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奥村宏 経済評論家
第50回 強欲経営者の時代―エンロンとライブドア
JULY 2006 60
ホリエモン人気の変化
ライブドアの堀江貴文前社長、宮内亮治前取締役らに対
する裁判が始まったが、宮内前取締役が粉飾決算の容疑を
認めているのに対し、ホリエモンは「知らぬ存ぜぬ」とい
う態度をとり続けているという。
ホリエモンをどう評価するか、ということで日本社会の
評価は大きく分かれており、若者のホリエモン人気はなお
高いといわれる。 しかしこの裁判の模様が伝えられると、
さすがのホリエモン信者たちも失望するのではないか。
ライブドアの粉飾決算について、「宮内らが勝手にやっ
たことで、自分は知らなかった」というのは余りにも責任
逃れであろう。 あるいはもし社長として、粉飾決算につい
て知らなかったとすれば、そのことの責任が問われる。
おそらく今後の裁判の過程で、ホリエモンの罪状が明ら
かになっていくだろう。 そしてこれは単にホリエモン個人
のあり方だけでなく、経営者のあり方の問題として多くの
人の関心を呼ぶだろう。
ライブドア株などの値上がりで一時は七〇〇億円もの大
金持ちになったといわれたホリエモンだが、「金がすべて。
女も金で買える」という考え方がいまの若者にアピールし
たのだといわれる。
格差社会が大きな社会問題になっている状況の中で、下
層から抜け出したいと願う若者が出てくるのは当然であり、
そういう若者たちにとってホリエモンは希望を与えてくれ
たのかもしれない。
しかし会社の経営者としてみれば、責任をすべて部下に
押しつけるという態度は誰も評価しないだろう。
それはホリエモンという人物に対する評価というより、
経営者としてのあり方にかかわる問題である。
ホリエモン人気がこの裁判でどうなるか、注目されると
ころである。
エンロンの錬金術
一方、アメリカではエンロンのK・レイ元会長、J・スキ
リング前CE
Oに対する裁判が一月末から行われており、五
月二五日、ヒューストンの連邦地裁で有罪の評決を受けた。
判決は九月十一日に言い渡されることになっているが、二
人とも十二年から十五年の禁固刑に処されるだろうといわ
れる。
二〇〇一年に倒産し史上最大の倒産といわれたエンロン
についても、粉飾決算が問題となって二人は訴えられていた。
そしてこの裁判でレイ元会長も「知らぬ存ぜぬ」という態度
をとり続けてきた。
これについて陪審員たちは、「トップの経営者が知らない
はず
はないし、かりに知らなかったとすればその方が問題だ」と考えて有罪の評決をしたと考えられる。
レイやスキリングに対するアメリカ社会の評価も、日本の
ホリエモンに対する評価と同じように分かれる。 彼らを革新
的な経営者だと考える人たちもいるが、しかし裁判が進むう
ちに彼らに対する評価も変わってきたのではないか。
自社の株価をつり上げ、それを利用して株式交換による
企業買収で大きくなり、そして自社株を特別目的会社(S
PE)を通じて売って儲ける。 それによって会社が大きくな
るとともに、粉飾決算をしていた。
それ
と同時に経営者が、ストック・オプションで手に入れ
た自社株を高値で売って儲けた。 こういうやり方をエンロン
の経営者たちはやってきており、その点ではライブドアのホ
リエモンと似ている。
それは「株を使った錬金術」ということができるが、錬金
術はいずれ破綻する。 株価が高いうちはよいが、いったん株
価が下がると化けの皮がはげる。 エンロンもライブドアも株
価が下がったところから破れ目が表面化し、ともに証券取
引法違反として摘発されて破局を迎えた。
経営者が会社人間ではなくなってきた。 戦後日本の成長を支えた経営者たちは、
会社のために働いた。 しかし株式会社制度が危機を迎えた今、脱会社人間となっ
た彼らは、“強欲経営者”になってしまった。
61 JULY 2006
変わる日本の経営者
エンロンに比べるとライブドアの規模は小さく、レイに
くらべるとホリエモンは小物でしかない。
しかし日本でも経営者のあり方が変わりつつあることを、
ライブドア事件は告げているのではないか。
日本の経営者はこれまで会社のために働いてきたのであ
り、それは「会社人間」であった。 いわゆる資本家経営者
は日本では非常に少なく、ほとんどの経営者は大株主では
なく、その所得、そして財産もそれほど多くなかった。
これが法人資本主義、すなわち会社資本主義の日本であ
り、これによって戦後の日本企業は大きく成長してきた。
しかし一九九〇年代になってバブルが崩壊するとともに
変化が起こってきた。 法人資本主義の構造が崩れ、株式相互持合いやメインバンクシステムという日本型企業システ
ムも崩れてきた。
そういうなかで経営者のあり方も変わってきた。 これま
で「会社人間」であった経営者が脱会社人間となりはじめ
た。 そして日本にもストック・オプションが導入され、経
営者がそれによって自社株を手に入れるようになった。
そういうところにライブドアの堀江貴文、あるいは村上
ファンドの村上世彰、楽天の三木谷浩史などという経営者
が現れたのである。 彼らはまさに大金持ちであり、成金で
ある。 それはアメリカの?強欲経営者〞と似ている。
その財産のほとんどは株の操作によってもたらされてい
るという点も、エンロンの経営者と共通する。
このような新しいタイプの経営者が日本にも現れてきた。
このことをライブドアや村上ファンドの事件が教えている
のではないか。 もっとも、日本ではアメリカほどストッ
ク・オプションは普及しておらず、日本の経営者がアメリ
カの経営者ほど?強欲経営者〞となっているとはまだいえ
ないが、変化の兆候はある。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『「まっとうな会社」
とは何か』(太田出版)。
経営者の変質
一九三〇年代からアメリカでは資本家ではなく経営者が
会社を支配しているという経営者支配論が流行した。 大株
主としての資本家ではなく、株式を所有していない経営者
が会社を支配しているのだという議論である。 A・バーリと
G・C・ミーンズによって主張されたこの議論がその後支
配的になり、経営者資本主義ということがいわれた。
そこでは、経営者は自分の財産を殖やすためではなく、会
社のために一所懸命に働く。 その点が資本家と違うところ
で、これによってアメリカの会社は成功し、大きくなった。
トップの経営者と従業員との所得格差はそれほど大きく
なく、経営者は決して大金持ちではない。
このような状態
が続いていたのだが、一九七〇年代ごろか
ら状況が変わってきた。 そして二十世紀末になってエンロン
事件が起こった段階で、改めて人びとはこの変化に驚かされ
た。 さらに、経営者が会社の重要な問題について「知らぬ
存ぜぬ」という態度を裁判でとり続けたことも、アメリカ社
会に大きなショックを与えた。
いったい経営者とはなに者なのか、ということが問題にな
ったのである。 一方で企業の社会的責任ということを喧伝
しながら、エンロンの経営者たちがやっていたことは十九世
紀末の?泥棒貴族〞と同じではないか。
このような変化が起こった大きな理由は経営者にストッ
ク・オ
プションを与えたことにある。 機関投資家が、株主の
利益と経営者の利益を合致させるために、会社に対して経
営者にストック・オプションを与えよ、と要求したところか
らこれがアメリカのビジネス界で流行するようになったため
である。
このような経営者の変質がエンロン事件で極めてはっきり
してきた。 これはアメリカ資本主義、そして株式会社の変質、
というよりその危機をあらわしているのではないか。
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