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SEPTEMBER 2007 72
物流部長が「コンサルのお礼を」と
突然、大先生の事務所を訪れた
九月も終わりに近いというのに、大先生事務所
の窓から見える道路には夏の日差しが照りつけ、
通り過ぎる車の屋根が眩しく光っていた。 大先生
は、いつもどおり自席で舟を漕いでいる。 事務所は、
弟子たちが外出中で、大先生と女史の二人だけだ。
まどろんだ空気に包まれている。
その静寂が突然破られた。 事務所の扉が勢いよ
く開けられ、「ちわー」という聞きなれた声がした。
大先生がびっくりしたように顔を上げ、不安げに
入り口を見ると、案の定、いまコンサルをしてい
る問屋の物流部長がニコニコしながら立っていた。
「突然すんません。 思い立ったら吉日だと思っ
たものですから‥‥」
大先生が立ち上がり、不機嫌そうにつぶやいた。
「何を思い立ったんだよ、こんな暑い日に」
女史が「いらっしゃいませ」と挨拶し、給湯室
に向かう。 その背中に物流部長が声を掛けた。
「勝手言ってすんませんが、冷たいものをいただ
けますか」
女史が振り返って頷く。 大先生が物流部長に声
を掛ける。
「まあ、お座りな。 それで、突然何の用? 退
職の挨拶にでも来たの?」
「いえいえ、まだ首はつながっています。 今日は
お礼に伺いました」
「はー? 首がつながっているお礼?」
「それもありますが、コンサルが一段落したもの
ですから、社長が、改めてお礼の会を催したいと
言ってますが、その前に個人的にお礼を言いたかっ
たものですから‥‥」
「なにー、あんたがわざわざお礼に?」
「そんなに驚かなくても‥‥」
「驚くよ、そりゃ。 思い立ったって、てのは、
お礼を言おうと思い立ったってこと?」
「はい。 いけませんか?」
「いけなくはないけど、結構律儀なとこがあるん
だな」
「いえ、そう褒められましても」
「褒めてなんかいないよ」
《前回までのあらすじ》
問屋にロジスティクスを導入する2年越しのプロジェクトが効果
検証会議を終えて一段落した。 大先生の指導の下、改革に七転八
倒した物流部長の苦労もようやく報われた。 そんなある日、大先生
の事務所を、物流部長がふらりと訪れた。
湯浅和夫 湯浅コンサルティング 代表︽第
65
回︾
〜ロジスティクス編・最終回〜
湯浅和夫の
73 SEPTEMBER 2007
大先生と物流部長の相変わらずのやりとりに女
史がくすくす笑いながら、冷たいものを持ってきた。
物流部長がそれに口をつけながら、仕切り直しを
するように切り出した。
「しかし、早いもので、先生にご指導いただい
てから、もう二年になります」
「へー、二年になるのか。 ロジスティクスの導入
に二年もかかってるようじゃしょうがないな。 まあ、
あんたが責任者だから二年でできたってのは上出
来か」
「はー、褒められてるのか、けなされてるのか、
とにかく、一応当初目指した段階には到達しまし
た。 これも先生のおかげです」
「いやいや、あんたのおかげだよ」
「いえ、そのー、しかし、ようやく先生にも慣
れました。 最初はどうなることかと思いました」
「理に適った物流」とは何か
大先生が卒業試験を言い渡した
突然、物流部長が妙なことを言い出した。 大先
生は返事のしようがなく、怪訝な顔をしている。
「最初は、ぶっきらぼうで、こわそうな感じでし
たが、ほんとはこわぶってるだけで、意外にやさ
しいんだってことがわかりました」
「あのなー、何言ってるんだ。 そんなこと言いに
わざわざ来たのか?」
明らかに大先生は戸惑っている。 物流部長が先
手を取った感じだ。
「いえ、何というか、振り返って、率直な感想
を述べただけです」
Illustration©ELPH-Kanda Kadan
SEPTEMBER 2007 74
「率直な感想なんて要らないの。 なんかあるだろ、
ほら、勉強になりましたとか目からうろこの連続
でしたとか、ほかに言い方がさ‥‥」
「はー、それはもう勉強になりました‥‥」
「へー、どんなとこがどう勉強になった?」
大先生のいじわる癖が出た。 中途半端な答えを
していると、とことん追求される。
「それはもういろいろありましたが、一番頭に焼
き付いているのは物流を理に適った存在にすると
いうことです。 なんか抽象的な言葉のようですけど、
実は具体的な判断基準になるということを実感し
てます」
「それは、『理に適っているか』ということで常
に判断するってこと? それじゃ、理に適うとい
うのは具体的にどういうこと?」
立場が逆転してしまい、物流部長が一息入れる
かのように、冗談を言った。
「なんか、卒業試験を受けてるようですね。 こ
れで不合格になったらどうなるんでしょうか?」
「職を辞すればいいのさ」
大先生があっさり言う。 予期していたかのように、
物流部長が落ち着いて答える。
「やっぱりそうですか。 えーとですね、これも先
生の受け売りですが、あまり具体的とは言えませ
んが、簡単に言えば、『常識的におかしくないこ
とをしろ』ということだと理解しています。 物流
サービスだっておかしいことが多いですし、在庫
だっておかしいことだらけです。 この常識的にお
かしいことは一切やらないというのが私の判断基
準です」
「合格!」
大先生が大きな声を上げた。 物流部長が嬉しそ
うに手を叩いている。 妙な二人だ。 何だかんだい
いながら、この二人は相性がいいのかもしれない。
賑やかな二人のやり取りに女史が興味深そうに
顔を出し、「コーヒーでもいれましょうか」と聞く。
物流部長が大きく頷いて「お願いします」と答え、
大先生に小さな声で言う。
「こちらのコーヒーは美味しいですよね。 社長も
そう言ってました。 なんというか、やさしい味が
するんです。 やっぱりいれてくれる人によるんで
しょうね?」
「何言ってるんだ。 六グラムの砂糖全部入れて、
美味いも何もあったもんじゃない」
大先生がつっけんどんに言う。 物流部長もめげ
ない。
「先生は格好つけてブラックなんかで飲んでます
けど、死ぬ間際に、一度砂糖をたっぷり入れたコー
ヒーを飲んでみたかったなんていうタイプじゃない
ですか?」
大先生は返事をしない。 たばこをすいながら
そっぽを向いている。 女史がコーヒーを持ってきた。
女史に目配せしながら、物流部長が質問する。
「そういえば、お二人の先生は、今日はご不在
なんですか?」
「はい、仕事で出かけてます」
「それは残念でした。 お礼を言いたかったんです
が」
「はい、私からお伝えしておきます」
「よろしくお願いします」と言いながら、物流
75 SEPTEMBER 2007
部長が大先生に向き直って「そうそう」と思わせ
ぶりに話しかける。
「来月なんですが、大阪の営業部長が自分のと
このロジスティクスの取り組みについて報告する
場が設けられることになりました。 社長が設定し
たんですが、全支店の幹部連中に万難を排して参
加するようにという指示が出ました」
「成功事例を見せてほかの支店に発破をかける
わけだ。 それはいいけど、ほかの支店の取り組み
はどうなっているんだ?」
「はい、私の予想では、支店間で結構差が出る
んじゃないかと思ってたんですが、意外に全部の
支店が前向きに取り組んでます。 社長が先頭に立っ
てますし、大阪のようにすでにうまくやっている
ところもありますので、どこもやらざるをえない状
況に追い込まれているってこともありますが、結
局は、それをやることが自分たちの利益になるっ
てことを理解したからだと思います」
「それに乗り気じゃない支店長はあんたが追い出
してしまったしな」
「そんな人聞きの悪いこと言わんでください」
物流部長が迷惑そうな顔をする。 それにかまわず、
大先生が続けて質問する。
「それで、具体的な成果は出始めた?」
「はい、発注支援のシステムは全支店で動き出
しました。 まだ、そう日は経ってませんが、在庫
は明らかに減ってきています」
「まあ、いままでまったく管理してこなかったん
だから、不必要な発注がなくなるだけで結構減る。
問題はその先どこまで減らせるかだ」
「はい、そのあたりやABCを使った顧客の管
理をどうやるかということについて大阪の営業部
長に話をしてもらおうということなんです」
物流部長の返り咲きを祝って
大先生事務所の宴会が始まった
「それにしても、大阪の営業部長は出世街道まっ
しぐらだな」
大先生が楽しそうに物流部長に言う。 物流部長
が大きく頷く。
「はい、前から将来を嘱望されてはいたんですが、
今回のロジスティクス導入という場を得て、一気
に能力を開花させたという感じです。 彼も先生に
は頭が上がりませんな」
「別におれが開花させたわけじゃない。 自分で花
開いたんだからたいしたもんだ」
「あっ、ついでですが、実は、私、今度ロジスティ
クス本部長に返り咲くことになりました」
「一方は開花し、あんたは返り咲きか。 それはいい。
ところで、そのロジ何とかってのは何をするとこ
ろ?」
「はい、一言で言えば、ロジスティクスの進捗
を監視するところです。 社長は違う言い方をして
ましたけど、私はそう理解してます。 」
「各支店から毎月在庫やABCのデータを集め、
進捗の遅いところや相互に比較して劣っていると
ころがあれば、呼びつけて発破をかけるってわけ
か?」
「はぁー、まあ、そんなとこです。 発破をかける
だけでなく、指導というか支援もします。 今度か
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ら月次決算を導入することになりましたんで、そ
の分析もやることになってます」
「ふーん、あんたにぴったりな仕事だな。 社長か
らは『全社のロジスティクスの進捗がうまくいく
かどうかはあなたの責任よ』なんて言われてるん
だろ?」
「そうなんです、そうなんです。 何でわかるんで
すか? さすがですね」
「さすがも何も、もともと本部ってのはそういう
もんだろ」
「はー、そうらしいです。 部下も何人かつけるっ
て言われました」
「そうすると、本社の営業部長も営業本部長に
返り咲いたってわけだ?」
「あっ、そう言えば、彼から、今度一緒に先生
のところにご報告に行こうなんて言われてたんで
した。 まずいな。 今度また一緒に来ます」
「みんな出世してけっこうなことだ」
「いやー、私らは出世というか、返り咲きですから。
大体あれですよ、一年前にロジスティクス本部長
を命じられたのに、先生が、そんな役職、言いづ
らいから物流部長でいいっておっしゃって降格さ
れたんですからね」
「そんなことあったっけ? 覚えてない。 まあ、
あの頃は実質、物流部長の域を出てなかったから
な。 いまは名実ともにロジスティクス本部長って
ことでいいんじゃないの」
「ありがとうございます。 名実ともにだなんて、
なんか初めて先生に褒められた気がします。 たし
かに、あの頃は、まだロジスティクスってのが何
なのかわかってませんでしたから」
物流部長が素直に答える。 大先生が、また突っ
込む。
「ふーん、いまはロジスティクスの何たるかがわ
かったってことだ。 それは、一言で言うと何?」
大先生の質問に物流部長の表情が変わった。
ちょっと考え込む風をしている。 いつもと違う物
流部長の様子に大先生が身構えた。
物流部長が口を開いた。
「笑わないでくださいよ」
大先生が、拍子抜けしたように苦笑して、興味
深そうに頷く。
「ロジスティクスとは‥‥美しい会社をつくるこ
と、と解したり」
大先生がまじまじと物流部長の顔を見る。 照れ
くさそうに、物流部長が弁明する。
「すんません。 柄にもないことを言いました」
「なーに、言い得て妙。 よし、あんたの返り咲
きを祝って乾杯するか。 おーい、宴会やるぞ」
大先生が女史に声をかけた。
こうして、この問屋のコンサルは一段落した。
ゆあさ・かずお 一九七一年早稲田大学大学院
修士課程修了。 同年、日通総合研究所入社。 同
社常務を経て、二〇〇四年四月に独立。 湯浅コ
ンサルティングを設立し社長に就任。 著書に『現
代物流システム論(共著)』(有斐閣)、『物流A
BCの手順』(かんき出版)、『物流管理ハンド
ブック』、『物流管理のすべてがわかる本』(以
上PHP研究所)ほか多数。 湯浅コンサルティ
ング http://yuasa-c.co.jp
PROFILE ※
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