ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2007年11号
判断学
株主とは誰のことか?

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

NOVEMBER 2007  66 奥村宏 経済評論家 第66回株主とは誰のことか?         株主資本主義論  新自由主義(ネオ・リベラリズム)が世界的な潮流になっ たのは一九八○年代からで、イギリスのサッチャー首相、ア メリカのレーガン大統領によって推進された。
 『新自由主義』の著者、D・ハーベイによると「新自由主 義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を 特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々の企業活動の自由と その能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福 利とが最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論であ る」(渡辺治監訳、作品社、一〇頁)が、この新自由主義と ワンセットになっているのがいわゆる株主資本主義論である。
 「会社は株主のものであり、株主の利益を最大にするよう に経営すべきである」というのが株主資本主義である。
新自 由主義が「会社の利益を最大にするようにせよ」と主張する のに対応して、「会社は株主の利益を最大にせよ」と主張す るのである。
 一般に「会社は株主のものである」というのが株式会社の 原理のように考えられている。
ただその場合の株主というの は個人株主のことであった。
資本家が大株主として会社を支 配している、というのが資本主義だと考えられていたのだが、 一九三〇年代ごろからそうではなくなっていた。
株式の分散 によって大株主がいなくなり、資本家大株主に代わって経営 者が会社を支配するようになった。
 そして一九八〇年代ごろから機関投資家が大株主になった ことで株式会社の構造は大きく変わった。
その機関投資家、 具体的には年金基金や投資信託、さらにプライベート・エク イティ・ファンドなどが大株主になり、それらが「会社は株 主のものだ」と主張し、「会社は株主の利益を最大にするよ うに経営せよ」と言っているのである。
 ところが、彼らのいう株主とは個人株主のことではない。
このことが忘れられているのではないか。
        泥棒資本主義  機関投資家としてアメリカで最も注目されているのは年金 基金である。
その資金を運用しているのはファンド・マネジ ャーであるが、彼らがこの株主資本主義論を唱えているので ある。
資産の運用成績を上げるために彼らが上場会社の経営 者に対して「株主の利益を最大にするような経営をせよ」と 要求している。
これがいわゆる株主資本主義論である。
 では、いったい株主とは誰のことか。
かつてP・ドラッカ ーは、「年金基金の資産は従業員のものだから、ということは、 従業員が大株主になったということであり、アメリカはいま や社会主義になった」のだと『見えざる革命』という本で言 ったものである。
 かりに年金基金が従業員のものだとして、では従業員は 株主としての権利を持っているのか、といえばそうではない。
彼らには年金基金が所有している株を売ることもできないし、 議決権を行使することもできない。
それどころか、自分たち の年金基金がどのような会社の株を持っているのか、という ことさえわからない。
 年金基金の資産を運用しているのはファンド・マネジャー で、彼らが株を買ったり売ったりしているので、従業員は全 くそれに関与していない。
 ということは、本当は何も所有していないファンド・マネ ジャーが大株主として会社を支配し、資産の所有者である従 業員はどんな株に投資しているのかもわからないということ である。
 このことは投資信託の場合でも同じことであるし、さらに 生命保険の場合でもそうである。
そこでは株を所有していな いファンド・マネジャーが他人の所有している株式に基づい て会社を支配しているのだ。
 これはひとことで言って「泥棒資本主義」というしかない。
株主資本主義論はこの泥棒資本主義の主張なのである。
 会社は株主のものであるといわれる。
だが実際に株を売買したり議決権を行使 しているのは、多くの場合自分では株を所有していない年金基金や投資信託など のファンド・マネジャーである。
その彼らが唱える株主資本主義とはいったい何を 意味するのだろうか。
67  NOVEMBER 2007       もはや株式会社とはいえない  株式会社はいうまでもなく株主が出資して事業を行うため に作られたものである。
これは一七世紀はじめのオランダ東 インド会社から現在のアメリカや日本の株式会社にも通じる ところである。
 近代株式会社制度が確立したのは一九世紀なかばであるが、 そこでは株主主権の原則が確立し、株主総会が会社の最高の 決議機関ということになった。
そこでいう株主とはすなわち 個人株主のことであった。
ところがやがて法人である会社が 株主となったり、そして他人の資産を運用している機関投資 家が大株主になるようになった。
 その結果、真の株主=出資者が誰であるのか全くわからな い、という状態になった。
これが二〇世紀末からはっきりし てきたが、よくよく考えてみれば、誰が真の株主か全くわか らないような会社が果たして株式会社と言えるのか、という 問題をわれわれに突きつけているのである。
 株主資本主義論はいかにも株式会社の原点に立ち帰ったよ うにみえるが、もはやそれは株式会社としての実質を失った 状態での泥棒資本主義の主張なのである。
 最近は投資ファンドによる株式の買占め、それによる会社 乗取りが大きな問題になり、それに対する防衛策がいろいろ 論じられているが、真の株主が誰であるかわからない状態で の会社乗取りとはいったい何であるのか、という問題をわれ われに突きつけている。
 いまやアメリカでも日本でも、株式会社の原理は崩れてし まっており、もはや株式会社といえるような存在ではなくな っている。
 ところがこのことも知らずに「会社は株主のものだ」と株 主資本主義論者は主張しているのである。
それは実態を無視 した空虚な理論というよりも、泥棒資本主義の主張だといっ た方がよい。
それは株式会社の危機のあらわれである。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『会社学入門─実学 のすすめ』(七ツ森書館)。
       誰が株主かわからない  このことは最近のように投資ファンドが大きくなると、ま すますはっきりしてきている。
 投資ファンドの出資者になっているのは年金基金や投資信 託などである。
そのファンド・マネジャーは投資ファンドに 資産の運用を任せているのだから、そこでは年金基金の受益 者である従業員や投資信託の受益者である投資家は、自分た ちのカネがどのような株に投資されているのか全くわからな い。
 そして投資ファンドはもちろんのこと、年金基金や投資信 託のファンド・マネジャーは分散投資をすると同時に短期的 に激しく回転売買している。
今日は株主であっても明日はそ うではない、というのが普通である。
 これはいったい何を意味するのか?  真の株主が誰であるのか全くわからない、という状態で、 株式がたえず流動しているということである。
 もちろん株式には議決権があるから、株主総会では機関投 資家のファンド・マネジャーが議決権を行使する。
しかし、 それは自分自身の所有に基づくものではない。
そして議決権 を他に委託するということも行われている。
 そこで上場会社は誰が真の株主であるか、ということを確 かめようとしてもそれができなくなっている。
 日本ではこれまで有価証券報告書を見れば大株主の名前を 知ることができたが、最近は資産管理専門信託銀行が大株主 になっているケースが多くなっており、真の所有者がわから なくなっている。
 そして真の所有者が投資ファンドや年金基金だとしても、 それは「真の所有者」ではなく、他人の資産を運用している だけのことである。
 こうして株主が誰であるのか、全くわからなくなってしま っている。
これが最近の株式会社の実態なのである。

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