ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2007年5号
メディア批評
護憲という譲れない立場さえいつのまに放棄最早ジャーナリストとは呼べない田原総一朗

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高信 経済評論家 63 MAY 2007 まさに権力の御用聞きでしかない田原総一朗 を、まだ政府への批判者のように思っている人 がいて、私は驚いてしまった。
拙著『田原総一 朗よ驕るなかれ』(毎日新聞社)に詳述したが、 彼はもうジャーナリストではない。
それなのに、 そういう自覚がなく「ジャーナリスト」と名乗 っている。
たとえば四月二日付の『朝日新聞』「私の視 点」で田原はその肩書きで「テレビと政治」に ついて論じている。
同紙三月一日付の山内昌之のテレビ批判に反 論したものだが、まったく反論になっていない。
田原は自らが関わるテレビ朝日系の報道番組 「サンデープロジェクト」の司会者にお笑い芸 人の島田紳助を起用したことを誇り、「視聴者 の目線で政策を論じる番組」にしようとしたと いう。
しかし、紳助は「勘がよく、素人として 遠慮なく疑問をぶっつける」芸人なのか。
彼は田原と同じく権力者(たとえば小泉純一 郎や安倍晋三)には遠慮し、非権力者には「遠 慮なく疑問をぶっつけ」た。
こうした人間を普 通はタイコ持ちというのである。
私は『タレント文化人筆刀両断!』(ちくま 文庫)で、紳助をこう批判したことがある。
こ れは『噂の真相』の二〇〇二年六月号に載せた ものだった。
その結びの部分だけ引く。
〈小泉首相を紳助はほめているが、彼ほどブ ッシュの言いなりになっているリーダーは世界 にもいない。
平和憲法を前面に出してブッシュに抵抗して こそ、独立国の首相だろう。
そうしないから、 小泉はアメリカからは言うことを聞く軍曹と呼 ばれ、日本の保守派の中から、「小泉はいつま でブッシュのキャディをやっているのか」とい う声が起こる。
そうした国際情勢を踏まえることなく、紳助 はさらに勝手なことをほざく。
「僕が独裁者に なったら絶対にこの国を建て直す。
子供は携帯 をもったらいかんとか、迷惑メールを打った奴 は死刑に処すとか。
いきなり飛躍するけど、悪 いことをした官僚はもちろんみんな死刑。
それ こそ織田信長みたいにやっていかないと、絶対 にこの国は良くならない、と思う」 紳助をここまで舞い上がらせた責任は?共 演〞の田原にもあるのではないか〉 つまりは、田原は紳助と同程度の芸人だとい うことである。
田原を筆頭とする権力の御用聞きたちを、岡 留安則との共編著『一〇〇人のバカ』(七つ森 書館)でメッタ斬りにした。
田原についての岡留と私の対談部分を引こう。
岡留が田原を「もともと思想性はない人なんだ から、彼に思想性云々を言っても詮ない」と言 ったので、私は「俺より厳しいじゃない」と笑 った。
岡留が続ける。
「政権が交代しても、歴代総理にはずっとく っついているわけじゃないですか。
自覚があれ ば、俺は安倍とは合わないからとか、小泉は合 わないからという価値判断があってもいいと思 うんだけど、常に権力の至近距離にいて彼なり の戦略で政権をコントロールしようというスタ ンスを取り続けている」 問題はコントロールできているのかというこ とである。
むしろ、田原がコントロールされて いるのではないか。
田原は私に、小泉に対して、靖国参拝はまず いと何度も進言したと言った。
しかし、何回言っても聞かないということ は、まったく相手にされていないということ だろう。
それで私は、こう批判したのである。
「自分でそれを言っちゃマズいんじゃないの ってこと。
ジャーナリストと名乗っているわけ だから、どこか超えられない一線があるんじゃ ないか。
それが護憲という立場だったと思った んだけど、そこもいつのまにかフッと変えるん だよね」 そんな田原をジャーナリストと思ってもらっ ては困るのである。
護憲という譲れない立場さえいつのまに放棄 最早ジャーナリストとは呼べない田原総一朗

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