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79 APRIL 2001
『精神医療』という雑誌の二十一号でインタ
ビューを受けた。 かつての全学連活動家で精
神科医だった島成郎の追悼文などが載ってい
る季刊誌だが、私はそこで専門家の問いに答
え、こんなことを話した。
「日経ビジネスが編集した『良い会社』とい
う本があるんですが、そのなかに良い会社を
測る一〇項目というのがあって、第一番目に
『時間外労働には対価が支払われる』とある
んです。 日本では、残業代がちゃんと支払わ
れる会社が普通の会社ではなくて、?いい会
社〞になるんですよ」
インタビュアーは「なるほど、そういうこ
となんですか」と驚いていたが、いまは新潮
文庫に入っている『良い会社』には、「大切
な休みを社用でつぶさない」等の測定項目が
並び、結論のように「社員を人間として尊重
する」が来る。
サラリーマンの自殺がふえたのはなぜかと
いうのが最初の問いだったが、まだまだ会社
の実態は知られていない。 その一つの大きな
原因に日本経済新聞の非ジャーナリズム性が
クローズアップされる。
私は『現代』の一九九一年七月号で日経は
「株式会社日本」の社内報だと書き、以来、
同紙からはパージされている。
?社内報〞であるが故に日本の会社事情に
は精通しているのだが、前掲の「良い会社」
の基準はあまりにズレていないか。
たしかに、日本の現状では、残業代が出た
り、休みに休める会社は稀なのだがら、並み
の会社ではない。 しかし、それを「良い会社」
とは、批評精神がなさすぎるだろう。
『週刊東洋経済』の三月三日号の特集は、
「なぜ僕らは会社を辞めるのか」である。 副
題が「たった三年で三割退社のなぞを追う!」
若き商社マンは、日々のルーチンワークは
嫌ではなかったが、それをずーっとやってい
くことが自分の一生にどれだけ有益かと思っ
て辞めた。
また、ある銀行ウーマンは、マニュアルに
則ってやらないとひどく怒られる「ロボット
みたいな生活」に耐えられなくなって辞めて
いる。
逆に言えば、なぜ、多くのサラリーマンは
「ロボットみたいな生活(それを?社蓄的生
活〞とも言う)」に耐えていられるのだろう。
いや、さすがに耐えられなくなったから、自
殺がふえているのではないか。
私には、入社三年経たずして会社を辞める
三分の一の若者の方が正常に見える。
ところが、日経はそういう視点には立たな
いのである。 正確には立てないと言った方が
いいだろう。 日経BP社発行の『日経ビジネ
ス』は二月一九日号で、加藤紘一に、「乱」
の後、初めて政治を語らせている。
そして、自分自身の中にも「古いもの」が
残っていた、という言葉を引き出しているの
だが、この号のメインの特集は「『中抜き』に
負けるな」で、「IT時代、卸四〇〇万人の
生き残り方」をさぐっている。
ライバル誌の『東洋経済』に比して、どち
らが「古いもの」を残しているかは明らかだ
ろう。
もちろん、?社内報〞が辞めていく若者たち
の特集を組めるはずがない。 しかし、日本の
企業社会を底から揺るがすその潮流を追わな
ければ、永遠に?社内報〞から脱却できない
のではないか。
加藤紘一は若者ではない。 ただ、辞めてい
く若者たちの声を聞こうとした。 そして未発
に終わった乱を起こそうとしたのである。
「敗軍の将、兵を語る」というシリーズ的に
加藤を登場させた同誌には、加藤の方が主流
になるかもしれないという読みはない。 与野
党ということで言えば、森喜朗を推しつづけ
てきた自公保は国民的には野党であるという
判断がないのである。 ジャーナリズムに欠か
せない先見性と批評性がないメディアは、や
はり?社内報〞と呼ぶしかない。
佐高信の
佐高信
経済評論家
日経の?社内報〞体質は相変わらず
正論に立つ「東洋経済」に軍配
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