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71 NOVEMBER 2006
叔父から経営を託される
T社は北信越地方にある年商五億円の物流
会社である。 創業五〇年と歴史は古い。 しかし
本格的に物流事業を手がけるようになったのは、
ここ一五年ほどのこと。 現在社長を務めるK氏
が経営の実権を握ってからである。 K氏は関西
の大学を卒業し、その後一〇年あまり会社勤め
をしていた。 T社の前社長で創業者のS氏はK
氏の叔父に当たる。 そのS氏から、?会社を見
て欲しい〞と何度も依頼された、叔父の熱心な
説得に折れるかたちでT社に転職することにな
ったのであった。
当時、K氏は三二歳。 物流業は全くの素人
だった。 ドライバーとしてハンドルを握るとこ
ろからキャリアをスタートし、現場を一通り
経験した上で、入社から三年後に副社長に就
任した。 これに合わせてS氏は事実上引退し
た。
またT社の株式の三三・三%をK氏が持つ
ことになった。 他にS氏が三三・三%。 そして
S氏と共に会社を興し、すでに経営からは完全
に手を引いていたM氏が残りの三三・四%を所
有していた。 そのため経営をK氏にバトンタッ
チして以降も、S氏とM氏の二人には役員報酬
を支払う必要があった。
それでもT社には他社にはマネのできない武
器があった。 物流業を主業とするようになる以
前に、T社は建設関連の仕事を手がけていた。
その関係で重機やクレーンなどの超重量物の輸
送を得意としていた。 また単に運ぶだけでなく、
現場で重機をオペレーションすることもできた。
T社の重機オペレーターの技術は荷主から高く
評価され、この種の輸送では?T社しかない〞
と地元では圧倒的な支持を得ていた。
特定の荷主に依存しない体質も築いていた。
T社の月々の請求書発行先は約二五〇社に上る。 月商四〇〇〇万円あまりの規模としては、
驚異的とも言える数である。 一社当たりの売り
上げは小額だが、ニッチに特化することで他社
との差別化を図り、その市場で独占的シェアを
握っていたということである。
こうした強みがあるため、T社は価格競争に
陥らずに受注することができていた。 実際、経
常利益率はピーク時二〇%にも及んでいた。 し
かも、無借金経営。 規模こそ大きくないが、立
派な優良企業であった。 それを引き継いだK社
長もまた、常に笑顔を絶やさない朗らかな性格
で、人当たりがいい。 そのままならT社は順風
満帆のはずであった。
ところが、四年ほど前から急に雲行きが怪し
第46回
後継者不在から事業譲渡を希望する地場運送会社が増え
ている。 T社の場合は創業者の甥であるK氏に白羽の矢が立
った。 K氏は物流業については全くの素人だった。 それでも
現場から修行を始め、経営者として成長していった。 T社の
行末は順風満帆に見えた。 ところが…
地場運送会社T社の事業継承
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報酬が支払われていた。 当初は先代の貢献料と
割り切っていたK氏も、経営をバトンタッチし
て既に一五年だった今では高すぎる報酬と感じ
ざるを得なかった。
K氏は両氏に苦しい台所事情を説明し、役
員報酬の支払いを止めたい旨を伝えた。 しかし
両氏は「急に収入がなくなっては生活ができな
い」と難色を示した。 結局、五〇%カットで折
合いをつけた。 既に引退しているとはいえ、両
氏の持ち株は合わせて六六・七%に上る。 無理
強いはできなかった。
それまでK氏は持株比率に関心を持ったこと
などなかった。 大企業ならともかく、地方の中
小企業にとっては、さほど大きな意味を持つも
のではないと思い込んでいた。 しかし、実質的
な経営者といえども、過半数の株式を所有して
いるオーナーが別にいる場合、思い通りの経営
などできないと痛感せざるを得なかった。 実際、
それまでも大株主であり、取締役でもある両氏
には、現場から離れている状況であっても逐一
相談する必要があった。 設備投資や営業所開
設の提案に対して、これという納得のいく理由
もなく却下されたこともあった。
これを機にK氏は、S氏とM氏から株式を買
い戻そうと試みたが、完全に拒否された。 しか
し、その後も粘り強く株式譲渡の話し合いを重
ね、昨年ようやくM氏が高齢を理由に株式を手
離すこととなった。 これによってK氏の持ち株
は六六・七%に達した。 これに伴い、叔父であ
るS氏は代表権のない会長に退き、K氏が代表
取締役社長となった。 こうしてようやくK氏は
名実ともに経営権を手中に納めたのであった。
くなってきた。 同じエリア内に、T社同様のサ
ービスを行う大手物流会社と地場物流会社が
現れたのだ。 すぐにT社の業績に陰りが見え始
めた。 ライバルに仕事が流れ、順調だった月間
売り上げは前年割れに転じた。 それまでは通用
していた見積金額に対して「オタクは他社に比
べて高い」と言われ、従来の二〇%ダウンで受
注しなければならない場面などが出てきた。
それまでK氏は価格競争を経験せずに済んで
きた。 新たな現実に適応するまでには、時間が
かかった。 利益率の低下が三カ月続いた後で、
ようやくK氏は「今までの経営を断ち切り、新
たな展開をつくる」と決心したのであった。
持ち株問題が思わぬ制約に
過去を断ち切った瞬間、T社の様々な問題
点が見えてきた。 その一つは幹部、管理職が育
っていないということだ。 一つひとつの細かな
業務についても、副社長であるK氏に判断を仰
がないと、仕事が前に進まない。 肩書きのある
社員であっても自助自立できず、管理職として
一人前になりきれていなかった。
経費構造にも問題があった。 ドライバー兼重
機のオペレーターである現業職には高い専門性
が求められる。 そのため世間一般のドライバー
に比べて高めの給与水準であった。 しかしK氏
はこの給与については以前から注意を払ってい
た。 同業他社と比べてT社だけが飛び抜けた待
遇をしているわけではなかった。
問題は役員報酬であった。 S社長は既に会
社に出勤していない。 M氏は経営から完全に離
れている。 しかしこの両氏には年間数千万円の
地元の同業者を買収
それから間もなく、K氏は本社近隣の同業者
B社のB社長から相談を受けた。 「ウチの会社
を継いで欲しい」という。 年商規模は約三億円。
地場の輸配送を主に手がけている。 直近の決算
は赤字だが十分改善できる範囲であった。 しか
しB社長は既に高齢で、「当社には長年勤務し
ている従業員もおり、会社は残したいのだが後
継者がいない。 是非、あなたに会社を継いでも
らいたい」とのことであった。
興味はあった。 B社がメーンとする輸配送業
務は、新しい展開を図りたいK社長にとっては
魅力的だった。 しかし企業買収などは全く未知
の世界のことだった。 そこで当社日本ロジファ
クトリー(NLF)がそのサポートに回ること
になった。 先方の事業内容や業績実態を話し合
い、議論を重ねた。
荷主や同業者からB社およびB社長の評価
をヒアリングしたところ、会社を手放す理由は
純粋な後継者探しで間違いなさそうであった。
それでも簿外債務などの有無や借り入れ状況の
実態、取引銀行との関係など、財務状況を税
理士と一緒にチェックしてもらうようにした。
それと並行して、以下の点を確認するようK
氏にアドバイスした。 まず?B社長には譲渡後
も二年間は会社に残り、K氏の補佐役をしても
らうこと。 これは中小の物流業の場合にはトッ
プのリーダーシップや面倒見の良さに魅かれて
働いている社員が多いためだ。 そして?幹部、
従業員との面談を行い、これからの会社経営や
方向性を理解し共感できるかどうか、確認して
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もらうようにした。
こうして財務状況の透明性、そして幹部、従
業員の意識を明らかにした。 これにB社長の人
物評価とK氏との相性などを加え、最終的に会
社譲渡を受けることで決定した。 ただし当面は
会社を統合するのではなく、従来の組織を維持
したままK氏が二つの会社を兼務する体制をと
ることにした。
現在、K氏は、午前中は新会社、午後から
はT社と、会社を行き来しながら多忙な日々を
送っている。 全体の従業員数が増えたこともあ
り、営業にも一層力を入れている。 それまでは
営業担当のスタッフに任せていたが、現在はK
社長が自ら走り回り営業活動を展開している。
そんなK氏に対して、我々NLFは以下の三
つの切り口からサポートした。 ?幹部教育・研修、
?提案書作成サポート、?案件紹介である。
?幹部教育・研修では、両社の管理職を土
曜日に集め、月二回、管理職の役割と業務内
容や課題・テーマを与えたロールプレイングに
よる演習などを行った。 演習のグループ決めでは、あえて両社のメンバーが混ざり合うように
配慮した。 両社の幹部同士のコミュニケーショ
ンに良い影響をもたらしている。
?提案書作成サポートは、長期的には必ず必
要になってくる機能だ。 それまでT社は基本的
に見積書だけで営業してきた。 しかし競争激化
によって、それでは受注が難しくなっている。
提案力強化の効果は徐々に現れている。 先
日、行政を荷主とした某案件でT社は見積書
に改善提案を加えた資料を提出した。 これによ
って行政の担当者から「他社ではこのような詳
しいツールまで提出されませんでした」との評
価を受け、少額ながら落札に成功した。 また鮮
魚卸販売会社の箱詰め、出荷作業の業務を受
託した。 輸送には傭車を使い、元請けとして運
行を管理する、T社にとっては新しいかたちの
事業展開である。
?案件紹介は最も即効性のあるサポートとな
った。 ある特別積み合わせ運送会社をT社に紹
介した。 その特積みは重量物運搬トレーラーや
平ボディ車を持っていなかったため、T社は重
宝がられ、下請けの傭車仕事ではあるが、今で
は月額三〇〇万円以上の取引にまで拡大した。
B社以外にも物流業界には後継者不在を理
由に企業譲渡を希望している地場運送会社は
多くある。 そうした会社の譲渡を受け、問題な
く経営している会社もまた珍しくない。 一般に
地方企業は東京、大阪、名古屋などの大消費
地に比べてビジネススピードは遅い。 しかし、
その地方が独自に醸造している無形財産のよう
なものがあると私は感じる。 それを次の世代に
どう継承していくのか。 物流業界の大きな課題の一つである。
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