)に掲載された。
中央がフィル・スミスGF社長(当時)。 右端が川島氏
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とき米国最大の食品メーカー、クラ
フトフーヅが誕生し、同時にゼネラ
ルフーヅは消滅した。 現在、AGF
の五〇%の株式を保有しているのは
クラフトフーヅである。 ただ日本で
はAGFという社名がすでに定着し
ていたことから、あえて?ゼネラル
フーヅ〞という名称を残したまま今
に至っている。
図らずもAGFのロジスティクス
担当者になった私にとって幸運だっ
たのは、かつてクラフトのインター
ナショナル部門でCLO(C h i e f
Logistics Officer:
ロジスティクス
最高責任者)を務め、最終的に副社
長として退任したジョン・ネムジッ
クさんという方に可愛がられたこと
だろう。 彼と接することで、ロジス
ティクスの責任者が何をすべきなの
か、どういう思考方法をとるべきな
のかを学ばせてもらった。 この連載
では、そうした点にも触れられれば
と考えている。
現在、日本の食品流通は歴史的な
転換期を迎えている。 連日のように
マスコミを賑わしている食の安全の
問題ももちろん重要なテーマだが、
ここで私が強調したいのは、食品流
通のプレーヤーの顔ぶれの変化につ
いてである。
AGFのような加工食品メーカー
が生産する製品の売り手は、これま
で圧倒的な販売力を誇ってきた総合
スーパーから、地場の食品スーパー
へとシフトしつつある。 当然、食品
メーカーのマーケティング戦略も変
わらざるを得ず、これに伴うロジス
ティクスの再構築が課題になってい
る。 さらに従来は常温管理が当たり
前だったこの分野において、最近は
温度帯別の管理を求められるケース
が急増してきた。 この点でも日本の
加工食品のロジスティクスは大きな
曲がり角を迎えている。
こうした変化に対応していくうえ
で何より重要なのは?小売店の発想
で考える〞ことに尽きる。 食品メーカーのロジスティクス担当者、とり
わけCLOは、着実に進行しつつあ
る流通の変化を見誤ってはならない。
いかにコスト削減効果の大きい物流
効率化であっても、商売相手の変化
に対応できないようではロジスティ
クスとは呼べない。
本連載では、私が経験してきた米
国流のロジスティクス管理の真髄を
紹介するとともに、これをAGFに
導入した際の手順や管理手法につい
て実践的に解説する。 また、転換期
を迎えている食品流通の現状につい
ても、私論を交えながら検証してい
くつもりだ。 ご期待いただきたい。
(かわしま・たかお) 66年大阪外語大学ペルシャ語
学科卒業・米ゼネラルフーヅ(GF)に入社し人事部
配属、73年GF日本法人に味の素が50%を出資し合弁
会社「味の素ゼネラルフーヅ(AGF)」が発足、76
年AGF人事課長、78年情報システム部課長、86年情
報物流部長、88年情報流通部長、90年インフォメー
ション・ロジスティクス部長、95年理事、2002年常
勤監査役に就任し、現在に至る。 日本ロジスティク
スシステム協会(JILS)が主催する資格講座の講師
なども多数こなし、業界の論客として定評がある。
85年に米国で参加したロジスティクス研修の際の主要テキスト。
ATカーニーがNCPDM(現CLM)のために書いた一番左のテキ
ストが最も役に立ったという
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