ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2006年8号
判断学
作られた神話--日銀総裁

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

AUGUST 2006 58 村上ファンドへの投資 ライブドア騒動は村上ファンド事件に発展し、さらにそれ が日銀総裁をめぐるスキャンダルにまで及んだ。
小泉内閣の規制緩和政策、そして異常なゼロ金利政策、そ こから出てきた「貯蓄から投資へ」という政策がこのような 事件を生んだのである。
それが小泉政権そのものにはね返っ てきた、というのが一連の事件の意味するところである。
日銀総裁を任命したのは小泉首相であるから、福井総裁 のスキャンダルは当然のことながら小泉首相の責任問題にま でなる。
そこで政府は必死になって福井総裁の弁護をしてい るのだが、そうなればますます小泉内閣に対する世論の反発 はきびしくなる。
福井日銀総裁が村上ファンドに一〇〇〇万円投資してい たということが明らかになった段階で、まず第一に問われた のは、これは究極のインサイダー取引ではないか、というこ とだった。
公定歩合をはじめ金融政策を決める当の責任者 が株式投機で儲けることを目的にした投資ファンドに投資 していたことは、金融政策の中立性を損なうものであり、国 民の日銀に対する信頼を裏切る行為である。
第二に、日銀は異常なゼロ金利政策を長期間続けてきたが、 これによって病気や子供の教育費のため、あるいは老後に備 えて貯蓄してきた人たちから貯蓄の機会を奪い、そして銀行 や企業の救済のために国民から巨額の所得移転が行われた。
これに対する国民の不満が日銀批判となって爆発したと いうことが、当の日銀総裁には全くわかっていない。
第三に国会での福井総裁の発言を聞いていると、矛盾し た発言が多く、明らかにウソをついている。
このような人が 中央銀行の総裁であってよいのか、と誰でもが思う。
この三点から福井総裁は辞任するべきだという世論が高 まっているにもかかわらず、それに抵抗してなお日銀総裁の 椅子にこだわっている。
それは権力亡者という以外にはない。
矛盾した発言 『円の支配者』(草思社)という本を書いて有名になったリ チャード・ヴェルナーが、かつて日銀の営業局に勤めていた 石井正幸氏とともに書いた『福井日銀総裁 危険な素顔』 (あっぷる出版社)という本がある。
この本の中で、福井俊彦氏が日銀総裁になることは三〇 年前から決まっていた、という記述がある。
その福井氏が日 銀副総裁だった一九九八年、日銀接待汚職事件が表面化し、 その責任をとって当時の松下総裁とともに福井副総裁も辞 任した。
そして福井氏は富士通総研の理事長に天下りしたのだが、 その時彼は「世の中に迷い出る」「私は日銀に帰らない」と 発言していた。
それからわずか五年で日銀総裁に就任するとは驚きだ、と石井氏は書いている。
この一事を見てもわかるように、福井氏の発言は信用で きない。
村上ファンドへの投資についても「勇気ある青年を 励ますため」に一〇〇〇万円出資したというが、村上ファ ンドをまるでNPOとでも思っていたのか、と疑いたくなる。
村上ファンドが投資ファンドである以上、株を買って儲け、 その利益を出資者に還元するのが目的であることはわかり切 ったことだが、福井氏はこのことさえ知らなかったとでもい うような発言をする。
そして国会で「いくら儲けたか」と聞かれて「精査してみ なければわからない」といいながら、他方では「村上ファン ドによる利益についてはちゃんと税金を払っている」という。
こんなおかしなことがあるだろうか! そのほか、この人の発言には矛盾したことが多く、とても 信用することができない。
こうして国民の信用を失ったとい うこと、そのことは日本銀行に対する信用が失われたという ことであり、何よりその責任が大きいのだが、当の本人には それがわかっていない。
日銀総裁は立派な人物であるというイメージがある。
しかし福井総裁は、村上 ファンドへの投資問題でウソをついてまで権力にしがみつこうとしている。
この ような人物を神格化してきたのは誰なのか。
59 AUGUST 2006 神話を作った人たち 福井日銀総裁の村上ファンドへの出資問題が明らかになっ たとき、テレビや新聞、週刊誌などはこれを大きく報道した が、当然のことながら福井総裁を批判する論調が多かった。
そういうなかで「朝日新聞」(六月二四日)には山田厚史 編集委員の次のような記事がのっている。
「私の知る福井俊彦氏は、利殖に全く興味はない人である。
宴席は好まず、ゴルフもコンサートも奥さんと一緒で、子供 がいないためか、若い人との交わりを好む。
意欲ある若者へ の応援をいとわない」 「AERA」の六月二六日号にも同じ趣旨のことを書いてい るのだが、福井氏を「二〇余年前から知っている」という山 田記者はこのように福井氏を賛美し、今回の事件は「御気の毒だ」と書いている。
日銀が御用学者にカネをばらまいて日銀神話を作り、そ れを宣伝していることは前記のヴェルナーや石井氏の本に書 かれているが、同じようなことが新聞記者に対しても行われ ているのだろうか。
「朝日新聞」(六月二六日)に掲載された小林慶一郎氏の 「村上ファンド事件の教訓」という記事も、村上ファンドを 批判するかのようで、実は投資ファンドを弁護している。
村 上世彰氏と同じように通産省の役人出身、そして朝日新聞 の客員論説委員という肩書きを持つこのような人の記事が 「朝日新聞」に大きくのっている。
朝日新聞の論説では村上ファンド、そして福井日銀総裁 に対して批判的な主張をしているが、別の紙面では全く逆 の記事がのる。
このあたりグリーンスパンFRB議長や福井 日銀総裁と同じように、新聞社もまた矛盾した主張をのせ ることで世論を混乱させているといえる。
ライブドア、村上ファンド、そして日銀総裁の次に問われ るべきはマスコミの責任ではないか。
おくむら・ひろし1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『株式会社に社会的 責任はあるか』(岩波書店)。
グリーンスパン神話 中央銀行の総裁は政府から中立的であり、そして人格は 高潔、見識は高い、というイメージを多くの人が抱いている。
福井日銀総裁についてもそういうイメージが作られ、三〇 年も前から日銀総裁になることが決まっていたという神話が 作られた。
戦後の日銀総裁として有名だった一万田尚登氏について も神格化されたイメージが振りまかれていたが、それに挑戦 したのが城山三郎氏の『小説日本銀行』だった。
その後、日銀は巨額のカネをばらまいて御用学者や御用 記者を囲い込み、日銀総裁がいかに立派な人物か、という イメージを作ってきた。
それが福井総裁になって極限にまで 達し、神格化されてしまった。
このことはリチャード・ヴェルナーも前記の本で指摘して いるが、われわれはこの作られたイメージ、虚像によって日 銀と日銀総裁を信頼させられてきた。
同じことがアメリカでも、例えばグリーンスパン前FRB 議長についていえる。
グリーンスパンは一方で株高を批判し て「根拠なき熱狂」(イラショナル・エグズベアランス)と いいながら、他方では「ニュー・エコノミー」だといって株 価をあおる。
このような矛盾した発言を意識的に行うことで人びとをま どわせてきた。
このことはボブ・ウッドワードの『グリーンスパン』(邦 訳 日本経済新聞社)にも書かれているが、まさに同じこ とが福井日銀総裁についてもいえる。
先にみたように村上ファンドについての国会での彼の発言 は矛盾に満ちたものだったが、それを本人は何とも思ってい ない。
代議士たちもそのことを衝かない。
「作られた神話」がこのようなことをもたらしているのだが、 ではいったい誰が、どのようにして神話を作っているのか。

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