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JUNE 2008 52
生が満更でもない顔で頷く。 大先生は在庫管
理のコンサルが一番好きだと公言しているが、
それが表情に出ている。 在庫は、論理的で因
果関係が明快に出るのが好む理由らしい。
「それにしても、おれの本より売れてる本
があるんだ? もっと売れる本を出さないと
‥‥」
「はい、出しましょう」
大先生の独り言に編集者が勢いよく相槌を
打つ。 大先生は返事をしない。 編集者氏が続
ける。
「実は、当社で昨年からビジネス書の新シリ
ーズを手がけておりまして、そのシリーズに
在庫管理を入れたいと思い、この分野では第
一人者の先生に書いていただきたいと、こう
して伺った次第です」
「それなら、その一番売れてる著者に書い
てもらえばいいじゃないか?」
大先生は妙に拗ねている。 一番じゃないデ
ータを見せられて、なんか引っかかっている
ようだ。 編集者氏は大先生の言いがかりにも
動じない。
「いえ、一番と言ってもそんなに差がある
わけではありませんし、それに、両方を読み
比べて、私は先生の本の方に好感を持ちまし
た。 それで、是非先生にお願いしたいと考え
ております。 よろしくお願いします」
編集者氏が頭を下げるのを見ながら、大先
在庫削減は禁煙と一緒だ──在庫本の執筆の依頼に事務所を
訪れた書籍編集者を、いつもの禅問答でからかう大先生。 皮肉
たっぷりに在庫管理の基礎知識を解説していくうちに、在庫に
まつわる世間の誤解と俗説を断つ説法に火がつき始めた。
湯浅和夫の
湯浅和夫 湯浅コンサルティング 代表
《第67回》
在庫管理の土壌を作れ
大先生の日記帳編 第9 回
在庫管理の本の執筆依頼
鬱陶しい雨が降り続いているせいか、大先
生はいつになく元気がない風情だ。 自分で喫
煙場所と決めている会議テーブルで、窓の外
の銀杏の葉に降りそそぐ雨を見ながら、たば
こを喫っている。 なぜかわからないが、とき
どきため息をついている。
そこに今日の来訪者が登場した。 ある出版
社の編集者だ。 大先生に在庫管理の本を書い
てほしいという依頼に来たのである。
「電話では、在庫管理の本って言ってたけ
ど、なんでまた? 在庫管理の本なんぞあま
り売れないだろうに?」
挨拶をして座った途端、大先生からそう問
われて、編集者氏はちょっと面食らったよう
だ。 「はー、えーとですね」とか言いながら、
鞄からファイルを取り出し、そこから一枚の
紙を抜き出して、大先生の前に置いた。
「これをご覧ください。 ある大手書店のこ
こ半年の在庫管理の本の販売実績なんです
が、もちろん本によって差がありますが、総
じて着実に売れてます。 最近、在庫について
の関心が高いようで、若干ですが、売れ行き
が伸びています」
「ふーん、在庫についての関心が高まって
いるのか‥‥それは結構なことだ」
本別の販売実績の数字を見ながら、大先
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生は「ふーん」と言ったきり諾否を明らかに
しない。 そんなことにはかまわず、編集者氏
が別の紙を取り出して大先生に見せる。 そこ
には「企画案」とある。 大先生がそれを取り
上げる。 編集者氏が説明しようとするのを大
先生が手で制する。 一通り読んで、大先生が
確認する。
理論は常に正しい
「理論と実務の融合ってのが、このシリー
ズの目玉ってこと?」
「はい、理論を実務にいかに適用するかと
いうところにポイントを置いています。 理論
ばかりでも、『そんなことわかっているよ。 そ
れをどうやってうちに適用するかが問題なん
だ』という不満が残りますし、実務ばかりの
読み物風で理論的な根拠のないものも実務書
として不十分だと思ってます」
編集者氏の熱弁に大先生が頷く。 それを見
て、編集者氏がやや独断的な意見を吐く。
「実は、在庫管理の本には、意外と理論と
実務が融合されたものは少ないんです。 多く
は、理論に偏ってます。 その点、先生の‥
‥」
「もう褒めるのはいいから。 わかった、書
くことにする」
大先生が簡単に承諾する。 大先生の言葉を
聞いて、編集者氏がほっとした顔をする。 そ
の顔を見ながら、大先生が念押しする。
「ただ、あれだよ、理論は常に正しい存在
なんだよ。 正しくても実務的には受け入れら
れないことがある。 特に物流や在庫の世界で
は、それが顕著。 それをどう実務に受け入れ
られる土壌を作るか‥‥それが融合ってこと
だ」
「はい、まったく同感です。 そうですか、在
庫の世界では、理論は簡単には受け入れられ
ない存在ですか?」
編集者氏が、「やっぱり」という表情をす
る。
「おたくは在庫の本を多く読んでるようだ
からわかるだろうけど、みんな似たようなこ
とが書いてあるだろ? そもそも在庫とは何
かから始まって、在庫とは製品、商品、半製
品、原材料などに分かれるだとか、在庫はな
いに越したことはないけど在庫ゼロでは企業
活動に支障が出るだとか、四つの発注法を紹
介したり、実務的にはあまり意味のないEO
Q( Economic Order Quantity:経済的発
注量)の解説があったり、それと安全在庫の
算出法とかABC分析を説明したりといった
理論的な話はどの本にも書いてある」
「はい、おっしゃるとおりです」
「でも、それらは実務的にはほとんど使い
物にならないと言って間違いない。 まあ、す
ぐに実務に使えるとしたら、せいぜい回転率
を使った在庫評価の方法だとか棚卸のやり方、
倉庫での現物管理の方法だとか、他部門と関
係しない部分かな?」
「そうですか、そこが重要な点だと思うの
ですが、使い物にならない、というのは‥
‥」
「在庫管理の土壌ができていないからさ」
「土壌ですか?なるほど、融合という点か
らすると本質的なところですね?」
編集者氏がわかったようなわからないよ
うなことを言う。 大先生がたばこを取り上げ、
火をつける。 煙を吐き出しながら、「ちょっ
と解説をしようか」と言う。 編集者氏が大き
く頷く。
「要するに在庫管理というのは、突き詰め
れば、仕入商品の場合は発注次第ってこと。
生産がかかわる場合は生産計画次第ってこと
さ。 そして、在庫管理は、基本的には出荷
動向をベースに行う。 その出荷動向をベース
にするという考え方が発注や生産計画にすん
なり受け入れられるどうかってことだな。 単
純な例を出してみようか?」
編集者氏が、頷きながら大先生をじっと
見ている。 たばこの灰を灰皿に落としながら、
大先生が続ける。
「たとえば、たくさん仕入れれば、あるい
はまとめて作れば安くなるって考え方が支配
的になっていれば、出荷動向をベースにする
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という在庫管理の考え方は受け入れてもらえ
ない。 つまり、発注や生産計画に在庫管理の
理論がどこまで浸透できるかどうかってこと。
企業内の力関係、というか部門間の利害関係
が、在庫管理の一つの制約条件になっている
ことは明らかな事実だ。 だから、理論的には
正しいのだけど、なかなか受け入れてもらえ
ないというのが現実の姿といえる」
「ということは、先生のお仕事である在庫
管理コンサルというのは‥‥」
「そう、察しがいいね。 その土壌をいかに
作るかということが重要になる」
「土壌というのは具体的にはどういう‥‥」
編集者氏は、いろいろ聞きたいのだけれ
ど、何をどう聞いたらいいかわからないらし
く、中途半端な質問を繰り返す。 その顔を見
ながら、大先生がちょっとからかう。
「ドジョウと言えば決まってるよ、やっぱ柳
川でしょう。 もっとも、おれは食わないけど。
あんたは食べられる?」
編集者氏が、なんと返事をしたものかと困
惑の表情をする。
「まあ、それはいいとして、その在庫管理
の土壌だけど、それがあるってことは、要す
るに在庫を管理しようという意識が全社的に
あるってことさ。 部門の利害より在庫管理の
考え方を適用した方が全社的には好ましい結
果を生むということが理解されているってこ
庫を減らせという指示が出されている。 そこ
で、期末になると、仕入や生産を調整して、
無理に在庫を減らしているところが少なくな
い。 でも、期末を過ぎるとまた在庫が増え始
める。 その繰り返し。 それは在庫管理ではな
い」
大先生が断定的に言う。 編集者氏が黙って
大先生の次の言葉を待っている。
「笑い話でよくこういうことが言われる。 在
庫削減は禁煙と一緒だって。 どういうことか
わかる? 『禁煙なんて簡単さ。 おれなんか
何度もやってる』というのをもじって『在庫
削減なんか簡単さ、うちなんか何度もやって
る』ってこと。 これは、適正な在庫量を維
持し続ける在庫管理とはまったく違う取り組
み」
編集者氏が大きく頷き、「小手先の在庫削
減ではなく、常時削減された状態を保つのが
在庫管理ってことですね」と確認する。
「そう。 あっ、知ってるだろうけど、上場
企業には、今年度から四半期決算が義務づけ
られるから、四半期ごとにそんな小手先の在
庫削減をやるってことは無理だな。 いよいよ
本来の在庫管理の導入が必要になる」
「そうですね。 そんな手はもう無理ですね」
編集者氏がわが意を得たりという顔で相槌
を打ち、恐る恐るという感じで質問する。
「先ほど、先生は、在庫管理は出荷動向を
とだ。 言うまでもなく、そのような土壌がな
ければ、そもそも在庫を管理しようという意
識がないんだから、そんなとこに在庫管理の
理論や技法など持ち込んでもどうにもならな
いさ。 そうだろ?」
「はい、たしかに。 なんか、最近の風潮で
はキャッシュフローという点から在庫への関
心は高いと思うのですが、そんなものなんで
しょうか、在庫管理の位置づけというのは?」
「まあ、総じて言えば、そんなものだろう
な。 もちろん、多くの企業で、トップから在
湯浅和夫の
Illustration©ELPH-Kanda Kadan
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ベースにするとおっしゃいましたが、出荷動
向というのは一定期間の日々の出荷量の平均
値だと思うのですが、その平均値に在庫日数
を掛けた分だけ発注していればいいというこ
となんでしょうか?」
「だから、それをベースにするって言った
ろ?たとえば、毎週一回発注していて、リー
ドタイムが一カ月だったとすると、一カ月後
に必要となる一週間分の在庫量を発注すると
いうことになる。 安全在庫を別にすると、そ
れが発注量算定の基本だ。 それはいいね?」
「はい、毎週一回発注するということは、在
庫は一週間分持つということですね? 安全
在庫を別にすれば、在庫量は発注頻度によっ
て決まる‥‥」
在庫管理に「予測」は存在しない
編集者氏の答えに、大先生が大きく頷き、
「さすが、在庫管理の本をよく読んでいる」
と褒める。 編集者氏が満更でもなさそうな顔
で「いえいえ」と顔の前で手を振る。 それを
見ながら、大先生がさらに質問する。
「さて、その一週間分の量はどう決める?」
大先生お得意の「相手に考えさせるやりと
り」が始まった。 編集者氏がちょっと緊張気
味に座りなおし、言葉を選ぶように答える。
「えー、一カ月先ですから、一カ月先にど
れくらいの量が必要になるかを予測します」
「予測って、よく使う言葉だけど、何を予
測するの?」
「えーと、たとえば、季節的に出荷が増え
るかどうかとか‥‥」
「そうだな。 ただ、そういう季節変動は事
前にわかってるから予測するなんてものじゃ
ない。 ほかには?」
「えーとですね‥‥あっ、特売などの大き
な出荷があるかどうかも考える必要がありま
す」
「そう、たしかにそうだ。 でも、それは、営
業サイドから情報をもらえばいいだけで、こ
れも予測なんてものじゃない。 ほかには?」
編集者氏は、腕を組んだまま考えているが、
言葉が出てこない。 大先生が頷き、引き取る。
「あとは、情報としては、その商品をまだ
売り続けるのか、市場から撤退する可能性は
ないかということかな。 ただ、これも営業の
情報。 要するに、季節的な動きと営業がら
みの動きを取り込むことが必要だというわけ。
いいね? ところで、取り込むというけど、
何に取り込むわけ?」
大先生のやや抽象的な質問に、編集者氏が
大きく頷いて答える。
「出荷動向ですね。 だから、それがベース
となるということなんですね?」
「そう。 季節変動も営業がらみの動きもな
ければ、出荷動向、つまり発注時点で計算し
た一週間分の量をそのまま発注すればいいっ
てこと。 比較的長期間の出荷動向を取ってい
れば、大体それでいける」
大先生の言葉に頷きながら、編集者氏が思
い出したように質問する。
「そういえば、突然出荷が増えたりすること
がありますよね。 それにはどう対処すればい
いのでしょうか?」
「いい質問だ。 在庫管理の無理解さを露呈
した質問という意味で‥‥」
大先生の皮肉交じりの言葉に編集者氏が顔
を引きつらせる。 在庫管理談義はまだまだ続
きそうだ。
ゆあさ・かずお 1971 年早稲田大学大学院修士課
程修了。 同年、日通総合研究所入社。 同社常務を経
て、2004 年4 月に独立。 湯浅コンサルティングを
設立し社長に就任。 著書に『現代物流システム論(共
著)』(有斐閣)、『物流ABC の手順』(かんき出版)、『物
流管理ハンドブック』、『物流管理のすべてがわかる
本』(以上PHP 研究所)ほか多数。 湯浅コンサルテ
ィング http://yuasa-c.co.jp
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