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APRIL 2006 50
うららかな春の日差しを浴びながら
社長一行が大先生事務所を訪れた
福岡支店でのヒアリングから一カ月ほど経った。
大先生の事務所に、うららかな春の日差しがそそ
いでいる。 大先生は窓辺の椅子で気持ちよさそう
に居眠りの最中だ。 今日は、問屋の社長が、常務
と物流部長を伴ってやってくる。
ほどなく社長一行が到着した。 女史と弟子たち
が出迎える。 会議机を挟んで席に着きながら、社
長が挨拶をし、誰にともなく声を掛けた。
「もう、お花見には行かれましたか?」
「はい、昨日のお昼、そこの神田明神に行ってま
いりました。 今週末は上
野公園に夜桜見物に行こ
うと思ってます。 みなさまも、どちらかに行かれ
ましたか?」
微笑みながらそう答えた美人弟子が、社長に問
い返した。
「私は、会社の行き帰りに車の中から見る程度で、
まだどこにも行けません。 でも物流部長は、夜な
夜なあちこちに繰り出しているようですよ。 お花
見なのか、お酒が目当てなのかわかりませんけれ
ど‥‥」
物流部長が何か言おうとしたとき、大先生が顔
を出した。 立ち上がった常務は物流部長を押し退
け、いきなり大先生に詫びた。
「先
日の福岡のヒアリングでは、大変みっともな
いところをお見せしてお恥ずかしい限りです。 申
し訳ありませんでした。 私の管理不行届きです。 い
たく反省しています」
「なーに、よくあることです。 どうぞ」
大先生に勧められて、改めて全員が席につく。
「それにしても、本当にお恥ずかしいことでした。
あの前の日に、先生から『怒りたかったら怒って
いい』というメールをいただいて、なにか嫌な予
感はしてたのですが‥‥先生はあの実態をおわか
りだったのですか?」
社長が一番、確認したかったことを聞いた。
「物流部長からもらった調査結果を見て、あの支
店のきれいな数字に違和感を感じただけです。 あ
れが作っ
た数字なら問題だし、そうでなければ立
派な支店だし、どっちにしても興味ある支店だっ
《前回のあらすじ》
本連載の主人公である“大先生”は、ロジスティクスの分野で
有名なカリスマ・コンサルタントだ。 アシスタントの“美人弟子”
と“体力弟子”とともにクライアントを指導している。 旧知の問
屋の依頼で取り組んでいるロジスティクスの導入コンサルの第一
歩として、この問屋の福岡支店を訪ねた。 事前調査では優秀に見
えた支店だったが、実際の物流管理は問題だらけ。 物流ABCへの
理解も完全に欠落していた。 大先生一行は実態を明らかにしなが
ら、福岡支店の管理者たちの意識改革も促した。
湯浅コンサルティング
代表取締役社長
湯浅和夫
湯浅和夫の
《第
48
回》
〜ロジスティクス編・第7回〜
51 APRIL 2006
た‥‥ということ」
社長は大きく頷くと、身を乗り出した。
「実は福岡支店での事件が社内に波紋を広げまし
て、それが結果としていい方向に向かってます」
この言葉に弟子たちが興味深そうな顔をする。 二
人を見ながら、社長が続ける。
「先生の支店ヒアリングで何が起こったのか、次の
日には全支店に伝わったのです」
「次の日にですか? それは早いですね」
体力弟子が思わず確認してしまう。 なぜか、物
流部長が首をすくめた。
「はい、福岡
支店の連中はもちろん、私も営業部
長も誰にも何も言ってませんから、噂の発信源は
誰かさんに決まってますけどね」
そう言うと社長は物流部長を見た。 物流部長が
慌てて言い訳をする。
「いえいえ、噂を広めたわけではなく、ヒアリン
グの結果を教えてくれと何人かの支店長に頼まれ
ていたものですから、それで教えてやっただけです。
噂を広めただなんて人聞きの悪い‥‥ねえ?」
ちょうどお茶を持ってきた女史に、物流部長が
同意を求めた。 何のことかわからず、女史は首を
傾げている。 物流部長の茶目
っ気たっぷりな表情
に、弟子たちが噴き出す。 ひとり大先生だけが、
『それでいい』という顔で物流部長を見ていた。
「ばかたれ! わしは許さんぞ」
常務が福岡支店の連中を一喝した
お茶を手にとりながら社長が続ける。
「どの支店でも、自分のところに先生がいつ来るの
IllustrationELPH-Kanda Kadan
APRIL 2006 52
か戦々恐々のようです。 ABCや在庫の調査結果
について、慌てて社内の関係者を集めて検討しは
じめました。 会社が何をしようとしているのかを
知ろうと、営業部長や物流部長に問い合わせがあ
ちこちから入っているようです。 そうでしょ?」
社長に問われて、物流部長が愉快そうに答える。
「はい、それで、私と営業部長で手分けして支店
を回りながら発破を掛けているところです。 あっ、
営業部長は今日もある支店に行っているため、失
礼させていただきました」
「それはいいけど、福岡支店の方はその後どうなり
ましたか? あの支店長は結構優秀だけど、その
力を
発揮できない立場にあるように私には見えた
のですが‥‥」
大先生が社長と常務を見ながら尋ねる。 社長が
大きく同意した。
「はい、ご賢察です。 あの後、すぐに常務に行って
もらいました。 それについては常務から‥‥」
社長に促されて、常務が後を引き取った。 朴訥
だが、妙な存在感がある。
「はい、私もあの支店長には期待してたんですが、
福岡支店長にしてから覇気がなくなったようで心
配してました。 今回の話を聞いて、以前の彼を知
っている私としては信じられない気持ちでしたの
で、すぐにこれを連れて
支店に行きました」
そう言うと常務は物流部長を見た。 待ってまし
たとばかり、物流部長が口を挟んだ。
「突然行ったものですから、支店ではそれはもう大
変でした。 ちょうど着いたとき、支店長たちは会
議をしていたのですが、常務がずかずかと会議室
に入っていったんです。 そのときの連中の顔った
ら‥‥」
そう言うと、物流部長は一人、楽しそうに笑い
はじめた。 常務が「もういい」と言って引き取ろ
うとするのを、物流部長が強引に続ける。
「もう少し話させてください。 その場の雰囲気を、
皆さんに正確にお伝えしないと‥‥
」
興味深そうに耳を傾けていた弟子たちに対して物流部長は、
「聞きたいですよね?」
と尋ねた。 二人が頷くのを確認すると、我が意を
得たりとばかりに身振りを交えながら話し始めた。
「常務の顔を見た途端、彼らは、顔を引きつらせ
て立ち上がり、後ずさりしてました。 そこで常務
が一言、『ばかたれ!』‥‥です。 支店長なんか失
禁して‥‥」
「そんなことあるわけないでしょ、ばか」
社長にピシャリと頭を叩かれて、物流部長が首
をすくめる。
「しそうな雰囲
気だったって言おうとしたんですよ」
「余計なことを言わないで、必要なことだけ話しな
さい」
「はー、常務が、『先生に非礼極まりないことを
しおって、社長に大恥をかかせおって、わしは許
さんぞ。 一人ずつ支店長室に来い!』と一喝した
んです」
「一人ずつということは、常務には思い当たること
があったわけだ」
大先生がつぶやく。 常務は頷くと自ら説明をは
じめた。
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「はい、先生が見抜かれたとおりです。 支店長が
赴任する前からいた次長が、支店長のやる気を削
ぐ存在になっていたということです。 福岡に精通し
ている彼が支店長を補佐してくれると思っていたの
ですが、結果として逆効果になってしまいました。
まあ、彼も反省していますが、いろいろありまして
‥‥男の世界も面倒なものです」
社長が言葉を継ぐ。
「それで、次長を本社に戻しました。 しばらく常
務付きにして、彼の能力を活かせることをさせたい
と思っています。 それから先日、支店長が私のとこ
ろにきて、『半年でABCと在庫管理を定着させて、
必
ず成果を出します。 できなかったら受理してくだ
さい』と辞表を置いていきました」
大先生が頷く。
「まあ、受理することにはならないだろう。 彼な
らやるさ」
「はい、半年後に先生にもう一度、福岡に来ていた
だけるようお願いしてくれと目に涙を浮かべて訴え
てました。 この前のことは悔やんでも悔やみきれな
いと声を絞り出しながら‥‥」
「わかった。 半年後に必ず行くと、社長から伝え
てください」
「物流ABCは両刃の剣だ」
という発言に大先生の目が光った
ちょっとしんみりした雰囲気を破るかのように、
物流部長が弟子たちに問い掛けた。
「それで、次のヒアリングですが、どこの支店に
しましょうか?」
弟子たちが大先生を見る。
「どこに行って欲しい? 物流部長の考えは?」
「はぁ‥‥」
逆に大先生から問われた物流部長は、答えに窮
してしまった。 それを見た社長が物流部長に提案
する。
「この前、あなたが支店回りから帰ってきて、『い
やー、あの支店長は変な人ですわー。 妙なことを
自信もって言うんです』とか言ってたでしょ。 あの支店はどう?」
「あー、あの東北
の支店ですね。 いいんですかぁ、
あんなとこで?」
「あんなとこって何ですか。 うちの支店ですよ。
あの支店長がどう対応するか私としても楽しみだ
し‥‥」
そう言うと、茶目っ気たっぷりに大先生を見た。
どうやら社長まで悪乗りしている。
「それじゃ、そこにしよ」
大先生があっさり結論を出した。 挑戦は受けま
しょうとでもいわんばかりだ。 美人弟子が興味深
げに物流部長に質問する。
「その支店長は妙なことを自信もって言うっておっ
しゃいましたが、どういうことですか?」
「はー、この人は社内では偏屈とか独りよがりとか
言われてまして、何と言うか‥‥まあ変わ
ってる
んですわ」
物流部長の説明に不安を感じたのか、社長が補
足する。
「彼はこの常務の薫陶を受けた一人で、支店長の
中では最年長です。 どちらかというと頑固で、や
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や皮肉っぽいところがあるので、他の支店長から
は煙たい存在に見られています。 ただ、堅実な経
営をしているといっていいと思います」
すぐに物流部長が異論を挟んだ。
「それは、下にいる次長がしっかりしているから
じゃないですか。 福岡と違って‥‥」
「さあ、それはどうかしら。 それはいいとして、あ
なたが妙だと感じたのは、どういうこと?」
社長が、美人弟子の質問にちゃんと答えるよう
物流部長を促した。
「はい、私が支店長に、ABCをベースにした経
営が必要だって話をしたら、支店長が『ABCは
両刃の剣だ。 使い方を気を付けないと自分を傷つ
ける危険がある。 ABCで支店の経営を危うくす
る支店長が出なきゃいいが』なんて言うんです。 ど
ういうことですかって聞いたら、『そんなこともわ
からんで、みんなにABCをやれやれ言うとるん
か』とにらまれてしまいました。 ほんと、付き合
いづらいおっさんですわ」
この言葉を聞いて、大先生の目が一瞬きらっと
光った。 社長も興味津々といった感じで物流部長
に念を押す。
「それについて、それ以上の話はしなかったの?」
「はー、それ以上は。 あ、そうそう、次長とも話し
たんですが、ABCで顧客別の採算を見たら、物
流コストだけで粗利を超えてしまうお客が何社も
出
たんだそうです。 それを見て、彼が支店長に、何
社かは取引を止めた方がいいのではと進言したら、
たった一言、『あほか、おまえは』って一蹴された
とこぼしてました」
隣では社長が納得したように頷いている。 それ
には気づかず、物流部長が悪態をつく。
「たった一言、『あほ』とか『ばかたれ』というと
ころは、たしかに常務の薫陶を受けてますね」
常務がたった一言だけ答える。
「ばかたれ」
そんな言葉も意に介さず、物流部長が改めて社長に確認する。
「でも、そんな支店長のところに行っていいんです
か? 先生に失礼なことがあったらまずいんじゃ
ないですか」
「いや、その支店長はおもしろそうだ。 ABCは両
刃の剣だというのは言い得て妙だ。 そこに行くこ
とにしよう」
大先生の言葉に社長が頷き、常務に確認した。
「私はもちろんご一緒させていただきますが、た
まには常務もどうですか?」
社長の誘いに、常務はすぐに頷いた。
「はい。 お邪魔にならないようにします」
こうして次の支店ヒアリングの訪問先が決まっ
た。
(本連載はフィクションです)
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大学
院修士課程修了。 同年、日通総合研究所入社。
同社常務を経て、二〇〇四年四月に独立。 湯
浅コンサルティングを設立し社長に就任。 著
書に『現代物流システム論(共著)』(有斐閣)、
『物流ABCの手順』(かんき出版)、『物流管
理ハンドブック』、『物流管理のすべてがわか
る本』(以上PHP研究所)ほか多数。 湯浅コ
ンサルティングhttp://yuasa-c.co.jp
PROFILE
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