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SEPTEMBER 2006 58
混乱させた産業再生機構
産業再生機構が所有しているダイエーの株式を全株、丸
紅に譲渡した。 これでダイエーは国家の管理から離れて普通
の会社になることになった。 しかし、これでダイエーは果た
して再建されることになるのだろうか‥‥‥。
産業再生機構ができたのは二〇〇三年四月で、これまで
三井鉱山やカネボウをはじめ四一社に資金を投入してきた。
ダイエーも二〇〇四年十二月に産業再生機構入りした。
この産業再生機構は、ダイエーに対して五〇〇億円の出
資をするとともに一五〇〇億円を融資してきたが、持株を
丸紅に譲渡することで二〇〇億円近い利益を得るという。
会社の経営が行き詰まった場合、会社更生法あるいは民
事再生法によって再建するというのがこれまでのルールであ
った。 ところが小泉内閣は国のカネで救済するという政策を
打ち出した。 竹中大臣のもとで行われたこの政策は、かつて
ドイツのナチスやイタリアのファシズムが行った政策と同じ
で、それはまさに国家資本主義のやり方であった。
違うところはいったん国有化したあと、再び私有化すると
いう点だが、ではこれによって救済された企業は再建される
のか?
ダイエーは本来は会社更生法によって再建されるべきであ
った。 そうしないで産業再生機構入りしたことで、再建の方
向が狂ってしまった。
国家資金を投入したことによって、再建を担うべき経営
者はいずれもスーパーにはシロウトがなった。
そしてこれからは食品に特化したスーパーとして再建する
というが、それは果たして実現していくのか。 これまでのと
ころ多くの店舗を閉鎖し、従業員をリストラしただけで、再
建の方向性は全く見えていない。
産業再生機構入りしたことはダイエーの運命を狂わせた
だけでなく、再建の方向を狂わせてしまった。
『戦後戦記』の中内
かつて『カリスマ』という本を書いてダイエーを解剖した
ことで知られている佐野眞一氏が、『戦後戦記』(平凡社)と
いう部厚い本を書いた。 サブタイトルが「中内ダイエーと高
度経済成長の時代」とあるように、ダイエー、そして中内
の末路をリアルに書いたものである。
この本でもダイエーが産業再生機構入りしたいきさつにつ
いて書かれているが、なぜ産業再生機構入りしなければなら
なかったのか、他に方法はなかったのか、という点について
ははっきりしない。
それ以上に奇異に思ったのは著者の佐野眞一氏が中内
にいかにほれ込んでいるか、ということであった。 フィリピ
ン戦線で「一番恐ろしいと思ったのは隣に座っている日本の兵隊だった」と言う中内は、「戦友の死体を食って生き延び
た」と噂された人物だというが、その原体験が戦後、流通
革命の旗手として活躍した原動力だという。
この本のなかで最も興味があったのは堤清二氏と佐野眞
一氏との対論であった。 中内
と対立しながら、全く違っ
た方向から流通革命を担ってきたのが堤清二氏であった。 そ
の堤清二氏のセゾングループも経営危機に陥り、もはや堤
氏の手から離れてしまっている。
中内
が自分の体験から割り出して流通革命を唱えたの
に対して、堤清二氏は理論家として流通革命論を唱えた。 そ
の堤氏によると、日本ではもはやスーパーもコンビニも流通
革命の夢を失ってしまっており、今後の展望は極めて悲観
的であるという。
その意味では、中内
は「去るべくして去った人」であ
ると言えるかもしれない。 もはや流通革命はおろか、ダイエ
ーの時代は終わってしまっている。
産業再生機構から離れたダイエーがこれから歩んでいかね
ばならない道は極めて多難であるというしかない。
かつては流通革命の旗手とまで謳われた中内。 彼が作りあげたダイエーは今後、生
き残っていけるのか。 国家資金を投入することで債権者の銀行は救われたが、ダイエー
自体の将来は極めて危うい。
59 SEPTEMBER 2006
人物論か会社論か
先にあげた佐野眞一氏の『戦後戦記』には精神医学者、野
田正彰氏や詩人、吉本隆明氏などの中内論がのっているが、
この二人とも中内
を高く評価しているのに驚いた。 野田
氏は中内を?志の商人〞だと言い、吉本氏も阪神・淡路大
震災下の中内の救援活動を称賛している。
一般に経営者についての人物論はむずかしい。 学者や評論
家が書いた経営者論の多くは礼賛論か、やっつけで、人物論
にはなっていない。 あるいは人物論だけで、会社については
全くわかっていないものが多い。 これは多くの松下幸之助論
や本田宗一郎論に共通するところだが、中内論もまた同じで
ある。 中内
という人物を評価する場合にはダイエーとい
う会社をどう見るか、ということが重要である。 ところが佐野眞一氏の『カリスマ』にしても、中内
という人物はよ
く画けているが、ダイエーという会社についての見方が定ま
っていない。 今回の『戦後戦記』もまた同じである。 そして
中内
の戦中体験を大きく取り上げることによって、彼を
国家によって裏切られた人物のように画いている。
私が前記の『企業探検』で書こうとしたのは中内
論で
はなく、ダイエー論であったが、それは一九八〇年代なかば
のもので、その後のダイエーについては書いていない。
現在、ダイエー論を書くとすれば、それが果たして生き残
れるかどうかということが最大の問題になる。 そして中内
のいないダイエーとはいったい何であるのか、ということが
解明されなければならない。
ダイエーは産業再生機構という名の国家資金によって救済
されたが、それはせいぜいのところダイエーの債権者である
銀行の救済にはなったが、ダイエーの救済にはならなかった。
かつての流通革命の旗手はこうして消えていった、いや消さ
れていったのではないか‥‥‥。 ダイエーは果たして再建さ
れるのか?
前途は極めて危うい、というしかない。
おくむら・ひろし1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『株式会社に社会的
責任はあるか』(岩波書店)。
私のダイエー論
私も一度だけ中内
に会ってインタビューしたことがあ
る。 一九八六年のことだが、大阪の江坂にあったダイエー本
社で話を聞いた。 当時、朝日新聞社が出していた「朝日ジ
ャーナル」が「企業探検」というシリーズを計画し、そのう
ちの松下電器産業と関西電力、そしてダイエーを私が担当
したのである。
これはのちに朝日新聞社から『企業探検』という題の本
になり、さらに社会思想社の現代教養文庫に入れられたが、
今では入手不可能である。
私の書いたダイエーの部分は「価格破壊に挑んだ商魂の
黄昏」という見出しがつけられているが、一九八〇年代の
段階でなぜダイエーが行き詰まったのか、ということを明ら
かにしようとした。
その時会った中内
の印象はそれほど強烈なものではな
く、とりわけ中内が話している言葉があいまいで、いったい
何を言いたいのかわからないというものだった。
このインタビューのあと、すぐに中内
の署名入りで「イ
ンタビューして頂いて有難うございました」という礼状が送
られてきたのには驚いた。 しかしさらに驚いたのは、私の原
稿が「朝日ジャーナル」に掲載されるとすぐにダイエーの広
報担当者が抗議にきたことである。 その時、私は「事実につ
いて誤りがあれば訂正するが、私の意見について文句を言わ
れる筋合いはない」と言って話をけった。
私がダイエー論を書いた段階で、ダイエーはもはや黄昏を
迎えていた。 あの時、中内が引退し、ダイエーも方向転換し
ていれば、こんなことにならなかっただろう、と今にして思
う。 私がその時取材した多くの幹部たちもほとんどみなダイ
エーというより、中内のもとから去っていった。 残った中内
は「裸の王様」になって、暴走し、そして財界の名士になっ
ていった。
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