2005年1号 |
メディア批評 ビートたけしを辛口と持ち上げる甘口メディアが本来やるべきこと |
*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。 佐高 信経済評論家43 JANUARY 2005ビ トたけしは 殿 から 教授 にな た それも東京芸術大学教授である ますます批判する人間がいなくなるだろう いや いたとしても取り上げるメデ アがどのくらいあるか その中で 十二月三日付の 日刊ゲンダイ が おすぎの痛烈なたけし批判を紹介している おすぎは一連の たけし映画 を 週刊文春 や 週刊アサヒ芸能 のコラムで 次のようにバ サリ斬 たというのである 九九年の 菊次郎の夏 は 哀しくなる凡作 で 二〇〇一年の BROTHER は 才能のカケラも見られない愚作 そして 座頭市 は 映画評を 書くのも嫌になりました と これに激怒したたけしは 十一月二十三日に行われた映画のイベントで 宣伝として金もら てそれで映画評論家だ て言 てるおかしいのもいる と反論したとか 王様は裸だ と言 たおすぎに 教授 が高飛車な対応をしたわけである これを読んで私は かつて私がたけしを批判した時の たけしの応答を思い出した 私が 噂の真相 でたけしを 筆刀両断 したのに対する反応だが まず 週刊文春 の九一年十一月二十一日号に載 た たけしの場外乱闘 の私に関する部分を引く 文章書いて飯食 ている連中の中で 経済評論家 ていうのはい たいなんなのかね 佐高信というのがバブル批判で売り出し中らしいけど ザ・ハウス・オブ・ノムラ を訳したとかい ても 外人の尻馬にの てやる仕事にどれだけの価値があるんだろう 所詮は評論家で 終わ た結果を批判的に検討してば かりでさ あの程度の経済評論のどこが 批判的 なんだよ 映画評論家の力のなさとどう違う ていうの おまけに経済だけじ なくて 俺についてまであれこれ言 てさ このどろどろしたヘドロ世界に生きるムツゴロウみたいなやつ だ て けなしているつもりのようだけど ヘドロの中で精一杯呼吸している生き物であることをヨシと思 ているのは俺自身なんだから 硬派ぶ た意見を アサヒ芸能 なんかに平気で書けち う佐高さんの感覚がわからない やくざ記事とソ プ記事とオ パイがデカイとかの記事の間に文章を書いている自分のほうこそ ヘドロの中で溺れている魚なんじ ねえのか フランス座という浅草のストリ プ劇場で漫才をや ていたたけしが オ パイがデカイとかの記事 を売る アサヒ芸能 に 私が 硬派ぶ た意見 を言 たことをけなすとは思わなか た それにしても たけしのまわりには 終わ た結果を批判的に検討してば かり の評論家しかいないのだろう ザ・ハウス・オブ・ノムラ は原著者が野村証券に訴えられ 訳本がなかなか出版できなか たことなど たけしは想像もできまい 映画監督の山谷哲夫は たけしの映画 その男 凶暴につき を 大塚署の刑事たちは ここではぺこぺこしやが て 何が凶暴だ と嗤うだろう と書いた 自分の女の問題で フライデ に殴り込みをかけたが それも一人ではなくて軍団で 取り調べを受けて恐ろしくなり 日ごろバカにしている警察に頭を下げまく て執行猶予にしてもら たのである たけしは少しも 辛口 ではなく 凶暴 でもない 権力を持 ている者にはぺこぺこし 弱者を嵩にかか て叩く そして 自分に対してもへいこらすることを要求する こんなたけしをメデ アが 辛口 とかいうのは 自分たちがよほど 甘口 にな ているのだということを自覚したほうがいい 誰に対して 甘口 にな ているかと言えば 強者 権力者に対してである ビ トたけしを辛口と持ち上げる甘口メデ アが本来やるべきこと |