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奥村宏 経済評論家
第72回規制緩和という悪夢
MAY 2008 70
ベアー・スターンズ救済劇
サブプライム問題はアメリカ金融資本の中枢を襲い、証券
会社(投資銀行)大手のベアー・スターンズが倒産の危機に
陥った。 そこで三月一四日、ニューヨーク連銀がベアー・ス
ターンズに対して三〇〇億ドルの資金援助をすると発表、そ
して一六日、銀行大手のJPモルガンがベアー・スターンズ
を救済合併すると発表した。
その際、JPモルガンはベアー・スターンズの株を一株二
ドルで買収すると発表したが、これでは余りにも安すぎると
ベアー・スターンズの株主が反対したところから、JPモル
ガンはこれを一株一〇ドルに引き上げると訂正した。
以上がこれまでの動きだが、サブプライム問題がウォー
ル街の中枢を襲っているということについては本シリーズの
六八回(二〇〇八年一月号)で論じたし、そしてこれが世界
恐慌の再発につながる可能性があるという点についても本シ
リーズ七〇回(同年三月号)で論じたところだ。 もしベアー・
スターンズが倒産したとしたら、それこそ一九二九年の世界
大恐慌以来の大変事となっていただろう。
だからこそ連邦準備銀行が巨額の資金を投入してこれを救
済しようとしているのだが、それは一九九七年の日本におけ
る山一証券の倒産を想い出させる恐怖の救済劇であった。
ベアー・スターンズの救済は、最終的にはニューヨーク連
銀が二九〇億ドルの特別融資をし、残り一〇億ドルをJPモ
ルガンが負担するということになった。 だがニューヨーク連
銀は日本でいえば日本銀行に当たり、その資金は公的資金で
ある。
公的資金を投入するのであれば、当然のことながら政府が
これを規制しなければならない。 そのためアメリカ財務省は
銀行だけでなく、証券会社や投資ファンドなど金融実務を営
むすべての会社に対してFRB(連邦準備制度理事会)によ
る規制を強化すると発表した。
銀行と証券の分離
一九二九年十一月、ニューヨーク株式が暴落したところか
ら世界大恐慌が起こった。
当時、アメリカの銀行は子会社を通して証券業務を行って
いた。 そこで株価が暴落すると、銀行の子会社である証券会
社が倒産し、そのあおりで銀行が倒産した。 そのため銀行に
預金をしている人たちが慌てて預金を解約しようと銀行の店
頭に行列を作って並んだ。
これが世界恐慌にまで発展したため、ルーズベルト大統領
の時代になってアメリカでは銀行と証券会社を完全に分離し、
銀行の証券業務を禁止した。 これが一九三三年のグラス・ス
ティーガル法である。
日本でも戦後になってこの規制を導入し、銀行と証券を分
離してきた。 そのため日本でもこれまで何回か株価暴落はあ
ったが、それによって銀行が倒産するということはなかった。
もちろん世界恐慌がその後起こらなかったのにはさまざま
な要因がある。 しかし株価暴落があってもそれが銀行倒産に
すぐにはつながらなかったのは、銀行と証券を分離していた
からである。
ところが一九七〇年代ごろからアメリカでは流れが変わり、
規制緩和ということが大きな政策課題となってきた。 それが
やがて銀行と証券の分離という規制をも緩和するという方向
へ向かい、やがて一九九〇年代になるとグラス・スティーガ
ル法を廃止するというところまでいった。
日本でもそれに同調して銀行がまず国債の販売をするよう
になり、やがて投資信託や債券の販売をやりだした。 そして
銀行と証券会社が同じ持株会社の傘下に入るというような事
態にまで至った。
そうした果てに起こったのが、今回のベアー・スターンズ
救済劇である。 そこで当然のことながら、規制強化を主張す
る声がアメリカ内部から起こったということである。
米証券大手ベアー・スターンズの救済に公的資金が投入されることになった。
これに合わせて米政府は金融機関に対する規制強化に動く。 80 年代から続いた世
界的な規制緩和の流れが変わった。 その理論的支柱となってきた新自由主義は今、
大きな転機に立たされている。
71 MAY 2008
新自由主義の行詰り
一九七〇年代は世界的にみて、戦後の経済成長が終わり、
石油危機の発生にみられるように世界経済が大きな曲がり角
に立った時代だった。
巨大株式会社は利
プロフィット・スクイーズ
潤圧縮状態に陥り、株式会社の危機が叫
ばれるようになった。 これに対する救済策としてまずアメリ
カで出てきたのが規制緩和政策であった。 大企業に対する規
制を緩和すれば儲かるようになるというわけだ。
この規制緩和政策は民主党のカーター政権のもとで始めら
れた後、次の共和党のレーガン政権で大々的に行われ、それ
が現在のブッシュ政権まで続いている。
一方、イギリスでは国有企業の私有化(民営化)がサッチ
ャー政権のもとで行われたが、これも株式会社の危機対策で
あった。 そして日本では規制緩和と国有企業の民営化が両方
行われてきたことはよく知られている。
この規制緩和と国有企業の私有化は巨大株式会社の危機対
策として行われ、それなりの効果を発揮し、大企業の利潤も
回復したかにみえた。
しかし、その結果はやがてサブプライム危機を招き、今回
のベアー・スターンズ救済劇となって現れた。
これで歴史は一回転して、一九七〇年代の元の状態に帰っ
たということではないが、しかし改めて規制強化が叫ばれる
ようになった、というわけである。
規制緩和と国有企業の私有化という政策を支えたのが、い
わゆる新自由主義であることはいうまでもない。 F・ハイエ
クとM・フリードマンを教祖とする新自由主義は一九八〇年
代から世界の主流思想となっていたが、それがいま大きな壁
に突き当たったのである。
規制緩和、それを支える新自由主義という思想がいまこう
して大きな転機に立たされているが、では新自由主義に代わ
るものは何か。 それが求められているのだ。
規制緩和の産物
アメリカで規制緩和ということが大きな政策課題となった
のは一九七〇年代、民主党のカーター政権の時代であった。
そこではまず航空運賃の規制緩和が行われた。 それまで航
空運賃は公定料金であったのを自由化したのである。 次に行
ったのが証券手数料の自由化である。 それまで株式の売買手
数料は証券取引所で決めていたが、これを自由化して、それ
ぞれの証券会社が自由に決めてよいということになった。
この証券手数料の自由化は一九七五年五月一日から行われ
た。 当時私はこの模様を見るためにニューヨークに行ってい
た。 アメリカでは当時、これを「メイデー」と言っていた
が、それは五月一日がメイデーであると同時に、無線通信で
「メイデー」というのは「緊急事態が発生した、助けてくれ」
という意味でもあるからで、ウォール街でその緊急事態が発
生したというわけである。
この証券手数料の自由化はやがてイギリスにも飛び火し、
一九八〇年代になってサッチャー政権のもとで「ビッグバン」
という名前で導入されることになった。 それは「宇宙ができ
る時の大混乱」と同じような混乱が起こるだろうという意味
でつけられたのである。 そして日本でも一九九〇年代になっ
て橋本内閣のもとで「日本版ビッグバン」という名前で証券
手数料の自由化が行われた。
規制緩和はこうして証券手数料の自由化という形でまず導
入され、それがやがて銀行と証券の分離という規制を緩和す
るというところへ発展した。
その結果起こったのが今回のベアー・スターンズの事件で
あった。 JPモルガンという銀行がベアー・スターンズとい
う証券会社を事実上、合併するのであるが、それに公的資金
を投入する以上、証券会社に対して規制を加える必要がある。
というより証券会社を規制していなかったことが今回のよう
な事態を招いたのだ。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『会社はどこへ行く』
(NTT 出版)。
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