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奥村宏 経済評論家
第48回 規制緩和の『申し子』
MAY 2006 76
規制緩和で儲けるエンロン
エンロンが倒産したのは二〇〇一年十二月だったが、そ
れから五年近くたって、ようやくK・レイ前会長とJ・スキ
リング元会長に対する裁判が一月末から始まった。 アメリカ
の新聞は連日、この裁判について報道している。 倒産から
五年近くたってもエンロンに対する関心は失われておらず、
改めてこの事件のもつ意味が問われている。
エンロンの事実上の創業者ともいうべきレイ前会長は、ア
メリカにおける規制緩和政策の「申し子」といわれる。 政府
の規制緩和政策を積極的に推進しただけでなく、それによ
ってエンロンを大きくさせた功労者でもある。
エンロンは、もともと天然ガスのパイプラインを本業とす
る会社であったが、天然ガス
に対する規制を緩和させるよう
政府に働きかけ、そして規制緩和によって自由化されると、
それを利用して儲けた。 さらに電力の規制緩和を推進し、そ
れによってエンロンはエネルギー商社として価格操作をする
ことで利益を得ようとした。
アメリカで規制緩和政策が本格的に行われるようになっ
たのはレーガン政権の時代になってからである。 しかしその
前のカーター政権の時代にすでにその流れはあった。
レイ前会長は共和党のレーガン政権はもちろん、その後の
ブッシュ(父)政権、ブッシュ現政権に近く、ブッシュ現政
権がスタートした時には商務長官の有力候補とされていた
人物でもある。
レイ前会長はこうして共和党政権に食
い込んで政府に規
制緩和政策を推進させたのだが、他方では民主党にも政治
献金をすることで二股をかけていた。
エンロンにとって規制緩和とは「儲かるビジネス」だった。
しかしそのエンロンは規制緩和をビジネスにすることで大き
くなると同時に、それによって会社は危機に陥り、倒産して
しまった。 エンロンは規制緩和政策の産物だったといえる。
規制の網をくぐる――ライブドア
一方、日本のライブドアはといえば、これまた政府の規制
緩和政策にうまく乗ることによって大きくなると同時に、規
制の網をくぐり抜けることで儲けようとした。
ライブドアは自社の株価をつり上げるために株式分割を
何回もやり、一株を一〇〇株に分割するという無茶なこと
までしたが、これは少額の投資家でも株式投資ができるよう
にするために、株式分割に対する規制を緩和したことを利
用したものである。
その本来の目的とは全く別に、株価をつり上げるためにラ
イブドアはこれを利用したのである。 それはまさに規制緩和
政策を利用、あるいは悪用したものである。 株価操作は証
券取引法で禁止されている。 その網を
くぐり抜けて株式分割による株価つり上げを行ったという意味で、これは規制の
網をくぐり抜けたものだといえる。
ライブドアがニッポン放送株を取得したのは東京証券取
引所の立会外取引を利用したものであったが、この立会外
取引は大口の機関投資家などの株式売買をスムーズにやら
せるための便法として導入されたものである。
これに対しライブドアのニッポン放送株の取得は企業買
収が目的であり、それは株式の公開買付け(TOB)を行
わなければならないものである。 ところがこれを立会外取引
で取得したということは、東証による規制の網をくぐり抜け
るやり方であるのに、これに対し金融庁は「これは違法でな
い」というお墨付きを与え
たとされている。
ライブドアはまた投資事業組合を使って、次つぎと会社
を買収したり、合併したりしていたが、これも規制の網をう
まくくぐり抜けたやり方である。
こうしてライブドアのホリエモンも規制緩和政策の「申し
子」ともいうべき人物であり、それが最後は破綻したという
わけだ。
規制緩和政策は、危機に陥っていた大企業の救済策として登場した。 20年以上
も前のことだ。 その申し子とも言われたエンロンの倒産は、アメリカにおける規
制緩和政策の破綻を意味していた。 ライブドア事件にも同じことが言える。 日本
の政治家は欧米の教訓から何も学んでいなかった。
77 MAY 2006
新自由主義の裏にあるもの
一九八〇年代になって規制緩和と国有企業の私有化とい
う二大路線がアメリカ、イギリスで推進されることになった
が、それを支えたイデオロギーが新自由主義である。 それは
F・ハイエクとM・フリードマンをグル(尊師)とするもの
で、この新自由主義が日本にも輸入され、経済学者はもち
ろん政治家や官僚がそれを信奉し、宣伝してきた。
この新自由主義はハイエクとフリードマンとではかなり内
容が違うのだが、いずれにしても単なる新しい思想というよ
りも、アメリカ経済やイギリス経済の現実から生まれてきた
ものである。
一九七〇年代、アメリカやイギリスでは大企業の利潤率
が低下し、一方でインフレが進行しているにもかかわらず、他方では失業者が増大するという、これまで資本主義経済
が経験した
ことのない状況に追い込まれた。
大企業が次つぎに倒産したり、経営が破綻するという状
況の中で、この危機を突破する政策として登場してきたのが
規制緩和政策であった。 一九二九年の大恐慌に対してルー
ズヴェルト政権のニューディール政策が打ち出されたが、こ
れは大企業に対する規制を行うことで危機を打開しようと
するものであった。
これでアメリカ経済は立ち直り、一九六〇年代には「黄
金の時代」を迎えた。 しかし七〇年代になってそれを逆転さ
せようとして規制緩和が行われたのである。 それは危機に陥
った大企業の救済策として出て
きたものであり、国有企業
の私有化もまたそれであった。
ハイエクやフリードマンの新自由主義はこの流れに乗った
ものであり、それは大企業、すなわち巨大株式会社の危機
対策として登場してきたものであった。
それが今、破局を迎えている。 エンロン、ライブドア事件
はそのことを示しているのである。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『「まっとうな会社」
とは何か』(太田出版)。
その矛盾が表面化
規制緩和、ディレギュレーションということがアメリカで
大きな問題になったのは一九七〇年代、民主党のカーター
政権の時代であった。 だがそれを本格的に推進したのはレー
ガン政権になってからである。 それ以後、ブッシュ(父)政
権のもとでもクリントン政権、そして現ブッシュ政権のもと
でもそれが引き継がれている。
一方、イギリスではサッチャー政権のもとで国有企業の私
有化、プライバタイゼーションが政策の大きな柱になった。
こうして一九八〇年代から世界的に規制緩和と国有企業の
私有化が二本柱となって、アメリカ、イギリスだけでなくヨ
ーロッパの各国からさらに日本にも及んできた。
日本では、中曽根政権が国鉄や電電公社の民営化政策を
進め、そして今の小泉政権では道路公団や郵
政公社の民営
化を進めているが、これはサッチャー政権が推進した国有企
業の私有化路線を引き継いだものである。
一方、規制緩和についても、日本の橋本内閣のもとで進
められ、それが現在の小泉政権にも引き継がれ、「民間にで
きることは民間に任せる」という政策になっている。
ただ、アメリカやイギリスでは一九八〇年代に行われた規
制緩和と国有企業の私有化という二大路線が、日本ではそ
れから二〇年もたって本格的に行われようとしている。
それは単なるタイム・ラグというより、アメリカやイギリ
スでその矛盾が明らかになっている段階で日本がそれを取り
入れようとしているということである。
エン
ロンの倒産はアメリカにおける規制緩和政策の矛盾
のあらわれだということができるが、それを知ってか、知ら
ないでか、日本では小泉政権が「民間にできことは民間に
任せる」というキャッチ・フレーズで規制緩和を進めようと
しているのだ。 そして今、ライブドア事件によってその矛盾
が明らかになっているというのに、それに気づいていない。
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