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AUGUST 2001 76
日本企業の物流管理三〇年
その歴史を紐解くと‥‥
「物流を管理する」という考えが企業経営に浸
透し始めたのは一九七〇年代に入ってからのこと
だ。
本誌の読者の多くは、「日本ロジスティクスシ
ステム協会」という団体についてはご存知のこと
だろう。 しかし、この団体が、それ以前にあった
「日本物流管理協議会」と「日本物的流通協会」
の二団体を統合することによって誕生したことは、
意外に知らない方が多いのではなかろうか。
実は、この二団体が設立されたのが一九七〇
年である。 その意味で、この七〇年を物流管理
元年などと言ったりもする。 (ちなみに筆者がこ
の世界に入ったのは七一年のことだが、それはさ
ておき)すでに物流管理は三〇年余の歴史を経
て現在に至っているわけである。
筆者の見聞きしてきたことを踏まえながら振り
返ってみると、この三〇年間は、物流にかかわる
活動を「いかに効率的に行うか」に終始した時代
だったといえる。 そして、これは物流管理という
点では本筋を外した取り組みでもあった。
当初、七〇年代の初めは、効率化というより
は物流の?形づくり〞に力が注がれた。 なにしろ
それまでの物流は、各地の工場や支店、営業所
など物流が発生する場所ごとに、それぞれ勝手な
やり方で行っていたからだ。
倉庫は各事業所ごとに何カ所にも分散してい
て、商圏を全国展開している大手メーカーなどの
場合は百カ所を軽く超えるというのが当たり前。
倉庫業者やトラック輸送業者との契約はバラバラで、料金水準、契約条件は千差万別というの
が実態だった。 つまり、この頃の物流は体を成し
ていなかったのである。
大忙しだった初代物流部長
二代目以降はヒマで困る?
こうした状況でスタートしたため、物流管理は
まず物流を?形づくる〞ということからスタート
した。 まずは近隣に点在する複数の倉庫を集約
し、物流センターとして展開するということが盛
んに行われた。 そして、この取り組みは現在も続
いている。
さらには、全国に散らばっている物流業者との
契約を本社の物流部門で統括したり、契約に関
する指針を示すなどして料金水準や契約条件を
整理したり、物流コストを算定するといった作業
が熱心に行われた。
それまで野放図に物流が行われていたこともあ
って、こうした物流の形づくりは、結構やること
が多かった。 混沌とした物流にメスを入れるだけ
で、大きな合理化効果が得られたことも確かであ
る。
そのため「初代の物流部長はやることがいっぱ
いあるからいいけど、やることがなくなる二代目
以降の部長は大変だ」といった話が、まことしや
かに語られたりした。
もちろん、二代目以降の部長にも本当はやる
ことはたくさんあったのだが、そんな話が流行る
ほど初代の物流部長は忙殺されていたということ
である。
効率化から減量化へ
湯浅和夫 日通総合研究所 常務取締役
第5回
効率化を追及するだけの物流管理は間違っている。
その物流業務に意味があるかどうかを考えず、ムダな
物流でも効率化すればコストが下がるなどというのは
プロとして失格だ。 物流部門の本来の仕事は、物流を
どんどん減らすことにある。
77 AUGUST 2001
効率化だけの物流管理は
20
世紀で終わりにしよう
混沌とした状態を整理した後に、物流管理の
主役となったのは、物流にかかわる諸活動の?効
率化〞だった。 それまではムダを排除するという
かたちでコスト削減が行われていたのが、物流管
理の段階では、さらなるコスト削減の柱として輸
送、保管、センター内作業など個々の活動を対
象とする効率化に取り組むようになった。
倉庫の集約という取り組みは従来からの継続
的なものだったが、それと同時に物流担当者の関
心は個別の活動内容にも及ぶようになった。 集約
した物流センターのレイアウトや作業システムを
どうするか、どんな物流機器を入れればよいか、
トラックを満載にするためにどう工夫するか、往
復実車にできないか、帰り便のトラックを使えな
いか――などなど。
同じ物流をやるならば少しでも低コストでやり
たいという点に、物流担当者の関心が集まるよう
になった。 つまり、輸送、保管という活動やその
前後の作業の効率化である。
いま振り返ってみると、
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世紀の物流管理と
いうのは、物流の形づくりと物流活動の効率化
に終始してきたと言ってよい。 この間、幸か不幸
か、顧客からの物流要求はエスカレートする一方
だったという事情もある。
無理難題としか言いようのない顧客の要求に
ローコストで応えるのは至難の技で、それをいか
に効率的に処理できるかが物流部門の大きな課
題になってしまった。 誤解を恐れずに言えば、物
流部門の多くは、活動や作業の効率化以外に物流コストを削減する手段は何もないかのごとくに
取り組んできたのである。
なぜ、こんな過去の話を長々としているかと
いうと、こうした活動や作業の効率化は、もう
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世紀で終わりにした方がいいと言いたいため
である。
この
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世紀型の物流管理の柱になっていたの
が「同じ物流をやるならば、そのための活動や作
業は少しでも低コストでやるのがいい」という発
想である。 当たり前の考え方と思われるかもしれ
ないが、実は、この発想こそが物流管理を誤った
方向に導いてきたのである。
腐った魚を効率的に
運んでも仕方がない
いまでもあるかもしれないが、かつて次のよう
なことが当然のように行われていた。
ある物流センターに向けて工場を出発する一〇
トン車があったとする。 ところが、届け先の物流
センターから注文された製品だけでは八トンにし
かならない。 さて、どうするか。
従来は、どうせそのうち売れるだろうと、注文
にない製品を載せたり、注文以上の量を積んだり
して無理に一〇トン満載にするということが行わ
れてきた。 これで二トン分の損をしないで済むと
いう考えによるものだ。 もちろん、大きな過ちで
ある。
満載して物流センターに送られたものがすべて
顧客に納品され、返品もないのであればまだ許容
できる。 ところが実際はどうかというと、物流セ
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ンターから注文された製品でさえ売れ残ってしま
うのである。 ましてや満載にするためだけに積み
込んだものの多くは、物流センターに山積みのま
まということがよく起こった。
こんなことが複数の物流センターで行われれ
ば、売れもしない商品を動かすというムダは全
体としては膨大なものになってしまう。 工場の
出荷部門だけの業務範囲を考えれば、トラック
を満載で走らせているのであるから、これ以上の
効率化はない。 しかし、売れないものをいくら満
載で運んでも、企業経営という点では何の意味
もない。
同じことは保管についても言える。 売れもしな
いものをいくら効率よく保管しても、その保管効
率の高さは何の意味も持たない。 物流センター内
の作業でも同じである。 その物流に意味があるか
どうかを考えず、効率だけを追求する取り組みに
は疑問を抱かざるをえない。
効率性とは、市場が必要とする商品を動かす
という物流においてのみ意味のある概念なのであ
る。 「ムダな物流でも非効率にやるより効率的に
やった方が低コストという点で意味があるのでは
ないか」などと言うのは、なぐさめ以外の何物で
もない。 物流のプロとしては失格である。
腐った魚を効率的に運ぶことに情熱を燃やせ
ますか、ということである。 そんなものは運ばな
いほうがいいに決まっている。 ところが現実はこ
れと同じことをやっているのである。 「どうせ同
じ物流をやるなら」という考えが、このような事
態を生み出した。
本来の物流管理の柱である「必要な物流しか
やらない」という考え方とは並び立たないのである。 運ばなければならないものと、運ぶ必要がな
いものとを識別し、運ぶ必要があるものだけを運
搬するという当たり前の考えを原理原則とすべき
である。
物流センターを作れば
必ずコストは上がる
すでにこの連載で指摘したことでもあるが、物
流部門は物流センターをつくるために存在してい
るのではない。 センターなどなしで物流を行うこ
とを考えるのが、物流部門である。 結果として物
流センターができたとしても、この発想の違いは
物流コストの面で大きな違いを生む。
以前、ある会社で物流センターの計画をつくる
とき、「どうせつくるなら大きく、立派なものを
つくろう」と物流部長が言ったと人づてに聞いた
ことがある。 まさに耳を疑うセリフである。
物流センターをつくればつくるほど、物流コス
トはかさむ。 物流センターを作って物流コストが
下がることなど、決してありえない。
物流センターは、コスト高になるのを承知の上
で顧客の要求に応えるためにつくるものである。
しかし、顧客の要求は変わる。 いまのサービスレ
ベルが永遠に続くわけではない。 その意味で物流
センターは、必要最少限の機能と規模で考える
べき存在のはずである。
また、「将来、物流量が増えるだろうから、拡
張余地も考えておこう」などという発言が出たり
もするが、これもおかしい。 物流は将来的に小さ
くしていくべきものだ。 売上が増えても物流は小
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さくするというのが物流管理の役割である。 そう
でなくては、物流コストの低減などできるはずが
ない。
物流管理では、物流を行うための施設や作業
のやり方以前に、そこを流れる「もの」に関心を
持つべきである。 いつ何をいくつ物流するのかが
最重要テーマである。
物流センターなど立派である必要はない。 安全
で働きやすければいい。 小さければ小さいほどよ
い。 必要なものを単純に流すことが、もっとも美
しい物流なのである。
ITが物流の制約条件を取り払う
新たなキーワードは「減量化」
ここまで効率化中心の
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世紀型の物流管理に
ついてやや批判的に書いてきたが、ちょっとフォ
ローしておきたい。
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世紀においては、効率化を
中心に取り組まざるを得ない面があったことも否
めない事実だったのである。 つまり、そこには効
率化しかできない「制約条件」があった。
市場が必要とする物流だけをやるには、「いま
何が必要とされているのか」という判断を下さな
ければならない。 そして、そのためには、判断す
るための情報が必要になる。 端的に言えば、いま、
どこで、何が、いくつ売れているかという情報が
把握できなければ、市場で必要とされる物流だけ
を行うことなど不可能だ。
この状態を、物流管理において意思決定する
ための情報がないという意味で「情報制約」と呼
ぶとすれば、この情報制約こそが本来的な物流管
理の実現を阻んでいたということができる。 そも
そも物流は制約条件の上に成り立つ妥協の産物だが、情報制約は制約条件の中でも極めて大き
なものと言ってよい。
しかし、情報技術(IT)化の進展は、この
制約条件を簡単に取り払うことになる。 顧客や
商品、在庫など企業の基幹となる情報をデータ
ベースとして持ち、その情報を必要とする人たち
が簡単に取り出すことができる「情報共有」の実
現がIT化の基本だ。 この情報共有が、インタ
ーネットの普及によって、今後は企業間でも当た
り前になっていくはずである。
また、物流業者が預かっている在庫について、
インターネットを使って、その動きをほとんどリ
アルタイムに近い形で情報提供するサービスも出
始めている。 つまり、出荷や販売の動向を、必要
な人が必要なときに活用できるのが当たり前とい
う基盤ができつつある。 出荷動向がわかれば、誰
でもそれをベースに物流をやる。 必要なものしか
送らないという物流である。
その結果、物流はどんどん小さくなっていく。
効率化との対比で言えば?減量化〞である。 こ
の減量化の取り組みこそが、物流管理の本来的
な柱である。
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世紀になり、ようやく本来的な物
流管理ができるようになったのである。 この減量
化の効果は、効率化などとは比べられないほど大
きなものになることは間違いない。
情報制約の下での効率化主体の
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世紀型物流
管理から、情報共有をベースに減量化を目指す
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世紀型の物流管理への転換が、いま始まろう
としている。 わが国の本来的な物流管理は、これ
からがスタートである。
湯浅和夫(ゆあさ・かずお)
1971年早稲田大学大学院修士課程修
了。 同年、日通総合研究所入社。 現在、
同社常務取締役。 著書に『手にとるよう
にIT物流がわかる本』(かんき出版)、
『Eビジネス時代のロジスティクス戦略』
(日刊工業新聞社)、『物流マネジメント
革命』(ビジネス社)ほか多数。
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