ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2007年6号
判断学
「会社学」のすすめ

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

JUNE 2007 64 これだけ会社が問題なのに‥‥ 会社に関する事件が毎日のように起こっている。
三洋電 機や加ト吉などの不正会計、東京電力や北陸電力などの原 発事故隠し、クボタなどのアスベスト害、そしてゼネコン各 社の談合事件‥‥と、会社にかかわる事件が新聞に載らな い日はない、と言ってもよい。
これほど会社に関する事件や事故が多いということは、そ もそも会社に問題があるからではないか。
問われているのは 会社そのもののあり方であるが、このあたりまえのことがあ まり問題にされないのはどうしたことか。
市場経済を原理とする資本主義が発生したのは中世封建 社会が崩壊したあとだが、この資本主義を動かしている主 役は資本家であると考えられていた。
マルクスの『資本論』 を読むまでもなく、資本主義を動かしているのは資本家であ ると誰もが考えていた。
ところが一七世紀のはじめオランダやイギリスに株式会社 という組織が生まれ、資本家は株主としてそれを支配するよ うになった。
そして一九世紀の後半に近代株式会社制度が 確立するとともに、資本主義、そして市場経済を動かして いるのは株式会社である、ということになった。
日本では戦前は財閥が資本主義の主役であったが、戦後 は法人資本主義になり、会社本位主義がその原理となった。
そして日本は「会社国家」であるといわれるようになった。
そうである以上、人びとの生活にとって会社が最大の関 心事となるのは当然のことである。
ところが、これだけ人び との関心を集めている会社について、それを正面から取り上 げて研究する学問がない。
会社について研究している経済 学者や経営学者、あるいは法律学者や社会学者がいるはず だと思う人もいるかもしれない。
しかし、そういう学者はい ない。
会社に関する個々の問題について研究している学者 はいても、会社を総体として研究している学者はいない。
人間学、国家学、会社学 そこで私は「会社学」ということを提唱している。
人間に ついては人間学、あるいは人類学がある。
そこでは人間とは 何か、ということから始まって、人間にはさまざまな種類が あり、その生き方が違っているということ、そして動物と人 間の違いについても研究されている。
同じように国家についても国家学があり、さらに政治学や 行政学という形で国家が研究されている。
ところが不思議なことに、人間の生活にとってこれほど重 大な位置を占め、そして現代の国家や社会を動かしている 会社について、これを真正面から取り上げて研究する学問 がない。
これはいったいどうしたことか。
私が会社について関心を持ち始めたのは大学を卒業して新聞記者になってからで、今から半世紀以上も前のことで ある。
かけ出しの記者として会社を取材しながら、「いった い会社とはどういう存在なのか」と不思議に思った。
「なぜ人びとは会社のために一生懸命に働くのだろうか」 という疑問を持ったのは、学生時代に哲学に関心を持って いたからかもしれない。
国家のために命を捧げるというのが国家主義であり、私た ちはそういう教育を受けてきたが、戦後になってこの国家主 義が崩壊するとともに、それに代わって会社主義になってい った。
それはなぜなのか、というところからいろいろ考え、その 結果、法人資本主義ということを主張するようになり、やが て『法人資本主義の構造』という本を一九七五年に日本評 論社から出した。
この法人資本主義という言葉は英訳すれ ば「コーポーレート・キャピタリズム」で、会社資本主義と 訳すこともできる。
事実、私のこの本は『コーポレート・キ ャピタリズム・イン・ジャパン』というタイトルでマクミラ ン社から出版されている。
会社の引き起こす事件が後を絶たないのは、会社のあり方そのものに問題が あるからではないか。
しかし会社そのものを真正面から研究する学問はまだ確 立されていない。
欧米の理論の輸入ではなく、日本の会社の現実から出発した 「会社学」がいま必要とされている。
65 JUNE 2007 誰にでもできる学問 では具体的にどのようにして会社学を構築していくのか。
もちろん、これまでの経済学や経営学、あるいは法律学や 会計学などの成果を参考にしていくことも必要だが、それだ けでは会社を総体としてとらえることはできないし、なによ り理論化することができない。
そこで必要なことは、かねがね私が主張してきた「実学の 精神」である。
それは「実業に役に立つ」という意味ではな く、「現実から理論を作っていく」というものである。
これまで日本の経済学、さらに広く社会科学にとって、も っとも欠けているのは「現実から理論を作っていく」という 「実学の精神」である。
明治時代以来、日本では理論は外国から輸入するものであると先験的に学者は考えてきた。
このことを私は半世紀にわたる研究生活のなかで痛感し、 これまで私の書いてきた本でしばしばそのことを指摘してき た。
いま会社学を構築するに際して、このことがさらに重要 になってくる。
というのも会社学は現実にある会社、とりわけ日本の会 社を対象に研究するものであるのだから、外国文献の輸入 では何の役にも立たない。
これまで日本の経済学者がやって きたような研究態度を根本的に変えていくことが必要である。
そして現実にある会社、それがかかわっているさまざまな 事件や事象を材料にしながらそれを理論化し、そして体系 化していく。
この会社学は会社に関係している人すべてにとって必要 なことであり、同時に誰でもが研究できるものである。
これ までの経済学者や経営学者、法律学者、会計学者だけでな く、いわゆるシロウトにもそれは可能である。
そのような会社学を作っていきたい、というのが私の願い である。
おくむら・ひろし1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『株のからくり』(平 凡社新書)。
シンフォニー的社会科学 私が研究生活を始めたのは新聞記者を九年やったあと大 阪証券経済研究所(現・日本証券経済研究所)に移ってか らで、それからすでに四五年がたった。
その間ずっと研究し てきたのは会社、とりわけ株式会社であった。
最初に書いた本は『三井・三菱・住友』で、それは一九 六六年に三一書房から出た。
戦前の財閥が戦後、企業集団 として再編成されたことを書いたものである。
それから現在 まで四〇冊以上の本を書いてきたが、それはすべて会社にか かわるものである。
このように私の会社研究はほぼ半世紀に わたる。
その会社研究を続けるなかで、日本ではなぜ会社学 がないのか、と不思議に思うようになった。
いや、日本だけ ではない、外国にもそれはないのではないか。
そうだとすれば、日本は世界に冠たる会社国家であるのだ から、会社学はまず日本から起こすべきである。
そこでこれ まで私が作り上げてきた法人資本主義論を会社学として新 しい見地から構築する必要がある。
いささか私事にわたって 恐縮だが、私が会社学ということを提唱するに至ったのは、 このような研究経過をたどった結果である。
そういうなかで大きなヒントになったのは故・森嶋通夫ロ ンドン大学名誉教授が提唱された「シンフォニー(交響楽) 的社会科学」である。
森嶋先生は経済学の行き詰まりを打 開するためには社会学、政治学、歴史学、法律学などを総 合したシンフォニー(交響楽)のような学問を作っていくこ とが必要だと言った。
会社の研究はまさにこのシンフォニー 的社会科学が必要なのである。
これまで経営学者は会社の研究をしてきたが、それは会 社の経営という一面しかみていない。
法律学者は会社法の 見地からだけ、そして経済学者は抽象的に企業としての視 点からしか会社をとらえていない。
そこで必要なのは総体と して会社をとらえ、それを体系化することである。

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