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31 JUNE 2005
ハマキョウレックスの大須賀正孝社長が上
梓した経営ノウハウ本『やらまいか! トラ
ック一台から超優良上場企業をつくった破
天荒な男の経営実践録』(ダイヤモンド社、
定価一五〇〇円、税別)が五月下旬、全国
の書店で発売された。
同書は二〇〇三年四月号から二〇〇四年
十一月号まで本誌で連載した「やらまいか物
流通業〜ハマキョウ流・運送屋繁盛記〜」に
大幅な加筆・修正を加えたもの。 著者の幼
少期のガキ大将ぶりからトラック運送業を立
ち上げた経緯、倒産の危機に瀕した話、3
PL事業で成功するための秘訣などが披露さ
れている。
既に終了してから半年が経過しているため、
本誌連載の内容をご存じない読者も少なくな
いはずだ。 ここで簡単に著者の?破天荒ぶり〞
を紹介しておこう。
十一人兄弟の十番目として生まれた大須
賀氏は中学を卒業後、地元・浜松の有力メ
ーカーに?替え玉受験〞で入社した。 しかし
上司との喧嘩が原因で同社を半年あまりで
退社。 その後、ビールのおつまみとして定着
している「バターピーナッツ」を開発、販売
して糊口をしのぎながら、ボクシングに挑戦
し、中部地区のバンタム級チャンピオンまで
登りつめた。
十八歳の時、プロボクサーを目指して上京
するが、母親の猛反対でその道を絶たれ、浜
松に戻りダンプ業を開始。 しかしダンプ業界
の水が肌に合わず、ダンプカーをトラックに
替えて、トラック運送業(営業免許のない白
トラ)に転身する。
休眠会社を買収することで営業免許を取
得し、晴れて緑ナンバーでのトラック運送業
をスタート。 事業は軌道に乗り始めたが、オ
イルショックの影響で大口取引先の倒産に見
舞われてしまい、莫大な借金を背負う羽目に。
借金返済のため、?一日一〇〇〇円〞の極貧
生活を余儀なくされ、寝ないでハンドルを握
り続ける毎日を送る。
順調に借金の返済を続けたが、一八〇〇
万円の一括返済期日が迫り窮地に追い込ま
れる。 銀行の融資もおりない。 しかしここで
救世主が現れる。 日々の努力に感銘した銀
行の担当者が自身の退職金を差し出してく
れ、何とか倒産の危機を乗り越える――。
その後、同氏は運送業から3PLへの業
態転換を図り、ハマキョウレックスを年商約
五〇〇億円の企業に成長させたわけだが、現
在に至るまでの波瀾万丈の人生を紹介するの
はこの程度にとどめておこう。 続きは同書で
確認してほしい。
佐川急便は五月一七日、航空貨
物輸送事業の新会社を設立した。
来年六月をめどに同事業に新規参
入し、貨物専用機二機を使って国
内三路線で運航を開始する。 グル
ープ内で貨物専用機を保有、運航
することで、同社の主力サービス
である宅配便の全国翌日配達体制
の強化を目指す。
新会社は「ギャラクシーエアラ
インズ」(本社・東京)。 資本金は三億円。 佐川急便一〇〇%出資で
スタートするが、今後数カ月内に
第三者割当増資を実施し、資本金
を五〇億円に引き上げるとともに、
出資比率を佐川急便五一%、出資
各社四九%に改める方針。 社長に
は佐川急便の若佐照夫常務と、ス
カイマークエアラインズ元社長の
大河原順一氏が就任する。
二〇〇六年四月にエアバス社製
の航空機一機(最大積載量四八ト
ン、中古旅客機を貨物機に改修)、
同年十一月に貨物専用機一機(同
五四トン、新造機)を調達。 羽田
〜新千歳、羽田〜北九州、羽田〜
那覇の国内三路線に投入する。 こ
の三路線は国内航空貨物取扱量全
体の約四〇%を占める市場性の高
い路線だという。
各路線での運航は深夜帯が中心。
荷主企業は同サービスを利用する
ことで、夕方出荷でも翌日の午前
中には目的地に貨物を届けること
ができるようになる。 産地直送品
のネット通販ビジネスの拡大など
によって、国内長距離輸送の翌日
配達化を求める声が高まっている
が、既存の航空会社が提供するサ
ービスは旅客機のベリー(貨物室) を利用した輸送が中心であるため、
搭載枠が不足気味だったり、深夜
帯の運航便が少ないなど使い勝手
が悪かった。
佐川では貨物専用機を使った新
サービスの提供で航空貨物の新規
需要の掘り起こしが可能と判断、
新規参入を決めた。 新会社は二〇
〇六年度に売り上げ四〇億円の達
成を目指すという。
ハマキョウ大須賀社長の経営ノウハウが満載
本誌連載の「やらまいか物流通業」が書籍に
航空貨物輸送で新会社を設立
佐川急便
機体には銀河(ギャラクシー)をイメージした
デザインを採用する
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