*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。
APRIL 2001 70
物流のあるべき姿
本当にわかってますか?
21
世紀の物流を考えるにあたりIT(情報通信
技術)の活用が最大の課題になることは言うまで
もない。 ITは物流を大きく変えることになると
言って間違いない。 ただし、ここで注意を要する
のは、物流が変わるといっても、決してこれまで
考えもしなかったまったく新しい物流が登場する
わけではないということである。
幸か不幸か、まだ当分の間、モノをネットで送
ることはできない。 物流は完全なリアルな世界の
活動として残ることになる。 リアルな活動である
から、効率化という点で、物流の目指すべき方向
性はネットを使おうが使うまいが変わらない。
従って、ITによる物流の変化は、現在ある物
流から本来あるべき物流に向かっての進展という
形であらわれる。 物流の進展をITが促進すると
言ってもよい。 ここに物流におけるIT活用の本
質がある。 つまり、物流をより望ましいレベルに
持って行くための手段としてITを活用するとい
うことである。
ただし、この場合、前提となる重要な要件があ
る。 それは、本来あるべき物流についての確固た
るイメージを持つ必要があるということである。 か
くあるべしという方向性が見えないと、ITの活
用もままならない。 「ITを使うとどうなるか」で
はなく、「こうしたいからITを使う」あるいは
「こうしたいのだけれど、そのためにITを使えな
いか」という発想こそがITを使いこなす条件と
なる。 はじめにITありきではなく、はじめに方向
性ありきがポイントである。 ITは道具であると
いう由縁がここにある。
さて、こうなると、物流のあるべき姿というのが
重要な意味を持ってくる。 そんなことはわかって
いると言われるかもしれないが、現実の物流を見
ると、あるべき姿とは別の方向に進んでいると思
われるケースも少なくない。 そこで、新世紀の初
頭に、物流のあるべき姿というものを改めて考え
てみたい。 その意味での「物流再入門」である。
妥協の産物としての
「いまある物流」
物流を見たり、検討したり、考えるにあたって、
ポイントになるのは「制約条件」である。 物流の
あるべき姿は、まずこの点の確認から入ることが
不可欠である。
改めて言うまでもないことだが、物流を発生さ
せているのは物流部門ではない。 物流は、生産や
仕入れ、営業といった物流部門としてはコントロ
ールできない活動の結果として発生する。 この事
実は、これら他部門の活動のあり方を制約条件と
して物流が成り立っていることを意味する。
そして、物流管理の難しさは、物流部門みずか
らの管理対象が、みずから生み出したものではな
いというところにある。 物流部門が自身の論理を
貫徹しようとすれば、必ず制約条件の壁に阻まれ
る。 これが物流の原点である。 つまり、物流は、物
流の論理と制約条件のはざまで形成されるという
ことである。
物流はないのが一番
湯浅和夫 日通総合研究所 取締役
第1回
現状の物流システムを当たり前の姿だと考えてしまったら、もは
や物流に進展はない。 効率化は進まず、コスト削減も期待できない。
物流マネジャーの役割は、いま目の前にある物流をいかにローコス
トで行うかではなく、物流のあるべき方向に向かっていかに進むか
を考えることにこそある。 「物流はないのが一番」という認識がそ
の出発点になる。
71 APRIL 2001
それゆえ、この制約条件をどう認識し、それに
どう対処するかにより、いまある物流の姿が変わ
ってくる。 換言すれば、企業間の物流格差はこの
制約条件への対処の仕方で発生しているというこ
とである。 従って、制約条件をより多く排除して
いる物流が先進的な物流ということになる。
たとえば、いまここに「工場倉庫↓物流センタ
ー(倉庫)↓問屋倉庫」といった物流の流れがあ
ったとする。 メーカー物流の典型的なパターンで
あり、どのメーカーでも恐らくこんな流れになって
いる。
しかし、実際にその内容を比べてみると、企業
によって大きな違いをみることができる。 たとえば
物流センター(倉庫)の数を見ても大きな違いが
存在する。 同じ業界でも、数カ所のところもあれ
ば十数カ所のところもある。 中には一〇〇カ所を
超えるところもある。 同じ商売をやるのに物流セ
ンターの数でそれだけの違いが出てしまう。
この物流センターの数の違いは、必然的に工場
倉庫から物流センターへの輸送の仕方の違いとな
ってあらわれる。 輸送手段、輸送規模、輸送頻度
等々、すべてに差が出ることになる。 たとえ物流
センターの数は類似していたとしても、そこを移
動し、保管している在庫に目をやると、ここでも
大きな違いが見られるはずである。 少量の在庫で
済んでいるところもあれば、大量の在庫が動き回
っている企業もある。
このように、一見すると同じような流れに見え
るが、その内実を探ると大きな格差があるという
のが物流の大きな特徴である。
なぜこのような違いが出るのかといえば、それは
制約条件をどこまでクリアできるかどうかによるのである。 たとえば、物流センターや倉庫の数は、物
流の論理で言えば本来、少なければ少ないほどよ
い。 ところが少なくすることに社内で抵抗があれ
ば、集約したくともできない。 また、社内に抵抗
はなくても、顧客が短いリードタイムでの納品を
要求すれば、ここでも集約には限界が出る。 つま
り、営業部門、営業政策が制約条件となって物流
センターの数を決めているわけである。
もう一度考えてみよう
物流マネジャーの役割
在庫も同じである。 物流部門が在庫をコントロ
ールできれば、可能な限り必要最小限の在庫移動
で済む可能性があるが、在庫の手配を営業部門で
行っていたり、工場側が押し込んだりしている場
合は、多くの在庫が動かされることは避けられな
い。 物流のいまある姿は、このような制約条件と
のせめぎ合いの中での妥協の結果として存在して
いるといえる。
ここで注意を要するべきは、この妥協の結果と
しての「いまある物流」を当たり前の姿として位
置付けてはいけないということである。 いまだせめ
ぎ合いの途上にあるとの認識を常に持つことが必
要である。
妥協の結果の状態を当たり前だと考えてしまっ
たら、もはや物流の進展はない。 物流の効率化は
進まず、物流コストの削減も期待できない。 物流
コストの削減は、あるべき方向に進む中にしか生
まれないからである。
物流マネジャーの役割は、いまある物流をいか
にローコストで行うかではなく、いまある物流から、
あるべき方向に向かっていかに進むかを考えるこ
とにこそあるのである。
それでは、物流のあるべき姿とはどんなものなの
か。 この答えは簡単である。 「物流はないに越した
ことはない」というのがあるべき方向性である。 物
流をやらなければ、物流コストは発生しない。 や
らないで済ますというのがコスト削減の要諦であ
ることは間違いない。
輸送などやらない方がいいし、保管などない方
がいい。 物流センターなどもちろんない方がいいに
決まっている。 物流を管理する部門などもなしで
済むならこんないいことはない。
決して奇を衒った発言をしているわけではない。 これが本来あるべき方向性なのである。 物流を管
理するとは、いかに物流をやらないで済ませるかと
いうマネジメントなのである。 物流センターをつく
ったり、物流機器を導入することが仕事なのでは
ない。 物流管理は、可能な限り装備をしないで済
ませることを原点に置かないと、本来の目的を達
成できない。
もちろん、そうは言ってもという話はある。 売っ
た物を届けなければ、商売が完結しないのなら、最
低限「売ったものを届ける物流」は必要になる。 そ
れは否定しない。 ただし、必要なのは顧客に届け
るためだけの物流である。 工場倉庫から顧客まで
届けるためだけの物流をやればよい。 これが、物
流のすべてである。 他には何もいらない。 この状
態を目指して制約条件を排除していくことが物流
担当者の本来業務のはずである。
|