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DECEMBER 2002 40
米国マテハン30年史
この30年間、日本は米国を教科書に物流拠点へのマテハン
機器導入を進めてきた。 物流オペレーションのレベルは一気
に高まり、ミス率では米国を凌駕するまでに至っている。 も
う米国から学ぶことはなくなってしまったのかもしれない。
サン物流開発鈴木準 代表
長期稼働する米国のマテハン
私が初めて米国の物流拠点を訪問したのは一九七
三年、オイルショックの年。 「日本生産性本部」主催
の視察旅行に参加した時だった。 当時の為替レートは
一ドル三六〇円。 日本からの円の持ち出しは一〇万
円に制限されていたと記憶している。
このツアーに参加したのは約二〇人。 米国と欧州を
三週間掛けて視察するという内容だった。 参加企業は
ダイエー、長崎屋、レナウン、中央繊維工業、VAN
ジャケット、紳士服の船場、ミカレディなど。 いずれ
も当時は勢いがあったが、三〇年経った今では倒産し
たり、経営危機に陥ったりしている企業が少なくない。
米国でも世界一の小売業だったシアーズが、今では
首位の座をウォルマートに明け渡している。 急成長を
遂げていたK
―Martは昨年、Chapter11
(会社更生
法)の適用を申請した。 日米ともに三〇年前と今とで
は物流の仕組みに大きな変化が見られるが、経済情勢
や業界勢力図もまた、この三〇年で大きく様変わりし
たのだということを改めて実感する。
さて、一九七〇年代の米国はメカトロ化に向けて巨
大な物流投資が行われていた時代だった。 一方、日本
では自動倉庫が大阪の住友倉庫と浜松の通信販売会
社ムトウに導入されていた程度。 自動仕分け機を活用
していたのは郵便局と新聞社くらい。 西友の府中流通
センターにポップアップ式自動仕分け機が納入され、
話題を呼んでいた頃だった。
米国視察で特に印象に残っているのは、宅配便会
社UPSがニューヨーク州ブルックリンのターミナル
に導入していた自動仕分け機「スピーカーソーター」
だ。 このスピーカーソータはチルトトレイ式。 自動仕
分け機と同期をとって回転するミニチュアのドラムに、
ボールベアリングを受ける凹みをつけ、仕分け位置に
相当する凹みにはボールベアリングを打ち込む。 ここ
に電気の接点が接触すると、仕分け位置の電磁弁に
電流が流れ、ティップアップが作動し、トレイを傾け
て荷物を仕分ける、という仕組みだった。 当時はまだ
米国でも物流のITは未発達で、マテハン機器の制
御はメカニカルなものだったと記憶している。
その後、UPSの自動仕分け機は二〇年以上稼働
を続けたという。 また、米国のグリーティング(挨拶)
カードメーカーであるホールマーク社、靴メーカーの
Payless社では四半世紀が過ぎた今でも自動仕
分け機や自動倉庫が使用され続けている。 一般に欧
米ではマテハン機器や設備が完全に使えなくなるまで
徹底的に使われる。 欧米では機械のメンテナンスを自
社で行うのが基本で、パーツ製造のための切削工具な
ど加工機械を物流センターに設置している。 マテハン
機器は長く使用するものであるという感覚が定着して
いる。 これに対して、日本ではまだまだ使えるビルも建て
替えてしまうくらいだ。 スピーカーソーターが二五年
以上使われているのはカンダコーポレーションの有明
センターくらいだろう。 一つのマテハン機器を長年に
わたって大切に使うという姿勢を日本企業も学ぶべき
だと思う。
自動ピッキング装置に驚嘆
ピッキング装置で印象深いのは、ロサンゼルス郊外
のブエナパークにあるAVON化粧品の物流センター
で動いていたSIハンドリング社製の自動ピッキング
装置「Aフレーム」だ。 小物の化粧品がホルダーから
切り出され、一オーダー分の商品が段ボール箱に自動
的に投入される。 その光景は当時のヒット映画「二〇
Column
特 集 《米国編》
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〇一年宇宙の旅」のワンシーンを見る思いだった。
また、シカゴ郊外のドラッグストア、ウォルグリー
ン(Walgreen
)社では小物の医薬品を自動ピッキン
グするSIハンドリング社製「アイテマチック」にお
目に掛かった。 同社ではこの装置を八台導入しており、
稼働の様子はまるで高度に自動化された製造工場の
ようであった。
ケース単位の自動ピッキングではワシントンDCの
スーパーマーケットジャイアントフード(Giant Food
)
が導入していたSIハンドリング社製の「オーダーマ
チック」が特に印象に残っている。 ケースを格納する
フローラックのレーン数は五四〇〇で、一〇万五〇〇
〇ケースの収容が可能。 一時間当たり五〇〇〇ケー
スをピッキング・出荷する処理能力を持っていた。
その後、ジャイアントフードでは冷凍倉庫にもオー
ダーマチックを導入。 アイスクリームのオーダーピッ
キングに活用していた。 このオーダーマチックはラッ
キーストアやマイヤーズなどでも利用されるなど、米
国で広く普及したピッキング装置の一つであった。
一方、日本では七四年に西友ストア府中流通セン
ターが導入したのを皮切りに、おもちゃのトミー、加
工食肉のプリマハム、化粧品の資生堂などが相次いで
採用した。 しかし、現在では滅多にお目に掛かること
はない。 稼働しているのは恐らく資生堂の近畿商品セ
ンターくらいだろう。
少し脱線するが、ジャイアントフードは早い時期に
POSシステムを導入した企業としても知られている。
一一九店を対象にPOSシステムの運用を開始した
のは七五年のことだった。 日本のPOS先進企業とさ
れるイトーヨーカ堂よりも一〇年も早くPOSシステ
ムの実用化に成功しているのだ。 因みに、日本では七
九年に「たつみチェーン」でPOSシステムの実証実
験がスタートしていた。
逆戻りするピッキング方法
八〇年代に入ると、欧米ではピック・ツー・コンベ
ヤが物流センターの新しいマテハン機器として話題を
呼んだ。 ピック・ツー・コンベヤとは通常、パレット
六段の高層倉庫をパレット二段で一層とし、三層にす
る。 各層にコンベヤを敷き、このコンベヤを自動仕分
け機につなぐ。 一ケース一枚のバーコード入りラベル
をプレプリントする。 作業者はこれを持って庫内に行
き、コンベヤの末端からラベルのアドレスを見てケー
スにそのラベルを貼ってピッキングし、コンベヤに載
せる。 商品は自動仕分機に入り、バーコードがスキャ
ンされて方面別に仕分けられる、という仕組みである。
まず新しいもの好きのスウェーデンのICAがピッ
ク・ツー・コンベヤを導入し、その後欧州で普及が始
まった。 米国ではフロリダ州のローカルスーパー、パ
ブリックス(Publix
)が冷凍倉庫にピック・ツー・コンベヤを採用していた。 日本ではコープこうべ(灘神
戸生協)とコープ神奈川(神奈川市民生協)および
中央生協が導入した。
ピック・ツー・コンベヤ方式は一時間当たりの出庫
(ピッキング)能力はマニュアルピッキングより高い。
ただし、コンベヤと自動仕分け機の能力に制約される
うえに、投資コストが掛かり、人時生産性が劣るとい
う弱点がある。 一人時のピッキングは五〇〇ケース前
後といわれているが、自動仕分け機で仕分けた商品を
ロールボックスに積まなければならないため、二人で
五〇〇〜六〇〇個になる。 つまり一人時の生産性は
二五〇個前後なのである。
これはピック・ツー・パレットまたはピック・ツ
ー・ロールボックスといわれるパレットトラックやカ
AVON化粧品のAフレーム
DECEMBER 2002 42
ゴ車を牽引してピッキングする方式と変わらないので
ある。 しかも、作業員一人が腰を曲げる回数はマニュ
アルピッキングの二倍で、腰痛の原因となるなど人間
工学的な問題がある。
そのため、パブリックスがその後建設したドライグ
ロサリーの物流センターで採用されたのはピック・ツ
ー・カート方式だった。 スウェーデンのICAもピッ
ク・ツー・コンベヤを撤去し、ピック・ツー・ロール
ボックスに改めた。 そして今では小売業、卸売業でも
物流センターのピッキングはピック・ツー・パレット
(ロールボックス)が主流になっている。
結局、欧米ではケースピッキングが自動機からピッ
ク・ツー・コンベヤへ、そして、ピック・ツー・パレ
ットへと逆戻りしている。 しかし、この選択はコスト、
人間工学、フレキシビリティの観点から正しいと言え
る。
3PLは日本が先行していた
さて、この三〇年の間に日本には米国から様々な経
営やロジスティクスの用語が移入された。 古くはMI
S(Management Information System
)に始まり、
最近ではECR(Efficient Consumer Response
)、S
C
M
(
Supply Chain Management
)、
W
M
S
(
Warehouse Management System
)などである。
現在では社内の提案文書や企業PRなど、まるで
魔法のランプか万葉集の枕詞のようにあらゆる場面で
三文字英語が使われている。 アルファベット三文字は
語呂が良いうえに、表音文字なので解釈の幅が広く使
いやすい。 例えば、ここ数年で広く普及した3PL
(
Third-Party Logistics
)という言葉。 何やら神秘的
に聞こえるが、要は「売る人、買う人、運ぶ人」のう
ちの運ぶ人のことを指している。 どこにでも存在する
単なる物流業者にすぎない。 それを何やら複雑な意味
のあるものにわざわざ変えてしまっている。
この3PLも米国から入ってきた言葉だが、取り組
みそのものは日本のほうが先行している。 荷主企業に
よる物流アウトソーシングは日本のほうが進んでいた。
私が在籍していた長崎屋では、既に三〇年前にカンダ
コーポレーションに物流業務をアウトソーシングして
いた。 決して新しいものではない。
何故、日本のほうが物流のアウトソーシングで先行
したのか。 日本ではメーカーなど一般企業と物流企業
との賃金格差が大きく、外注化のメリットがあったか
らだ。 これに対して、米国は産業別横断賃率であるた
めに、物流業務を外注化するメリットが少なかった。
もっとも、米国でも八〇年に運送業の規制緩和が実
施され、米国最強の労働組合と言われた「チームスタ
ーユニオン」が弱体化。 それに伴い賃金の硬直化が崩
れたこと、さらに規制緩和で物流業者の活動が活発
化したことで、3PLが成長してきた。 4PLは水屋にすぎない
最近持てはやされている4PL(Fourth-Party
Logistics
)という言葉もよく聞いてみれば、その意味
は3PLと同様に単純なものである。 私自身は単なる
「水屋」であると認識している。
FedExグループに加わったカリバーロジスティ
クス(Caliber Logistics
)という物流企業がある。 武
器は「Rite Routing System
」という企業の物流業務
の一部である配車システムのソフトである。 当時カリ
バーはこのソフトを活用して4PLを展開していたの
である。
カリバーの事務所には展示会場のようにパーテーシ
ョンで仕切られたブースがたくさんあった。 柱には四
撤去されつつあるあるピック・ツー・コンベヤ
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つのテレビモニターがあり、常に天気予報の放送にチ
ャンネルが合わせられていた。
たくさんのブースのうち、電話会社GTE(現在の
Verizon
)のブースでは、配車担当者がGTEから指
示がくることを予想して情報を整理するなど準備を進
めて待機していた。 GTEからは銅製ケーブルや光ケ
ーブルをいくつ、どこからどこに運べという指示がく
る。 それを受けて、担当者はPCを駆使し最適なキャ
リア(運送会社)を検索して交渉する。 そして、その
結果をGTEに報告するという作業を行っていた。
カリバーはFedExグループの一員だが、運賃が
高ければ自社グループのキャリアといえども仕事を廻
さない。 FedExグループのキャリア利用率は七%
にすぎないという。
カリバーの仕事を数字を見ると、年間で?電話受
付で九〇万件、?輸配送処理で一〇〇万件、?送り
状で四〇〇万口、?金額ベースで四億五〇〇〇万ド
ル――に達する。 収入は手数料である。 彼らはこの業
務を4PLと言っていたが、これは明らかに日本でい
う「求貨求車システム」だった。 米国では新しい試み
なのかも知れないが、日本では古くからある「水屋」
そのものである。 因みに、GTEはこのシステムを利
用することで、一二〇〇万ドルのコストダウンを達成
したのだという。
短期業績重視の弊害
米国の企業経営を歴史的に見ると次のようになる。
?1950〜
60
年代:
大量生産・作れば売れた時代
?1970〜
80
年代:
JIT&PC・情報通信技術の発達
?1990〜2000年代:
SCM&e-Logistics
・全体最適、流通寡占化
そして、ロジスティクスの側面から見ると、
?1960〜
70
年代:
保管中心の物流
?1970〜
80
年代:
オーダーピッキングの重要性が高まる
?1990〜2000年代:
オーダーピッキング・保管に加えて顧客サービスの
VAS(流通加工)が加わる
七〇年代までの米国の企業経営は長期ビジョンに
基づいたものだった。 しかし、八〇年代に入るとRO
Eの追求が強くなり、経営者(社長)は四半期という
短い期間で評価が下されるようになった。 米国では経
営と資本の分離が進んでおり、社長は「雇われマダ
ム」にすぎない。 配当が少なくなったり、株価が下が
ると、株主から非難される。 一般に投資を行えば、初
年度の利益は低下してしまう。 そのため経営者は思い
切った投資をしなくなるという傾向が強まった。
米国では物流センター投資を二年で回収するのが一
特 集 《米国編》
ROLES
STORAGE
Order
Assembly
STORAGE
Order
Assembly
STORAGE
Value Added
Service
1960〜70 1970〜80 1990〜2000
米国のケースピッキングの主流だったピック・ツー・パレット
入荷にはASN(事前納入情報)を活用。 荷受け
には無線付きハンディターミナルとITF、バーコー
ドIDの付いた荷受けラベルを使う。 ロケーションへ
の格納はアドレスと荷受ラベルのバーコードをスキャ
ンして行われる。 ピースピッキングはDPS(時には
DSS)、PC搭載のカートピッキングで。 または自
動仕分け機による種まき式の場合はバーコードつきの
ラベルを貼ってピッキングする。 出荷には自動仕分け
機を使い、ラベルのバーコードをスキャンして仕分け
る。 トラックへの積み込みは荷物のバーコードをスキ
ャンしてから引き渡す、という流れだ。
日米欧のどの物流センターを見ても、ほとんどこの
パターンだ。 ウエアハウスのオペレーションはほぼ完
成したと言い切ってもいいだろう。
こうした傾向はこれからの物流ではエンジニアリン
グではなく、マネジメントが重要になるということを
意味している。 日本には七〇〇〇人の物流管理士(物
流技術管理士・物流士・物流管理士)がおり、企業
では優秀な人材を物流セクションに投入するようにな
ってきた。 日本経済の先行きには一抹の不安があるが、
物流に関して言えばエンジニアリングとマネジメント
は世界のトップに立っていると言えるだろう。
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般的だという。 日本では考えられないことなので、訪
問するたびに物流担当者やコンサルタントに尋ねてき
たが、回答にブレはなかった。
米国の株主資本利益率(ROE)は英国とほぼ同
じ二〇%である。 これに対して、日本は僅か二%。 資
本主義経済という意味では米英のほうが優れているこ
とになる。 しかし、短期利益のみを追求するという姿
勢は本当に正しいのだろうか。 ロジスティクスという
観点からすると、長期的な視野に立った投資も必要で
あろう。
今、米国で優れたロジスティクスシステムを確立し
ているのはプライベートカンパニー(非上場企業)だ。
株主の干渉を受けないため、思い切った投資ができる
からである。 ROEを意識しすぎる経営は米国の国際
競争力をなくしてしまうのではないだろうか。
もう欧米に学ぶべきことはない
今や先進国の物流は成熟し、極限に近づいてきてい
る。 物流品質に関して言えば、日本の一万分の一、一
〇万分の一というミス率は別格として、米国でも物流
品質のスタンダードは九九・五%にまで高まってきた。
かつてはミス率が一%台だったから大幅に改善された
ことになる。 因みに、欧州は達成率がスリーナイン
(九九・九%)で米国より一桁上である。 こうしたミ
ス率の改善は物流ITが進化を遂げたことによる賜物
であろう。
日米欧で利用されているWMSは、どこを切っても
同じ顔の出る金太郎飴のように類似してきた。 無線端
末は米国、欧州の順で導入されてきたが、後発の日本
は欧米に追いつき、とうとう追い越したように思える。
入出荷作業は日米欧とも以下のフローがスタンダード
になりつつある。
すずき・じゅん58年東京経済大学
卒業、62年セーラー万年筆に入社。
70年長崎屋入社、物流部長、電算部
長、物流子会社社長などを歴任。 92
年に独立し、物流コンサルティング
会社のサン物流開発を設立した。 小
売業を中心に物流センター構築など
のプロジェクトに数多く参画する。
欧米の物流センターに詳しいコンサ
ルタントとして知られている。
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