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MARCH 2008 72
奥村宏 経済評論家
第70回よみがえる世界恐慌の危機
十三兆円の損失
シティグループ三〇三億ドル、メリルリンチ二五〇億ドル、
バンク・オブ・アメリカ一二〇億ドルなど、アメリカの大手
金融会社一〇社が昨年一〇〜十二月期に計上した損失は合計
で一三〇〇億ドル、日本円にして十三兆八〇〇〇億円に達し
た。
想像を絶するこの巨額の損失額を見て世界中が驚いたが、
それはまさに一九二九年の世界大恐慌を想い出させるもので
あった。
大手一〇社のうち銀行はシティグループのほかJPモルガ
ン・チェース、バンク・オブ・アメリカ、ウェルズ・ファ
ーゴ、ワコビアの五社で、残りの五社はゴールドマン・サッ
クス、モルガン・スタンレー、リーマン・ブラザーズ、ベア・
スターンズ、メリルリンチという証券会社である。 いずれも
アメリカというよりも世界を代表する金融資本である。
この一〇社のなかから倒産する会社が出てきたらどのよう
な対策をとるのか、ということがいまアメリカで大きな問題
になっていると伝えられている。
シティグループについてはアブダビ、クウェート、シンガ
ポールなどの政府系投資ファンドから出資を仰ぎ、そしてメ
リルリンチについてもクウェート、韓国などの政府系投資フ
ァンドと日本のみずほホールディングスが出資することにな
っているが、それだけではこの危機を乗り切ることはできな
いのではないか。
サブプライム問題はこうしてまさに世界の金融資本の中枢
を襲い、その存立を揺るがす大事件となった。
そしてウォール街が中近東やアジアの開発途上国によって占
領されるのではないか、という声がアメリカやヨーロッパで起
こっている。 かりにこの一〇社のうち一社でも倒産する会社が
でてくれば、それはまさに世界恐慌の引き金になるだろう。
世界中がいま固唾を呑んでその行方を見守っている。
一九二九年の世界大恐慌
一九二九年一〇月二四日、ニューヨーク証券取引所で株価
が暴落し、人びとはこれを「暗黒の木曜日」と呼ぶようにな
った。
これがいわゆる世界大恐慌といわれるもので、この株価暴
落で自殺する人が続出した。 ウォール街の高層ビルの頂上に
一人の職人が何かの修理のために現れたのを見て、群衆は彼
が自殺するつもりなのだと思い込んで、彼が飛び降りるのを
いまか、いまかと待ち受けていたという。
これはアメリカの有名な経済学者J・K・ガルブレイス
の『大恐慌』という本のなかに書かれているエピソードだが、
その後も株価暴落は続き、それによって一九三三年までに
六〇〇〇の銀行が倒産し、失業者は一三〇〇万人に達し、ア
メリカの全労働者の二五%が失業するという状態になった。
このニューヨーク株式の暴落は世界中に拡がり、ヨーロッ
パはもちろん日本でも大打撃を受けたことはいうまでもない。
なぜ株価が暴落したことが銀行の倒産につながったのか?
当時のアメリカでは銀行の子会社が証券業を営んでおり、
株価が下がることによって証券会社が打撃を受けると、それ
が親会社である銀行本体にまで及んできたのである。
この痛い経験からアメリカでは大恐慌のあと、ルーズベル
ト大統領のニューディール政策によって銀行が証券業務を兼
業することを禁止した。
ところが今回のサブプライム問題では、銀行は住宅金融部
門に力を入れてさらにそれを証券化して販売するということ
をしており、証券会社も同じようなことをしていた。
なぜこれほど巨額の損失を出したのか、という明細はまだ
報道されていない。
いわゆる規制緩和政策によって、政府が銀行を規制してい
なかったことが、このような結果につながったのではないか
といわれている。
サブプライム問題の出口が見えない。 世界を代表する金融機関の倒産説までさ
さやかれ始めている。 事態が収束しない一因はアメリカ政府の対応にある。 しか
し本当の危機は、これが第二次世界大戦以来続いてきたドル支配体制の終焉の始
まりだということなのだ。
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ドル支配体制の終焉
今回のサブプライム危機がすぐに世界大恐慌にまで発展す
るとは多くの人は考えていないだろう。 しかし、これが単な
る一時的な問題で、やがて時間が経てば元通りになるだろう
と考える人もいないだろう。
今後、この危機がどこまで進展するかということは、ひと
つにはアメリカ政府がどのような対策を打ち出すかにかかっ
ている。 もし有効な対策が打ち出されなければ金融恐慌に発
展する可能性は十分にある。
それと同時に今回のサブプライム危機がドル支配体制の終
焉を告げるものだということを意味していることを忘れては
ならない。 それはシティグループやメリルリンチが中近東や
アジアなどの政府系投資ファンドから援助を受けているとい
うことに象徴的に表れている。 それは単なる資金援助ではな
く、資本金に出資するというものである。
世界経済におけるドル支配体制は第二次世界大戦後に確立
した。 その後、一九七〇年代になってニクソン・ショックに
よってそれが一時揺らいだ。 しかしその後もゆがめられた形
でドル支配体制は続いた。 それはアメリカが巨額の経常赤字
を出し続けながら、日本や中国などがアメリカ国債を買うと
いう形でドル支配体制を支えていたのだが、それがもはや維
持することができなくなっている。
サブプライム危機によってドルの下落が続いているのはそ
のことを意味しているのであり、このことが世界経済の混乱
をもたらすことになり、それが金融恐慌につながっていくお
それがあるのだ。
事態はこのように深刻なのだが、ブッシュ大統領も、そし
て日本の福田首相も、まるでそのことがわかっていない。 危
機であるのに危機だという認識がない。 これほどの危機はな
いというしかない。 サブプライム問題が意味しているのはこ
のようなことなのだ。
フーヴァーとブッシュ大統領
一九二九年の世界大恐慌の時のアメリカの大統領はハーバ
ート・フーヴァーであったが、彼は大恐慌が始まる直前まで
「好景気はもうそこまで来ている」と発言していた。
そして株価暴落によって大恐慌が起こってもなんら有効な
対策をとらなかった。 その後出した対策はいずれも「小さす
ぎ、遅すぎ」た。 彼が金融機関の救済のために動き出したの
は、イギリスが金本位制を離脱してアメリカでもいちだんと
不況色が濃くなった一九三一年以後になってからであった。
今回のサブプライム問題ではどうか?
ブッシュ大統領は昨年八月八日、サブプライム問題が発生
した直後「アメリカ経済は堅調なペースで成長を続けている」
とし、「当面は市場に任せて静観する」と発言していた。
それはまさに八〇年前の時のフーヴァー大統領と同じでは
ないか。
その後、問題が深刻化するとともにブッシュ政権もさすが
に静観することはできなくなり、減税を柱にした対策を打ち
出したが、これまたフーヴァー大統領の時と同じように「小
さすぎ遅すぎ」た。
今年一月二九日の一般教書演説でブッシュ大統領は「われ
われの経済は不確かな時期を迎えている」と言っている。 だ
がサブプライム問題に対して別段新しい政策は打ち出してい
ない。
フーヴァー大統領のあと一九三二年の大統領選挙で当選し
たフランクリン・ルーズベルトはいわゆる「ニューディール
政策」を打ち出して、アメリカ経済を建て直そうとしたこと
はよく知られている。
これに対し今年十一月の大統領選挙に立候補している共和
党、民主党のいずれの候補者からも、ルーズベルト大統領の
ニューディール政策に匹敵するような政策は打ち出されてい
ない。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『会社はどこへ行く』
(NTT 出版)。
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