ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2008年2号
keyperson
新井洋一 日本大学総合科学研究所 教授

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

FEBRUARY 2008  2 内の上層階は、夏場は四〇度を超え る暑さです。
エアコンなしにはとても 働けない。
作業員の通勤の足を確保 するのにも苦労しました」 ──港湾地区の保税センターに物流を 集約するというアイデアは、今でも十 分に先進的な取り組みと言えます。
 「そのために試行錯誤が避けられな かった。
もともとマイカルの物流は、 日本の小売業としては先進的でした。
マイカル、かつてのニチイは衣料品、 とりわけ下着類の販売で大きくなった 会社です。
下着類というのは消耗品 であり、今年売れ残っても来年には 売れる商品です。
そして調達は、ま とめ買いすると安くなる。
そのために ニチイは小売業でありながらも倉庫が 必要だった。
そういう成り立ちだった ため、小売業としてはいち早く物流 管理を身につけていた。
総合物流の ノウハウには自信を持っていました」  「ところが一九九〇年代に入って、 同じ衣料品の分野でユニクロが台頭し た。
中国から安い商品を大量に買い付 けて日本で販売するという、いわゆ る“ユニクロモデル”で市場を席巻し たわけです。
同じようなことはマイカ ルもしていました。
東南アジアに物流 センターを置いて、日本の方面別に直 送するという物流も昔から手がけてい た。
けれども、ユニクロほどシステム 国際調達戦略の誤算 ──昨年末にイオンは、「マイカル国 際流通センター」を解散しました。
九 八年の設立から約四年間にわたって 新井さんは同センターの会長を務めて いました。
 「その通りです。
同センターは外貿コ ンテナターミナルの目の前に立ち、そ こで陸揚げした輸入荷物を横持ちし ないで処理することを狙った施設でし た。
それを可能にする我が国初の総 合保税地域というのが、拠点を誘致 した第三セクター(かわさきファズ) の売り文句でした」  「当時のマイカルの会長(故・小林 敏峯氏)はその言葉をそっくり信じ て進出を即決してしまったようです。
かわさきファズから約一万坪の倉庫を 借り受け、二〇年間の賃貸契約を結 び、マイカルが七〇%、三井物産が三 〇%を出資して、オーダーメイドの物 流センターを建設しました。
しかし結 局、目の前のコンテナ埠頭からそのま まセンターに搬入された貨物は、私が 会長に就任していた四年間で一つも なかった」 ──なぜですか。
 「川崎港にほとんどコンテナ船が来 なかったからです」 ──なぜ来なかったのでしょう。
その ために国はバースを作ったはずです。
 「国の政策というのは、バースを作 れば、いずれコンテナ船も寄港するよ うになるだろうというぐらいのもの であって、細かいところまで考えら れているわけではありません。
マイ カルに独力でコンテナ船を呼べるよう な力があるわけでもなかった。
その点、 誘致側のビジネストークを真に受けて しまったのは甘かったと言えるのかも 知れません」  「現場の我々にも色々と思惑違いは ありました。
他に国際物流センターの お手本があるわけでもなく、やって みて初めてわかったということがたく さんあった。
例えば大量の輸入貨物 を保管することを想定して倉庫の天 井は大変に高くした。
ところが実際 にはスルー型の物流がメーンになった ため、結果として非効率な構造にな ってしまった。
保管を効率化するた めに導入した各種の自動化機器も役 に立たなかった」  「なかでも一番の問題は、大量の庫 内作業員が必要になったことです。
庫 内作業員をそれほど必要としない前 提で設計していたため、ロッカーや休 憩所などが大幅に不足した。
庫内に はエアコンもなかった。
密閉された庫 新井洋一 日本大学総合科学研究所 教授  マイカル国際流通センターが昨年暮れ、静かに姿を消した。
経営 破綻からイオンに傘下入りしたマイカルが「かわさきファズ」に構え た国際調達物流拠点だ。
かわさきファズは国が輸入促進を狙って開 発を進めた全国二二の自由貿易ゾーンの一つ。
開発には巨額の税金 が投入されたが結局、期待通りには機能しなかった。
(聞き手 大矢昌浩) 「日本の港湾業にはサービス意識が必要だ」 3  FEBRUARY 2008 化してはいなかった。
そこに当時の会 長が『これからは国際調達の時代や。
負けたらあかん。
中国担当は何しと るんだ』とハッパをかけたんです」  「今後は生産拠点がアジアにシフト する。
それならば物流を港に集約す れば有利だろうという発想から、総 合保税地域にセンターを建てた。
しか も、このセンターはマイカルだけのも のにするのではなく、他のチェーンス トアにも一緒に使ってもらう。
ライバ ルのチェーンストアでも物流は共同化 しようというのが当時の会長の考え でした。
結局その後、マイカルは経営 破綻に陥ってしまうわけですが、少 なくともロジスティクスの考え方自体 には合理性があったと思います」 ──マイカル国際物流センターの設立 から既に一〇年が経過しました。
こ の一〇年で日本のロジスティクスは進 化したでしょうか。
 「少なくとも経営における位置付け は変わりました。
今の経営者は誰もが、 情報とロジスティクスを経営の重要な 要素だと認識している。
ロジスティク スが専門家だけの言葉ではなく、経 営の言葉になった。
一〇年前は違い ました」 ──ところが日本の港湾は逆にこの一 〇年で、アジアのライバル港に大きく 差を付けられてしまいました。
ろが港湾業の経営層は、荷主ではな く従業員のほうを向いている」 ──日本の港湾はしがらみが強く、新 規参入もほとんどありません。
 「港の仕事にしがらみがあるのは日 本だけの話ではありません。
港湾の 仕事には常に危険がつきまとい、日々 の仕事量にも波がある。
労働力を安 定確保するのは容易ではありません。
しかも、港がストップすれば経済全体 が停滞してしまう。
港の機能を維持 するのに、一定のルールが必要である ことは確かです」  「しかし、コンテナ化に伴って港の仕 組みは大きく変わりました。
荷主にと っての在庫の持つ意味も大きく変わっ た。
そのために港湾機能のスピードア ップなどが必要になっている。
誰しも 理屈はわかっています。
それを実際に どう進めていくのかを検討する段階に、 時間はかかりましたが、ようやく日本 もなってきたとは思っています」  「日本の港の取扱量がアジアの港ほ ど増えない、量で負けること自体は やむを得ない面もあります。
日本企 業が生産拠点を中国や東南アジアに移 すことで、港湾の取扱量に差がつい てしまうのは致し方ない。
それより も深刻に受け止めるべきなのは、サー ビスの質の点で負けていることです」  「質にはハードとソフトの両面があ ります。
まずハード面では、船の大型 化に対応できていない。
一万TEU 級(TEU = 二〇フィートコンテナ) の超大型コンテナ船が必要とする水深 一六メートルのバースの建設で、日本 はライバルに立ち後れた」 ──なぜですか。
 「投資を分散させたからです。
韓国 の港湾が強いのは、投資を釜山に集中 しているから。
ところが日本は投資 先を絞りきれなかった。
『スーパー中 枢港』として、京浜港、阪神港、伊 勢湾に集中投資するようになったの は、つい最近のことです。
さらには、 港の整備は進んでも、港と幹線道路 を結ぶアクセス道路が整備されていな い。
大型のコンテナを陸送できる道路 も限られている」  「もっともハードについては、カネ さえかければキャッチアップは不可能 ではない。
ソフトは、そう簡単では ありません。
一つはスピード。
船が港 に入ってから出て行くまで、ライバル 港が一日で処理するところを日本は 三日かかる。
最近はいくらか改善さ れてきたとはいうものの、それだけ 荷主は在庫を多く持つ必要がある」  「小売りの立場から見ると、この三 日というリードタイムは決定的です。
港で三日かかると、店頭に商品を並 べるタイミングは事実上一週間遅れ ることになる。
その間に発生する販 売機会の損失は、在庫量のように決 算書の数字には現れなくても相当の 額に上ることは明らかです」  「二つ目はサービスの値段です。
現 状よりも三割程度は安くならないと国 際競争力はない。
日本人の人件費が 割高なのは仕方ないにしても、競争原 理が働いていないのは問題です。
そし て三つ目が営業時間。
二四時間稼働 がなかなか実現しない。
情報処理も いまだに多元的で統合されていない」 港湾業の顧客は誰か ──なぜニーズに対応できないのでし ょうか。
 「港湾業にサービス業としての意識 が欠落しているからだと思います。
自 分たちが誰からお金をもらっているの か。
普通の商売であれば、組織の上 から下まで痛いほど分かっている。
港 湾業であれば顧客は荷主です。
とこ あらい・よういち 1941 年生まれ。
64 年、日本大 学理工学部卒。
同年、運輸省入省 (港湾局)。
関西国際空港社長付審 議官、第5 港湾建設局長等を歴任。
93 年、東京臨海副都心建設常務。
95 年、マイカル常務。
98 年、マイ カル国際流通センター会長。
2001 年、日本大学総合科学研究所教授。
06 年、NPO リサイクルソリューシ ョン理事長。
現在に至る。
03年よ り日通総合研究所顧問も務める。

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