ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2006年1号
軽トラ入門
軽トラックの“一人親方”で開業

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

JANUARY 2006 70 軽トラックの“一人親方”で開業 自営業者は会社の経費を使って、羨ましい暮らしをしてい る。
タクシー会社の配車係をしていても、そのことを痛感さ せられた。
やはりサラリーマンじゃダメだ。
そんな思いが募 り、タクシー会社を退職。
その足で陸運局に向かい、軽運送 業の届け出を済ませた。
念願の自営業者としての生活がスタ ートした。
第5 回 軽トラ業の名刺営業法ところで当時は、そろそろバブル経済が始 まろうかという時期だった。
そんなある日、 勤務先のタクシー会社の法人営業部門から 無線室にいる配車係の私に頼みごとが持ちこ まれた。
「得意客の××製作所サンへ、白紙 の後払いチケットと一〇〇万円分のタクシー クーポンを届けてくれ」という。
届け先として指定された場所は会社ではな く、個人宅だった。
××製作所のオーナーの 自宅だという。
私が届け先を訪ねると、なぜ かオーナー一家が勢揃いでチケットの到着を 待っていた。
そしてオーナー氏は「タクシー 一台呼んでよ」と、私についでの依頼をした。
話を聞くと、これから家族 でファミレスへ行 くのだという。
さらにそのオーナー氏は私に 「そのためにチケットを待っていたんだぞ。
腹 すかしているんだコラ」と意味の分からない 八つ当たりをするのだった。
それでも、このオーナー氏は家族サービス を楽しもうとしているところなのだ。
しかも 経費で。
私の脳裏に生まれ育った長屋が浮 かんだ。
「ああ、サラリーマン家庭の私の実 家とは別世界だ」と苦々しい思いになった。
「サラリーマン家庭は不幸の元凶だ。
それに 比べると、自営業はいい」。
とりわけ自動車 への思い入れが強い私には、軽運送業はとて も魅力的に思えた。
ちょうどその頃、世間 では「竹やぶ一億円 事件」なるニュースが話題になっていた。
通 信販売会社の社長宅の竹やぶから現金が見 つかったという。
学歴もなかったその社長は 一念発起して通販会社を起業し、庭に埋め た一億円を忘れるほどの大成功を収めたとい う話だった。
私はそのニュースを配車センタ ーの喫煙室のテレビで見ていた。
そして「こ の社長は自営業だからこそ儲けが全部自分 のモノになったのだろう」と思った。
なぜだ か、やる気が沸いてきた。
そして私は開業を 決意した。
タクシー会社の配車センターを退職し、先日教えてもらった通り陸運局に行って軽運 送業の届け出を済ませた。
これでいよいよ経 営者としての生活が始まった。
開業日初日 からやったことがある。
個人宅には目もくれ ず、「笑顔と多少のズーズーしさ」をモット ーに、会社という会社に片っ端から名刺を配 りまくったのだ。
名刺を渡した相手はバラバ ラだった。
最初は受付の女の子だった。
多少 慣れてくると受付嬢の奥に座っている男性社 員のところまで歩いていって名刺を手渡しす る。
男性社員の肩書きは営業課長だったり、 資材課長だったり。
?混ぜこぜ〞だった。
元警察官僚の祖父から は、役人との交渉 術の他にも教えてもらったことがある。
「? 『実録・軽トラ1台で 年収1200万円稼ぐ』 (かんき出版、税別価格一四〇〇円) あかい・けい 1989年に軽運送業を開 業。
2004年に『実録・軽トラ1台で年 収1200万円稼ぐ』(かんき出版)を上梓。
これをきっかけにフランチャイズに頼ら ない手作り開業希望者や開業者を対象に 日本軽運送学校で講義も開始した。
他に、 ハイウェイカード、テレカ、切手、株主 優待券、商品券等を来店不要で通信買取 する渡辺サービスを運営している。
電話番号:0120-295-121 http://www.ticketshop.jp/ ブログで賞金が当たるキャンペーンを予 定。
乞うご期待! 71 JANUARY 2006 全ての物事は必ず混ぜこぜに存在している」 という教えだ。
「?その混ぜこぜを調査・収 集し、分類する。
そしてふるいにかけて、絞 り込みをかける」。
「?そうすると発見したい ものが見えてくる」。
その結果、犯人を逮捕 できるという捜査ノウハウだった。
これがヒ ントになった。
私は名刺を誰に渡したのかをメモに残すよ うにした。
配った名刺の総数を分母、仕事の 依頼の電話、すなわち「入電件数」を分子 として、名刺のレスポンス率を荷主担当者の 属性で絞り込もうと考えたのだ。
祖 父の言う通り、全ての物事は混ぜこぜに なっている。
荷主の中にも常に依頼をくれる 荷主と、年に数回だけ依頼する荷主が混ぜ こぜになっている。
そんな混ぜこぜの中に、 私にとっておいしい仕事が、一本の藁のよう に隠れている。
それを洗い出して、パターン を探り当てることができれば、後はパソコン のコピー&ペーストのように同じことを繰り 返せばいい。
そうすれば、いずれ仕事と入金 が増殖するだろう。
そんな考えだった。
名刺を蒔き始めて三日目から、仕事を依 頼する入電が始 まった。
電話をかけてくる客 には、「前から軽運送業者を使っているのだ が、今回は空車がないと断られて」というパ ターンがかなりあった。
バブルが始まってい たのである。
今振り返ると開業するには絶好 のタイミングだった。
他の仕事でも同じだと 思うが、軽トラ業で一番苦労するのが開業 当初だ。
毎日の金回りの土台となる荷主を、 ゼロから獲得していかなければならない。
バ ブルのお陰でそれがすんなり構築できた。
今 日使ってくれた客から「明日もできる?」と 依頼される。
それが毎日続く。
何も契約なん てしていないのに事実上の定期契約状態だ。
そんな荷主がザ ラだった。
仕事は最初から忙しかった。
しかし私はそ れに満足せずに、「片っ端から荷主を集める べし」という方針で臨んだ。
元配車係の経験 があったため、電話で仕事の話をつけるのは 手なれたものだった。
名刺のレスポンス率も 期待していた以上だった。
こうして早々に金 まわりの土台ができた。
プレス工場T社長の人生訓 そんなある日、入電を受けて荷物を引き取 りに荷主の事務所を訪ねると、かつて名刺を 渡した顔が荷物を手に待っていた。
その人が 私に言った。
「いやあ、あなたが売りこみに きて、帰るときに言ったよね。
『何かあった ら言ってやって下さい。
困ったら、そのとき はどうぞ連絡を下さい』ってね。
あの一言で 名刺を捨てなかったんだ」というのだった。
実は前述の祖父には、もう一つ教わってい た。
相手先と接触して帰る際には「ありがと うございました」で別れるなというアドバイ スだ。
「あ りがとうございました」だけでは、 そこで接触が切れてしまう。
そうではなく、 別れ際には「何かあったら連絡を下さい。
困 ったら、どうぞご一報下さい」と言う癖をつ けろというものだった。
祖父には本当に助け られた。
祖父なりに孫の私を支援しようとい う気持ちだったのだろう。
そうやって忙しくしているうちに毎日があ っという間に過ぎた。
汗を流せば流すほど、 時間とは早く過ぎるものだとつくづく思う。
そのうち馴染みの荷主もつき始めた。
その中 にプレス工場のT社長がいた。
当時で六〇 代だった。
戦時中には学徒出陣パレードに駆 り出さ れたとよく昔話をしていた。
T社長は仕事を依頼してくれるだけでなく、 お会いすると色々な話をしてくれた。
「君は 若いのに一国一城の主だ。
私と同じだ。
他 人に雇われるよりもそのほうがいい。
何事に おいても、自分が親方のポジションに座るべ きだ。
それがオレの人生の教訓なんだ」と、 若い私に向かって繰り返し説いていた。
そしていつも次の一言を添えた。
「赤井君、 人生なんて、どうせ一回こっきりだよ。
やらず に後悔するよりも、やって後悔する方がまだ マシさ。
ワハハ」と豪快に笑うのだった。
私は T社長の言葉 に触れることで、この仕事を選 んで良かったとつくづく思ったのだった。

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