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JANUARY 2007 62
問屋の全支店の幹部を集めて
ロジスティクス導入会議を開催
「もう始まりましたでしょうか?」
女史が大先生に声を掛けた。 大先生事務所は、
大先生と女史の二人だけだ。 大先生は、出版社の
担当者に叱咤激励され、脅され賺
すか
されて、ようや
く懸案だった本の原稿を書き上げたばかり。 会議
テーブルでたばこを喫いながら、のんびりムードに
浸っている。
女史に声を掛けられ、雑誌を眺めていた大先生
が物憂げに答えた。
「始まったって何が?」
「えっ、決まってますよ、問屋さんの会議です」
「そんなの決まってねえよ。 そうやって勝手に決め
つけるなよ。 大体、何時からなんだ、それは?」
「二時って言ってました」
「なんだ、もう二時を過ぎているんだから、始まっ
ているさ。 わかりきったことだ」
相変わらず、大先生と女史の会話はかみ合って
いない。 今日は、大先生がコンサルを担当してい
る問屋で、ロジスティクスの根幹をなす在庫管理
システムができあがり、それをベースにこれから仕
入れを行うことにするため、全支店から支店長や
営業、仕入れの責任者が集められた。
これまでの売り方や仕入れ方が否定されるらし
いという噂が、会議の開催前から各支店に広がっ
ていた。 そのため、何となく重苦しい雰囲気が会
議室を覆っている。
大先生事務所からは、弟子二人がオブザーバー
として参加している。 会議を仕切るのは物流部長
だ。 大先生は、自分が出たらみんな畏れをなして
意見を出さないだろうから出ない、といって参加
しなかった。
「今回は、途中からスポットライトを浴びて突然
登場するという趣向はないんですか?」
女史が、可笑しそうに聞いた。 前回の全社会議
のとき、問屋の社長と示し合わせて途中から大先
生が突然登場し、場が騒然となったことがあった。
「前回だって行きたくなかったんだけど、社長に是
非と頼まれたからな。 今回は、最初から絶対に出
ないと言ってあるから、大丈夫。 あっ、それに、別
《前回までのあらすじ》
本連載の主人公である“大先生”は、ロジスティクス分野のカ
リスマコンサルタントだ。 “美人弟子”と“体力弟子”とともにク
ライアントを指導している。 現在は旧知の問屋から依頼されたロジ
スティクス導入コンサルを推進中だ。 在庫管理の基本スタンスが
固まった問屋では仕入れルールを刷新することにした。 営業部門
への周知徹底を図るため、全国の支店長を集めて会議が開かれる
ことになったのだが‥‥。
湯浅コンサルティング
代表取締役社長
湯浅和夫
a
v
《第
57
回》
〜ロジスティクス編・第
16
回〜
63 JANUARY 2007
にスポットライトが当たっていたわけじゃない。 あ
れは後光が射していたのさ」
なんだか大先生は、楽しそうだ。 女史が呆れて
「コーヒーでも煎れましょう」と言って、給湯室に
向かった。
その頃、問屋の会議室は、緊張した雰囲気に包
まれていた。 はじめに社長が、「これから新しい仕
入れのシステムを提案しますので、よく聞いてく
ださい。 それを全社に導入するかどうかは、この会議で決めますので、率直に意見を出してくださ
い」と簡潔に会議の目的を述べた。
ウォームビズで暖房の温度を落としているにも
かかわらず、五〇人近い人で埋まった会議室は、熱
気に包まれていた。 社長の挨拶が終わると、多く
の出席者が上着を脱いだ。 中には腕まくりをして
いる者もいる。 手ぐすね引いて物流部長の報告を
待っているという雰囲気だ。
弟子たちが物流部長をそっと見た。 物流部長は
楽しそうに、みんなの様子を見ていた。 妙に落ち
着いている。 そんな物流部長を見て、弟子たちは、
すぐに数日前のことを思い出した。
支店長からの言い掛かりに
物流部長が挑発的に答える
数日前、物流部長が、この会議の事前打ち合わ
せのために大先生事務所を訪れた。 物流部長が、
事前に何人かに根回ししておいたほうがいいか、大
先生に意見を求めた。 いつもの大先生なら、そん
な質問には答えないが、物流部長の不安げな様子
を見て、大先生が発破をかけた。
Illustration©ELPH-Kanda Kadan
JANUARY 2007 64
「ここはぶっつけ本番だな。 あんたは、終始一貫、
理を通せばいい。 理という刀は切れ味鋭いぞ。 理
不尽な言い掛かりなど一刀両断にすればいい。 何
十人切ろうが、刃こぼれしないから大丈夫だ」
大先生にこう言われて、物流部長は腹が据わっ
たようだ。 追い詰められるほど、物流部長は強く
なるタイプだ。 支店長たちが、今日の敵である物
流部長をちらちら見るが、物流部長は泰然自若の
風情だ。 自信ありげな物流部長を見る支店長たち
のほうが、むしろ落ち着かない様子だ。
社長の合図で物流部長が立ち上がり、配布資料
をもとに説明を始めた。 その内容は、基本的に出
荷の動きに合わせて仕入れ、それによって必要最
小限の在庫を維持するということだ。 以前、弟子
たちの指導で社内の関係者を集めて意見を聞き、
まとめた内容である。
物流部長は、この説明を三〇分ほどで済ませて
しまった。 そして、最後に妙な締め方をした。
「簡単に説明しましたが、要するに、当たり前なこ
とをやろうということです。 ですから、考え方も
原理も単純明快です。 あまり説明することがない
のです。 以前、先生が『おれの在庫管理の本は日
本で一番薄い本だ。 その原理はあまりにも単純で、
書くことがないからな』っておっしゃってましたが、
今回、資料を作ってまして、それを実感しました。
えー、さて、それでは、質疑に入りたいと思いま
す。 ご意見をどんどん出してください」
物流部長が座って、みんなを見回す。 誰も口火
を切ろうとしない。 みんな、同じように俯いて資
料を繰っている。 ただ、みんなの目が、ちらちら
とある人物に集中している。 こういう場でいつも
口火を切る東京支店長だ。 この支店長は役員でも
ある。 みんなの目を意識したかのように、件の支
店長が「ちょっといいかな」と物流部長に声を掛
けた。 物流部長が頷く。
「この不定期何とかっていう方式は、言いづらいか
ら、名前を変えたほうがいいな‥‥」
会場に苦笑が広がった。 物流部長は何も言わない。 ちょっと白けた空気が流れる。 それを振り払
うように、東京支店長が大きな声を出した。
「それはいいとして、その方式で出荷の動きに合わ
せて在庫を持つとか言っとったけど、急激に需要
が増えたら、追いつかないんじゃないか?」
想定内の質問だったのか、物流部長がすぐに答
える。
「私どもの試算では、週に二倍弱くらいの増加な
ら何とか対応できます」
「それなら、三倍、四倍になったら欠品になってし
まうじゃないか。 お客さんに迷惑を掛けてしまう。
どうするんだ?」
「支店長のところでは、いままでそんな急激な需要
増に欠品を出さずに対処できてきたんですか?」
今度は、物流部長が逆に質問した。 慌てて支店
長が隣に座っている支店の営業部長に何か聞いて
いる。 営業部長は首を振っている。 物流部長は、
答えを待たずに、さらに追い討ちをかける。
「大体、そんな商品、めったにないでしょう?
あったとしても、それは事前にわかるのではない
でしょうか。 その場合は新しい方式でも、当然
別途に対処します。 それでいいのではないでしょ
65 JANUARY 2007
うか?」
物流部長のダメを押す言い方に支店長が小さく
頷いた。 それを見て、別の支店長が、軽く手を上
げた。 物流部長が頷く。
「先ほど、安全率を九八%にするという話があっ
たけど、これは二%も欠品が出るということだろ?
そんなに欠品が出たら、お客さんが納得しないと思
うけど‥‥」
この質問に物流部長は顔をしかめて、挑発的な
答えをした。
「支店長は、いま、どれくらい欠品が出ていると
思いますか?
私どもが調べた結果では、大体ど
の支店でも五%を超えてますよ。 ちなみに、支店長
のとこでは、返品が八%を超えてます。 つまり、
五%を売り損じて、八%の売り上げを消している
わけです。 欠品を二%程度に抑えれば、お客さん
はむしろ喜ぶと思いますが‥‥」
質問にない返品まで入れた物流部長の話に、こ
の支店長も隣にいる支店の営業担当に何かを確
認している。 隣の営業担当が小声で答えるが、そ
の答えが気に入らなかったのか、支店長が声を荒
げた。
この様子を見ていた常務が身を乗り出して何か
言おうとするのを社長が手で制した。 ここで常務が
一喝でもしようものなら、もう誰も何も言わなくな
ってしまう。 社長が、みんなに声を掛けた。
「これまでのやり方は、発注点を固定的に決めて
いて、発注量は適当に決めていましたね。 その結果、
欠品が出たり、在庫が余ったりしていました。 それ
をリードタイム日数という枠で発注点を知り、一
週間という在庫日数分を発注しようというもので
す。 この原理はわかりますね?」
社長の言葉に全員が頷いた。 社長が続ける。
「先ほど、物流部長が言ったように、この仕組
みは単純明快です。 原理が頭の中で理解できるか
らこそ、安心できるのです。 人間の判断が入ると
そうはいきません。 人間の判断をできるだけ排除
しようというのが、今回のやり方なのです。 いい
ですね。 その結果、これまでとは違ったルールがいくつか入ってきます。 それらについてはどうで
すか?」
社長に促されて、別の支店の営業担当が手を上
げた。 社長が頷く。
「この方式については理解できます。 ただ、やっぱ
りメーカーさんと交渉して安く仕入れるというこ
とも現実的にはあると思います。 その場合、ある
程度まとめて仕入れることも必要になりますが、こ
の場合は、先ほどのご説明では、本社の承認が必
要だということですが、これは例外なしにすべて
が対象ですか?」
物流部長が隣の営業部長を見た。 営業部長が
頷く。
「旧方式でちゃんとやれるのか?」
常務が支店長たちを一喝した
「はい、例外はありません。 すべて私に報告してく
ださい。 私が常務と相談して、承認するかどうか
を決めます」
この答えに、質問者の隣にいた支店長が異論を
挟んだ。
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「そうなると、支店の自主性というのはどうなるの
でしょうか。 われわれは、支店の収支に責任を負
わされているわけですから、それを縛るということ
になるのではないでしょうか?」
常務が社長の顔を見た。 社長が仕方ないという
顔で頷いた。 常務が身を乗り出した。 質問をした
支店長の顔がこわばる。 常務が一喝した。
「さっきから聞いていると、君らの質問は、表面的
な言葉尻をとらえたようなものばかりだ。 いまま
でのやり方と、この新しいやり方を比べてみれば、
いままでの何が悪かったのか、わかるだろう?
も
っとも、いままでのやり方をわかっておらん支店
長もいるようだが‥‥」
こう言って、常務は全員を見回した。 目が合っ
てはかなわんという感じで、みんな下を向いてい
る。 常務が続ける。
「なぜ、当社に、この新しいやり方を入れなきゃな
らんのか、よく考えることだ。 いままでのやり方
のほうがいいのだったら、誰も新しいやり方なん
ぞ入れん。 大体、メーカーからまとめて仕入れて、
その在庫が仰山残ってしまっているのは支店長の
責任だぞ。 支店の自主性とやらを尊重して、その
判断を支店長に任せてもいいが、ちゃんとやれる
か?
やれるなら、やりなさい。 ただし、結果責
任は取ってもらう。 これからは、すべて数字で結
果があらわれるから、責任を果たしているかどう
かもすぐにわかるぞ。 どうする?」
常務に問われて、質問した支店長は固まってし
まい、声が出ない。 沈黙が続く。 この重苦しい雰
囲気を営業部長が破った。
「このまとめ仕入れについて、どうしても自分が判
断したいという支店長がおられたら、申し出てく
ださい。 それを否定するようなことはしません。 た
だし、常務がおっしゃられたように、結果責任は
負っていただきます。 それから、先に知っておい
ていただきたいので言っておきますが、本社の考
えとしては、まとめ仕入れは原則として認めない方向ですので、承知しておいてください」この営業部長の言葉に会場がざわついた。 隣同
士で、小声で話が交わされている。 社長と常務が
短い言葉を交わし頷き合っている。
ひとしきりざわめきが収まったとき、会場から
「よろしいでしょうか」と声が掛けられた。 声の主
を見つけて、社長が笑みを浮かべた。 社長が抜擢
したあの大阪の若い営業部長が手を上げている。 社
長が興味深そうに大きく頷いた。
(本連載はフィクションです)
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大学
院修士課程修了。 同年、日通総合研究所入社。
同社常務を経て、二〇〇四年四月に独立。 湯
浅コンサルティングを設立し社長に就任。 著
書に『現代物流システム論(共著)』(有斐閣)、
『物流ABCの手順』(かんき出版)、『物流管
理ハンドブック』、『物流管理のすべてがわか
る本』(以上PHP研究所)ほか多数。 湯浅コ
ンサルティングhttp://yuasa-c.co.jp
PROFILE
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