ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2001年6号
ケース
クールシャトル――物流ベンチャー

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63 JUNE 2001 五月九日。
この日初めて衆議院の代表 質問に臨んだ小泉純一郎首相は顔を紅潮 させて、かねて持論とする郵政民営化論 で熱弁をふるった。
同じ日、本誌の取材 に対して、物流ベンチャー企業「クールシ ャトル」の廣田隆二社長(四〇歳)も、ソ フトな語り口ながらも、小泉首相にひけを 取らないほど手厳しく郵政を批判した。
「『チルドゆうパック』の輸配送を手助け してくれる物流会社を探しているという噂 を耳にしたんで、郵政事業庁に早速出向いて『ウチを使ってみてはどうですか』っ て提案したんです。
ところが、出てきた担 当者は『私には決裁権がな いので即答で きない』とか『入札制度で委託先を決め ているので、次回参加してみてはどうです か』とすっかり逃げ腰で、まったく話が噛 み合わなかった」 「専用車を用意せず、蓄冷材を使って配 達している限り、温度管理の品質改善は 不可能ですよ。
郵政は表向きには民間企 業に対抗できるサービスを提供するって強 調しているけど、話を聞いている限り、ま ったくその気はなさそう。
ヤマト、佐川、 日通の上位三社を追撃できるわけがない。
民間企業との競争に晒されない限り、郵 政のサービスレベルは向上しないでしょう ね」 廣田は福岡生まれの九州 男児。
学生時 代は柔道で馴らしたという偉丈夫だ。
そ の気質も見かけ通りで、たとえ相手が客 コンビニ店長から軽トラ業に転身 定温輸送のスポット需要で急成長 定温貨物の緊急輸送というニッチな市場で攻勢 をかけている物流ベンチャー「クールシャトル」。
社長の廣田隆二氏はガス会社の営業マン、コンビ ニ店長を経て、物流の世界に飛び込んできた。
創 業以来、幾度となく辛酸をなめてきたが、現在で は軽トラ100台でネットワークを構築するまでに 成長を遂げている。
クールシャトル ――物流ベンチャー JUNE 2001 64 一日約一五〇件、月間約四五〇〇件の 配送実績を誇り、二〇〇〇年十二月期の 売上高は五億五〇〇〇万円だった。
取引 先はニチレイ、日本ハム、日本水産、イ トーヨーカー堂などで、その数は五〇〇を 超える。
まだ経営規模は小さいが、その急 成長ぶりで各方面から注目を浴びている。
脱サラしてコンビニ店長 廣田が軽トラの世界に飛び込んだのは 「クールシャトル」の前身である廣田運送 を興した九五年が最初だというから、この 業界での経験は六年に過ぎない。
それま では物流とはまったく縁のない人生を歩ん できた。
社会人としてのスタートは、学生時代 の柔道の実力が買われて入社した千葉県 の京葉ガスだった。
そこで、プロパンガス を使う住宅や商店を一軒一軒訪問して、都 市ガスへのリプレースを勧める営業マンを 経験した。
都市ガスの利便性や安全性をアピール するこの仕事は、断られるのが当たり前の ?ダ メモト〞営業。
門前払いを喰らって は次の顧客を訪問するという消耗戦を繰 り返す日々が続いた。
当時のことを廣田 は「柔道をやっていたので、体力面で問題 はなかった。
成約なしが続いて意気消沈 したこともあったが、色々な人と知り合う 機会のある営業マンの仕事は楽しかった」 と述懐する。
であっても悪いことは悪いとはっきりモノ をいう融通のきかないタイプだという。
時 には相手に煙たがられることもあるが、竹 を割ったような性格こそが持ち味であり、 営業の際の最大の武器でもあるようだ。
廣田が経営する「クールシャトル」は軽 トラックを使った定温輸送を専門とする 物流事業者である。
事業は製造遅れや原 料の遅配などトラブル発生時の緊急輸送 がメイン。
定温輸送のスポット需要という 極めてニッチな市場を攻めている。
現在、関東地区を中心に軽トラ約一〇 〇台でネットワークを構築している。
ただ し「クールシャトル」自体は車両を持って いな い。
赤帽や軽貨急配のように軽トラ の?一人親方〞たちを組織化し、自社は 営業や配車業務に特化している。
ドライ バーに仕事を提供する代わりに、料金の 二〇%を斡旋手数料として徴収するとい うビジネスモデルである。
二四時間三六五 日体制での対応、分かりやすい料金設定 を売り物にしている(六六ページ表参照)。
しかし、その京葉ガスを突如、退社し てしまう。
もともと起業志向の強かった廣 田はバブル全盛だった当時、破竹の勢い で出店を続けていたコンビニエンスストア に目をつけた。
この業態は今後必ず伸び る。
そう睨んでコンビニの店長という新た な道を選んだ。
今度はTシャツ、ジーパン姿でレジに立 ち、店を切り盛りする毎日を送った。
しか し、次第に日々の生活に物足りなさを感 じるようになる。
チェーン本部の指示に従 って、商品を仕入れ、マニュアル通りに陳 列して販売する。
そんな単調な仕 事が性 に合わなかった。
「もう一度ネクタイを締めて営業がした い」。
そう強く意識するようになったのは 店長になって約三年半が経過した頃だっ た。
折しもバブル崩壊で店の売り上げの頭 打ちが続いていたこともあって、脱サラし た当時に抱いていたようなコンビニへの期 待感は徐々に薄れていた。
コンビニ店長を辞めて、営業マンとして 再出発する決意を固めた。
しかし、サラリ ーマンに戻る気は毛頭ない。
簡単に独立 開業できて、なおかつ営業力をフルに発揮 できる仕事を探し ていた廣田の目に留ま ったのが軽トラ業だった。
廣田は「運転免 許一つでビジネスが始められるという点が 何よりも魅力だった」と振り返る。
しかし、知人から聞かされる軽トラ業の 話は、いずれも冴えない内容ばかりだった。
「クールシャトル」の廣田隆二社長 65 JUNE 2001 自由気ままに仕事ができると新規参入す る個人事業主は多いが、ダンピング競争 に疲弊して撤退を余儀なくされる者も少 なくない。
そんなアドバイスを受けた。
テ レビ番組を通じて一日に五〇〇〇円の運 賃しか水揚げできないドライバーも存在す るという軽トラ業の実態も目の当たりにし た。
廣田は考えた。
「既存の軽トラ業者には ないサービスを提供しなければ生き残るこ とはできない」。
そんな時、コンビニの店 長だった時代に経験した、ある事がふと頭 に浮かんだ。
緊急輸送はなくならない 店で三個入りのプリンが欠品を起こし た時の話である。
チェーン本部に欠品が発 生している事実を知らせたところ、プリン を製造するメーカーの担当者が血相を変 えて、店に飛び込んできた。
その担当者は 「申し訳ございません」と深々と頭を下げ て、プリンを陳列して帰っていった。
それだけでは ない。
ある食品 メーカーでは欠 品した商品一ケ ースを店に納品 するために、わ ざわざ二トンの 保冷車一台をチ ャーターしてい た。
店長時代は 気にも留めてい なかったこの光 景を思い 出した 瞬間、廣田の全 身に電流が走っ た。
「小売業の力が 強いうちは、こ うした無駄な納 品はなくならな い。
軽トラを使えば、二トン車よりも低コ ストな緊急輸送サービスが提供できる。
し かも、定温貨物ならば競合相手も少なく、 ビジネスとして成り立つのではないか」。
折しもこのアイデアが浮かんだ当時、食 品業界では製造物責任(PL)法に絡ん で商品の温度管理の徹底が叫ばれていた。
それもあって、廣田は軽トラを活用した定 温輸送ビジネスは必ず成功をするという確 信を持つに至った。
ところが、思わぬ落とし穴が待ち構えていた。
商売道具になるはずの冷凍・冷蔵 機能を持 つ軽トラが存在しなかったのであ る。
正確にいうと、マイナス五度まで温度 が下がる軽トラは市販されていたのだが、 廣田が希望するマイナス一五度まで温度 が下がる軽トラはまだ開発されていなかっ た。
ショックを受けた廣田は自動車メーカ ーや特装メーカーを行脚して開発を打診 する。
だが、わずか一台のために開発を承 諾するメーカーはそう簡単にはみつからな かった。
どこへ言っても、小僧扱いでまっ たく相手にされない。
そんな日々が続いた が、廣田の粘り腰にようやく一社が首を 縦に振ってくれた。
「ビジネスモデルや食品業界を取り 巻く 環境を説明したうえで、『これからは冷 凍・冷蔵機能を持った軽トラの需要が喚 起されるはずだ』と訴えて、何とか納得し てもらった」と廣田は振り返る。
クールシャトルの軽トラック 車両価格は1台約160万円 JUNE 2001 66 B5サイズの名刺で営業 念願の商売道具を手に入れ、ようやく得 意の営業に専念できる体制が整った。
し かし、いくら営業力に自信があるといって も、ガス会社、コンビニと渡り歩いた廣田 にとって物流が未知の世界であることに変 わりない。
当然、つてなどは一切なかった。
まず最初に廣田が営業を仕掛けたのは、 千葉県の市川市、船橋市、習志野市と続 く湾岸道路沿いに立地する食品工場や物 流センターだった。
飛び込み営業はせず、 会社四季報などで電話番号や担当部署を 丹念に調べ、事業内容を説明して担当 者 とのアポイントメントに漕ぎ着ける。
そん な営業方法をとった。
軽トラを使った定温緊急輸送というビ ジネスモデルには自信を持っていた。
しか し、それだけでは決定力に欠ける。
「何か インパクトを与えなくては、吹けば飛ぶよ うな小さな会社はすぐに忘れられてしま う」と考え、相手先に訪問する際にちょ っとした小道具を用意した。
B5サイズのコピー用紙に「営業・廣 田隆二」と書いた特大名刺がそれである。
真顔で「これが私の名刺です」と手渡し た時、相手がにっこりと微笑めば、まずは 掴みはオーケーだという。
その後は、廣田 を 使えばどれだけメリットがあるかを得意 のトークでまくしたてる。
創業当時から付き合いのある食品卸の 物流担当者は「物流企業の営業マンには 低姿勢な人が多いんだけど、彼はまったく 正反対。
生意気ですが、と前置きしたう えで、こちら側の問題点を次から次へと指 摘してくる。
しかし逆にそれが信用力につ ながっていると思う」と分析する。
それでもこの商売を始めて、一度だけ完 全に腰が引けた経験がある。
創業間もな い頃、ある大手商社との商談の時だ。
相 手先のビルの大きさに圧倒され、玄関の 前で三〇分間、車から降りることができ なかった。
どんな切れ者が出てくるのだろ う とか、余計なことを考えたら頭がパニッ クに陥った。
結局、頭の中が真っ白のまま、敵陣に 乗り込んでいったが、交渉はあっさりと成 立。
完全に名前負けしていた自分が情け なくなった。
「あの経験を乗り越えたこと が何よりも大きかった。
その後は相手の企 業規模に尻込みすることは二度となくな った」。
自分のような物流経験の浅い者で も十分に対応できる。
それを確認できたこ とで完全に気持ちが吹っ切れた。
これを境に、 営業への自信を深めた廣 田は次から次へと商談を成立させていく。
サービスに満足した食品メーカーの担当者 が、ほかのメーカーの担当者に「クールシ ャトル」を紹介してくれる。
噂を耳にした 別の担当者から「話が聞きたい」と打診 される。
そんな好循環で、瞬く間に顧客 層は拡がっていった。
ところが、一気に取引先が増えたこと で、今度は軽トラの台数が足りなくなると いう事態に追い込まれた。
知人の協力で 何とか軽トラを三台確保することはできた が、それでも賄えないくらいの仕事量が舞 い込んでくる。
しかし、廣田は新たに軽ト ラを購入しなかった。
「資金がなかったか ら」だという。
そこで思いついたのが赤帽や軽貨急配 のように委託運送店方式を採用すること だった。
?一人親方〞たちに冷凍・冷蔵機 能を持った軽トラを用意してもらい、実運 送を完全に委託する。
「クールシャトル」 は営 業と配車業務に特化するというビジ ネスモデルである。
これによって、廣田は 自らが得意とする営業活動に専念できる 体制を整えた。
軽トラで定温輸送というこれまでにない サービスに新たな活路を見い出そうとした のだろう。
たくさんの?一人親方〞が軽 トラを定温仕様に改造して、廣田の元に 集まった。
一〇台、二〇台、三〇台‥‥。
あっという間に関東地区のネットワークが 完成した。
「ドライバーにとって一番の魅力は、一 台で月に七〇〜一〇〇万円を売り上げが 見込める圧倒的な仕事量だと思う。
競合 相手の多いド ライ貨物を扱う仕事ではこ れだけのボリュームは確保できないはず」 と廣田は説明する。
「クールシャトル」の業績はうなぎ登り 67 JUNE 2001 だった。
帝国データバンクによると、九七 年十二月期の売上高は三億三千万円。
そ れが翌九八年十二月期には五億七四〇〇 万円にまで跳ね上がっている。
ところが、九九年十二月期に売上高は 四億二九〇〇万円まで落ちてしまう。
そ の背景には社内で発生した内部分裂があ った。
ある事業所長が突然退社し、「クー ルシャトル」とほぼ同様のビジネスモデル で独立開業したことが原因で業績が悪化 したのだ。
本社を置く船橋市に続いて、草 加市、大田区、国立市、厚木市と次々と 事業所を増やしていた時期だっただけに、 内部分裂による約一億円の収入減は大き な痛手となった。
それでも、持ち前の営業力を発揮して V字回復を果たした。
翌二〇〇〇年十二 月期の売上高は五億五〇〇〇万円。
内部 分裂前とほぼ同じ水準にまで戻した。
当 時のことについて廣田は「彼(退社した事 業所長)も『この商売はいける』と思った のでしょうね。
確かに当時はショックだっ たけど、もう過ぎたことですから」と多く を語ろうとはしない。
車両販売代理店にはならない 物流という畑違いの分 野に単身で乗り込んだ廣 田は、六年あまりで軽ト ラによる定温輸送という ビジネスモデルを確立し、 関東一円にネットワーク を張り巡らすまでに至っ た。
次のステップとして 関西地区や東北地区への 進出、運行管理システム の開発などが控えている。
様々な事業展開が可能な 体制が整ってきた。
ただし、一つだけ自ら に戒めていることがある。
それは軽トラの車両を一 人親方たちに販売する形 で売り上げを確保する車 両販売代理業に手を染めないことだ。
実 際、軽トラックを活用した物流ベンチャー で先行する企業のなかには、売上高のか なりの部分を車両販売で占めているケー スもある。
昨年、株式公開を果たした軽 貨急配などが、その代表的な企業だ。
「販売代理業に力を入れて営業が疎かに なってしまうのでは本末転倒。
『クールシ ャトル』は一人親方たちに代わって、営業 をする会社であるという基本姿勢を崩し たくない」という。
「クールシャトル」はこれまで定温分野 の緊急輸送というニッチな市場を開拓す ることで成功を収めてきた。
だが、ニッチ であるがゆえの課題も少な くない。
突発的 な需要をターゲットにしているため、日々 の仕事量には安定性がない。
廣田自身も この課題を十分に認識している。
「定期配 送の合間を使って、スポット需要に対応 するのが理想型。
そのため、今年は定期 配送業務の獲得に重点を置いて営業に臨 んでいる」。
今、廣田はビジネスモデルの脆弱さを改 善するのに絶好のチャンスを迎えている。
急成長を遂げている惣菜チェーンの社長 を相手に、プレゼンテーションする機会を 手に入れた。
相手は一癖ありそうな名物 経営者だ。
「商品には 自信がある。
営業マ ンとしての腕の見せ所だ」。
廣田の新たな 挑戦が始まろうとしている。
(=文中敬称略) (刈屋大輔)

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