*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。
MARCH 2007 70
「先生にお会いできるのは楽しみです」
大阪の営業部長が嬉しそうに言った
全社会議が休憩に入り、弟子たちが社長室で
お茶を飲んでいると、そこに大阪支店の営業部長
が支店長と一緒に顔を出した。
弟子たちが彼に会うのはほぼ一年ぶりだ。 お互
い、懐かしそうに挨拶を交わす。 社長が笑顔で営
業部長に声を掛ける。
「部長は今晩、何か予定がありますか?
今夜
は確かこちらに泊まるのでしたよね」
「はい、そうです。 夜は特に予定を入れていま
せん」
「そう、それはよかった。 それなら、私たちに
付き合ってくださいな。 支店長のご予定は?」
「はぁ、申し訳ありません。 支店長の何人かと
飲みに行こうかと‥‥。 でも、キャンセルはでき
ます」
「いえ、あなただけ抜けると余計な憶測を呼ぶ
でしょうから、そちらに出なさい。 営業部長はお
借りしますよ」
社長の言葉に常務が大きく頷いた。 支店長も
名残惜しそうに頷くが、社長の次の言葉を聞い
て、ほっとしたような表情を浮かべる。
「今晩、先生をお招きして、全社会議の報告を
兼ねた打ち上げをやろうと思っています。 先生に
お会いするのは久し振りでしょ?」
営業部長が嬉しそうに大きく頷く。
「はい、もしかしたら、今日、先生にお会いで
きるかと楽しみにしておりました。 是非、ご一緒
させてください」
営業部長の言葉を聞いて、支店長が納得した
ように頷き、確認する。
「そうか、君は、今日もしかしたら先生にお会
いできるかもしれないと思って、仲間内からの誘
いをすべて断っていたのか?」
営業部長が小さく頷く。 社長が「さもありな
ん」という顔で頷き、みんなに声を掛けた。
「さて、それでは会議を再開しましょう。 物流
部長、もう最終コーナーに差し掛かっているので
すから、つまずいて転んだりしないように」
「はい、任せてください」
《前回までのあらすじ》
本連載の主人公である“大先生”は、ロジスティクス分野のカリ
スマコンサルタントだ。 “美人弟子”と“体力弟子”とともにクライ
アントを指導している。 現在は旧知の問屋から依頼されたロジステ
ィクス導入コンサルを推進中だ。 仕入れルール刷新に向けた全体会
議では予想した通り、営業部門から反発の声が出たものの、物流部
長の見事な采配でどうにか合意に漕ぎ着けそう。 問屋の社長もロジ
スティクス導入がまた一歩前進したことに満足している様子だ。
湯浅コンサルティング
代表取締役社長
湯浅和夫
《第
59
回》
〜ロジスティクス編・第
18
回〜
71 MARCH 2007
物流部長が自信ありげな顔で、元気に立ち上
がった。
「適正在庫は計算できるものではない」
物流部長が自信たっぷりに答える
会議の再開後は、細かな点のやりとりに終始
した。 もう全員が新しい発注方式の導入を前提
に話を展開している。 いい流れだ。
そろそろ会議の打ち切りを宣言してもいいかな
と物流部長が思い始めたとき、例の剽軽な仕入
れ担当が「最後に、いいですか」と手を挙げた。
勝手に最後の質問にしている。 物流部長が警戒
気味に頷く。
「在庫日数を一週間分にするということですが、
これは適正在庫という意味ですか?
これを出す
何か計算式があるのですか?」
在庫日数については弟子たちとの事前の検討
会で十分に討議している。 物流部長は自信たっ
ぷりに答え始める。
「特に式があって、それで決めたわけではあり
ません。 要するに何日分持つかは自分で決めれば
いいということなんですわ。 もちろん、理論的に
突き詰めれば、その答えは一日分ということにな
ります。 明日出荷する分を今日持っていればいい
わけでして、これ以外に答えはありません。 そう
でしょ?」
物流部長にふられて質問した仕入れ担当が頷
く。 それを見て、物流部長が続ける。
「それでは、なぜ一週間分にしたのかというと、
発注の頻度を考慮したからです。 一週間分持つ
ということは、原則一週間に一度の発注になるだ
ろうという、発注間隔をベースに決めました。 も
ちろん、出荷の動きによっては三日で発注がかか
る場合もあったり、二週間経っても発注がかから
ない場合もありますが、それは設定した水準に在
庫を維持するためには必要な動きですから、仕方
ないですな」
ここで物流部長は一呼吸おき、全員を見回し
た。 質問した仕入れ担当が何か言いたそうな顔をしている。 物流部長が続ける。
「もちろん、メーカーさんによっては、発注は
一週間に一度というような取り決めがあって、定
期発注しているところもあるのは知っています。
こういうところには定期で発注する方式の支援を
しますけど、不定期発注のほうが在庫をより少な
くできますので、今後、可能な限り不定期に切り
替えていこうと思っているところです」
ここで質問した仕入れ担当が言葉を挟んだ。
「メーカーさんと取り決めている発注単位があ
りますが、それは前提にするんですよね?」
「いまのところ、そうせざるを得ませんわな。 そ
れとの関連で言いますと、先ほど適正在庫という
言葉が出ましたが、言うまでもなく、それは算定
して出るものではなく、会社として持たざるを得
ない最小在庫を言うんだと理解してください。 た
とえば、システムでは推奨発注量として一〇個で
いいと言っているのに、メーカーさんとの間で一
ケース二〇個入りのケース単位で取引するという
ことになっていれば、二〇個取らざるを得ないで
しょう。 つまり、取引条件という制約がある限り、
MARCH 2007 72
二〇個が現状における適正在庫ということになる
わけです。 その条件がなくなれば、適正在庫の水
準は下がります。 そういうもんです」
物流部長が断定的に結論を出した。 質問した
仕入れ担当が、なぜか、嬉しそうな顔で補足した。
「よくわかりました。 いまのお話ですと、究極
の適正在庫は計算できるということですね。 つま
り、在庫日数が一日分で、何も制約がない在庫
水準です。 これが目指すべき究極の在庫水準と
いうことになりますね」
質問した仕入れ担当のしたり顔に物流部長が
眉をひそめて「さっき言ったじゃないか。 だから
何だというんだ」と突き放そうとしたが、社長の
「つまずいて転ばないように」という言葉を思い
出して、ここは無難に、それでも語気を強めて答
えた。
「はい、そのとおりです。 みなさんは是非、そ
の究極の適正在庫を目指して取引条件にバンバ
ンとメスを入れてください。 期待しています」
他の仕入れ担当が苦笑しながら顔を見合わせ
る中、質問した仕入れ担当だけが、にこにこしな
がら大きく頷いている。
まったく何なんだという顔で物流部長が最後の
確認をする。 「いかがですか?
もうよろしいで
すか」と問いかける。 もう誰も何も言わない。 そ
れを見て、物流部長が社長の顔を見る。 社長が
頷いて、みんなに声を掛けた。
「それでは、この方式についてとくに異議はな
いようですので、この方式で行きたいと思います。
よろしいですね?」
社長の言葉に合わせて、すぐに支店長以外の
出席者が「はい」と応じた。 その勢いに押されて、
すべての支店長もすぐに頷く。 それを見て社長が
宣言した。
「全員の賛同を得られましたので、この方式を
導入することに決めます。 実際の稼動は新年度
からになります。 このあと、物流部長をはじめ関
係者が皆さんの支店を訪問して、こちらからお願いしたり、ご意見をいただくことがあるでしょう
けど、当社の最優先事項ですから、積極的に対
応してください。 いいですね?」
こうして、この問屋において新しい発注方式の
導入が決まった。 ロジスティクスに向けた第一歩
が踏み出されたわけだ。
「以前の部長とは別人でした」
大阪の営業部長が物流部長を誉める
その頃、事務所では、大先生が自席でパソコ
ンに向かっていた。 外はもう真っ暗だ。 大先生は
真剣な顔でパソコンの画面を見ている。 こういう
真剣な顔をしているときは仕事ではない。 DVD
で映画を見ているのだ。
そのとき、事務所の扉がノックされ、営業部長
が顔を出した。 女史が「あれっ」という顔で出迎
える。 営業部長が大先生を迎えに来た旨を告げ
る。 女史が慌てて大先生のそばに行き、営業部
長の来訪を知らせる。
「映画なんか見ている暇はありませんよ。 お出
かけの約束があったんですか?」
「出かける?
どこへ?」
73 MARCH 2007
画面から目を離さず、大先生がつぶやく。 二人
の会話は全部営業部長に筒抜けだ。 営業部長が
入り口から声を掛ける。
「本日、全社会議が無事終わりましたので、打
ち上げの会に是非先生においでいただきたいと社
長からお話があったかと思うんですが‥‥」
「へー、そんなこと言われてたっけ?
そう言
えば、そんなこと言われたような気もする。 うん、
忘れていた」「まあー、そんな大切なことを忘れてしまうな
んて。 お歳のせいですか」
「こういうことは若い頃からよくあったから、歳
のせいではない。 まあ、結果的に、迎えに来られ
たおれはここにいるわけだから、何も問題はない。
ところで、場所はどこ?」
「はい、銀座です。 外に車を待たせています」
「それでは、早くいらしてください。 あとは私
が片付けますから」
「わかった。 映画の続き、見てもいいぞ」
「はい、はい」
こうして、大先生と営業部長は女史に追い立
てられるように事務所を出て、銀座に向かった。
銀座の洒落た和食の店では、すでに社長、物
流部長、大阪の営業部長と弟子たちが待ってい
た。 常務は「支店長たちの飲み会とやらに顔を出
して、発破をかけてきます」と言って、大阪支店
長に案内させて出かけていった。 いまごろ常務の
突然の来訪に支店長たちは面食らっているだろう。
大先生が営業部長に案内されて部屋に入って
きた。 慌てて、全員が立ち上がる。 社長が来訪の
Illustration©ELPH-Kanda Kadan
MARCH 2007 74
謝辞を述べ、大阪の営業部長を紹介する。
大阪の営業部長が、しゃちほこばって挨拶をす
る。 さすが社内ではこわいもの知らずの彼も大先
生を前にしてかなり緊張しているようだ。 「まあ、
座ろう」と大先生が促した。 ビールが運ばれ、物
流部長の乾杯の音頭で宴会が始まった。
「ここに来る途中、大体の様子は聞いたけど、今
日の会議では物流部長が大活躍だったって?」
大先生の言葉にみんなが頷く。 物流部長が「と
んでもありません」と顔の前で手を振り、正直に
答える。
「事前に、先生方のご指導のもとに想定問答集も
作ってありましたし、特に難しい質問も出ません
でしたし、彼のような強い味方もおりましたので
‥‥」
強い味方といわれた大阪の営業部長が、これ
またとんでもないという仕草をして、物流部長を
誉める。
「いえ、私は自分の思いを述べただけです。 そ
れよりも、大変失礼な言い方を許していただけれ
ば、今日の部長は本当に頼もしい存在でした。 い
ちゃもんに近い感じの質問も結構出ていましたが、
まったく動ぜず、毅然と答えているのには正直驚
きました。 以前の部長とは別人のような感じが
‥‥あっ、済みません。 生意気なことをいいまし
た」
「たしかに、そうね。 彼の言うとおり。 大体以
前から屁理屈で人を打ち負かすことはよくありま
したけど、最近は、言うことに筋が通っている感
じがするわ‥‥」
社長の言葉を物流部長が慌てて遮る。
「なんですか、そんな誉められると居場所がな
くなってしまいます。 実は、この会議は正直不安
だったんです。 事前に何の根回しもしていません
でしたし。 それで、会議の何日か前に事務所にお
伺いして、先生にご相談したら、『理はいちゃも
んより強し。 理不尽な言い掛かりなど一刀両断にしろ』と発破を掛けられました。 不思議なこと
に、その一言で腹が据わりました」
「単純なやっちゃなー」
大先生がにっと笑って、ボソッと言う。 それを
見て、物流部長が、慌てて話題を大阪の営業部
長に振った。
「それよりも、あんた、先生にお話があったん
だろ?
名刺を先生にお見せしたら?」
その言葉に大先生も弟子たちも興味深そうに
大阪の営業部長を見た。
(本連載はフィクションです)
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大学
院修士課程修了。 同年、日通総合研究所入社。
同社常務を経て、二〇〇四年四月に独立。 湯
浅コンサルティングを設立し社長に就任。 著
書に『現代物流システム論(共著)』(有斐閣)、
『物流ABCの手順』(かんき出版)、『物流管
理ハンドブック』、『物流管理のすべてがわか
る本』(以上PHP研究所)ほか多数。 湯浅コ
ンサルティングhttp://yuasa-c.co.jp
PROFILE
|