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佐高信
経済評論家
65 OCTOBER 2001
政党の機関誌などというと、おもしろくな
いものの見本のようなものだが、中に時折り、
興味を惹かれる記事がある。
たとえば『月刊社会民主』九月号の「保坂
展人の突風行脚の記」。 連載ものの第二十九
回でジャーナリスト出身の社会民主党衆議院
議員、保坂展人が「靖国神社公式参拝」につ
いて書いている。
周知のように、小泉純一郎の前に、八月十
五日に「公式参拝」したのは中曽根康弘だが、
それは「靖国神社側を激怒させた」のだとい
う。
情報は、やはり、意外性が高いものほど、
衝撃力を持つ。 保坂はその理由を、靖国神社
元宮司の松平永芳の回想ブックレット(『靖
国神社をよりよく知るために』平成四年十二
月二十五日、靖国神社社務所発行)から引く。
「誰が御霊を汚したのか‥‥靖国奉仕十四
年の無念
あの総理大臣の無礼な公式参拝は忘れられ
ない。 政治権力との癒着を後任に戒め、私は
職を離れた」
激越な見出しのそのブックレットには、こ
う書いてある。
〈(中曽根元総理は)「おれが初めて公式参
拝した」と自負したせいか、藤波官房長官の
私的諮問機関としての「靖国懇」なるものを
つくって、一年間井戸端会議的会合をやりま
した。 そして手水は使わない、祓いは受けない、正式の二礼二拍手はやらない、玉串は捧
げない、それなら政教分離の原則に反しない
という結論を出したのです。 しかし、これは
私に言わせれば「越中褌姿で参拝させろ」と
いうのと同じで、神様に対し、非礼きわまり
ない、私は認めないと言ったんです〉
それなら、断ればよさそうなものだが、宮
司の立場としては、そうも
いかなかった
のだろう。 さ
らに回想は次
のように続く。
〈前日の十四
日、藤波官房長官が見えたので、言いたいだ
けのことを言いました。 天皇様の御親拝のご
作法‥‥手水をおつかいになり、祓いをお受
けになり、敬虔な祈りをお捧げになる。 それ
を全部やらないというのは、弓削道鏡にも等
しい‥‥そう靖国の宮司が言っていたとおっ
しゃっていただきたい。 しかし、恐らくこれ
は言われなかったでしょうね。
それから、私は明日は総理の応接には出な
い、泥靴のまま人の家にあげるような参拝は、
御祭神方のお気持ちに反することで、「よう
こそ、いらっしゃった」とは口が裂けても言
えないから、社務所に居て顔を出しません。
それも伝えてほしいと〉
中曽根がこれほど「歓迎されざる参拝者」
だったとは私は知らなかった。 当時のメディ
アはそれを伝えたのだろうか。
松平宮司は、さらに、その日の夕刊を見て
驚く。 そこには、中曽根だけでなく、ボディ
ガードの姿も写っていたからである。
〈拝殿から中は、綺麗に砂利を掃き、清浄
な聖域になっているんです。 天皇様も拝殿で
祓いをお受けになって、あとは侍従長などを
お連れになって参進される。 警護はなしです。
だから中曽根総理が厚生大臣と官房長官を
連れていくのは幕僚だからそれは結構だ。 し
かし、ボディガードを四人も自分を守るため
に連れていくのは、何たることだと思うので
す。 靖国の御祭神は手足四散して亡くなられ
た方が大部分です。 その聖域で御身大切、後
生大事、天皇様でもなさらない警備つきとは何事かと。 七年たった今でも無念の念が消え
去りません〉
私は首相の靖国参拝に反対である。 しかし、
それが当の靖国神社側から、このように見ら
れているとは知らなかった。
A級戦犯を合祀していることも問題だが、
それについても、靖国神社側なりの論旨が展
開されている。
そして、保坂はこう書く。 「小泉総理が参
拝をした後に、A級戦犯を参拝したわけでは
ないという談話を発表しようが、それは靖国
神社側が許さないだろう」
総理の公式参拝に激怒した靖国神社
政党機関誌にみる歴史の意外な真実
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