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JULY 2006 54
「どうしたの、突然?」
事務所にやってきた物流部長に聞いた
大先生事務所の窓から見えるイチョウの葉が夏
の陽射しを受け、きらきらと輝いている。 ようや
く梅雨も明けて、夏らしい陽気になってきた。 大
先生はいつものことながら自席でまどろんでいる。
美人弟子と体力弟子の二人は外出していて、事務
所は大先生と女史の二人だけだ。 昼下がりの静寂
に包まれている。
突然、その静寂が破られた。 事務所の扉が勢い
よく開けられ、「ちわー、お暑うございます」とい
つもの元気な声が響いた。 いま大先生がコンサル
をしている問屋の物流部長だ。
声は元気がいいが、顔は何
となく不安げだ。 無
理もない。 みずから用事があって来たのではなく、
大先生に突然呼び出されたからだ。 何を言われる
のかという怯えが顔に出ている。
女史の応対する声に目覚めた大先生が、物憂い
感じで立ち上がり、物流部長に声を掛けた。
「どうしたの、突然?」
物流部長が怪訝な顔をしながら、気を取り直し
たように答える。
「いえ、あれ、先生から来るように、とメールをい
ただいたものですから‥‥」
「おれがメールしたって? そうだっけ? 覚えて
ない。 暑さで見間違えたんじゃないの?」
大先生の言葉に物流
部長が何か言おうとしたと
き、給湯室から女史が顔を出し、笑いながら物流
部長に目配せをした。 かまわれていると知った物
流部長が口を尖らせて答える。
「私が見間違えたのか、先生が健忘症にかかられ
たのか、わかりませんが、せっかく来たのですか
ら、ちょっと休んでいってもいいですか?」
「ああ、いいよ。 ビールでも飲む?」
「それ、それですよ。 先生のメールに『ビールで
も飲もう』ってありました」
「まあ、いいさ。 せっかく来たのだから、雑談でも
しよう」
大先生はそう言って、会議テーブルに座るよう
促した。 物流部長は頷きながら、気になっている
ことを確認した。
《前回のあらすじ》
本連載の主人公である“大先生”は、ロジスティクス分野の
カリスマ・コンサルタントだ。 “美人弟子”と“体力弟子”と
ともにクライアントを指導している。 旧知の問屋から依頼され
たロジスティクスの導入コンサルを進めるため、関係者と一緒
に支店回りを続けてきた。 気むずかしいことで有名な支店長の
いる東北の支店では、ヒアリングを通じて、支店長や次長にロ
ジスティクスの本質とは何かを理解させることに成功した。
湯浅コンサルティング
代表取締役社長
湯浅和夫
湯浅和夫の
《第
51
回》
〜ロジスティクス編・第
10
回〜
55 JULY 2006
「はい‥‥それじゃ、とくに、なにか問題があった
とか、私が怒られるとかっていう話じゃないので
すね?」
「何か怒られるようなことでもしたの?」
大先生の言葉に物流部長は慌てて首を振り、安
心したように椅子を引いた。
「ビールを飲みに来ないか」
大先生からメールが入っていた
その二時間ほど前、物流部長の会社では大騒ぎ
が起こっていた。 物流部長が遅い昼食を終えて、自
席に戻り、なにげなくメールを開いたら、なんと
大先生からメールが入っていた。 社内での騒動の
発端はこの一通のメールだ。
大先生からのメールはたった一行。 「一人でビー
ルでも飲みに来ないか?」という内容だった。 こ
れを見た途端、物流部長の目が釘付けになり、「グ
ェー」という奇声があたりに響き渡った。 周りの
社員たちが何事かと物流部長を見る。 物流部長は
パソコンの画面を凝視した
まま固まっている。
ちょっと離れた席から営業部長が、「変な声出し
て、何があったの?」と声を掛けるが、物流部長
は声が出ない。 呪縛にとりつかれたようにメール
に見入りながら営業部長を手招きする。 傍に来た
営業部長に「これなんだけど‥‥」と言って大先
生からのメールを見せる。 営業部長が覗き込む。 一
体何があったのかと、周りの目が興味深げに営業
部長に注がれる。
「なんだ、ビールを飲みに来いって誘われている
だけじゃないの?」
IllustrationELPH-Kanda Kadan
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営業部長の言葉に室内に「なーんだ」という拍
子抜けした雰囲気が漂う。 物流部長だけが真剣な
顔で反論する。
「そんなことじゃないだろう。 これはきっと何か
あったんだ。 一人で来いってあるし…。 まずいよ。
まさか、中部支店が倉庫を借りて、そこに出荷し
たことにして在庫を減らしたのがばれたんじゃな
いかな?」
「はぁ?」
「それとも、東京支店が、顧客別処理量を操作し
て、特定顧客の採算を見栄えよくしたのが知られ
てしまったのかな?」
「なに?」
「あ、それとも‥‥」
「ちょっと待てよ。 何なんだ、それは。 何ばかな
ことやっているんだ。 おれは、そんなこと聞いてな
いぞ」
営業部長の表情が曇って
いく。
「ん?あんたが知らないってことは、先生が知るわ
けないか」
「そんなことより、その中部や東京の話は何なん
だ?そのこと、社長や常務は知ってるの?」
「まさか、そんなこと言えるわけないよ。 そんな
こと社長が知ったら、支店長は首だよ」
「じゃ、彼らは首だ。 いま、この部屋にいる全員が
聞いてしまったから‥‥」
営業部長の言葉を聞いて、物流部長は我に返っ
た。 慌てて立ち上がり、周りに声を掛けた。
「聞かなかったことにしてくれ。 な、聞かなかっ
たことに」
「まあ、明日あたり社長に呼
ばれることを覚悟して
おいた方がいいな。 その前に、早く先生のとこに
行くことだ」
冷たくそう言い放って、営業部長は自席に戻っ
ていった。
物流部長は小さく頷き、「何でおればかりこんな
目に‥‥」などとぶつぶつ言いながら椅子に座り
込んだ。 しばらくして意を決したように立ち上がり、重い足を引きずりながら大先生事務所に向か
った。
「辞表を持って社長に会えばいいさ」
大先生は楽しそうに物流部長を励ます
大先生事務所では、女史もまじえて宴会の真っ
盛りだ。 大先生が全試合の七割は生で見たという
ワールドカップの話で盛り上がったが、物流部長
はいつもより飲みっぷりが悪い。 興味深そうに大
先生が声を掛ける。
「どうした?今日は元気がないようだけど‥‥」
「はぁー、実は明日、社長に怒られるかもしれない
んです」
物流部長の正直な答えに、大先生が楽しそうに、
物流部長を励ました。
「社長に怒られるのは慣れっこだろうに。 それとも、
なにか首になりそうなことでもやらかしたの?」
「いえ、やらかしたのは何人かの支店長なんですが、
私が
その事実を隠蔽してたんです‥‥」
「隠蔽?その字書ける?」
「えっ、いえ、書けません」
「書けもしない言葉使っちゃだめだよ。 そういう安
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易な態度が会社をだめにする。 わかる?」
「はー、ちょっとわかりません」
「だろうな、凡人にはわからん真理だ」
大先生にかまわれても、物流部長の反応は鈍い。
女史に焼酎を持ってくるように言って、大先生が
続ける。
「それで、支店長たちは何をしたの?」
物流部長が大先生を上目遣いに見ながら、返事
を躊躇する。 大先生は黙って物流部長を見ている。
その沈黙に耐えられなくなったのか、物流部長が口
を開く。
「あのー、社長には黙っていていただけますか?」
その言葉に女史が給湯室で思わず笑い声を上げ
た。 大先生が苦笑しながら頷く。 物流部長はそれ
を見て、安心したように、支店長たちの所業を洗
いざらいぶちまけた。 大先生が楽しそうに感想を述
べる。
「しかし、いろいろ考えるもんだな。 在庫減らし
の裏技やABCは、こうすればいい結果が出ます
テクニックが満載じゃないか。 大したもんだ。 おた
くの支店長たちは意外に頭がいいな。 頭の使い方
を間違っているだけだ」
大先生の妙な感想に物流部長は複雑な顔をする。
しかし、話してしまって気が楽になったのか、女史
が作った焼酎の水割りを美味そうに飲ん
でいる。 そ
れを見ながら、大先生が物流部長をかまう。
「その話は、いまごろ営業部長から社長に伝わっ
ているだろうな‥‥」
「はあ、あいつは冷たいやつですから。 嬉々とし
て社長に言いつけていると思います」
「いや、違うな。 これは隠しておかないほうがい
い問題だ。 だけど、あんたから社長に言うのは支
店長の手前まずいだろ。 営業部長が言ってくれた
ほうがいいのさ」
「はぁ、それはたしかに‥‥」
「さて、そこでだ。 あんたは、明日、辞表を持って
社長に会えばいい」
「えっ、やっぱりそういうもんですか?社長はど
うするでしょうね」「まあ、躊躇なく受理するだろう。 あんたの辞表は
受け取って、支店長たちは譴責処分かな」
「
ちょっと待ってください。 やったのは彼らです
よ。 私がやらせたわけでは‥‥」
「だめ。 そういう悪行を平気でやってしまう安易な
態度を放置したあんたの責任は大きい。 そこで、あ
んたを首にすれば、社内に激震が走り、みんな態
度を改める。 どう、あんたが辞めることで、一気
に社内の悪しき風潮がなくなる。 すばらしいだろ。
ロジスティクスを導入する責任者としてこれ以上
の働きはない。 うん、いい考えだ」
大先生の言葉に、つい物流部長も頷いてしまう。
大先生が楽しそうに笑っているのを見て、慌てて
抗議する。
「先生、私のこと、かまってますね」
「わかった?
半分本気で、残り
半分も本気」
大先生の話を真面目に聞いていた女史が、思わ
ず吹き出した。 電話が鳴り、女史が慌てて自席に
飛んでいく。 その後ろ姿を見ながら、物流部長が
観念したように大先生につぶやく。
「わかりました。 一応、辞表を懐に社長のとこに行
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きます」
「うん、そうした方がいい。 おれから社長に電話し
て受理するように言っとくから」
「だめですよ。 社長には内緒にするって言ったじゃ
ないですか?」
「おれとしては、いまの発言の方が問題は大きいと
思うけど、まあ、いい。 内緒にしておこう」
「はあ、どうも。 なんかすっきりしました」
物流部長が晴れ晴れとした顔で焼酎を手に取っ
た。 大先生が首をひねる。
「すっきりする要素なんかなーんにもないと思う
けど‥‥まあ、それはいいとして、それじゃ、あ
んたが首にならなかった場合、これからどうする
かという話をしようか」
大先生の言葉に物流部長が嬉しそうに反応した。
「はい、それそれ、その話、いいですね」
「支店長たち
が、なぜ姑息な手段を使うのか。 素
直に考えれば、ABCや在庫管理が何なのかわか
ってないからだよ。 なんかよくわからんけど、会
社がこれをやれというから導入してみたけど、都
合の悪い結果になりそうだから、その結果を歪曲
するようなことをしているだけさ」
大先生の言葉に思い当たるところがあるのか、物
流部長が大きく頷き、自分の見解を述べる。
「はい、実験導入だから、その結果で評価したり
するわけではないと何度も言っているのですが
‥‥」
「まあ、そうは言っても、ABCや在庫管理の本
質を理解していなければその意味もわからない。 だ
から、まず、それらがどんなものか知らしめる必
要がある。 在庫管理なんて言葉とし
てはよく使う
けど、それがどんなものか理解している人は意外
に少ないというのが実態だ。 ここは、もうしばら
く一緒に支店回りを続けるしかないな」
「一緒にですか?
はい、はい、行きます、一緒
に」
そこにまた電話が鳴った。 電話を取った女史が神妙な声で大先生に取り次ぐ。 黙って相手の話を
聞いていた大先生が「いいですよ。 どうぞ」と言
って、電話を切り、物流部長に告げる。
「おたくの社長からだけど、一緒にビール飲んでも
いいですかってさ。 すぐに来るぞ」
慌てて立ち上がろうとする物流部長を大先生が
手で制
し、慰める。
「どうせ怒られるなら、早いほうがいいんじゃな
いの」
大先生の言葉に物流部長が観念したように頷く。
それを見て大先生が女史に声を掛けた。
「おーい、紙と万年筆持ってきてくれ。 部長が辞
表を書くってさ」
(本連載はフィクションです)
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大学
院修士課程修了。 同年、日通総合研究所入社。
同社常務を経て、二〇〇四年四月に独立。 湯
浅コンサルティングを設立し社長に就任。 著
書に『現代物流システム論(共著)』(有斐閣)、
『物流ABCの手順』(かんき出版)、『物流管
理ハンドブック』、『物流管理のすべてがわか
る本』(以上PHP研究所)ほか多数。 湯浅コ
ンサルティングhttp://yuasa-c.co.jp
PROFILE
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