ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2008年8号
判断学
地球温暖化問題の裏側

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 第75回地球温暖化問題の裏側 AUGUST 2008  72      洞爺湖サミットと国民運動  七月七日から洞爺湖サミットが開かれ、そこでは地球温 暖化問題が主要議題となるというので、日本のマスコミで は地球温暖化問題が流行テーマになっている。
 福田首相は温室効果ガスを二〇五〇年までに現状にくら べ六〇〜八〇%削減するという提案を発表しており、環境 税を含め税制全般を見直すとしているが、「低炭素社会は国 民の行動なくしては成り立ち得ません」とも言う。
 また首相直轄の有識者会議として奥田碩トヨタ自動車相 談役を座長とする「地球温暖化問題に対する懇談会」も 「低炭素社会・日本をめざして」という政策提言を首相に提 出している。
そのなかで「産業界のみが負担するのではな く、広く国民レベルでも応分の負担をする制度設計を考慮 すべきだ」としているが、そういう呼びかけにこたえたのか、 京都市などではコンビニエンスストアの深夜営業を規制する という方針を発表しており、地球温暖化問題はこうして国 民運動になろうとしている。
 福田首相にとってはその不人気対策として洞爺湖サミッ トを利用しようとする魂胆がみえみえだ。
一方、財界もこ れを低炭素社会の実現のためというよりも、責任逃れに使 おうとしている。
 地球温暖化の原因の大きなものが、二酸化炭素を排出す る電力会社や鉄鋼メーカーをはじめとする大企業、そして 自動車の排出ガスにあることはいうまでもない。
したがっ て地球温暖化の責任を追及されるのは電力会社や鉄鋼メー カー、そして自動車メーカーであるべきなのだが、その責任 を広く国民一般に課そうとしている。
 それが福田首相の提案にも現れているし、財界主導の「地 球温暖化問題に対する懇談会」の提言にもはっきりとうた われている。
それは責任逃れのための宣伝だが、これを一 大国民運動にしようというのである。
     排出量取引制度の問題点  一九八八年、アメリカ上院の公聴会でJ・ハンセン博士が 「地球温暖化の到来は九九%確実」と証言したことを契機に 地球温暖化問題がにわかに大きな政治問題、そしてさらに 国際的な問題になった。
 その後、二〇〇三年にはフランスなどを襲った熱波で ヨーロッパ全体で三万人以上の死者を出したし、そして 二〇〇五年にはアメリカ南部を猛烈なハリケーン・カトリー ナが襲って大きな被害を出した。
そのほか世界中いたると ころで異常気象が観測され、人々の生存を脅かすようにな っている。
 そこで気候変動に関する世界の専門家会議が開かれ、「気 候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が何回かに分け て報告書を発表している。
そこでは地球温暖化は自然現象 ではなく、人間による温室効果ガスの排出に原因があるとし、 「一刻も早く温暖化対策に手を打つべきだ」としている。
 地球温暖化の原因として人類による森林破壊などがあ るということはいうまでもない。
しかし二〇世紀後半から 二一世紀にかけて地球温暖化が急速に進んでいることは電 力会社や鉄鋼メーカーなどによる二酸化炭素の排出、そし て自動車の排気ガスによるものであることは誰も否定できない。
 そこでこれを規制するために温室効果ガスの排出枠を決 めて、その排出量の取引をするという構想がいわゆる排出 量取引制度として提案されているが、自動車を走らせる過 程で出す排出量はメーカーの責任ではなく、自動車を運転す る個人の責任だから、自動車メーカーにはいっさい責任はな いということになる。
 排出量取引制度というのは、政府が決定する温室効果ガ スの許容排出量(キャップ)の下で、各企業が保有排出枠 を売買する仕組みだが、これは環境問題を投機の材料にす るものだ、という反対意見もあり、論争が交わされている。
 政財界のみならず、マスコミまでが一体となって地球温暖化問題を国民運動に しようと動き始めている。
そこには事業の宣伝材料にしたり、責任逃れの方便に 利用しようという大企業の思惑が透けて見える。
73  AUGUST 2008      宣伝の材料にする  一方、電力会社は排出量取引制度ができれば大きな負 担になるが、そうなれば電力料金を引き上げれば問題ない。
そして温室効果ガスの排出を少なくするために、原子力発 電に力を入れなければならないということになる。
 そうなれば国民の間に強い原発反対運動を抑え込むこと ができる。
こうして地球温暖化問題が原発反対運動抑え込 みの材料、そして原発推進の道具になっていく。
 地球温暖化が問題になった段階で、アメリカでは地球温 暖化には科学的根拠がないというキャンペーンが行われ、マ スコミがそれに乗った。
それを宣伝したのは大企業がスポン サーになっているシンクタンクや大学の学者たちであったが、 日本でも一部のマスコミや学者がそれを同じことをやった。
 その後、IPCCの報告などで、このような地球温暖化 はデマであるというような議論は通らなくなった。
 そこで次に登場したのが、地球温暖化の責任は国民すべ てにあるという主張である。
これによって自動車メーカーの 責任は問われず、自動車を買ったお客が悪いということに なった。
 そして電力会社や鉄鋼メーカーなどについては排出量取 引制度で排出枠を買い、そのコストは利用者に負担させれ ばよいということになる。
さらに原子力発電や次世代自動 車の開発に力を入れるべきだということになる。
 地球温暖化は人類の生存にかかわる問題であり、しかも それは遠い未来のことではなく、つい近くにせまった問題 である。
 ところがこれを大企業は自分たちの事業の宣伝材料にす るか、あるいは責任逃れのために利用しようとしている。
 洞爺湖サミットはこのような状況の中で開かれ、それが宣 伝とキャンペーンの材料にされようとしているが、これでは 人類の未来はどうなるのだろうか‥‥。
     自動車メーカーの責任  欠陥商品を製造した会社には製造物責任がある、という のが基本である。
ところが有害な二酸化炭素ガスを排出す るような自動車を製造した会社には責任はなく、もっぱら 自動車を運転する個人の責任にするというのが排出量取引 制度である。
 そうだとすれば、「低炭素社会は国民の行動なくしては成 り立ち得ない」という福田首相は、「国民はすべて自動車に 乗るのを止めなさい」というべきであろう。
 製造した会社の責任を問わないで、それを買ったお客が悪い、 というのはどう考えてもおかしい。
 奥田トヨタ自動車相談役を座長とする有識者会議は「産 業界のみの負担とするのではなく、広く国民レベルでも応 分の負担をせよ」というのであるが、逆に自動車に乗る人 の責任にするのではなく、自動車を作った会社も責任を負 担せよ、というべきではないか。
 かつて宇沢弘文元東大教授が『自動車の社会的費用』(岩 波新書)という本を書いて、大きな反響を呼んだことがある。
自動車は事故を起こして多くの人を傷つけ、あるいは死に 至らしめている。
そして排気ガスによって地球環境を破壊 している。
これらはすべて自動車の社会的責任であるとし、 それを計算すれば一台当たり何十万円もの負担をすべきだ とした。
 これに対して自動車メーカーは猛反発したが、そのせいか、 今回の地球温暖化問題では自動車メーカーはその責任を問 われず、もっぱら自動車を利用する個人の責任にされている。
 そしていわゆる次世代自動車の開発に自動車メーカーは 力を注ぐべきだ、として、自動車メーカーを逆に保護しよ うとさえしている。
現在の地球温暖化問題のキャンペーンに はそのような意図がみえるのだが、マスコミは全くそれに触 れないで、一方的な宣伝を行っている。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『会社はどこへ行く』 (NTT 出版)。

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