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AUGUST 2006 30
創業以来の屋台骨
クボタの連結売上高は、二〇〇六年三月期
に一兆円を超えた。 そのうち鉄管事業が占め
る割合は一割にも満たない。 しかし、一八九〇年の創業から三年後にスタートした同事業
は、クボタにとっては実質的な創業事業。 そ
の後の一世紀以上にわたって会社を盛り立て
てきた存在だ。
それだけに二〇〇三年三月期に、鉄管事業
が初めて赤字に転落したときの社内の衝撃は
大きかった。 販売量の減少と、販売価格の下
落、さらには鉄スクラップなどの材料費の高
騰という三つの要素が重なって、創業以来の
赤字を余儀なくされた。 「これで目が醒めた。
このときの経験が一つの転機になった」と鉄
管事業部・鉄管生産管理部の池本卓也企画
課長は振り返る。
水道関係やガス、電話ケーブルなどの敷設
に使われている同社の鉄管は、需要の大半が
上下水道の整備によって発生する。 顧客は地
方自治体の水道局などで、こうした役所の手
掛ける?公共事業〞が鉄管事業の主要な営業
ターゲットだ。
政府自治体の財政改善の影響で公共事業
は近年、盛んに見直しが進められている。 ム
ダな公共事業を止めろ、という掛け声の下に
事業費が削られ、一般競争入札の導入なども
行われてきた。 鋳鉄管の国内市場で過半のシ
ェアを握るクボタも、この一〇年間は事業環
境の悪化に悩まされ続けてきた。 実際、同社
の鉄管事業の売上規模は九六年をピークに減
少傾向に転じ、すでに現状ではピーク時の六
割程度にまで落ち込んでしまっているという。
クボタの鉄管事業は、東西二カ所の工場
(阪神工場:兵庫県尼崎市、京葉工場:千葉
県船橋市)を起点に動いている。 従来は各工
場がフルラインに近い生産をしており、それ
ぞれの工場から東日本と西日本に供給すると
いう構図だった。 だが近年では、市場規模の
縮小を受けて、どちらか一つの工場で集中的
に生産して全国に供給する品目が増えている。
一つの工場から全国に供給するとなれば、
集中生産によって生産コストを低減できる反
面、顧客に納品するまでのリードタイムが伸
びてしまう。 輸送経路が伸びる分、物流コス
トも高くつく。 その一方で事業環境の悪化が
進んでいた。 物流効率化によるコスト削減が喫緊の課題となっていた。
物流統合プロジェクト
しかし、簡単な話ではなかった。 一〇〇年
余りにわたり営まれてきた鉄管事業は、社内
では確固たる立場にあり、業界内でも圧倒的
なガリバーとして君臨している。 しかも、こ
うした重厚長大型の産業の物流は、意外に規
模の小さい多くの専門事業者が支えている。
事業環境が悪化したからといって、長らく続
いてきた物流のやり方を見直すのは容易では
なかった。
コスト削減
クボタ
在庫型物流拠点を通過型に転換
保管料を圧縮して物流費を半減
公共事業の削減が進むなか、クボタの鉄管事業の
売上規模はピーク時の約6割まで落ち込んでいる。
2003年3月期には創業以来の赤字に転落。 これを機
に物流改革に本腰を入れた。 各地で構える製品の置
き場を“通過型”に改め、他の事業部との共同配送
にも着手。 自分たちも予期していなかったほどの成
果をあげることに成功した。
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従来のクボタは、基本的に事業部ごとに物
流を管理していた。 とくに創業以来の屋台骨
を自負する鉄管事業は、単独でも十分に大き
な物量を取り扱ってきたこともあって、完全
に独自の物流管理を行ってきた。
物流に関する社内組織としては、かつては
経営企画部のなかの「物流管理課」が、全社
の物流管理に横串を刺していた。 だがこのセ
クションは九九年に「課」としては廃止され
「物流企画グループ」となった。 さらに二〇
〇二年四月には「ものづくり推進部」の中に
移管されたが、組織としては依然として小規
模のまま。 物流管理の主体となっていたのは、
あくまでも事業部だった。
日常の物流管理は、事業部の管轄下にある
各地の工場の生産管理課や工務課といった組
織が担当している。 一〇〇%出資の物流子会
社、ケービーエスクボタについても、総元請
のような役割があるわけではない。 得意分
野・得意エリアについては各事業部の判断で物流子会社を活用するといった関係だ。
こうした事業部任せの物流管理の方針が、
赤字に陥った二〇〇二年度を機にガラリと変
わった。 この年、鉄管事業を中核とする産業
インフラ事業本部の事業利益が赤字に転落し
たのを受けて、機械事業本部出身の益本康男
取締役(現専務)らが乗り込んできたことで
改革の火蓋が切られた。
国内の官需に頼りきりの産業インフラ事業
本部とは違って、輸出比率の高い機械事業本
部は、八五年のプラザ合意後に急速に進んだ
円高を乗り切るために徹底した業務改革に取
り組んだ経験を持つ。 このときの厳しい環境
下で培った効率化ノウハウを、創業以来の危
機に直面していた産業インフラ事業本部に移
植しようという狙いだった。
二〇〇三年度に入ると、さっそく産業イン
フラ事業本部の中に「産業インフラ事業本部
製造統括本部」という部署を新たに発足。 同
事業本部内の五つの事業に横串を刺すかたち
で改革をスタートした。 益本現専務を主査と
する複数のプロジェクトが立ち上がり、その
中の一つとして「物流統合プロジェクト」が
稼働。 それまでは事業部ごとに管理してきた
物流の見直しを本格化した。
共同配送の予期せぬ成功
プロジェクトがまず着目したのは、クボタ
が各地に展開している「積送地」と呼ぶ置き
場の見直しだった。 「積送地」というのは、平
たくいえば、産業インフラ事業本部が国内に
構えている、工場で作った製品を各地に保管
しておくための在庫拠点だ。 当時は鉄管事業
だけで全国に多数の「積送地」を持ち、他の
事業はまた別の拠点を構えるといった機能の
重複があった。
たとえば九州地区であれば、北九州のある
賃借地に鉄管事業の置き場があり、合成管
(塩ビパイプ)やバルブなどを扱う他の事業
部はこれとは別に福岡県飯塚市に置き場を構
えていた。 しかも飯塚の拠点はクボタの社有
地を使っており、ここで子会社のケービーエ
スクボタが物流事業を営んでいた。
このような物流拠点の重複が「物流統合プ
ロジェクト」の目に留まり、益本現専務に
「何をしているんだ」と一喝されることになっ
た。 事業が急成長している局面ならまだしも、
右肩下がりで縮小し続けるなかで、わざわざ
置き場を外部業者から賃借するなんてどうい
うことだ、というわけだ。
「物流統合プロジェクト」そのものは約一
年で解散され、以降は事業部間で連携しなが
ら物流効率化を進めていった。 そして二〇〇
四年夏に、ついに賃借していた北九州の拠点
を撤廃。 このエリアの鉄管事業の在庫をすべ
さまざまな鉄管が社会インフラを支えている
AUGUST 2006 32
してみると、予期していた以上に共配などの
余地が大きかったのだ。 物流特性の異なる製
品を組み合わせることによって、トラックの
荷台を有効活用できることも分かった。 クボ
タにとって飯塚での取り組みは一つの成功体験になった。
在庫拠点を通過型に衣替え
拠点集約をきっかけにスタートした共配以
外にも、物流の見直しは進められた。 その一
つが「積送地」の機能を、在庫型から通過型
に変えるというものだった。
かつて鉄管事業では、製品をもっぱら役所
のストックヤードに納品していた。 たとえば
「鋳鉄管を二〇〇本」といった納入指示を受
けて、大型車で一挙に大量の製品を運び込む。
それ以降の工事現場への納品は、別に役所が
契約している物流業者が手掛けるのが普通で、
クボタ側にとっては非常に楽な物流フローに
なっていた。
ところが、この納品形態が、公共事業をめ
ぐるコスト削減のあおりで大きく変わりはじ
めた。 役所から建設工事を請け負っている事
業者の指示通りに現場に直納するようになり、
物流の小口化が進んだ。 これに対応するため、
クボタは工場から各地の「積送地」までは大
型車に積んでまとめて出荷し、これを「積送
地」で小型車に積み替えて現場に納品するよ
うにした。 現場には大量の製品を置くスペー
スは確保できないため、納期は短くなり、納
品は多頻度化していった。
末端の納品形態が多頻度小口化したことに
対応していくためには、たとえば「積送地」
に十分な在庫を持つといった対応が必要だっ
た。 だが前述したように「積送地」の集約も
一方では進めており、そのような対応は現実
的ではなかった。
そもそも当時のクボタは、九〇年代に膨れ
上がった有利子負債の圧縮に取り組んでいた。
九九年三月末時点で約四三〇〇億円あった
有利子負債を、五年間で三割削減するという
目標を掲げ、その一環として全社的な在庫削
減にも取り組んでいた。 そうした状況下では
「積送地」の在庫を積み増すという選択肢は
ありえなかった。 在庫を減らしながら多頻度
小口化にも対応していくことが求められた。
そこで鉄管事業部は、社内で「通過型直
送」と呼ぶ、工場からの物流をすべて組み替えていくという方法に活路を見出した。 中間
拠点を通過型にする?クロスドッキング〞に
近い輸送方法である。 これによって「積送地」
に在庫を持つという発想を完全に捨て、最長
で一週間程度の製品の?仮置き〞しかしない
ようにした。 工場からは向こう一週間分をメ
ドに必要な製品だけを出荷し、これを「積送
地」で小型車に積み替えて現場に納品するよ
うにしていった。
一週間分の物量しか出荷しないとなると、
常に大型車を満載にできるとは限らない。 こ
のため、ここでも従来は必要性を感じていな
て飯塚に集約した。
このときの「積送地」の統合は、直接的に
は賃借料として外部に流出していた経費の削
減を狙ったものだった。 だからこそ、各事業
部で現場を管理する物流部門の意向ではなく、
もっと上位レベルの意思決定によって話が進
められた。 実際、これによって年間数千万円
のコスト削減に成功したのだが、それ以上に
興味深い成果が出た。
「鉄管は鋳物のため非常に重量がある。 一
方で合成管などは軽量で、当初はこのように
特性の異なる製品を共同配送する必要性をほ
とんど感じていなかった。 むしろ一緒に運ぶ
ことによって片方が損傷してしまうのではな
いかと共配の弊害を危惧する指摘すらあった。
ところが?力技〞で置き場が一緒になってか
ら、実務ベースでいろいろと検討してみたと
ころ意外と荷姿などの収まりが良いことが分
かった」(池本課長)
その後は、各事業部の実務者が工夫を重ね、
いまや鉄管と合成管、鉄管とバルブ、鉄管と
浄化槽といった組み合わせの共配を当たり前
のようにこなしている。 いざ物流拠点を集約
鉄管事業部・鉄管生産管理
部の池本卓也企画課長
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かった共同配送によって、物量をまとめるニ
ーズが生じた。 これについては現状ではまだ
多くの課題を抱えている状態だが、それでも
「通過型直送」は定着し、鉄管事業部の在庫
削減などの成果につながっている。
約一〇分の一に激減した保管料
「在庫型」だった物流形態を「通過型直送」
に改める一方で、「積送地」の管理をゆだね
ている協力物流業者との契約内容にもメスを
入れた。 従来の契約では、坪当たりいくらと
いった換算方法で保管料を支払っていた。 こ
れを保管料としてではなくて「積み替え手数
料」として支払うように変えた。 こうして支
払い形態を見直し、「積送地」に置く製品の
量を大幅に減らしたことで、クボタの支払う
保管費は激減した。
かつては「積送地」への入出庫作業のため
にトン当たりいくらといった基準で支払って
いた手数料も、新たな「積み替え手数料」の
考え方に基づいて圧縮した。 さらに一時保管
の目安を一週間とすることによって、従来は
「積送地」での野積みによって発生していた
防錆用の再塗装の手数料もほぼなくなった。
「積送地で支払うコストは、従来の入出庫料・
保管料・表面塗装手数料にくらべると恐らく
三分の一程度になった」(池本課長)
在庫型から通過型へシフトしたのは「積送
地」だけではなかった。 従来の鉄管事業部は、
阪神工場と京葉工場の周辺にも、主に外部事
業者からの賃借物件として膨大な面積の在庫
拠点を構えていた。 たとえば阪神工場につい
ては、工場内にある五万平米余りのストック
ヤードの他に複数カ所で計八万平米を超すス
ペースを近郊に確保していた。 これが現在では、工場内ヤードを拡張したこともあって、
外部の賃借スペースを約八〇〇〇平米にまで
抑え込んだ。
京葉工場についても同様の見直しを図り、
結果として二工場の合計で年間およそ七億円
の賃借料の削減に成功した。 これは「積送
地」や物流拠点を管理している事業者にして
みれば、大きな収入減になったことを意味し
ている。 しかし、そこは実際に在庫が減った
ために業務量が減り、スペースの空きも出た
ので、新たな荷主を獲得してもらうなどして
対応してもらった。
このような改革をクボタが進められた背景
には、生産の考え方を根本的に見直したこと
も大きく影響している。 鉄管事業の売り上げ
は、公共事業の持つ特性から、どうしても秋
冬に集中する傾向がある。 従来の生産の考え
方では、年間の生産量を平準化するために、
春夏に作った製品をずっと保管しておき、秋
冬に出荷していた。 これを現在では、瞬発的
な生産能力の向上などを図ることによって需
要に応じて作るように改めた。 「生産を平準
化するという考えた方を、在庫を平準化する
という風に変えた」のである。
こうした物流分野の努力を含む一連の施策
によって、産業インフラ事業本部の収益性は
大幅に改善した。 二〇〇六年三月期の決算で
は、久しぶりに売上高も増加に転じ、一九二
億円余りの営業利益を確保した。 効率化努力の成果と、事業環境の若干の好転によって、
ようやく一息ついた格好だ。
物流面で残されている課題は、せっかく飯
塚で成功した共配などの経験が、阪神・京葉
の両工場でまだほとんど反映されていない点
だ。 共配などを鉄管事業全体に広げていくた
めには、やはり本丸である工場物流拠点での
作業を見直していく必要がある。 さらに「通
過型直送」を適用する余地もまだ残されてい
る。 こうした施策を一つずつこなしていけば、
クボタはもう一段のコスト削減を実現できる
はずだ。
(
岡山宏之)
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