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JANUARY 2008 78
奥村宏 経済評論家
第68回中枢を襲った金融危機──サブプライム・ショック
シティグループとメリルリンチ
アメリカのサブプライム・ローン(低所得者向けの住宅ロ
ーン)の焦げ付き問題が世界同時株安をもたらしていること
については、本誌二〇〇七年一〇月号のこの欄で取り上げた
が、その後、問題はさらに深刻化し、アメリカだけでなく世
界の金融資本の中核を襲っている。
アメリカ最大の銀行であるシティグループはサブプライ
ム・ショックで日本円にして一兆九四〇〇億円の損失を
発生させ、アメリカ最大の証券会社であるメリルリンチは
九八〇〇億円の損失を計上した。
そしてシティグループの最高経営責任者(CEO)であっ
たチャールズ・プリンスは退任を余儀なくされ、さらにバン
ク・オブ・アメリカとシティ・グループの合併説がウォール
街で流れているという。 そのバンク・オブ・アメリカにして
も、この問題で七二六〇億円の損失を発生させている。
アメリカだけではない。 イギリスでもノーザン・ロック
銀行で取り付け騒ぎが起こって大きな社会問題になっている。
今後、バークレイズやRBS、HBOSなどの大銀行が巨額
の損失を計上するのではないかと噂されている。
日本では野村ホールディングスが一四五〇億円の損失を計
上し、みずほフィナンシャルグループも一七〇〇億円の損失
を発生させており、今後さらに他の銀行や証券会社にも波及
するのではないか、とおそれられている。
そしてサブプライム・ショックによる株安は世界中の証券
市場を襲い、株価暴落、その後の反発、さらに暴落という局
面を繰り返しているが、問題の深刻さはいっこうに解消しそ
うにない。
これはまさに金融恐慌の一歩前という状態で、世界同時の
金融危機に陥っている。
なぜこのようなことになったのか、そして今後どうなるの
か、世界中の人が注目している。
LTCMの破綻
世界的な金融危機といえば二〇年前の「ブラック・マンデ
ー」を想い起こす人も多いだろう。 一九八七年一〇月一九日、
月曜日、ニューヨーク株の暴落から始まってロンドン、東京
をはじめ世界中の証券市場で株価が暴落した。
その直接の原因はアメリカのFRB(連邦準備制度理事会)
が金利を引き下げようとしているのに対し、ドイツの中央銀
行がそれに協力しなかったということで、金融政策をめぐる
対立が株価暴落をもたらしたのだといわれている。
それから一〇年たって、九七年にはいわゆるアジア危機が
起こり、タイのバーツ切り下げから始まってアジア全体に金
融危機が波及し、株価も暴落した。
そして翌九八年にはLTCM(ロング・ターム・キャピタル・
マネジメント)の破綻による金融危機が起こった。
このLTCMはウォール街の新興勢力であり、ノーベル経
済学賞をもらったマイロン・ショールズとロバート・マート
ンという二人の経済学者が、ソロモン・ブラザーズのトレー
ダーであったジョン・メリウェザーに協力して立ち上げた投
資ファンドだった。 このLTCMの破綻によって金融危機が
発生したのだが、それはウォール街では新興勢力であり、中
枢部門ではなかった。
それ以前、一九八〇年代から九〇年代はじめにかけてアメ
リカではS&Lの危機が発生していた。 S&L(セイビング・
アンド・ローン)というのは貯蓄投資銀行で、日本でいえば
かつての相互銀行に当たるものであり、もちろんこれも中枢
部門の金融機関ではない。
これに対し、今回の金融危機ではウォール街の中枢を担っ
ているシティグループやメリルリンチを襲ったところが特徴
的である。
それだけに今回の金融危機はこれまでの金融危機と違って
深刻であり、世界経済に及ぼす影響も大きい。
アメリカのサブプライム・ローン問題が世界の金融資本の中枢を襲っている。
本来はリスク回避のために登場したセキュリタイゼーション(証券化)の普及が、
逆に誰がリスクを負っているのかわからないという不確実性の問題をもたらしてし
まった。
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新しいニューディール政策を
先にあげたLTCMを立ち上げたショールズとマートンの
二人も金融工学の専門家である。 アメリカではこの分野の経
済学が盛んになり、それがノーベル経済学賞をもらうほどに
なった。
ひとことでいってこの金融工学というのは、いかにして株
や債券などの金融商品の取引で儲けるか、という学問である。
それは経済の分析をするのではなく、もっぱら過去の相場の
データを数学的に解析するというもので、日本のかつてのケ
イ線派の相場学と同じである。
この金融工学を実践することでLTCMは一時は儲けたが、
やがて破綻した。 そして同じように金融工学を利用して証券
化を進めることでサブプライム・ローンも拡大していったが、
最後は世界中を金融危機に陥らせることになった。
ということはLTCMの悲劇からなにも学んでいなかった
から今回のサブプライム・ショックが起こったのだというこ
ともできる。
ただ、これまでは金融危機といっても、中枢部門は健在で
あった。 それだけに連邦準備銀行などが介入することで救済
することができた。 ところが今回は世界の金融資本の中核部
門が襲われたのである。
これまでのところアメリカの連邦準備銀行やヨーロッパの
中央銀行、そして日本銀行が巨額の短期資金を金融市場に放
出し、さらに金利を引き下げることでこの危機を突破しよう
としている。 だが果たしてこれで解決できるのか、多くの人
がそれに疑問を抱いている。
これがすぐに世界的な金融恐慌に発展するとは思えないが、
しかしこの危機は深刻であり、構造的である。 その解決のた
めには一九二九年恐慌に対処した時と同じような政策転換が
必要であり、新自由主義に代わる新しいニューディール政策
を打ち出していくことが求められているのではないか。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『会社学入門─実学
のすすめ』(七ツ森書館)。
証券化が生んだ危険
今回のサブプライム・ショックを起こさせた原因として、
低金利政策によるカネ余り現象があったこと、その責任は
アメリカや日本などの中央銀行にあることについては先にあ
げた本誌の二〇〇七年一〇月号のこの欄で述べたところだが、
さらにいわゆるセキュリタイゼーション(証券化)がこの問
題を起こさせた構造的要因であることを指摘しておく必要が
ある。
住宅ローンを証券化してそれを他に転売していくのがいわ
ゆる証券化で、これが問題を引き起こしたのである。 ABC
M(資産担保コマーシャル・ペーパー)だとかSIV(ス
トラクチャード・インベストメント・ビークル)などという
形で次つぎと転売し、それを銀行や証券会社、あるいは機関
投資家が買っていく。
住宅金融会社が相手にカネを貸した段階では、貸主は借り
手の資産状況を調べて貸しているのだから、そのリスクはあ
らかじめわかっている。
ところがこの融資が証券化されて次から次へと転売されて
いくと、ローンの貸し手は借り手の資産状況など全くわから
ない。
そこでいったんこの融資が焦げつくと、そのリスクをだれ
が負担することになるのかわからないという不安が生じる。
このような金融商品の証券化は住宅ローンだけでなく、い
ろいろな分野で行われている。 これはアメリカにおける金融
工学(フィナンシャル・エンジニアリング)という経済学の
新分野が開拓したものだとされている。
それはリスクを回避する手段として開発されたのだが、そ
れがとんでもないリスクを生んだのである。 というよりも、
それはリスクではなく、不確実性(アンサーテンティ)の問
題であり、だれがリスクを負っているのかわからないという
ことである。
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