ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2006年3号
特集
インターネット物流 食の宅配めぐる物流ビジネス争奪戦

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

MARCH 2006 18 徹底的に異端視された個配事業 生協(生活協同組合)の個人宅配事業が全国各地 で急成長している。
なかでも先頭をひた走るのが、一 都六県の生協が加盟している「パルシステム生活協同 組合連合会(旧首都圏コープ事業連合会)」だ。
首都 圏のTVコマーシャルでは最近、同連合会のマスコッ トキャラクター(子牛の「こんせんくん」車両の写真 参照)を目にする機会も増えている。
パルシステムの二〇〇四年度の個配事業の規模は 一一二二億円(前期比七・三%増)。
すでに日本でも 有数の通販業者になった。
事業規模が大きくなったこ とで、さすがに伸び率は鈍化しているが、首都圏で消 費されている食費に占めるシェアはまだ微々たる もの だ。
成長の余地はふんだんに残されている。
生協の個配事業は、ヤマト運輸や佐川急便などの 宅配便ネットワークを一切使っていない。
生鮮品をは じめとする日常的な食材が、大手宅配業者の仕組み には根本的になじまないためだ。
この分野の宅配物流 を支えてきたのは中小物流業者たちだ。
彼らは一五年 前には誰も見向きもしなかったビジネスモデルに食ら いつき、生協の個配事業とともに急成長してきた。
かつて生協の購買活動は「共同購入」(グループ購 入)と「店舗」の二事業を柱としてきた。
このうちグ ループ購入では五人程度の組合員が一緒に商品を買 い、グループ内で仕分 けも行う。
これは専業主婦を前 提とする仕組みだった。
市民運動そのものと思われて いたことすらあった行為だが、最近ではグループ化そ のものを煩わしいと感じる組合員も増えている。
こうした時代の変化を見抜いた一部の生協が、個 配事業を実験的にスタートしたのは一九九〇年のこと だ。
東京と埼玉の三つの生協が全国で初めて個配を 本格的に手掛けた。
これが現在のパルシステムの前身 になったのだが、道のりは平坦ではなかった。
そもそも生協のグループ購入は、流通過程での仕分 け作業を組合員に肩代わりしてもらうことで成立して いた 。
これがスーパーマーケットであれば、店頭に並 ぶ商品のピッキングまで購入者がやってくれるのだか ら販売側はそれだけ効率が高まる。
こうしたことから 当時は、グループ購入から店舗事業に軸足を移すこと が、生協のとるべき道という風潮が組織内にあった。
そうした雰囲気のなかで、組合員ごとの仕分けや配 送をわざわざ生協側が担う個配事業を手掛けようとし た人たちは、生協内部から「頭がおかしい」、「絶対に 失敗する」と冷たい視線を浴びた。
折りしも当時はバ ブル経済の真っ只中。
日本中が人手不足に悩んでいた 時代 だ。
個配事業は徹底的に異端視された。
しかし、実際に事業をスタートしてみると組合員の 反応は良かった。
グループ購入を嫌って組合員になら なかった人たちを振り向かせるうえでも有効だった。
立ち上げから半年ほどは赤字だったが、一年もすると 軌道に乗り、配送拠点は物量増に嬉しい悲鳴を上げ るようになった。
その後は近隣の生協が相次いで個配 事業を立ち上げ、現在のパルシステムが誕生した。
パルシステムを支える物流インフラ 生協の個配事業を支える物流インフラは、大きく三 つの機能に分けられる。
まず、メーカーや卸から商品 を仕入れてこれを組合員別に仕分ける?「セットセン ター」がある。
ここから各地の?「配送センター」に 横持ちし、方面別のトラックに商品を積み分けてから 組合員の自宅に?「配送(消費者物流)」する。
商品の配送は週一回で、組合員ごとにあらかじめ曜 日が決められている。
その日の二週間前に商品カタロ 食の宅配めぐる物流ビジネス争奪戦 日常生活を支える食品の消費者物流は、既存の宅配便ネ ットワークにはなじまない。
これまでは消費者が自ら食品ス ーパーなどで購入して持ち帰るのが当たり前だった。
この常 識が変わりつつある。
生協の個配事業や食品宅配ビジネスの 急成長が、新たな物流市場を生みだそうとしている。
(岡山宏之) 第3 部 パルシステム生活協同組合連合会/流通サービス/アシスト/下高井戸商店街/オイシックス 19 MARCH 2006 グと注文用紙が配布され、組合員はここにオーダーを 記入する。
これを生協が一週間前に回収し商品を手 配。
配送当日には、前週に配布した受注用紙の回収 と、次週のための新たなカタログの配布も同時に行う。
以降はこの繰り返しだ。
かつて生協は、こうした物流機能をすべて自前でま かなっていた。
だが最近では、土地・建物を生協やグ ループ会社が保有しつつ、内部作業だけを外部事業者 に委託しているケースが多い。
九つの生協の連合会で あるパルシステムの場合、セットセンターは連合会が 管理し、四九カ所ある配送センターは会員 生協がそれ ぞれに管理している。
業務を外部委託している部分も あるが事業者は表には出てこない。
一方、末端の配送 では、生協の職員が手掛ける部分、関連会社に任せる 部分、外部の委託事業者に全面的に委ねる部分の三 つをバランスをとりながら使い分けている。
急成長する個配事業を支えるため、パルシステムは 現在、五カ所のセットセンターを運営している。
冷蔵 冷凍品を扱う定温センターが三カ所(相模、岩槻、新 治)と、常温品を扱うドライセンターが二カ所(稲城 、 杉戸)だ。
新治を会員生協から賃借している以外は 自前の施設で、相模、岩槻、杉戸の三カ所については、 それぞれに五〇億円程度を投じた。
各拠点は個配事業の伸びに応じて段階的に整備し てきた。
基本的な仕組みは共通しており、いずれも大 規模なデジタルピッキングのラインで組合員ごとに商 品を仕分けている。
パルシステム・物流部の網野拓男 杉戸センター長は、「(施設内の仕組みは)パーツごと には進歩しているが、全体としてはここ一〇年間で大 きな変化はない。
物量の増加に応じて同様のセンター を新たに立ち 上げてきた」と現状を説明する。
なかでも最新の拠点が、総額五五億円を投じて二 〇〇四年十一月に稼働した「杉戸センター」(埼玉県) だ。
北関東をまかなう常温品の拠点として一二〇〇ア イテムの商品をセットできる機能を持つ。
他にも、商 品カタログのセット、配送時に使う折りコンの洗浄な どについては全エリア分をまかなっている。
杉戸センターの管理者はパルシステムだが、実務は 物流専業者二社に委託している。
商品のセットは「流 通サービス」が手掛け、これをトラックに積み込んで 各会員生協の配送センターまで横持ちするのは「全 通」の役割だ。
二社ともパルシステムの成長とともに 業績 を伸ばしてきた物流企業である。
協力物流業者として成長した中小企業 杉戸センターの庫内オペレーションの七割を請け負 っている流通サービスは、一九七四年の創業時から生 協とともに歩んできた。
二〇〇五年三月期の売上高は 約一四九億円(前期比八・三%増)。
創業以来、三十 一期連続増収、一度も赤字なしという堅実な企業である(囲み記事参照)。
にもかかわらず九六年には、ま ったく畑違いで電子部品の物流を専門としているアル プス物流の傘下に入って業界を驚かせた。
当時は?セットの流通サービス〞をキャッチフレー ズにするほど、流通加工に軸足をおいた企業だった。
一方、生協はこの頃、個配 事業の急成長によって配 送業者の車両拡大が追いつかない状況に悩まされてい た。
個配事業の成長を支える物流インフラの再整備が 急務だった。
そこで生協側は旧知の流通サービスに配 送分野への進出を依頼。
このことが流通サービスがア ルプス物流に出資を仰ぐ一因にもなった。
流通サービスの川添藤夫社長は、業務拡大のため の資金を調達しようと銀行などに相談を持ちかけてい た。
だが当時は貸し渋りなどが囁かれていた時期。
銀 顧客直送のロジスティクス (単位:億円) 「パルシステム」の受注高の推移 1,600 1,400 1,200 1,000 800 600 400 200 0 677 755 870 992 1,061 1,161 1,258 1,353 1,396 1,122 1,046 935 827 718 622 491 377 277 96 年度 97 年度 98 年度 99 年度 00 年度 01 年度 02 年度 03 年度 04 年度 合 計 個人宅配 グループ パルシステム生活協同 組合連合会の網野拓男 杉戸センター所長 専用車両で組合員宅に配送 定番野菜はセンターで小分け 「パルシステム」を支える物流 杉戸センター内の集品ライン 折りコンの洗浄施設も入居 MARCH 2006 20 行は口を開けば抵当物件がどうのと言い、流通サービ スの将来性には見向きもしてくれなかった。
やむなく 付き合いのあった証券会社を通じて、物流業界で資 金を出してくれる企業を探すことにした。
何社かと接触するうち、株式を上場したばかりだっ たアルプス物流の長迫令爾社長(現相談役)と意気 投合した。
川添社長はこう述懐する。
「私は長迫相談役の言葉にコロッと参ってしまった んだ。
『(アルプス物流が出資した後も)川添さんは社 長として残り、他の役員も辞めない。
それで今の仕事 を 頑張って流通サービスを素晴らしい会社にすると約 束してくれるのであれば、金は出す。
あなたが辞める のであれば、この話は無しだ』。
私はまだ五七才だっ たから辞める気など全然なかった。
すべてを任せると 言ってくれたことで大いに勇気づけられた」 アルプス物流の傘下に入ることと引き換えに、七億 円近い資金を手にした。
その後は「資金さえあれば事 業を拡大できる」との言葉通り、事業を順調に拡大さ せた。
この成長の原動力となったのが個配事業の配送 への新規参入だった。
同社で運輸本部長を務め る松本 道明専務は、「九六年当時、当社は八五台しか車両を 持っていなかった。
それが個配事業を始めて一気に増 えた。
この二月末には、生協さんの個配車両だけでも 一〇〇〇台に達する」と感慨深げだ。
いま流通サービスは全国各地の生協の配送を請け負 っている。
ドライバーは生協の制服を着用し、生協職 員とまったく同じように活動している。
商品を届ける だけでなく組合員の勧誘までやる。
組合員の獲得に成 功すれば生協から報奨金が支払われ、このうち過半は ドライバー本人の収入になる。
「やはり個配事業で日 頃から接している人からの紹介が多い。
紹介してもら うためにもドライバーはきちっと接客しようとする。
――七四年の創業時から生協と取引があります。
最初 はどのような関係だったのですか。
「かつて私はヤマト運輸に一五年くらい在籍していま した。
その当時、日本生活協同組合の中の一組織とし て学協支所(学校生協)という部門があったのですが、 ここの支所長さんが物流で困っていたんです。
組合員 は主に学校の先生たちなのですが、その人たちに送る 荷物を夜だろうが昼だろうがさばけないものかと支所 長さんは考えていた。
ところが従来のやり方では、これ をどうしても実現できずにいました」 「そこで『じゃあ私が会社を作ります。
どうですか?』 と言ったら、『ぜひやってくれ』ということになった。
そ れで 三六五日二四時間営業という方針を掲げて、この 会社をスタートしたんです。
当時、大手に勝つために は、時間外とかそういったところでお客の満足を満た すしかありませんでしたからね」 ――そのとき手掛けた仕事の内容は? 「最初にやったのは流通加工です。
二〇〇坪の倉庫で 仕分けをして、梱包し、送り状をつけて全国に発送す る。
倉庫に荷物をドーンと集めて、全国からどんどん ファックスで入ってくる指示に基づいて商品を発送し ていくわけです。
まあ、当時の大手は、どこもやりたが らないような仕事ですよ」 ――全国各地への配送はどうやってこなしていたのでし ょうか。
「ヤマトや西濃など の路線業者を使いました。
たとえ ば東北では第一貨物といった具合に、エリアごとに強 い路線業者を使い分けていました。
こうした仕事のな かで工夫を重ねて、従来は一週間から一〇日かかって いたリードタイムを短縮していったんです」 ――その業務を皮切りに生協からの受託を拡大し、現 在ではパルシステムの仕事を大々的にこなしていますね。
「(個配事業の拠点としては)日本で最大級のセット センターが杉戸にあるのですが、ここのオペレーション の七割くらいをうちがやらせてもらっています。
当社は ?セットの流通サービス〞というキャッチフレーズでず っとやってきましたからね」 ――さらに個配専用の配送車も約一〇〇〇台を抱え、 こ の分野の最大手でもある。
流通加工をメーンでやって いた御社が、消費者物流を手掛けるようになったきっ かけは? 「一〇年くらい前の話ですが、生協さんから『個配を やるから流通サービスもちょっと手伝ってくれないか』 と声が掛かったんです。
正直なところ、私はそのとき、 『一軒ずつ配達していくのか‥‥』と思ったんですけど ね。
ところが運賃を聞いたらそれなりに採算を取れそう だった。
そうであれば断る理由はない。
お客さんからの 要請ということもありましたから、『じゃあ、やりまし ょう』ということでスタートしたんです」 ――最近では、生協の個配事業のセットセンターを、菱 食や国分といった資本力のある中間流通業者が受託す るよ うになってきました。
これは御社にとっては脅威な のでは? 「商流とからめてセットの仕事を受託していくようで あれば怖いね。
我々は商流的な機能は持っておらず、あ くまでも物流オンリーですから。
うちとしても経営的な 戦略として、配送にシフトしていくこともありえるかも しれません。
彼らは配達までは手が回らないでしょうか らね。
まあ、これは今後のうちの営業のやり方しだいで しょう」 《企業概要》一九七四年にヤマト運輸出身の川添藤夫社長が創業。
〇五年三月期の売上高 一四九億円のうち約七割を生協向け業務が占める。
生協向けの流通加工から事業をスタート したが、現在では生協の個配事業の専用配送車を一〇〇〇台抱える同分野の最大手でもある。
創業以来三十一期連続増収、赤字なしの堅実経営ながら、事業拡大の資金を得るため九六年 にアルプス物流の傘下に入った。
「大手の手掛けない仕事をやっていく」 流通サービス 川添藤夫 社長 21 MARCH 2006 こうした積み重ねがドライバーの質を高めている」と 同社・第二個配部の松生和彦部長は説明する。
競争力を決める宅配ドライバー 個配事業の配送を物流業者が肩代わりするのは、今 でこそ当たり前になっている。
しかし、かつての生協 にとっては論外だった。
この?常識〞を覆したのも、 実はパルシステムが最初だった。
九〇年に個配事業を 実験的に立ち上げたときから、パルシステムは配送を 外部委託する方針を打ち出していた。
もっとも配送のアウトソーシングは簡単ではなかっ た。
まず大手宅配業者に声をかけたが、まるで相手に してもらえない。
仕方なく人づてに零細な物流業者を 紹介してもらい配送を委託することにした。
このとき 三社と契約したうちの一社が山中達夫氏の営む「赤帽 アシスト」だった。
その後、山中氏はパルシステムの 配送で頭角を現 し、九五年に改めてアシストを設立。
新興勢力として事業を急拡大していった。
いまや生協の個配専用車両を六三〇台持つまでになっている。
この山中氏の同志とも言うべき存在が、パルシステ ムが九〇年に個配事業に着手したときに、当時の北 多摩生協で同事業の責任者をしていた丹治正人氏だ。
「私は個配事業を提案する以前は組織の拡大を手掛け ていた。
何万軒という家を訪問するなかで、『一人で 利用できるのであれば、ぜひ組合員になりたい』とい う声をたくさん聞いた。
後はどう処理するかだけが問 題だった」と丹治氏はいう。
このような確信があったからこそ、生協内部の反 発 を押し切って個配の事業化に漕ぎ着けることができた のだが、スタート当初は苦労の連続だった。
一番厄介 だったのは商品の仕分け作業だ。
当時はセットセンタ ーの機能が整っていなかったうえ、グループ購入こそ 顧客直送のロジスティクス ――赤帽の仕事をしながら九〇年に生協の配送業務を 初めて受託した経緯は? 「生協さんが個配事業をスタートすることになって、ま ず大手の宅配業者に声を掛けたんです。
ところが当時 はバブル期ですから、まるで相手にされない。
すでに生 協さんの物流を手掛けていたところもやりたがらない。
それで当社に話が舞い込んできたんです」 ――スタート時の現場はかなり大変だったと聞いたこと があります。
「私も深夜の一時、二時まで配達をしていたことがあ ります」 ――とても組合員宅の呼び鈴を押せる時間帯ではあり ま せんね。
「でも、届けるしかありませんからね。
組合員さんが 寝間着で出てくるなんてこともありました。
そんなとき は、こちらはもう謝るしかなかったのですが、逆に組合 員さんから『本当にご苦労さま』と言っていただいたり しました」 ――それが今や個配専用の車両を六三〇台抱えるほど 成長しました。
何がここまで評価されたのでしょう。
「個配をやるまで、生協さんとのお付き合いはまった くありませんでした。
それだけに何とかして他社と差別 化する必要があった。
そこで当社がやったのが、ハード 面ではLPGトラックの導入、ソフトの面では共済活 動の勧誘です。
今でこそ共済活動については生協さん から手数料をいただいてやっていますが、当時は無 償 でした。
生協さんに恩返しをしよう、当社の存在をア ピールしようということでやりました」 ――御社のドライバーが共済の勧誘までやるのですか? 「そうです。
そのために当社はドライバーにインセン ティブを出すなどの工夫をしました。
一件獲得したら 一〇〇〇円、一〇件獲得したら別に一〇万円出しまし ょうといった具合にね」 ――他の輸送業者とアシストの配送効率の違いなどは あるのですか? 「生協さんの配送業務はスピードでは測れません。
ど うやったら早く届けられるかは、我々もすべて分かって います。
ところが早く配達しようとすると、イコール組 合員さんと接する時間が短くなってしまう。
これでは 満足度が下がってしまうんです」 ――結局、重要 なのは配送ドライバーの質ということ になりますね。
「だからこそ当社は、ドライバーに対する自己啓発訓 練などをどんどん社員教育に取り込んでいこうとして います。
自己啓発をしていない人というのは、仕事を さぼるのが格好いいとか、真面目に働くのがバカ臭い とか思いがちです。
本来は自分を高めるためとか、自 分を大きくするために仕事に取り組むのですが、単に お金を稼ぐ手段として仕事をやっている。
そうなると 熱意もわかないし、結果も伴ってこない。
結局は仕事 がつまらなくなるという悪循環に陥ってしまう」 ――基本的な人材の底上げが重要なことは理解できま す が、それは具体的な業務拡大につながりますか? 「結果的につながってきます。
たとえば当社は名古屋 地区でも生協さんの仕事を手掛けていますが、ここの メンバーは全員が自己啓発の研修を受けた経験があり ます。
挨拶などでは、もう生協さんの手本になるくらい だと、生協さんの総会で紹介されたりもしている。
そう いったことが結局、信用につながっていくと私は思って います」 《企業概要》一九八六年に赤帽アシストを立ち上げ軽貨物運送事業を開始。
九〇年に現 パルシステムが個配事業をスタートした当初から配送業務を受託し、九五年にアシスト を創業した。
〇五年二月期の売上高八四億円のうち五割弱が運送業、三割が飲食業、二 割がタクシー事業。
生協向けの宅配専用車六三〇台を抱えている。
コンパクトカーを使 った?ワンコインタクシー〞でも知られる。
「最後はドライバーの質がものを言う」 アシスト 山中達夫 社長 MARCH 2006 22 生協活動という意識も強かった。
このため仮想のグル ープを作って五人分をまとめて発注し、これを配送セ ンターで改めて二次仕分けするようにした。
この二次仕分けのための作業時間がすべてのスケジ ュールを圧迫した。
これによって通常のグループ購入 より三〜四時間余計に時間がかかってしまう。
当然、 配送車両がセンターを出発する時間はズレ込み、配送 委託業者であるアシストなどにダイレクトに響くこと になってしまった。
アシストの山中社長は「午前一時、 二時まで配達したこともある」と当時を振り返る(囲 み記事参照)。
それでも、こうした苦しい時期を乗り 切ったことで個配事業は軌道に乗った。
同事業は生協内部で認知され るようになり、九三 年に丹治氏は北多摩生協から連合会(現パルシステ ム)に移った。
その後は各地の生協の個配事業を立ち 上げて回った。
急成長する個配事業の配送を安定さ せるため、九六年にはセット専門だった流通サービス を配送分野に巻き込むという枠組みも作った。
そして 今から三年前、丹治氏はアシストに転職。
現在では同 社の副社長として経営に携わっている。
容易ではない商店街の宅配事業 パルシステムの成功に触発されて全国に広まった生 協の個配事業は、それまでは一部の市民運動の取り 組みでしかなかった食品の宅配事業を一気にメジャー な存在へと押し上げた。
これが食品の安心・安全を求 める消費者の意識とも共鳴しあって、ある種の社会的 なブームを巻き起こした。
全国各地の商店街が、九〇年代末から相次いで着 手した「商店街宅配事業」もその一つといえる。
東京 都世田谷区にある下高井戸商店街では、九八年に宅 配事業に目をつけた。
商店街を活性化するためのメニ ューの一つとして東京都に応募したところ認めら れ、 とりあえず?検討〞してみることが決まった。
ところが実際のモニター調査などの結果は散々だっ た。
宅配事業の需要がまったく未知数のうえ、コスト だけは掛かる。
無理だと感じた商店街は、九九年に辞 めたいという報告書を都に提出。
この話は終わったと 思っていた。
すると、なぜか翌年、東京都の方から宅 配事業に予算をつけるという情報が伝えられた。
三年間にわたり活動を継続することを条件に、三分 の二を東京都と世田谷区が負担し、三分の一が商店 街の自己負担で、最高二〇〇万円まで補助金を出 す という話だった。
「通常、この手の補助金は箱モノに しか出ない。
人件費に行政が補助金を出すなどという のは前代未聞だった。
それでも迷っていたら、世田谷 区の助役に呼ばれ『嫌がっているようだが、ぜひやっ てくれ』と説得された。
結局、二〇〇二年三月から宅 配事業を立ち上げることになった」と下高井戸商店街 振興組合の前田勝弘理事長は振り返る。
下高井戸から一・五キロ圏内の二万五〇〇〇世帯、 約五万人の近隣住民を対象とする宅配事業がスター トした。
商店街の中から二十数店舗が参加して、年 四回発行の商品カタログを作っ た。
掲載するのは青果、 魚、肉、惣菜、弁当、花、文具など約一二〇〇品目。
生活必需品を一通り並べることを意識して品揃えを 行い、対象エリア内の希望世帯に配布した。
注文は電話かファックスで受ける。
月・水・金の週 三日の一〇時〜一七時に注文を受け、これを事務局 が取りまとめて、その日のうちに各加盟店にファクス で知らせる。
翌朝、加盟店は必要な商品を持ち寄り、 これを注文ごとに仕分けてから消費者の自宅に配達す る。
配達料は一回あた り三〇〇円。
この宅配事業の ために受付、配達、総括の三人の専従担当者を配置 商店街の宅配事業は成り立たなかった 下高井戸商店街振 興組合の前田勝弘 理事長 生協の個配事業の産み の親でもあるアシスト の丹治正人副社長 23 MARCH 2006 し、配達のための軽自動車も用意した。
しかし、現実は厳しかった。
域内に広くチラシを配 るなどして精力的に普及活動をしたピーク時でも、一 日あたりの注文数は数件から数十件。
宅配事業の年 商は約三〇〇万円程度にしかならなかった。
その一方 で、カタログやチラシの作成費やチラシ配布のアルバ イト代など年間二〜三〇〇万円の経費が出ていった。
補助金なしではとうてい無理な事業だった。
行政としては、商店街の活性化と、高齢世帯などへ の福祉レベルの向上という一挙両得を狙ったようだが 画餅に終わった。
それでも下高井戸商店街は、今も宅 配事業を続けている。
専従制度を止 め、組合の事務員 がすべて兼務するようにした。
カタログも簡素化し注 文・配送日は週二日に減らした。
「採算は取れないが、 続けることに意義がある。
今は各商店の心意気でやっ ているようなもの」と前田理事長はへこたれない。
新興勢力の参入で変わる勢力図 商店街以外にも食品の宅配事業をめぐって新しい 勢力が育っている。
インターネットを使った有機野菜 の通販事業者として二〇〇〇年に創業したオイシック スは、新世代の食品スーパーだ。
生鮮三品から日配品、菓子、酒まで常時一二〇〇 品目の商品をネットで販売している。
神奈川県の海老 名に一二〇〇平方メートルの倉庫を構え、集荷した 商品をここからヤマトの「宅急便」で全国発送する。
生協などとの最大の違いは、注文日を週一日に固定 せず、利用者の自由意思で選べるようにした点だ。
この手のネットスーパーの多くが稚拙なビジネスモ デル で頓挫したのに対し、オイシックスはすでに黒字 転換している。
二〇〇五年三月期の売上高は一九億 二〇〇〇万円(前期比三九%増)。
利益も四二〇〇万 円残した。
今期も二八億円近い売り上げを見込む。
さらにオイシックスの試みで興味深いのは、牛乳販 売店と一緒に「店舗宅配事業」を展開し、食品を販 売している点だ。
すでに年間約六億円を売り上げてい る。
同社の三武孝浩店舗宅配事業部長は、牛乳販売 店と組んだ理由を「牛乳の宅配を利用しているお客さ んは健康志向が強く、当社がネットで扱っている商品 と親和性があ る。
きめ細かい宅配事業をやっている点 も大きかった」と説明する。
今後はネットとの相乗効 果を発揮していくことが課題だ。
こうした販路で食の宅配のビジネスが成り立つとい う事実からも、消費者の購買活動の変化を読みとれる。
高齢化の進展などを受けて、食品宅配に対する社会的 なニーズが膨らんでいるのは間違いない。
巨大なビジネスチャンスを睨み、すでに大資本も動 き出している。
日本最大の生協であるコープこうべの 個配のセットセンターでは菱食や国分といった大手食 品卸が物流業務を担っている。
名古屋に本社を置くトランコムは、東海コープ事業連合会の仕事を通じて同 分野の物流受託に本腰を入れはじめた。
さらに注目すべきは、今年一月にパルシステムの協 力業者でもある全通を買収したエスビーエスの動向だ。
同社は二〇〇三年の上場後、雪印物流(現フーズレ ック)や東急ロジスティクスを相次いで買収した。
さ らに今回、全通の株式を一〇〇%取得したことで生 協とのパイプも確保した。
食品ビジネスと定温物流の インフラをどう結びつけていくのかが注目される。
今後の食の宅配ビジネスでは物流がカギになる。
大 手宅配事業者の既存ネットワークに乗せられない分、 そこで開花するであろう物流ビジネスは大きな可能性 を秘めている。
場合によっては、物流業界の勢力図を 塗り替える要因にすらなっていくはずだ。
顧客直送のロジスティクス 商品を届けるまでの流れ ?牛乳と一緒にチラシをお客様に配布 ?牛乳瓶の回収と一緒にお客様からのご注文用紙を回収 ?牛乳販売店で注文を集計し、オイシックスへ注文 ?オイシックスが商品を牛乳販売店にお届け ?牛乳販売店で、各お客様ごとに小分け ?小分けした商品を牛乳と一緒にお届け ?牛乳の代金と一緒に代金を回収 M I L K オイシックス お客様 牛乳販売店 オイシックスの 三武孝浩事業部長 オイシックスのホームページより

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