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奥村宏 経済評論家
第73回野村證券のインサイダー取引
JUNE 2008 56
インサイダー取引のショック
野村證券の社員がインサイダー取引の容疑で東京地検特捜
部に逮捕された事件は、株価低落で被害を受けている投資家
に大きなショックを与えている。
逮捕されたのは野村證券の企業情報部に所属する中国人社
員で、野村證券が助言業務を行っている富士通デバイスと富
士通との株式交換による完全子会社化の情報を手に入れ、先
回りして富士通デバイスの株を買って利益を得たという容疑
である。 そのほかにも、野村證券がかかわっていた企業買収
の情報を入手してインサイダー取引を行っていたといわれる。
このニュースが伝えられるとすぐに、企業年金連合会をは
じめ三井住友アセットマネジメントや朝日生命保険など、野
村證券との取引を止める機関投資家が次々と出ている。
インサイダー取引が悪いということはアメリカではもちろ
ん、どこの国でも常識だが、日本ではその意識があまり強く
なかった。 それどころか、「内部情報を他人より早く手に入
れて株の売買をして儲けるのがわれわれの仕事だ」くらいに
思っていた人も多かった。
しかし外国機関投資家の日本株に対する投資が増え、国内
の機関投資家の売買高も増えた段階から、そのような非常識
な考え方は通用しなくなってきた。
そして證券取引等監視委員会もインサイダー取引をきびし
くチェックするようになり、次々と摘発し、最近もNHK記
者がインサイダー取引容疑で摘発されてそれが大きなニュー
スになっていた。
そういう状況の中で、国内の證券会社のトップにある野村
證券で事件が起こったのだから、それが与えたショックは大
きい。 なによりサブプライム・ショックで株価が大きく値下
がりし、株式や投資信託を買った投資家が大損しているだけ
に、この事件は野村證券だけでなく証券界全体に対する不信
感を募らせ、投資家離れを起こさせることになる。
九年ぶりの赤字決算
この事件が新聞で大きく報道されたのは二〇〇八年四月
二三日のことである。
それから二日たって二五日に野村證券の持株会社である
野村ホールディングスが〇八年三月期の連結決算を発表し、
六七八億円の赤字を計上した。
サブプライム・ローン関連の赤字が二六〇〇億円もあった
ためだが、野村ホールディングスの赤字決算は一九九九年三
月期以来で、九年ぶりである。
野村證券の不祥事は九一年の大口顧客への損失補填と暴力
団関係者との不透明な取引、いわゆる“証券スキャンダル”
で有名である。 そしてこの事件を契機に株価は暴落し、証券
市場は大混乱した。
それからしばらくして株価は立ち直り、証券界も良くなっ
たかにみえたが、九七年、こんどは総会屋への利益供与事件
でまたしても野村證券が摘発された。
そして今回は三度目ということになる。 果たしてこれは野
村證券、そして日本の証券界全体にどのような影響を与える
ことになるのだろうか。
四月二五日に発表された前期決算には、もちろん今回のイ
ンサイダー取引事件の影響はまだ現れていない。 それが現れ
てくるのは次期決算だが、サブプライム・ショックによる株
価低落は、引き続き証券会社の業績の足を引っ張ることにな
るだろう。
それが九一年の“証券スキャンダル”のように大きな打撃
を与えるとは思えないが、しかし投資家に与えた不信感は長
期間にわたって続くから、これを軽視することはできない。
なにより「貯蓄から投資へ」とのキャッチフレーズで、国
民に株や投資信託を買わせるという政策を小泉内閣以来続け
てきたが、それがいま裏目に出て、国民の投資離れを起こさ
せている。 それがもっとも恐ろしい。
国内証券最大手でまたしてもスキャンダルが発生した。 法人向けの投資銀行業
務と、個人相手のリテール部門を同じ組織で兼営する体制が不正を招く一因とな
っている。 しかしそれを改めようという動きはみられない。
57 JUNE 2008
野村は変わるか?
野村證券は第一次大戦後の相場で野村徳七が大儲けしたと
いうところから出発し、やがて野村銀行は大和銀行となり、
野村證券はその兄弟会社という関係にあった。
その野村證券が大きくなったのは第二次大戦後、大阪から
東京に本社を移し、そして投資信託に力を入れた段階からで
ある。
それまで東京では山一証券と日興証券が強い力を持ってい
たが、それに対抗して関西勢の野村と大和がのしていった。
その野村證券は通称「ノルマ証券」といわれているように、
社員に対してきびしいノルマを課して株や投資信託を売らせ、
それによって他の三社を圧倒するような大証券会社になった。
それは口では投資家本位という文句を唱えながら、実は「野
村證券本位」の経営であったといってよい。
野村證券の経営者はもちろん社員にも独特の気風があり、
他の会社にはみられない一種異様な感じを他に与える。
それが壁に突き当たったのが九一年の“証券スキャンダル”
であり、そして九七年の“総会屋スキャンダル”であった。
そこで野村證券の行き方も変わるかにみえたが、実はそうで
はなかった。
それが今回のインサイダー取引事件となって現れた。 果た
して今回はそれにどう対応していくのだろうか。
これまでテレビや新聞でみる限り、野村ホールディングス
の渡部賢一社長は口では謝罪をしている。 だが、これまでの
野村證券の経営方針をこれを機に変えていこうという気は全
くないようにみえる。
おそらく今回の事件も時間がたてば忘れられるだろうと思
っているのではないか‥‥。
もしそうだとしたら二度あることは三度ある。 そして三度
あることは四度ある、ということになるのではないか。
これでは投資家は救われない。
法人部門と個人部門を分離せよ
一九六五年の“証券恐慌”で山一証券と大井証券の経営が
破綻し、日本銀行の特別融資によってやっと立ち直った。
それから二〇年以上、日本の証券界は好況を満喫していた
が、九〇年一月からの株価暴落、そして翌九一年の“証券ス
キャンダル”で再び危機に陥った。
そしていったんは立ち直った山一証券はまたもや経営危機
に陥り、今度は本当につぶれて、会社は清算されてしまった。
それまで日本の証券界に君臨してきた四大証券はこれによ
って三大証券になってしまったのだが、その三大証券も無事
ではなかった。 まず日興証券はアメリカの投資銀行の支配下
に入れられてしまった。
そして大和証券は三井住友銀行の系列下に入れられ、もは
や独立した証券会社ではなくなった。 そこで残ったのは野村
證券だけで、野村だけが独立した証券会社として生き残って
きた。
しかしそれには無理があった。 アメリカではもともと会
社=法人相手の投資銀行業務と個人客相手のリテール(小売
り)部門を分離していたが、日本では四大証券はみなこれを
兼営していた。 そこからインサイダー取引も誘発されてくる
ことになるし、“証券スキャンダル”も起こってくる。
そこで“証券スキャンダル”が起こったとき、私は日本の
証券会社に法人相手の部門と個人相手の部門を分離すること
が必要だと提言した。
ところがこの私の提言に真正面から反対したのが野村證券
で、「野村證券は絶対に法人部門と個人部門を分離しない」
と当時の社長が宣言したものである。
今回のインサイダー取引は法人相手の企業情報部で起こっ
たものだが、これがすぐに個人投資家にひびいてくるという
のも、このような野村證券の経営態度に原因があるといって
よい。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『会社はどこへ行く』
(NTT 出版)。
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