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69 DECEMBER 2006
佐高信
経済評論家
「すべての歴史は現代史である」とクローチ
ェは言った。 現代から、どういう問題意識に
よって見るかで歴史はその姿を変えるという
ことだろう。 私がそれを実感したのは『失言
恐慌』という題で、昭和二年の金融恐慌を書
いた時だった。 現在は角川文庫に入っている
この本は、最初に倒産した東京渡辺銀行と渡
辺家の内情に踏み込んで、さまざまな反響を
呼んだが、敬愛する先輩ジャーナリストの内
橋克人の次の書評に、私は自分の気づかぬ視
点を教えられて、なるほどと思った。 まさに
歴史はこのように読まなければならないとい
うことで、現在のメディアに欠けている重要
なポイントとして、少し長くなるが、それを
引用させてもらいたい。 「現代史」および「現
代」の読み方である。
〈昭和初頭、日本を見舞った「金融恐慌」に
ついては、すでに幾多のことが書かれ、記録
に残されている。
時の蔵相発言に遇って倒産に追い込まれ、
金融恐慌「第一波」の引き金を引いた、とさ
れる「東京渡辺銀行事件」をめぐっても、現
在ではほぼ「定説」に近いものが存在してい
て、エコノミストはじめ多くの書き手が、そ
れをあたかも「史実」とみなし活用してきた。
蔵相失言の有無にかかわらず、時すでに同
行の経営は破綻に瀕していたこと、狡猾な経
営者はむしろ衆院予算委の蔵相発言(今日正
午頃に於いて渡辺銀行が到頭破綻を致しました)を「渡りに船」として利用し、債務の泥
沼から足抜きをしようと謀ったものだ、とい
うのである。 とりわけ専務であった渡辺六郎
はそれまでにも不正な社債発行、融通手形乱
発、土地投機……に狂奔した悪質極まりない
経営者として、人物像も定着しているように
思われる。 (中略)
だが、このように既知として語られる「史
実」は果たしてどこからどこまでが「事実」
であろうか。
佐高信著『失言恐慌』は、史実として語ら
れてきたストーリーが、実は「官の描いた歴
史」にほかならず、失言の責を負うべき政治
家、不手際を演じた大蔵官僚の責任は不問の
まま、すべて物言わぬ(言えぬ)「民」として
の当事者に押しつけようとしたところから生
まれたものではあるまいか、と問うている。
著者は機会を得て、多くの生き証人に直接会
い、たとえば「国家に責任を転嫁したしたた
かな経営者」と指弾される渡辺六郎について
趣味から私信、そして、ひととなりに至るま
でを掘り起こした。
史実として語られるストーリーには、一つ
のキーワードがついて回る。 大臣失言がすで
に行われたことを聞かされた渡辺六郎が、悲
観仰天すると思いきや、案に相違して「喜色
満面」であった、とする証言である。 どの引
用例でもソースはただ一つ、当時の大蔵大臣
官房文書課長青木得三のもので、後世の書き
手の多くは『昭和経済史への証言』(安藤良雄
編著)によっている。 まだ潰れてもいない自
行の破綻を公言されて「喜色満面という顔を
した」とあれば、そのあとに「どのみち、渡
辺銀行はつぶれかかっていたのである。 しか
し、休業すれば預金者に迷惑がかかり、悪評
判を残す。
むしろ片岡失言は、渡辺銀行にとって渡り
に船だったのである。 ……気息えんえんたる
同行が、失言を口実に自らの命を絶ったとい
うのが事実にちかいのではあるまいか」(中村
政則『昭和の恐慌』)とつづいておかしくはな
いだろう。 「喜色満面」の一語が、まさに決定
的役割を果たしている。 その真偽を誰も疑わ
ずにきたことに、著者はまず懐疑の矢を放っ
ているのだ〉
『失言恐慌』は「金融恐慌の波間に没した渡
辺一族に対する史的評価の是非を問い直すこ
とで、『書かれた歴史』の階級性をよく暴いて
いる」という内橋の評は本当に嬉しかった。
「官の無責任」はいまも変わっていない。
「官の描いた歴史」が隠蔽する政府官僚の責任
「史実」を疑う視点を欠いたメディアの歴史観
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